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『雨の中、祈る光 』
雨宮 祈羅ja7600)&雨宮 歩ja3810


●続く雨

 雨はとめどなく降っていた。
 空が微かに明るくなってきたのを見計らって出て来たというのに、一向にやむ気配はない。
 雨宮 祈羅は濡れた肩に吹き付ける空調の風に、僅かに身震いする。
 まるで自分の決意を試すかのように思える冷たさだった。
 傘についた水滴を振るい落とし、綺麗に畳んで傘立てに預ける。
 それから案内板を確認すると、祈羅はしっかりとした足取りで自動ドアを抜けた。

 平日の市役所には結構多くの人がいた。
 それぞれの人生を、この建物の中に用意された書類に書き込みに来ているのだ。
 祈羅は真っ直ぐ『戸籍係』と書かれた方へ。
 少し緊張しながら歩いて行くと、目指す書類は呆気ない程簡単に見つかった。
 プラスチックの書類立てに無造作に突っ込まれた、A3の紙。
 一瞬、唾を飲み込む。
 次の瞬間、まるでひったくるように祈羅はその一枚を手に取った。
(あ、ちょっと不審者っぽかったかな……?)
 思わず辺りを見回す。けれど窓口の人も含め、誰も祈羅のことなど気にしていないようだ。
(うちにとっては人生の一大事なんだよ……?)
 ほっとするような、ちょっと残念なような、拍子抜け。
 当人にとっては、色んな紆余曲折を経てたどり着いた結論だ。祈羅はひょっとしたら、誰かに自分の決意を確認して欲しかったのかもしれない。
 小さく息を吐いて、祈羅は備えつけのボールペンを取り上げた。その場で必要な項目を書き込む。
 誰かが耳元で囁いた気がした。
『本当にそれでいいの?』
 ひょっとしたら自分自身の心の声かもしれない。
 だが勿論、答えは決まっている。
「うん、もう決めたんだしね♪」
 祈羅はいつもの笑顔で、書き上げた書類を胸に抱き締めた。


●灰色の空

 窓の外に広がる空は、見渡す限り灰色の雲に覆われていた。
 部屋の中は物が見分けられる程度には明るいが、どこか外の曖昧な灰色に隅々まで浸食されているようにも思える。
 雨宮 歩はベッドの上で薄眼を開いた。
 暫くそのまま、自分の内なる声に耳を傾けるように様子を窺う。雨はずっと降り続いている。
 やがて身を起こそうと静かに力をかける。腕も腰も、問題なく体重を支えられそうだ。
 それを確認して歩は起き上がった。
 身体に厳重に巻かれた包帯やガーゼを慣れた手つきで解いていく。
 思った通り、少し前に受けた傷はほとんど塞がっている。
「しかし今回は派手にやられたもんだねぇ」
 軽く肩を回しながら、赤毛の青年は自嘲の笑みを浮かべた。
 もう何度経験したか知れない『絶対安静』の期間がようやく終わったらしい。

「痛ッ……」
 それでも雨は痛みを連れて来る。
「やれやれ……また面倒な時期に喰らったもんだよぉ」
 立ち上がろうとすると、あちこちの骨に軋むような痛みが走った。
 だが痛みは生きている証。結果はどうあれ、生きていれば負けではない。生きていれば何度でも戦えるのだ。
 これまでもそうだったし、今回もそうだ。傷がどれほど深かろうと、歩はこうして生きている。
 生きているという感覚を確かめるように、床を踏みしめて立ち上がる。たった数日横になっていただけで筋肉は萎え、足元は何処かおぼつかない。
(まぁすぐに鍛え直すさぁ)
 歩は大きく息を吐く。傍らのシャツに袖を通し、窓の外を眺めた。
 細い雨に塗り込められた世界は、やはり灰色。
「散歩にでも出るかねぇ?」
 そのとき、視界の端によぎる色彩に気付いた。


●雨の縁

 傘を畳むのももどかしく、祈羅は歩の寮に駆け込んできた。
 リビングへ続く扉を開けるのとほとんど同時に、別の扉が開くのに気付く。
「歩ちゃん……」
 そう言ったきり、こみ上げる物に言葉が塞がれる。
 久々に見る歩の立ち姿だった。
 それを感じさせない、いつも通りのちょっと斜めに構えた笑み。けれど金色の瞳はどこまでも優しい。
「やぁ姉さん、そんなに急いでどうしたのかなぁ?」
 寮に来たところを見られていたようだ。
 祈羅はそれには答えないまま鞄の中を探り、引っ張り出した書類をペンと一緒に突き出す。
「サインして」
 祈羅の表情は、歩が内心驚くほど真剣だった。
 半ば面喰らいながら書類に目を移す。そこにあったのは『婚姻届』の文字。
 既に祈羅の名前はしっかりとした文字で書き込まれている。


