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『脱出者たち(2) 』
千影・ー3689)&弥生・ハスロ(8556)&(登場しない)


 幸せの絶頂で、目が覚めた。
「あ……あれ? トリュフ……ねえちょっと、私のトリュフは……?」
 ストロベリーチーズケーキの詰まったトリュフチョコレートを、思いきり頬張ろうとしていた。そのはずだったのだが。
 弥生・ハスロは、寝ぼけ眼のまま周囲を見回した。
 どこかの教会である。礼拝堂の中、であった。
 長椅子の上で、弥生はたった今、目を覚ましたところである。
 もう1度、見回してみる。チョコレートなど、どこにもない。
「夢、だったってわけ……にしても、こんな所で」
 教会になど、来た覚えはなかった。
 自分は確か、家にいたはずである。うたた寝でもしてしまった、のだろうか。
 目が覚めたら、怪しげな場所にいた。そんな経験は初めてではない。わけのわからない目に遭った事など、昔からいくらでもある。
「……むしろ、こっちが夢?」
 そう思えるほど異様なものを、弥生は発見した。
 礼拝堂の奥の、巨大な十字架。茨の冠を被せられた聖者が、磔にされている。そこまでは普通の教会と同じだ。
 だがこの教会では、その聖者は白骨化していた。
 茨の冠を被った骸骨が、十字架に拘束されているのだ。
 弥生は、とりあえず祈った。
「……帰らせてもらいます、アーメン」
 家に帰る。
 ここがどういう場所で、何故こんな所にいるのか、それはともかく自分は家に帰らなければならない。
 夫がいる。子供もいる。弥生がいなければ、家の事など何1つ出来ない2人である。
 黒い、モコモコとした感じのものが一瞬、弥生の視界をかすめた。
 敵意は感じられない。が、油断は出来ない。
 攻撃のための魔法呪文を頭の中で組み立て、いつでも口に出せるようにしながら、弥生はそれを目で追い、睨み据えた。
 ちょこん、と長椅子の上に乗った、黒い小さな生き物。
 モコモコとした、ロップイヤーラビットである。垂れた両耳が、まるで翼のようだ。
 弥生の頭から、攻撃呪文が吹っ飛んで消え失せた。
「か……可愛い……」
 夫や子供の事を無理矢理にでも思い浮かべていなければ、心細さで押し潰されそうだった胸の内に、和みの感情が満ちてゆく。
 弥生は、腕を伸ばした。
 その細腕をするりと避けながら、黒い兎は、翼のような両耳を羽ばたかせた。そして宙に舞い上がる。
 ぱたぱたと耳を動かして飛翔し、逃げて行く兎を、弥生は追った。
「待って〜」
 礼拝堂から走り出て行く弥生の背中を、聖者の骸骨が、左右の眼窩でじっと見送っている。


 教会と言うより、大聖堂と呼ぶべき荘厳さである。
 高い天井を支える無数の柱には、天使や聖人の像が彫り込まれている。
 悪しきものを威圧する感じに剣を振り立てた、天使像の1つ。
 その頭上に、ちょこん、と小さなものが降り立った。
 1匹の、黒い仔猫。ぴんと両耳を立てたまま、きょろきょろと周囲を見回している。
「うにゃん……ここって、どこかなー?」
 流暢な人間の言葉を発しながら、仔猫はぴょこんと天使の頭を蹴って跳躍し、回廊に着地した。
 足場であった天使像が、いきなり動き出したのだ。
 他の天使像や聖人像たちも、動き始めていた。柱から分離しつつ、羽ばたいて飛翔し、あるいは回廊に重々しく降り立って、杖を振り構える。剣を抜き、牙を剥き、カギ爪を振り立てる。
 無機的な石像から、有機的な生身の怪物へと変化を遂げた天使たちが、聖人の群れが、一斉に仔猫を襲った。
 殴りかかって来る杖を、斬り掛かって来る剣を、掴み掛かって来るカギ爪を、仔猫はただ1度の跳躍でぴょーんと回避し、くるりと空中で身を丸めた。
 丸まった身体が、軽やかに着地する。
 その時には仔猫は、そうではないものへと姿を変えていた。
「……チカと、遊んでくれるの?」
