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『潤いの雫 』
ジャミール・ライル(ic0451)&ドミニク・リーネ(ic0901)

 ――日差しに、目を細めた。
 空は、今日も鮮やかな青と白のコントラストを描いている。
 抜けるような、見事な蒼。……だけど、今人々が求めているのはその彩ではなく。
 その、求められぬ青空の下。
 
「しょーじんけっさい?」
 ジャミール・ライル(ic0451)の、鸚鵡返しの問いに。
「そう。精進潔斎」
 ドミニク・リーネ(ic0901)はやはり、鸚鵡返しに返した。

 六月。入梅の頃。
 晴れ渡った空がいかに目に爽やかであろうとも、降るべき雨が降らないのでは困る。
 かくして、神楽の都のとある神社で、雨乞いの祭りが執り行われることとなり、踊り手であるジャミールと、楽師であるドミニクに『仕事』が入り込んできたわけだ、が。
「神様に舞を捧げるのだから、その前に身を清めておくの。慎み深いものだけを口にして、行いを謹んでね」
 具体的には――……
 肉、魚を口にすることは禁止。
 飲み物は、酒は勿論、お茶といった嗜好品も禁止で、基本は白湯のみ。
 男女の同衾は禁止。神事に関わる男女は、当日まで、別々の部屋に篭ることになる。

 ……一つ一つ、ドミニクが説明を重ねるその度に、ジャミールの眉間のしわは濃くなっていった。

 それはそうだろう。
 要約するとそれらはつまり、『普段のジャミールの態度とは対極にある生活』のことなのだから。
 報酬の高さもあいまって引き受けてしまったが、はっきり言って早まったかもしれない。
「……俺だけ、ちょっとくらい、駄目? ほら、メインはリーネちゃんデショ?」
「駄目! 雨乞いは遊びじゃないのよ!」
 すがる気持ちで零した言葉は、鋭い声で遮られた。適当な気持ちで引き受けたジャミールとは違い、彼女はかなりの本気モードのようだ。
「……てことは、リーネちゃんとも?」
「……そうね。雨乞いが終わるまでは触れないで。勿論、わたくし以外の女性にも」
 沈んだ声でジャミールは言って。ドミニクの返答に、名残惜しそうに、遠慮のない視線をドミニクへと向ける。
 肩をすくめて、彼女は一度それを受け止める。既にドミニクは潔斎のための白装束に着替えており、視線に困るようなことはなかった。
 いや、別に今更彼に「そういう目」で見られることに嫌悪はないのだが、最近――あくまで彼女の主観で――ちょっとばかり、その、肉付きがよくなってしまった体躯をじっくり見られずに済んだ事には、こっそり神に感謝する。
「はい、だからジャミちゃんも。派手な服装はここまでにして一度着替えてね」
 そうして、押し付けるようにしてジャミールにも白装束を渡し終えると。早速彼女は慎みを体現しようかという風に、背中を向けて足早に彼の元から離れていく。
「……はあ……」
 追いかけたら怒られるだろうな、というのがわからないほど、彼は空気を読むのに疎くない。
 諦めるように、溜息一つ。
 彼の試練の三日間の、始まりだった。




「あー……もう、無理」
 最初にジャミールがボヤキを発したのは、一日目の朝だった。
 早すぎる、というなかれ。大の男が薄粥と梅干だけの朝食を見れば、いきなりやめたくなるのも無理はない。
 そもそも、本職の僧侶ですら、精進というのは簡単なことではないのだ。
 精進料理、を紐解いて見るといい。数々の『偽物』の存在は、逆に彼らの食への執着を示すものだ。食べてはいけない。だが食べたい。その葛藤が熟成された成果がそれだ。
 それを、普段は節制とは無縁な彼がやらされた、とあれば。
 割高な報酬のため、と、必死で頑張る気持ちはあるのだが、気付けば無意識のうちに台所や外へ向かっていて。それを神社のものに見咎められて騒ぎが起きる。
 そうした騒ぎはドミニクの耳にも勿論入っていて。
 まったくもう、という気持ちはあった。だけど、それ以上に、無理して付き合ってくれている気持ちを汲んで、フォローに回る。
 ……だけど、いっそ、そうした『騒ぎ』を起こしてくれていたときのほうが、むしろ気が楽だった。
 三日目。
 調べずとも、それとなく入ってくるジャミールの様子は、『もうそんな気力もなくして、部屋でぐったりしているらしい』、というもので。
 そうなってしまうと逆に、流石に、しっかりしろ、という怒りよりも、申し訳なさのほうが大きい。
「ジャミちゃん?」
 流石に心配になって、触れることはない程度の距離をとって、様子を伺いに行くと。
「もう無理。もうヤダ。肉食べたい。酒のみたい。ふかふかの女の子に触りたい〜……」
 だらりと手足を投げ出した状態で、うわごとのように呟き続ける、彼。
 そもそもが無理な話だったのかもしれない。身を清める、というが、彼から穢れを取ったら何が残るというのだ。
 肉が好きで、酒が好きで、女の子が大好きで。そして自分が一番好き。踊り子や開拓者として身を立ててはいるが、最近は専ら踊りより寝床での収入が多いという噂の生粋のジゴロ。
 その彼が、ありとあらゆる欲を封じられ。日照りの前に、彼が干からびそうな有り様だ。
 ……なんだかもう、本当に気の毒としか言いようがなくて。
 ちらり。雑念がよぎる。
 彼に、そこまでやらせることもないんじゃないか。
 せめて己さえ、きちんと潔斎すれば。
 彼には――ほんの少し、食事だけでも、差し入れの便宜を図るくらい。そんな、ほんの少しくらい、いい加減にやったって……。

