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『短冊に願う 』
セレシュ・ウィーラー8538)&佐倉・桜花(NPC4942)


 じとりと肌にまとわりつくこの国の空気はいつまで経っても慣れられそうにも無い。薄いシャツが肌に貼りつく様で、セレシュはふぅと息を吐きだす。幸いにしてと言うべきか――空は曇天であった。今にも一雨降ってきそうな薄暗さだ。
 駅前の商店街で並べられていた色とりどりの紙細工を片手に、そんな空の下をセレシュは歩いていた。普通の人間なら汗だくになるであろう石段を黙々と上がり切ると、目に鮮やかな五色の短冊が僅かな風に揺れている景色が飛び込んでくる。
「おー、見事なもんやね、桜花」
「あら、こんにちはセレシュさん」
 紙に切れ込みを入れた網状の飾りを笹に吊り下げていた少女――桜花が、セレシュの感嘆の言葉に振り返り僅かに口元を緩めた。長い黒髪は暑さと湿気に耐えかねたかシュシュでひとつにまとめ上げられていたが、その髪型以外は見慣れたこの神社の巫女見習いだ。
「うちも飾り持ってきたんやけど、飾らせてもろてもええ?」
「ええ、勿論。そちらがまだ空いているから、手伝って頂けると助かるわ」
 彼女が指示した一角には僅かな空きがあったものの、それ以外の場所、数本用意された笹には、かなりの量の短冊が吊るされていた。桜花の手の中には綺麗に切り抜かれた網飾りと吹き流しがあるが、対照的に、吊るされた飾りの半分近くは酷く不恰好で拙い作りに見える。加えて言えば、吊り下げられた短冊の中には幼い文字のものが多く、セレシュは眺めるとなしに見やりながら口元を緩めた。恐らく町内の幼稚園の子供達の手によるものだろう。しかし微笑ましい気分で短冊を眺めている途中、ぽつりと頬に滴があたり、あちゃあ、と彼女は顔を顰めた。重苦しい曇天の空に嫌な予感はしていたものの、的中して欲しくない予感ほど当たるものだ。桜花は、と見やると、彼女は手慣れた様子で笹飾りにビニールカバーをかけているところだった。セレシュの視線に気付いて、突然の俄か雨に濡れたまま、彼女はいつもの淡々とした表情で
「大丈夫、すぐに止むわ」
 きっぱりと断言する。
「…それはええけど、あんまり濡れると風邪引くで?」
「笹飾りが濡れる方が大変だもの…っくしゅ」
「ほら、言わんこっちゃあらへん」
 嘆息しつつ鞄からタオルを取り出し差し出せば、バツの悪そうな表情で彼女はそれを受け取った。