 祈羅だって、甘いプロポーズに憧れがなかったわけではない。
 優しい愛の言葉と共に指輪や花を差し出され、感動の涙を浮かべながら頷く瞬間。
 そんな夢の世界とは違う、本当に切実な『逆プロポーズ』なのだ。
 目の前で誰よりも大切な人の命が危険に晒された。余りの辛さに自分の心の方がズタズタになるかと思う程だった。
 けれど一命を取りとめた歩の姿を見た時に、祈羅は強く思った。
(歩ちゃんを失うのだけはいや!)
 もしも歩が目覚めないまま、冷たくなってしまっていたら? その事を考えるだけで目の前の景色は揺れ、足元から地の底へと崩れ落ちてしまいそうだった。
 祈羅はそのとき初めて、怖いという感情を本当の意味で知ったような気がする。
 大事で、大切で、何物にも代えがたい人。この先こんな人に出会うことは、もう二度とないだろう。
 どんなに辛いことがあっても、この人とずっと一緒に歩いて行きたい。
 楽しい時は一緒に笑い、辛い時は互いの痛みを分かち合い、いつまでもいつまでも。
 祈羅は確信した。この気持ちはきっと、何年たっても変わることはない。
 そうして歩の傷が癒えるのを待って、自分の気持ちを形にして伝えようと思ったのだ。
 

 祈羅の目は真っ直ぐに歩を見つめていた。
 百の言葉よりも雄弁に、何かを訴えて来る大きな瞳だ。
 いつもは何処か頼りなげで、泣き虫で、笑い上戸で、目が離せなくて、どちらが年上か判らなくなるような人。
 けれど誰かを守りたいと願うとき、祈羅の眼差しはどんな邪魔者も許さない強さを秘めている。
(そういうことかぁ)
 歩は書類の意味を察した。
 宿敵を追う戦いの中、歩は幾度も酷い傷を負ってきた。
 その度に泣いたり怒ったり、時には本来大嫌いな戦いに一緒に身を投じながらも、祈羅は傷ついて戻った歩をしっかりと受け止めてくれた。
 優しい暖かさ、柔らかな強さ。そういう物に触れて、歩自身も祈羅の悲しみに気付いてはいた。
 それでも戦うことは止められない。生きる意味がそこにあるからだ。
 自分の命を心配してくれる人に心の中で詫びながらも、歩の生き方は変わらない、変えられない。
 祈羅はそれに添おうというのだ。
 ずっと待っている、これからもあなたの全てを受け止める。だから必ず生きて帰って来て欲しい。
 言葉にできない程の想いが、役所の書類一枚に収まる訳はないけれど。
 それでも『妻』の欄に書かれた祈羅の名前は、深く強い気持ち、決意を、何よりも強く語りかけて来る。


 歩は黙って白い紙とペンを受け取る。
「改めて契約しようか。祈羅」
 いつもの薄い笑いはなりを潜め、祈羅の瞳に負けない程に真剣な眼差しでそう言った。
 そして躊躇うことなく、隣に自分の名前を書き込む。互いの一生を賭ける契約書に書かれたサイン。
 雨宮と雨宮。ふりがなは違うけれど同じ漢字の名前が並ぶ。
「これでいいのかねぇ」
 さっきと打って変った、歩の少しおどけたような口ぶり。
 突然祈羅は、ある意味現実に引き戻された。顔がかっと熱くなるのを感じる。
「うん……」
 婚姻届に並んだ二人の名前を見るうちに、何だか妙に気恥しくなってきたのだ。
(うち、なんか結構、思い切ったかも……!)
 もちろん後悔はしていない。それどころか、ちゃんと思った通りに行動できた自分を褒めてやりたいぐらいだ。
 それでも照れ隠しのように書類を顔の前に広げ、確認するふりをして窓の明るさに透かして、歩から僅かに距離を取る。
 窓の外に広がるのは灰色の空。そして二人の名前にある、空から落ちて来るもの。
「雨に縁があるんだね、うちら」
 祈羅が振り返って小さく笑った。
 きっと他の人は、あまり良くないお天気だと思うだろう。けれど降り続く雨は、二人を祝福して天が掛けたベールのようだ。
「まぁねぇ。でも雨の中の散歩も悪くはないよぉ」
 歩は祈羅に近づくと、華奢な肩を背後から抱きとめるように腕を回す。
 それから手を伸ばして、類の端を摘まんだ。
「これも届けに行かないとね、しかるべき場所に」
「うん……うん! 行こうか」
 雲の晴れ間から覗く太陽のように、祈羅の笑顔が輝いた。