 ――また、いい加減に弾いて。
 ――本当にもう、どうにもならないのか。

 つい、引きずって思い出されたのは。
 傷跡というほどでもない、ただの道のり。
 もっといいやり方があったんじゃないか、とか、どうして頑なに判ってくれなかったのか、とか、そんな気持ちがないわけじゃあ、ないけれど。
 それでも、無駄に後ろを向くことは彼女の哲学にはない。
 今この境遇に後悔はなく、あるとすればただの感傷だ。
 だから、これはただ。
「……ごめんなさい」
 ただやっぱり、この仕事に対して。妥協をすることは出来ないと。
 その結論に、彼女は詫びる。
 その言葉はつい、独り言のように、ただ口を付いて出てしまっただけなのだけど。
「……んー。そっか」
 聞こえてしまっていたのか。それまでとは少し違う口調で、ジャミールが応えた。
 ドミニクが、慌てて顔を上げて彼を見る。

 遠くで、はっきりとは見えなかったけど。
 微かに、彼はほほえんでいた気がした。




 翌朝。
 ドミニクが竪琴を持って所定の場所へ向かうと、ジャミールももう、そこに居た。
 用意された白装束に、化粧。すらりと立つ振る舞いと顔つきは、昨日の半死状態が嘘のような精悍さだった。
 思わず、立ち止まって暫く見つめる。
「……あ。リーネちゃん、おはよ」
「え? ええ。おはよう……ええと、大丈夫?」
「ん? いつもどおり踊るだけだよ? まあ、いつもと違って楽しませるのは人じゃなくて神様だけど」
「ええ――そう、だけど……」
 咄嗟に返す声には、呆然とした様子がありありと出てしまっていた。
「何その顔、俺だって真面目できるんだけど?」
 神様に色目使ったら怒られるでしょー、と、拗ねた声。
 ドミニクはようやくそこで我に返って、くすりと笑った。
 馬鹿にしてはいけない。彼もプロフェッショナルなのだ。初めから余計な心配は無用だったのだろうと。
 ならば、彼を信頼して声をかけたものとして、自分も全力を尽くせばいい。
 それだけのことだと、己を恥じながら思いなおす。
「今日は、よろしくね」
「ん。任せてー。……終わったら、ご褒美だよね?」
「勿論。楽しみにしてて頂戴!」
 だから後は、お互い、笑顔で檄を交わすだけ。

 そうして、開演の時間を迎えた。

 ドミニクが、意識を研ぎ澄ませて、竪琴を爪弾く。
 神社にしつらえられた舞台に、厳かな音色が響きだす。
 それにあわせて、ジャミールもまた、優雅に舞いを開始した。
 風に乗って流れる旋律は、はじめは静かに。だが次第に調子を上げていく。
 動作も振りが大きくなり、見るものを魅了していく。
 雨を請い、神に捧げる神楽舞。
 荘厳に。だが、華美にならぬよう。
 神に届けるべく、生み出された調べ。

 だが。
 暫くして、曲調が少しずつ、だが、確実に変化を見せていく。
 ドミニクの気分の高揚が、そのまま演奏となって現れているのだ。
 自由で無軌道な、つむじ風のような彼女の音楽。
 彼女の両親は認めず、受け入れることのなかった、それを。

(……ふぅん?)
 ジャミールは、ただ感じ取るままに受け取って。自然に動くままに、己の手足を動かした。
 咎める様子はない。焦る表情もない。
 そして、彼女の人生を肯定しよう、応援しようなんて思惑も、そこには無かった。
 ただ彼は彼のあるがままに、彼女以上に自由であるだけ。
 彼女が無軌道な風ならば、今の彼は漂う浮雲だった。
 風が己をどこへ乗せていくのか。疑問や不平を抱くことはなく。
 ただ流れるままに、己を乗せる。
 その行く末がどうなるかなど、流れる先で考えればよい、と。
 迷いのない所作が。
 すらりと伸びる手足が。
 ついていくよという絶対の自信を彼女に伝え、彼女の音を導いていく。
 