 降りしきる大粒の雨から逃れるように神社の屋根の下に入り込み、タオルで濡れた髪の毛を拭う桜花を頬杖をついてセレシュは眺めていたが、空を見て嘆息した。この都会では天の川など望むべくもないが、七夕に雨が降れば矢張り良い気分のするものではない。
「年に一度の逢瀬やのに、難儀やねぇ」
 雨を見上げながらぽつりと零すと、隣の桜花が笑う気配がした。
「雨が降っている方がいいんじゃないかしら。地上から空は見えないし、どうせ雲の上は晴れているのだもの」
 地上で雨が降ろうと関係ないだろう、というのが彼女の言い分であるらしい。さてどうだろうか、と、人ならぬ身ではあるものの、神ならぬセレシュは思案するほかにない。尤も、知人の誰かしらに尋ねれば、七夕の今頃、織姫と彦星が何をしているのか知っている者も居るのかもしれないが。
「雨で川が溢れて会われへん、っちゅうパターンのお話もあるみたいやで。それとも何か、桜花は『二人きり』の方がええっちゅうことか」
「…一般論よ」
 殊更に強調するように付け加えられたその一言にセレシュはにんまりと笑う。
「自分はどうなん、毎日顔合わせとるやろ」
 ――桜花は諸事情あって、この神社の管理をしている神主一家の下に居候をしている身だ。セレシュが言外に示したのはその家の一人息子、見習い神主の少年のことであった。桜花とてそれを察することが出来ないほどに鈍い訳も無く、しかし比較対象として持ち出されたことには不服を覚えたのであろう。その表情にセレシュは堪えきれずに笑みをこぼす。
「せやなぁ。桜花は『二人きり』でも、素直になるタイプちゃうもんな」
「……何だか見透かされてるみたいね。否定は出来ないのが癪だわ」
「たまには素直に甘えたりしてもええんとちゃうの」
「セレシュさん」
 助言めいたことを口にしてみると、真顔の桜花に睨まれた。
「面白がっているでしょう」
 真面目くさった表情をしていたセレシュはその言葉に口元を緩めた。ただしあくまでも口調は真面目に続ける。
「半分は正解やけど、半分は真面目なアドバイスやで? あいつ、ストレートに言われんと気付かへんやろ」
 それはそうだけれども、と呟いたものの、桜花の視線はあくまでも険しい。
「半分は正解なのね」
 当たり前である。他人の色恋なんて、適度に楽しむくらいの距離で関わらないと、どうせロクなことにはならない――というのがそれなりに長い時間を人間社会で暮らしたセレシュの持論である。それに、と彼女は思う。
「時間は有限なんやで、桜花。躊躇しとる間に、あんたの体質が変わってしもたらどないするん」
 「彼」がぞっこん桜花に惚れ込んでいる最大の理由が彼女の「体質」にあることを知っているからこその言葉だ。桜花は唇を僅かに噛んで、けれども矢張り頑固な、強情な表情のまま、零す。
「…それで切れてしまう縁ならそこまでってことだわ」
「甘いなぁ。縁ちゅうもんはな、ある程度は流れに任せるもんやけど、自分で繋ごうとせぇへんと、切れてしまうこともあるねんで」
 そこまで言ってから、「彼」の人となりを思い起こしてしまい、セレシュは自分で自分の言葉に顔を顰めた。腕組みし、唸る。
「…けどそれはそれとして、毎日顔合わせとったら大変そうやな」
「そこは分かってくれて嬉しいわ。今日だって、七夕の飾りつけは私に押し付けて、『どうしても断れない用事がある』ですって。今頃何をやらかしてるんだか」
 同じように腕組みをする桜花の視線の先、曇天の切れ目から夕暮れの日差しが柔らかく差し込んでくる。あら、雨が止んだわ、と呟いて、彼女は庇の外へ手を差し伸べた。雨粒が落ちてこないことを確認してから、手元のタオルに目を遣り、セレシュへと目線を戻す。
「タオルは洗って返すわね」
「ええのに、そない気ぃ使わんでも」
「…私が気になるのよ」
 彼女が強情なことは知っているから、セレシュはそれ以上は言い争わず、そこまで言うなら、とだけ返した。仕様が無いな、と言う感情は隠さなかったからこちらが引いたことを桜花は察したのだろう。ありがとう、と桜花は呟く様にだけ言ってタオルを庇の下にあった袋へ仕舞い込む。それから、常に遠慮がちな彼女としては精一杯の意思表示であろう――振り返って、セレシュからは僅かに目線を逸らしつつ、こう告げる。
「あの、ね。もし時間が空いていて、本当に暇ならでいいんだけど。…私、買い物に行きたいの。一緒にどうかしら。来てくれると、助かるわ」
 それは荷物持ちだとかそういった意味合いではないということをセレシュは知っていたから、二つ返事に頷きを返した。
「時間は空いとるさかい、気にせんでええよ。何買うん?」
「正確には、買い物では無くて受け取りよ。知人に依頼していた護符が完成するのがそろそろだから、受け取りに行きたいの。あれが無いと、一人で外出するにも周りに色々面倒をかけてしまうわ」
 桜花は重度の「憑依体質」だ。その辺りを散歩するだけでも浮遊霊地縛霊、悪霊も精霊も、果ては神様や悪魔の類まで無差別に呼び寄せ、容易く憑依されてしまう。神の憑代となることもある巫女としては稀なる素質であるが、日常生活を送る上でははっきり言って「厄介」以外の何物でもない。
 一方のセレシュは元々神域を護る守護者だ。お守り代わり、と言うと聞こえは悪いかもしれないが、悪霊の類は彼女に近寄ることも出来ない訳で、桜花の傍に居れば、ただ「居る」だけで彼女を守ることが出来るのである。
「町中なら、ここの神さんらに買い物の間くらい守ってもらうこととか出来ひんの?」
 とはいえ少しばかり気になって社殿を見上げながら問いかけてみる。応えの代わり、という訳でもなかろうが、社殿の庇、屋根の端から、鮮やかな藤色の着物の裾と、そこから覗く白い足が見えたようにも思う。
「あの方を頼ると、後が怖いから…」
 同じ方向を見上げていた桜花が苦笑がちにそう応じるのを、この神社の主神を知っているセレシュも苦い笑みで頷くしかなかった。夕立の上がるのを待っていたのか、あるいは雨に飽きて夕暮れでも見ようと思い立ったのか。この町に限定すればある程度は天候の操作さえ可能な「神様」は、相変わらず退屈そうに足を揺らしているようだ。今日はこちらに干渉する気は無いらしい。
「行ってきます」
 立ち去り際に桜花がそう告げた時だけ、僅かに、若草色の扇子が揺れたようであった。