 愛らしい、人間の少女。少なくとも、外見は人間である。
 左右2ヵ所で束ねられた黒髪。ゴシック・ロリータ調の、黒いドレス。
 背中で折り畳まれた黒い翼は、飾り物か、それとも本物か。
 そんな少女に、怪物たちが襲いかかる。杖を叩き付けて来る聖人、剣を振るい、カギ爪を閃かせる天使。
 それら凶暴な襲撃が、ことごとく空を切った。
「わぁい、鬼ごっこ! うっふふふ、こっちだよぉー」
 猛り狂う怪物たちの真っただ中で、少女は舞っていた。小柄な細身が、暗黒色のドレスを軽やかに翻す。黒いリボンで束ねられた髪が、ふわふわと弧を描く。
 舞いが、そのまま回避になっていた。
 聖人の杖が、天使の剣とカギ爪が、少女のドレスや黒髪をかすめるように奔りながら空振りを繰り返す。
 舞い続ける少女を防護する形に、その時、光が生じた。
 雷鳴を伴う光。稲妻の嵐であった。
 聖人たちが、天使の群れが、電光に打たれて砕け散る。
「うにゃ?」
 頬に指を当て、不思議がっている少女に、ぱたぱたと空中から近寄って行くものがいる。
 耳で羽ばたく、小さな黒い兎。
「静夜ちゃん!」
 両の細腕で、少女は兎を抱き止めた。
「もー、どこ行ってたの」
「私のところ。助けを求めてたみたいね、その子」
 喋ったのは、黒兎ではない。
 石か肉片か判然としない怪物たちの残骸を、足取り優雅に踏み分けながら近付いて来た、1人の女性である。
 凛とした、清冽な魔力を感じさせる女性。今の電撃など、彼女の力のほんの一端に過ぎないであろう。
 少女は、目を見開いた。緑色の瞳が、女性の姿をいっぱいに映し出す。
「綺麗……」
 可憐な唇が、ごく自然に、そんな言葉を紡ぎ出す。
 これほど美しい女性は見た事がない。いや、それだけではない。
(こんなに綺麗な魂……美味しそうな魂……見た事ない……)


 初対面の女の子に、いきなり抱きついて頭を撫で回したい。
 そんな欲望を、弥生は必死に抑え込まなければならなかった。
(かっ、可愛い子がコンボで出て来る……一体何なのよこの夢はぁああああああ!)
 顔では穏やかな微笑を保ちながら、弥生は心の中で絶叫した。
 夫や息子の事すら、頭の中から消し飛んでしまいそうになった。
 それほどまでに可憐な美少女が、誰かに少し似ている緑色の瞳を、じっと向けてくる。問いかけてくる。
「初めまして、あたしチカ……千影っていうの。あなたは?」
「弥生・ハスロ……よ、よろしくね千影ちゃん」
 心の中で絶叫している自分を、エメラルドグリーンの瞳で見透かされているような気がして、弥生は咳払いをした。
「ここ、キミのお家? ……ってわけじゃないのよね。お互い、変な場所に迷い込んじゃったみたい」
「チカはねえ、お散歩してたら、いつの間にかここにいたの」
 千影は笑った。猫を思わせる微笑だ。
「お化け屋敷みたいで、とっても楽しいの!」
「そ、そう? かな」
 弥生は見回した。
 聖人あるいは天使の姿をした怪物たちが、まだ大量に生き残っている。
 そして一斉に、襲いかかって来る。
「千影ちゃん! 危ないから下がって!」
 少女を背後に庇って立ちながら、弥生はまず日本語で叫び、続いて日本語でも英語でもフランス語でもない言語を口にした。人間の世界には存在しない言語。
 その発声と共に炎が生じ、激しく渦を巻いた。
 杖を振りかざす聖人たちが、剣を振り立てる天使たちが、炎の渦に薙ぎ払われて焦げ砕け、灰と化し、サラサラと舞い散ってゆく。
 千影が、無邪気に手を叩いた。
「弥生ちゃん、すっごぉーい! ゆーえんちのアトラクションみたい!」
「……こんなアトラクションは、ないと思うなあ」
 弥生は苦笑するしかなかった。
「それにしても、ここまで派手に攻撃魔法を使ったのは久しぶり……ふふっ、昔を思い出すわね」
 呟く口調に、疲労が滲み出る。
 荒っぽい仕事を請け負っていた頃に比べて、魔力の修練が怠りがちであるのは否めない。