●期間限定の秘密

 祈羅が開いたお気に入りの傘の中、一面に星が降る。
 歩はその傘を受け取り、二人の上に天蓋をかけた。
 普段は濡れながら歩くこともあるけれど、今は傘がある方がいい。そっと肩を寄せる祈羅の笑顔にそう思う。
 誰よりも近くにいて、お互いの事をよく知っていて。それなのに今、まるで初めて見る相手のようにも思える。
 たった紙切れ一枚の出来事が、心の在り様をこうも変えてしまうのか。
「そういえば」
 何となく歩が切り出した。
「例のお仕置きは契約切れってことかなぁ?」
 それは歩が危ないことをしないようにと思っての約束だった。
『重体したら見えるところ噛むよ?』
 悲しみに潰されそうな祈羅の心を思い、歩は自分の手に、腕に、祈羅が白い歯を立てることを『お仕置き』として受け入れていたのだ。
「そんなわけないでしょ」
 祈羅が眉を寄せて歩に顔を近づける。
「帰ったらしっかりお仕置きは受けてもらうよ?」
「はいはい。罰はちゃんと受けないと、だねぇ」
 諦めたように歩は首を振った。
 それから繋いだ手に少し力を入れる。祈羅の細い指がしっかりと握り返してくる。

 すれ違う人もいない雨の中、ふたりきり。
 灰色の世界の先は見通せないけれど、ここにだけは優しい光がある。
 もしも光の無い世界で繋いだ手が離れてしまったとしても、この光がきっと互いを導いてくれるだろう。
 祈羅はきっとこの光を掲げて待っていてくれる。
 歩はきっとこの光を目指して帰ってくる。
 だから傘の中、この光を強く心に刻んでおこう。

「あ、そういえば」
 祈羅が不意に足を止める。
「どしたぁ?」
「うんとね、他のみんなに説明した方がいいのかなあ」
 二人をよく知る人々の顔を思い浮かべ、祈羅は少し考え込む。
 どういう反応をするだろう?
 もっと早く教えてくれたらよかったのにと、怒られるだろうか?
 けれど二人の間で即座に通じた心の不思議を、どうやって他人に説明すればいいのだろう。
 それに、もう少しだけこの余韻を、ふたりきりで静かに味わっていたいとも思うのだ。
「説明……したくなったらでいいよね」
 祈羅が言うと、歩が悪戯っぽく笑う。
「じゃあ、聞かれない限り秘密にしておこうかぁ」
 歩には祈羅の気持ちが何となくわかった。
 それに加えて、事実を知ってから大騒ぎするだろう面々が楽しみでもあったのだ。
「時間限定の秘密ってねぇ。謎は多い方が面白いだろぉ」
「そうだね。うん、そうしよう」
 歩らしい考え方だ。騒ぐ仲間達をどうやって煙に巻くのか、それもちょっぴり期待してしまう。

 雨に洗われた緑の葉が、生垣からのぞく紫陽花が、頷くように揺れていた。
 ありふれた街中の、ありふれた雨の光景。
 けれどきっとこの景色を、二人は一生忘れることはないだろう。
 生まれ変わった二人が一緒に見た、最初の光景なのだから。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 ja7600 / 雨宮 祈羅 / 女 / 23 】
【 ja3810 / 雨宮 歩 / 男 / 20 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度のご依頼、誠に有難うございました。
まさかこのような場面のノベルを書かせていただくことになるとは夢にも思わず。
かなり緊張しつつも、嬉しいご依頼でした。
これからもきっと互いを補い合える素敵なカップルでいらっしゃることと思いつつ。
末永くお幸せに、とお祈りいたします。
FlowerPCパーティノベル -
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エリュシオン
2014年07月29日

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