「そういえば、セレシュさんは短冊は書かないの?」
 神社から丘を降りた先の商店街も七夕一色だ。行きに同じ道を通っているから一度は見ているものの、アーケードに吊り下げられた大きな紙製の飾りを改めて見上げたりしつつ歩いていると、ふと桜花にそんなことを尋ねられた。
「願い事っちゅうてもなぁ。元々七夕ってアレやろ、喰うに困らんようにとか、機織りやら手芸やらが上達するように願うもんやろ」
 答えながら横目に見遣ったスーパーの店頭の笹には、隣のクラスの彼との恋がうまくいくようにとか、新しい恋が見つかりますようにとか、そんな願い事がぶら下げられている。まぁ、風習と言うのは時代に合わせて変わるものだ。
「それよか自分の方はどうなん、桜花?」
 色恋に忙しい中高生の女の子のものだろう筆致に口元を緩めながら問い返せば、桜花は少しばかり眉根を寄せた。
「…セレシュさん、また面白がってない?」
「ええやんか。こういう時に色恋を願うんは年頃の女の子の特権みたいなもんやと思うで」
「そうかしら。…そもそも何を願えばいいか分からないわ」
 他人に対して要求を伝えることが不得手な彼女は、神様に願うことすら遠慮がちになってしまうのだろうか。方や、話題に上がっている少年は些か図々しいタイプだから、二人で居れば丁度良い塩梅なのかもしれないが。
「願い事なんてするだけタダやん。何でもええやんか。見られたく無いんやったら、こっそり下げとけばええんやし」
「…それは確かにそうね。少し考えてみようかしら。願い事を明確にしておくだけでも、気の持ちようは違うものね」
「いや、そんな真面目に考えんでも」
 彼女の事だから大層真面目に今年の目標なんぞを書き込んでいそうで、セレシュは額を抑える。
「それよりセレシュさんは、何か無いのかしら」
「目標やったらあるけど、そういうもんは自力で叶えてなんぼやしな。ああ、お金は欲しいかもしれへん」
「………私が言うのも難だけど、夢が無いわね」
「桜花は何にするん」
「そうね。体質改善と、それから牛乳がもっと安くなると嬉しいわねぇ」
「…夢が無いなぁ」
 長く生きて来て、それなりに現実を思い知っている自分ならともかく、お年頃の恋する乙女であるはずの桜花の口からこぼれる枯れた願い事にはさすがに呆れた声しか出なかった。
「色恋とか、あらへんの」
「そうね」
 今度は少し思案するように間を置いて、桜花は顎に指先を当てて、アーケードの天井を眺めていた。夕暮れの日差しは斜めに差し込んで、彼女の顔を僅かに赤く染める。
「…少しだけ優しくなりたい、かしら」
「え、気にしてたんそれ」
 常日頃の「彼」の言動を知るが故のセレシュの驚きであった。桜花は――既に夕日は傾いて、彼女が頬を染めていたのか、夕日のせいだったのかは、最早判別がつかない。瞬いてから、控えめに声をたてて笑った。
「酷いわ、セレシュさん。私だって言い過ぎたと思うことくらいたまにはあるわよ。あの子がロクに凹まないし反省しないし人の話聞いてないから、あまり思い悩まないだけで」
「なぁそれ、優しくしたらつけあがるんと違う?」
「だから今より『少しだけ』よ。それに私は少し怒りっぽいみたいなんだけど、あの子がああいう態度だと、つい加減なしに怒ってしまって…こういうのも『甘えている』ことになるのかしら」
「そこは甘えてええと思うで? 桜花はもっと、我儘になってもええくらいや」
 そうかしら、と呟く桜花はちっともそんなことは考えていない様子で、セレシュは内心で嘆息する。損な性分だなぁ、とも、思う。
「苦労するで、自分」
 ため息混じりの感想に、桜花はけろりとしたものだ。いつもの通り、淡々とした表情で。
「あら、あの子の傍に居るんだもの、今更よ」
 それは聞きようによっては、惚気のようにも聞こえたので。
 セレシュはそれ以上の追及は、控えることに決めた。



