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『夜の水底 』
トライフ・A・アルヴァインka0657)&イオ・アル・レサートka0392

 跳ねる音に、水面が揺れる。
 散りばめられた硝子、碧く透ける水草が、光を乱反射する。
 闇の中にあって幻想的に浮かび上がるよう照らされた水槽の中。
 二匹の魚が、廻々(くるくる)と泳いでいた。

「――……成程、見た目は随分と涼しくなったわね」
 明かりといえばその、水槽を照らす仄かな光だけの、薄暗い部屋の中。
 イオ・アル・レサート(ka0392)は、口元に綺麗な笑みを形作ってひとまずは満足の様子を見せた。



 張り付く汗が寝苦しい、うだる熱帯夜だった。
「涼を取らないかい」
 トライフ・A・アルヴァイン(ka0657)がイオに誘いかけたそれは、彼らの世界において「店外デート」と認識されるものだった。
 すっ……と、値踏みするようにイオの目が細められる。
 この時点におけるトライフとイオの関係は、トライフが「客側」という立場だ。店側から営業手段として持ちかけるのではなく客のほうから誘いをかけられるというのは、それだけでイオの『商品』としての位の高さを示している。
 だからこそ。つまらない男の、退屈なそれに応じるのは、却って彼女の格を下げるというものだ。さて、この場合はどうなのだろう?
「……あら。涼しくしてくれるの? それは楽しみね」
 さほど時間をおかずに、そう答えたのは。
 呼びかけてきたトライフの瞳に、魅力的な女性へと向ける熱だけではなく、悪戯を楽しむ少年のような光を見つけたからだ。……さて、何を仕込んで待っているのか。興味を向けて損をする相手ではないと踏んでいた。おそらく、その『茶目っ気』を隠さずにいるのも、彼の駆け引きの一つだろう。そこまで読んだ上での判断。

 そうして、『お許し』にありがたく頭を下げ、従者のように傅いてトライフがイオを連れてきた先が、冒頭の水槽のあるBARの個室、というわけだ。
 優雅にほほえむ彼女ではあるが、その言葉の内容が100点満点という意味ではないこともトライフには分っていた。彼女の言葉の裏を返せば、あくまで涼しくなったのは見た目だけ、ということなのだから。
 だから、彼女がそのことに言及することはおろか、表情にすら浮かぶ前に、トライフは二つ目の仕込を彼女に向かって差し出す。
 平たいシャンパングラスに盛られた氷の粒。
 氷菓にしか見えないそれにイオが訝しげな表情を見せると、トライフもまた表情で試してみろ、と促す。
 ぺロリとイオが舌を伸ばす――その姿もまた艶がある――と、冷たい氷に感触とともに感じたのは酒の辛さだった。少し驚きの表情を見せて、何? と問うイオに、リアルブルー伝来のレシピで作られたカクテルだとトライフは答える。この店自慢の、フローズンカクテルと呼ばれるものだと。
「気に入ったかな?」
「……悪くはないわ」
 トライフの問いにイオはまた微笑んで、そうしてそのまま、優雅な足取りでソファに向かい腰掛けた。
 ――……それは即ち、彼女がこの場に暫く留まるつもりであることを、即ち、トライフが用意した趣向を認めたということに他ならない。



 トライフが燻らせている煙草の、甘ったるい香りが広がっている。
「あーん」
 彼の唇から煙管が離れた瞬間を狙って、イオが囁いてカクテルのつまみのオリーブを彼の口元へと運ぶ。
「……はい。あーん」
 ご褒美に、トライフも笑って、運ばれるままに放り込まれた果肉を咀嚼する。
 酒場の個室で男女が二人。交わされる言葉の中に好きだとか愛してるとか、そういった類のものは一切なかった。
 少なくとも自覚の上において、互いが相手に向ける感情はそんな純真なものではないと理解していたし、それ以上に、一般的な男女の関係としてはもっとも誠実といえるそれらの言葉が、彼らの住む界隈においては非常に浅薄なものであるということを彼らは良く分かっていた。
 与えるならば真心、などという独り善がりなものに頼るのではなく、間違いなく相手が歓ぶものを。
 トライフは常に、退屈させないよう気を配って話題を提供していたし、イオもまた、そうする相手が満足するよう的確な相槌と表情を以てそれに応えた。
 いずれも夜の街で生きていくうえで培った手管。だが、そこに相手を思う気持ちが皆無というわけでもない。だから駆け引きの余地が生まれる。こちらの心を寄せるために囁く言葉と、それに答えて微笑む貌と。そのうちに込められる想いを何処まで「本気」に近づけられるのか。
 ……そんな二人の遊戯(ゲーム)の、潮目がほんの少し微妙なものになったのは。興が乗ったイオが、何気なくトライフの素肌にしなだれかかった時だった。
 明らかに常人とは異なる低い体温。低め、などという生易しいものではない。人間の身体としてははっきりと「異常」と呼べるほどのもの。ここに来るまでに腕を組み歩いていたときも気にはなっていた、が。
 擽られる好奇心。
「……貴方の肌、冷たいわよね」
 リスクは承知で、カードを切る。
「イオに涼んで貰う為さ」
 対するトライフは、ただ冗談混じりにそう答えた。
 成程、と、イオは今切った手札の意味を確認する。踏み込ませてもらえるわけではなく、しかし踏み込もうとしたことを咎められるほどでもない信頼関係。その位置確認。ならば。
「ありがと。なら、堪能しなきゃね」
 今は軽口以上には深入りしない。彼女は、彼の茶化しにそのまま乗ることにする。
「涼めているかい?」
 そうして会話の流れを元に戻そうとすると、トライフがふと、イオに尋ねた。
「ええ。おかげでね。あのまま部屋に一人篭っているよりは、ずっとましな夜になったわ」
「それはよかった。けど」
 そうして、トライフはここで、今日一番の笑みを見せた。
「涼んで貰うために、もう一つ用意している趣向があるんだ」



