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『夕暮れる道、手を引いて 』
常木 黎ja0718


 春と呼べる季節も終わり、夏へ向かう短い『隙間』の季節。
 ともすれば、通り過ぎて見落としてしまうような。




 神経を研ぎ澄まし、視界の端から端まで動き続ける『的』の優先順位を見極めて、動かす銃口の幅は最小限に。
 腕に響く反動、尾を引いて消えてゆく銃声。
「照準、少しズレてきてるか……」
 常木 黎は日課の射撃訓練に加え、普段は使うことの少ない銃器の確認も終えて、ようやく体から緊張を解いた。
「戦場が一番なんだけど…… そこじゃあ『練習』はできないしね」
 いつも通りの、皮肉交じりのぼやき。
 久遠ヶ原の射撃場にはあらゆる場面を想定した『的』も用意されているが実戦には敵わないし、射撃場の気分で戦場に入ったら大惨事だ。
 タオルで汗をぬぐいジャケットを羽織り、日の暮れた中を校舎へ向かって歩き始めた。




「それじゃあ、よろしくお願いしまーす」
 もう来るなばかやろー、そう叫ぶ馴染みの職員へ笑いを返し、筧 鷹政が職員室を後にする。
 単独で活動するようになってからは足が遠のきがちになっていて、こんなやりとりさえ何処か懐かしいと感じてしまう。
(陽、長くなったなー)
 窓ガラスの向こうがオレンジ色に染まっている。
 忙しなくも充実した日々で、足を止めることも忘れていたような気がする。
(……らしくないな)
 疲れてる?
 一度だけ顔を伏せ、それから前へ向き直る。
(……あれ)
 長い黒髪をなびかせて向こう側から歩いてくる、見覚えのある姿。
「黎さん」
 呼びかけた距離が思いのほか遠く、呼ばれた当人が弾かれたようにこちらを見上げ、左右を確認し、それからもう一度顔を上げる。
 人に慣れることのない猫のよう、むしろ自分が反応の早すぎる犬なのかもしれない。
 そんなことを考えながら、鷹政はゆっくりと歩み寄った。
「や、奇遇?」
「あ……久しぶり……」
 黒い瞳が微かに揺れ、こちらを見上げた。

 指先一本、触れるでもない。明確な単語を口にするでもない。

 学園で顔を合わせることがあっても、例えば鷹政は他の後輩に囲まれていて、黎は遠くで一瞬だけ足を止め何を言うでなく踵を返したり。
 他愛ない会話を交わすようになったのはここ最近になってから。依頼での面識を重ねていた割りに知らなかった面が多く、一つ知る度に新鮮な気持ちになる。
「射撃の帰り? ここ、設備整ってていいよなー。俺も真面目に学科取ってればよかった」
「えっと、その」
 プライベートでは口下手なことも、その一つだろう。
 戦場、仕事、そういった枠から外れた時の、常木 黎という女性の姿は――本人に伝えたら銃床で殴られるかもしれないが、微笑ましいと思う。
「…………お茶、どうかな」
 たぶん、色々と難しく考えすぎて、段階を幾つか飛ばした。
 発言してから『しまった』といった表情をする黎へ、鷹政は顔を逸らして笑いに耐えた。




「そろそろ、笑うのストップしてもらえると助かるんだけど……」
「いや、ごめん、斬新で…… ちょっとツボ抉られた」
 自販機でドリンクを買って、ひと気の少ない休憩コーナーのベンチに並んで腰掛け、鷹政は先ほどから背もたれにしがみついて肩を震わせている。
 かくいう黎も、まともにそちらへ顔を向けられない。
「元気だった?」
「まぁ、ぼちぼち……可もなく、不可もなく」
「それは上々だ」
(鷹政さんは?)
 問い返そうとして、口をつぐむ。代わりに、プルタブを起こす。
 聞くまでもない、依頼の斡旋頻度を見れば解かる。
(寂しい、なんて言えないし)
 彼のことだ、気に懸けるだろう。
 煩わせたくない、と思う。
 その根底には『嫌われたくない』があって、気持ちが強くなるほどに言葉が出てこない。
「そういえば、こないださ」
 こちらの様子に気づかないのか鷹政が他愛もない近況を話し、相槌を打ちながらその横顔を盗み見る。
 珍しく、疲労の色が覗いているようだ。
 あるいは、これまでの積み重ねが響きだしているのだろうか。
 事務所を一人で回すようになって、一年弱。どうにもならない時だってあるだろう。
 傷が癒えないまま、現場へ向かうことだってあるはずだ。
 薄手のシャツの下に、生々しい傷が走っていたとしても確認することはできない。
 指先一本、触れるでもない。明確な単語を口にするでもない。
 仕事が忙しいのは知っているから、長く引き止めないための缶コーヒー。
 色気もそっけもない休憩コーナー。
 大きな窓から差し込む夕日が空気まで染めて、隣の人の表情が深い影になる。
「……ね、ちょっとむこう向いて」
 基本的に、疑うことを知らないんじゃないかと思う、この人は。
 言われるがままに体をひねり、鷹政が無防備に背中をこちらへ向ける。
 酷く遠く感じることもあるその背中は、ほんの少し手を伸ばすだけで触れられる位置にある。
 呼吸に合わせ軽く上下する動きに沿って、黎はこつりと額をあて、それから戸惑いがちに右の手のひらを添える。
 微かな緊張が伝わり、やがてそれもゆるりと解けた。
 背中の向こう側の、心臓の音が聞こえる。
(……匂い)
 目を伏せ、部屋へ通された時のことを思い出す。
 心の中の波が、穏やかになってゆく。縋るように、他方の手も伸ばして。
「…………暫く、このまま……」
 声が掠れて、空気に飲み込まれそうだ。
 ――いっそ、飲まれてしまえばいいのに。
 空間だけ切り取って、誰の目も気にしなくて済めばいいのに。




 ごめん、じゃあ、また
 そう聞こえた気がした。
 背中の体温がフッと消え、鷹政が振り向いた時には最初からいなかったかのように、彼女の気配はなくなっていた。
 追かければ、呼びかければ、間に合うかもしれないが――
(追いかけて、繋ぎとめて、そうして俺に何ができる?)
 そこまで考えて、動けなくなる。
 まだ学園で学ぶべきことの多い彼女へ、ともすれば未来へ繋がる決断を迫るようなことを自分がしてはいけないと、思う。
「……また、か」
 行き場のない手で髪をかきむしり、背に残る体温の跡を辿るように、目を閉じた。




 廊下を突き進み角を折れたところで、黎はようやく足を止めてしゃがみ込む。
 もちうるポテンシャル全開放で気配も足音も消して一方的に立ち去って―― 彼は、怒っているだろうか。笑って赦してくれるだろうか。
 きっと、後者だろうと思う。
 それでも――その手は、自分へ触れることはないのだろう、とも。
(貰ってばっかり)
 チェーンに通した細身のシルバーリングが、落とした視界に入った。

 ――気は持ちよう
 受け取った時の、言葉を思い出す。

 ――いつか、そう遠くないうちに……
 固めた気持ちを、思い出す。



 向かい合い、手と手を重ねるのは、そう遠くない日のこと。

 


【夕暮れる道、手を引いて 了】


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja0718/ 常木 黎 / 女 / 25歳 / インフィルトレイター】
【jz0077/ 筧 鷹政 / 男 / 26歳 / 阿修羅】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼、ありがとうございました。
夕暮れ時の一幕、お届けいたします。
タイトルに潜ませたフレーズからの直接表現はできないメッセージ、伝わりましたら幸いです。
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2014年07月01日

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