 そんなやり取りをしながら桜花がここよ、と示したのは、駅から程近い場所にある寂れた雑居ビルだった。――最近ここに訪問した記憶がある、ということに気が付いてセレシュが眉根を寄せる横で、桜花が入口のインターフォンを鳴らす。不機嫌そうな声がマイクから聞こえてきた。セレシュの知らない、男性の声だった。
『おう、佐倉か。例のもん取りに来たのか。今開けるから待ってろ』
 その声に、肌がざわつくような予兆を感じてセレシュは顔を顰める。声の主がドアに近付く気配がしていよいよ悪寒は強くなり、待て、と反射的にドアの向うに制止の声をかけようとしたところで、ドアの向こう側の気配も何か感じる所があったのだろうか。動きを止めたようだった。
「佐倉ー。隣の子…何? 俺の方睨んでねぇ?」
「ああ、セレシュさん」
 そこではたと気が付いた様子で、桜花が苦笑する。
「大丈夫よ。先生は少し気配が人と違うだけで、ご本人は普通の人だから。神社には入れないけど」
「あかんやんそれ」
「入れないんじゃねぇよ、入ると気分悪くなるから入らねぇんだよ誤解すんな」
 どちらにしても「神域からすれば望ましくない」相手なのであろうことだけは理解できたものの、桜花の知人ともあれば無為に力を振るう訳にもいかない。反射的に力を振るいそうになるのを抑えて、セレシュは深呼吸をした。
「…先生は、私と同じで、『そういう体質』なのよ。私も近くに長く居ると気分が悪くなってしまうのだけど、気を遣って、長時間接触はしないようにしてくれているし」
 良い人よ、と桜花が告げると、ドアの向うからひとつ咳払いがした。
「お前な、そういう風にストレートに男褒めるのは、一人だけにしとけ。…何だってアイツ相手だと素直になれねぇんだよ」
「余計なお世話だし、弟子苛めが趣味の先生には言われたくないわね。それで、頼んでいたものは?」
「ほらよ」
 がちゃりと音がしてセレシュは思わず身構えたが、開いたのはドアではない。ドアの下の小さなドア――猫などのペットが通るためのドアだ。こんなものがあったのか、と見ていると、そこから人形が出てきた。カタカタと不器用に動くそれは黒髪の小さな日本人形で、手に護符を持っている。
「……。無駄に凝ってるなぁ」
 セレシュに気遣ったのだとしても、普通にこの小さなドアから投げれば良いものを。呆れていると、ドアの向うから笑いを含む声が届く。
「気を付けろよ、それはウチの愛弟子謹製だ。持ち物奪われると暴走する」
「それを先に」「言って下さい、先生!」
 桜花が護符を取り上げた途端、ガタガタと不穏な動きを始める人形を遠巻きにしつつ、思わずセレシュと桜花が同時に叫ぶ。日本人形の頭がぐるりと回り、童女の顔だったそれが鬼面へ変貌するのを胡乱な目つきで睨みながら、セレシュは空を見上げる。
 先までの夕立は嘘のように空は晴れ渡り、そろそろ星が見え始める時間だ。こんな都会でもかろうじて、一番星くらいは判別が出来る。
(ああ、会えるみたいで良かったなぁ)
 完全に目の前の現実からの逃避なのだが、そんなことを思っていると、桜花が低い声で唸った。

「今この瞬間に願いを叶えて貰えるなら、あの馬鹿な後輩を一度反省させてほしいわ」
「…ウチも同意やけど、神さんでも無理とちゃうか、あれは」


PCシチュエーションノベル(シングル) -
夜狐 クリエイターズルームへ
東京怪談
2014年07月28日

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