 それでも、怪物たちは一掃出来たようだ。
 ……いや。重々しく不穏な足音が、近付いて来ている。
 それに弥生が気付いた時には、姿が見えていた。
 礼拝堂に飾られていた、聖者の骸骨。
 今は、巨大な十字架を肩に担ぎ、足取り重く歩行している。
 憎悪すら感じられるほど重い歩調で、近付いて来る。
「次から次へと化け物が……本当に、昔を思い出すわねっ!」
 疲弊しかけた魔力を、弥生は振り絞った。
 炎が生じて渦を巻き、稲妻が発生して雷鳴を轟かせ、聖者の骸骨を襲う。
 炎の飛沫が、電光の破片が、飛び散って消えた。
 聖者の骸骨は、重い十字架を担いだまま、無傷で歩み寄って来る。
「そんな……!」
 息を呑むしかない弥生の眼前に、千影がゆらりと進み出た。
「……今度は、チカの番ね」
 言葉に合わせ、緑色の瞳が妖しく輝く。
 少女の細腕に抱かれた、どうやら静夜という名前らしい黒兎が、光に変わった。
 その光が細長く伸び、固く実体化してゆく。
 静夜は、1本の杖に姿を変えていた。
 魔法の杖なのであろうそれを千影が、左右の可憐な繊手でブンッ! と振るい構える。
 魔法と言うより、棒術の構えだ。
「何かアイテムがないと倒せない敵……みたいだけどぉ。静夜ちゃんでブッ壊せないものなんてないからっ!」
 少女の細い背中で、黒い翼が広がり、猛々しく羽ばたいた。
 半ば飛翔に近い、高速の踏み込み。まるで獣だ、と弥生は思った。
 聖者の骸骨が立ち止まり、十字架を振るう。筋肉のない両腕が、巨大な十字架を軽々と、横殴りに振り回したのだ。
 その一撃が、風を巻き起こしながら千影を襲う。
 何本もの柱が、砕け散った。十字架によって、粉砕されていた。
 横殴りに振るわれた十字架の上に、小柄な人影がフワリと降り立つ。
 千影だった。
 黒猫のような軽やかさである。いや、黒猫と言うより黒豹か。
(違う……もっと、何か……)
 とてつもなく凶猛な獣が、美少女の姿を被っている。弥生は、そう感じた。
 少女の可憐な美貌に、黒猫を思わせる微笑が浮かぶ。
「うっふふふふ……あっち向いてぇ、ほいっ」
 十字架の上で細身を屈めたまま千影は、杖を振るっていた。たった今、聖者の骸骨が繰り出したものに劣らぬ、強烈な横殴りの一撃。
 それが、茨の冠を巻いた頭蓋骨を直撃する。
 剥き出しの頸椎が、凄まじい勢いで捻転した。
 聖者の頭蓋骨が、360度あらゆる方向を向きながら猛回転をしている。3周、4周。
 6、7周目の回転をしながら頭蓋骨は、茨の冠もろとも砕け散った。
 胴体の骨格が、そして巨大な十字架が、連動するかの如くザァーッと崩れ落ちてゆく。
 弥生は、周囲を見回した。
 奇怪な大聖堂、ではなく見慣れた住宅街の風景だった。自宅の、すぐ近くである。
 やはり夢を見ていたのか。
 いや、そうではないと弥生は確信せざるを得なかった。
 千影が、目の前にいるからだ。
 目を回して気絶しているロップイヤーラビットを、優しく抱いている。
 弥生は、とりあえず声をかけた。
「……ちょっと、乱暴に扱い過ぎたんじゃない?」
「うん……静夜ちゃん便利だから、ついつい使い過ぎちゃうんだぁ」
 言いつつ千影が、静夜に頬擦りをしている。
「ごめんね静夜ちゃん。好きなだけニンジン食べさせてあげる」
(や、やっぱり可愛い……っっ)
 弥生は、心の中で悶絶した。
 凶猛な獣としての正体があるにしても、それはこの可愛らしさを損なうものではない。
 小動物を抱く美少女。これほど、心を悶えさせるものはないのだ。
 もちろん、息子は可愛い。
 だが次は絶対に女の子を産もう、と弥生は思った。
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2014年07月22日

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