 己が奏でる音が。
 それが形となって、目の前に在るのを見つめながら。
 ドミニクは今、歓喜の中にいた。
 ありのままに弾いていい。
 己が信じてきた音楽を。今、このときは。彼となら。
 天にしろしめす神よ、聴こえていますか。
 この曲を。この想いを。この歓喜を。
 今、わたくしの全霊を、あなたに捧げます。

 ドミニクの心が、満たされていく。
 胸に染み渡る想いが、風に乗る調べに艶を与えていく。
 熱風が、湿り気を帯びていく。
 空には、浮雲を追いかけるように、大きな雲が姿を現し始めていて。

 ぽつり。
 境内の石畳に一滴の、染みが。
 ぽつりぽつりと増え、染み広がっていく。
 抜けるような蒼天は、もはや鈍重な灰色に覆われていて。
 待ち望んでいた雨に、人々が歓喜の声を上げる中。

 演者だけがそれに気付かず、無我夢中の演目は暫く続いていた。




 かくして、彼らは見事にその役目を果たしたのだった。
 苦節の三日間は無駄ではなかった。己を厳しく律し、その果てに見事に演じきった奏者と踊り手を、社の人々は手放しで褒め称え、立ち去る彼らを手厚く見送った。
 そうして、充実感とともに神社を後にすると、彼らは――

「ジャミちゃんすごいわお疲れさま! お酒もお肉もじゃんじゃんもってこーい!」
「リーネちゃん俺もう我慢とかマジ限界だから! 女の子分全然足りねぇーーー!」

 ……その足で真っ直ぐに居酒屋に駆け込むなり、三日間の節制の憂さを晴らしていた。

 誰彼はばかることなくぎゅう、とドミニクの腰に抱きつくジャミールに、ドミニクも満更ではなさそうによしよしと頭を撫でる。
「はい、ご馳走あーん」
「あーん」
 膝枕の体勢で、差し出された肉を咀嚼する。
 犬歯で肉を噛み千切り、たっぷりの肉汁を味わい、それを酒で流し込む。
 べったりと、互いの体温と肌の感触を確かめながら。
 ……もう、ありとあらゆる欲望を垂れ流した自堕落の宴が、そこにあった。
 反動とはいえ弾けすぎではなかろうか。
 こんなこと、雨を降らせた神にばれたら、また止められても文句は言えまい。
 だけど、二人が寝転ぶ小屋の外からは、今もしとしとと、六月らしい、長くなりそうな雨の音が響いている。
「ジャミちゃん、今日は本当にお疲れ様。……それから、ありがとう」
 達成感をもたらす、心地よい雨の響き。
 耳を澄ませながらドミニクは、今日一番の笑顔を浮かべて。
「えー……? うん。ホント疲れたー……。しょーじんとか、もう絶対ヤダ……」
 でもやっぱり、ジャミールは相変らず、彼女以上に自由で正直だった。
「……でも、潔斎開けのご飯もおいしいわよ?」
「やだ。我慢とかつまんない。リーネちゃんはいつ触ってもふかふかだしー。ずっと触ってるー」
「それはまあ……別にいいけど」
 厳しい両親の元で慣れていたとはいえ、彼女も潔斎の間まるきり平気だったというわけではないのだ。
 美味しい物は大好きだし、潔斎が開けた今、ジャミールには嫌がってでもべったりしてやろうとすら思っている。……幸いなことに、そんな気配はまったくないけども。
 ただちょっと、ふかふかしているって言うのは、どういう意味だろう。
 並べられた料理の皿、勢いに任せて頼んでしまったその数を改めて確認して、少しだけ後悔する。
 ああ、だけど、今日はでもやっぱり、そんなこともう、どうでもいいか。
「急に雨が降るとさ、ちょっと、肌寒いよね」
 ジャミールはそう言って、ドミニクからぴったりくっついて離れようとしない。
「そうね」
 ドミニクも笑って、擦り寄るようにジャミールに肌を寄せる。

 六月。
 一度降り出した雨は、例年通り、暫く長く降り続けるだろう。
 そうすれば、人々は待ち望んだことも忘れて、またうんざりと空を見上げるようになるのだろうか。
 だけど、今は。
 心地よい達成感に浸りながら。雨を呼んだ二人は。
 自分達を優しく包む雨の音にしばし、耳を傾けていた。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ic0451 / ジャミール・ライル / 男 / 24 / ジプシー】
【ic0901 / ドミニク・リーネ / 女 / 24 / 吟遊詩人】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度はご発注ありがとうございます。
お二人の設定を眺めているうちに自然と、じわじわとお二人を結びつける線が見えてきた気がして気が付くと自分の中にこのような音楽が生まれていました。
楽しんで書かせていただきましたが、ご不満等ありましたら遠慮なくお申し付けくださいませ。
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2014年06月09日

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