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『痕 』
永久(ib9783)


 暗転。




 川のせせらぎ、野鳥の声。
 幼い妹の遊び相手をし、空腹を鳴らして家路につけば、赤子の弟を背負った母が夕餉の支度をしている。

「青鷹」

 こちらに気づいた母の笑顔。
「ただいま。手伝うよ」
 名を呼ばれた少年は、「な?」と手を繋いだ妹を見下ろして。
 父が戻るには、まだ時間があるだろう。
 今日一日の冒険を話して聞かせて、これもひとつの一家団欒。

 食卓に、慎ましやかな料理が並ぶ頃、土産片手に父が帰り。


 いつもと変わらない、昨日の続きの今日。
 きっと、今日の続きに明日がある。
 なんの保証もないけれど、漠然とした希望に満ちた毎日。
 修羅の隠れ里の生活。 




 暗転。



● 
 熱に、目が覚めた。
 否、いつから目が覚めた――何が切欠だった?

 炎の熱。
 鉄錆――恐らくは、本当は違うなにか――の匂い。
 男とも、女とも、大人とも、子供とも、区別のつかない、入り混じった悲鳴。

 それらに押されるよう、少年は走る。走る。
 思い通りに全速力を出せないのは、妹の手を引いているからだ。
 握り返してくる小さな手に込められた力の強さが、少年へ生きている実感を与えてくれる。
 少し後ろを、弟を抱いた母が追う。


 夜。突然の、アヤカシの襲撃だった。


 逃げ惑う、村の人々。
 追い詰められ、襲われる断末魔。
(どうして)
 走る少年の脳裏には、つい先ほどまでの日常がこびりついていた。
(どうして)
 繋いだ手の先に、妹がいる。
 肩越しに振り向けば、母と弟がいる。
 ……父は。
 父は、死んだだろうか。

『逃げろ』

 家族を起こし、奮い立たせ、大きな掌でこの背を押した。
 声と。手の大きさ。それが最後の姿。
 父の後ろに迫る大きな影は、あれは……
「……けほっ」
「これを、巻いて」
 煙に咳き込む妹へ、少年は首元に巻いていた布を掛けてやる。
 夜だというのに、炎の照らし出された村の中は異様に明るい。
 足元に不自由はないが、煙に呼吸を塞がれてしまえばアヤカシどころではない。
 兄妹は再び走り始める。
 走る。走る。
 千切れた腕が視界の端を飛んでゆく。
「おじさん」
 掠れた声が、妹の声が、耳にこびりつく。
 見知った人が、『人だった欠片』となってゆく。
 明るい足元へ、時に転がり込んでくる。
 鉄錆の匂いが濃くなり始める。
(地獄絵図だ)
 歯を食いしばり、込み上げる涙を振り切り、少年は走る。ぐずぐずと泣きながら、兄のその手を命綱に、妹も懸命に付き従った。

 黒い影と、すれ違った。
 ……すれ違った?

 熱風が頬をなぶる。
 導かれるように振り向く――悲鳴。

「逃げて! 逃げて、青鷹――……!!」

「あ あ …………」
 兄妹たちをすり抜けたアヤカシは、大きな口を開け、柔らかな赤子と母を呑み込む。
 一瞬だった。
 一瞬にして、二つの命が永久の闇の中へ取り込まれた。
 血の匂いすら、残しやしない。
 家族を呑み込んだ影が、ニタリと笑った。




 逃げろ、とは
 生きろ、と同義。

 立ちすくむ妹の手を強く引き、少年は反転した。
 父は、きっと死んだ。
 母が死んだ。
 弟が死んだ。
 アヤカシに呑まれた。
 みんな、呑まれた。
 隠れ里の穏やかな生活もろとも。
 そこかしこで悲鳴は続き、かといって彼らを助ける力は少年にはない。
 繋がれた手の先の命を守ることだけが、せめてもの。

 ――おにいちゃん

 布を裂くような、声。
 背面から、凄まじい力に突き飛ばされる。
「…………ッ!!」
 右半身に火の点いたような痛みが駆ける。
(何が)
 何が、起きた?
 悲鳴を上げ、悶えながらも妹の手は離さない。
「大丈夫だ、俺がいる――守るから」
 逃げよう。生きよう。
 右目が熱くて開けられないまま、それでも少年は妹を引き寄せた。
 その小さな体を、安心させるように抱きしめようとする。

 腕が、空を切った。

 小さな妹は、随分と小さくなっていた。
 繋いだ手。肘から先の、姿が喪くなっていた。




 炎の熱。
 鉄錆の匂い。
 男とも、女とも、大人とも、子供とも、区別のつかない、入り混じった悲鳴。
 そこへ紛れるように、少年は叫んだ。

 父は、きっと死んだ。
 母が死んだ。
 弟が死んだ。
 妹が、死んだ。
 アヤカシに呑まれた。
 みんな、呑まれた。

『逃げて』

 母の、父の声を導きに、必死に足を動かす。
 頬を伝うものが、血か、涙か、わからないままに。どちらであっても。


 逃げろ、とは
 生きろ、と同義。


 里は焼かれ、刻まれ、片端から喪われてゆく。
 炎のせいで空は明るく、月も星も見えない。
 目指す先がわからない。
 少年は嗚咽を漏らし、慟哭する。
 体を貫く痛みだけが、己が生きているという確かな証だった。
 それを思えば尚のこと、言葉にできない感情が次から次へと溢れ出る。
 向ける先も、逸らす先も、わからずに、ただただ、溢れ出る。
 何もかもが、残酷だった。




 足元が、不意に重力を喪った。
 暗転。




 川のせせらぎ、野鳥の声。
 差し込む光に、青年はうっすらと目を開けた。見慣れた天井が視界に入る。
(……夢?)
 熱と、鉄錆の匂い。
 それは夢だったろうか、いつかの戦いの記憶だろうか。
 開かない右目が、じくりと痛むような気がして、その感覚を追ううちに先ほどまでの夢の記憶が霞のかかったように薄れていく。

「永久」

 耳に深く馴染んだ声が、酷く心配そうな響きを持って、青年を呼んだ。
「随分と、うなされとったよ。怖い夢を見たのかい?」
 永久は、古い記憶を持たない。
 川に流されているところを今の老夫婦に拾われ、そこからが生の始まりだ。
 実の子のように育てられ、優しい時間を過ごしてきた。
「子供じゃないんだから」
 常のように穏やかに笑いを返し、体を起こす。
 新鮮な空気が肺へ入り、頭の中が明瞭となる。
 いつもと変わらない、昨日の続きの今日。
 きっと、今日の続きに明日がある。
 なんの保証もないけれど、漠然とした希望に満ちた日々。
「綺麗な空だね。良い一日になりそうだ」
 グイと身を反らし、永久は空の向こうを見遣る。



 悠々と、一羽の鷹が翼を広げて旋回していた。




【痕 了】


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ib9783/ 永久 / 男 /32歳 / 武僧 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼、ありがとうございました。
彼岸へ押しやられた記憶の話、お届けいたします。
お楽しみいただけましたら、幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2014年06月23日

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