 ツキツキと。
 自覚の外に追いやっていた頭痛が、再び己を苛み始める。
 薬草煙草を燻らせながら、悟られぬようにトライフは芝居がかった言葉を紡ぐ。

「――……森に迷い込んだ、とある少女の物語」
 静かな声で、語られるのは一つの物語。
 森で迷った少女は、一人の美しい青年と出会う。青年は歩き疲れた少女を気の毒に思ったか、少し休んでいきなさいと自身の家に迎え、そこで少女は夢のような持て成しを受ける……。
 あらすじとしては単純だが、熱っぽいトライフの口調により夢見心地の少女の様子が上手く伝わってくる。
 理想の美青年からの理想の歓待。登場人物と同じ、初心な少女であれば誰もが一度は夢見るシチュエーションだろう。そうして、物語の少女と己を重ね合わせ心地よい陶酔に身を委ねたくなるその頃。
 ひっそりと忍び寄るように。物語に昏い闇が混ざり始める。
「『色々とありがとう。それで、帰り道はどちらかしら』『そんなこともう、知る必要はないじゃないか』『え?』『だって、君はもう――……』」
 ――……帰れない。
 重く、甘ったるい声とともに。イオの視界がふっと暗くなる。浮遊感と共に、身体が回る。
「――『哀れ、男が森の魔物と気付いたときには、少女はもう逃げられないのです』」
 ささやきは、耳元。
 背中に、ソファの感触。
 そして、全身で感じるトライフの体温。
 イオが冷たさを感じると共に、トライフはイオの熱を感じていた。
 ……眠りを妨げる熱帯夜は彼にとっては『凍えそうな』夜。独り寝は辛すぎて。煙草で紛らわすしか無い『寒さ』が。過去と共に己を痛みつける頭痛が。それを和らげる熱を求めるから――。
 イオが、微笑んで、しなやかに腕を曲げる。そして。

「……っぐ!?」
 ひとまず頭痛を忘れさせてくれたのは、暖かな抱擁ではなく腹部に走るふいの衝撃だった。
「貴方の体を暖めてあげたいけど――せっかく私の涼の為に冷やしてくれたのに、悪いわ」
 驚きに身体を浮かせたトライフに、慰めるように頬にキスをしてからイオはにこやかに告げる。これ以上は別料金、と。
 トライフは苦笑して……自らの「お手つき」を認めた。その上で、今更この寒さをどうにか出来るわけでないことも。
「じゃあ改めて。一晩僕の物になってくれるかな」
 失点を帳消しにすべく、恭しく跪き、掌に口吻。それは駆け引きを捨てた「商談」の申し出だった。
 ふふ、とイオの唇から自然に笑いが零れる。
 望まれるのは一時の関係。それでも、彼が格好をつけたがることは理解していた。そうするのが、「商品」である自分に対して一定以上の好意を持ってくれての事だということも。……それから、いつも金欠だということも。
 あえて何も言わず、割引した料金を提示して、彼女は口付けられたときに捧げ持たれた手をそのままに立ち上がる。
 トライフもそこで立ち上がり、確認するように繋がれたままの手を軽く引いて。彼女がそのまま、付いてくるのを確認すると――

 暫く後。二人はトライフが招いた部屋の天鷲絨の臥床に沈み込んでいくのだった。



 跳ねる音に、水面が揺れる。
 散りばめられた硝子、碧く透ける水草が、光を乱反射する。
 闇の中にあって幻想的に浮かび上がるよう照らされた水槽の中。
 二匹の魚が、廻々(くるくる)と泳いでいた。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka0657 / トライフ・A・アルヴァイン / 男 / 23 / 機導師】
【ka0392 / イオ・アル・レサート / 女 / 19 / 魔術師】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせいたしました。私にとって初のファナブラ小説となります。始まったばかりのこの世界、これからの皆様の活躍に期待しております。
……今回は、あんまりファナブラ関係なくなってしまいましたが。は、すみません。
ご不満の点がございましたら、遠慮なくお申し付けください。
このたびはご発注ありがとうございました。
アクアPCパーティノベル -
凪池 シリル クリエイターズルームへ
ファナティックブラッド
2014年08月11日

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