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『 この時期になると、どうしても思い出してしまう少女<ひと>がいる。 』
尼ケ辻 夏藍jb4509)&百目鬼 揺籠jb8361

 尼ケ辻 夏藍(jb4509)は宿の中、宛てがわられた自室にて、一人酒を呑む。
 その眼差しは穏やかながら、部屋の中のどこでもない遥か遠くを見ており――。
 静かな部屋の外を流れる音も一切気にならない程に、彼の意識は『過去』へと向いていた。

 彼には引き籠もり癖がある。
 本人曰く『充電期間』であるところのその癖が出る期間は、現在の住処である宿の面子に請われて数日で終わってしまうことが多くなった。
 けれど、今回は例外である。
 久遠ヶ原に入るよりもずっと昔に愛した少女の命日と、その前後の一週間。今回がそれにあたる。
 その事実は、口に出して誰かに語ってはいない。
 けれども面倒見が良かったり、察しがよかったりする同年代の妖怪仲間には充電に入る前にはそれとなくフォローを頼んでおいてある。
 それ程徹底してまで、今は一人でいたかった――のだが。
 突如として、部屋と外界を遮る引き戸が叩かれ始めた。
 フォローも頼んであるし少し経てば察してくれるだろう――等と思っていたけれども、ノック音はおさまるどころか苛立たしげに徐々に荒くなっていく。
 しまいには、
「――陰気くせえ、いい加減出てこねぇと扉ぶち破りますよ!」
 等という脅し文句が聴こえてくる始末。
 その声で部屋の外にいる者の正体を察した夏藍は、やれやれと重い腰を上げ、追い払おうと引き戸を少しだけ開ける。
 すると、静かな時間への闖入者である百目鬼 揺籠(jb8361)はここぞとばかりに戸を思い切り引くと、夏藍が追い払う間もなくずかずかと上がり込んできた。
「随分と強引だね」
 ドン、と音を立てて部屋の卓袱台に土産の酒を置く揺籠の背中に、夏藍は呆れ混じりに言葉を掛ける。
「何で長ェこと引き籠もってるのかは知りゃしませんが」
 そのまま卓袱台の前に座り込んだ揺籠は、視線だけを未だ戸の側にいる夏藍へと向けた。
「何かあれば言やァ良いんです」
 揺籠とて、夏藍が毎年この時期に長く引き籠もること自体は承知している。
 こうも強引に乗り込んできたのは、喧嘩友達である夏藍が不在であることに耐え切れなかったからで。
 そしてその不在に理由があるのなら、聴くことで何か状況が変わるのなら――という思いもあった。
「何故かって? 君には関係ないよ」
 殴りあうだけの元気は、今の夏藍にはなかった。だからそんな素っ気ないことを言いつつも、盃を一つ追加で用意すると自らも揺籠の対面に腰を落ち着ける。
 揺籠が騒ぎ出す前に呑んでいた酒は、既に瓶の中身も空になっていた。土産の酒の封を開け、二つの盃へ注ぐ。
「だって君に出会うより前の話さ。大事で大事で大事だった少女が死んだんだ」
 揺籠は注がれた酒を一口含むと、無言の首肯で先を促す。
 夏藍もまた少し酒を呑んでから、ぽつぽつと語りだす。
「私が人界に堕ちたのも、彼女が切っ掛けだった」

 かの少女は、夏藍の様々なものを変えたと言っても過言ではないだろう。
 少女を見初めた夏藍は、人界に堕ちて。
 少女が亡くなった後も、彼女の子孫を護る為に彼女のいた漁村に留まった。
 その役目さえ終わってしまい、冥界に帰る力もなく傷心を抱えたまま、久遠ヶ原へ入学するまでの療養を始めたのが今から100年半ほど前の話である。
 けれど、そこまで思いを寄せた少女との間には『何か』があったわけではなく、一方的に見護っていただけの関係だった。
 ――それは、見初めた時から心のどこかではある確信があったからかもしれない。
「……人だったから、私より先に」
 妖の者とヒトとを隔てる絶対的な差があったから、ただただ見護る以外の選択肢はないものだと思っていたのだろう。
 今も間違いだとは思わないけれど、こうして思い返してみると胸中で渦巻く感情は確かにある。
「――感傷だよ」
 その感情を示すのに最も相応しいであろう言葉を呟いて、愛おしそうに目を細める。
「……感傷ね。七百年は長く深ぇ」
 それまで時折相槌を打ちながら黙って聞いていた揺籠が、口を開いた。
 七百年という期間には、揺籠自身も大いに思うところがある。とある関係から自らが生まれ落ちたのがちょうどその頃だったから。
「偶に振り返るなら兎も角、溺れたらいけませんぜ、尼彦の癖に」
 尼彦。少女の子孫を護っていた時代に漁村の人々に呼ばれていた名前を出されて、思わず夏藍は苦笑する。
「そういえば」
 一口酒を含んでから、夏藍はちら、と視線だけ揺籠のほうを見た。
「君と出会ったのもこの季節だっけ。初っ端から喧嘩を売ってきたんだよね」
 この季節といっても勿論『充電期間』外のことだけれども。揺籠も思い出したらしく「あー」煙管から口を離して声を上げる。
「ですねェ、あの頃からいけすかねぇのは変わりませんで」
「いけすかないも何も、あの時最初に私のことを吹っ飛ばしたのは君じゃなかったっけ」
「あの時も言いましたが、ぼんやりしてるのが悪ィんですよ」
 何やらよほど最悪な印象のファーストコンタクトだったようだ。
「今もそれほど変わっていないと思うけど、それでも簡単に避けられると思うよ」
「何ィ」
 揶揄ってみると揺籠は割と簡単に乗ってきた。
 ほぼ同時に立ち上がると、先に揺籠が動いた。卓袱台の上に足をかけると拳を振り下ろそうとし――。

 逆に下から突き上げられた拳に、顎をもっていかれた。

 妖としての力に加えて撃退士の超人的な能力もあり、揺籠は数メートルも宙を舞った挙句、部屋の外の廊下に放り出される。
 思えば乱入した時、夏藍は引き戸を閉め直していない――。
 上半身だけ起こした揺籠がそのこと気づいた直後に、目の前で引き戸がピシャリと閉められた。
 途中から自分との出会いの話になったのは、これが狙いだったか。
「何だ、元気じゃねェですか」
 そんなことを画策する余裕があるんだから、と、少しばかり安堵する。

 その言葉を引き戸の向こうで聞いていた夏藍も、人知れず微笑んだ。
 こういう時間、こういう関係も悪くない、と。
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
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エリュシオン
2014年06月05日

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