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『夢見るチンチラ、英国へ 』
大福・―8697)&ダグラス・タッカー(8677)&(登場しない)


「そうか……君は、人間になりたいのか」
 ぼくの頭を指先で撫でながら、その人は言った。
「なる手段が仮にあるにしても……やめておいた方がいい。人間は、君たちと比べて自由じゃあない。それゆえに汚れてゆく。人間はね、汚らしいんだ。だから、私は……」
 そこから先を、その人は言ってくれない。
 悲しそうな目をしたまま、指先で、ぼくの頭や頬っぺや顎の下を撫で回すだけだった。
 ぼくがくすぐったそうにしても、やめてくれなかった。


「や……こ、これは若社長」
 貨物船の船長が、いささか驚いている。
「私どもの仕事を、もしや抜き打ちでお調べに? まあ構いませんが、荒っぽい奴が多いから気をつけて下さいよ。何せ船乗りですから」
「船乗りは荒っぽい、というのも偏見でしょうけどね」
 ダグラス・タッカーは微笑んだ。
 若社長と呼ばれてはいるが、まだ正式に総社長の地位を受け継いだわけではない。タッカー商会を実質的に動かしているのは父であり、その状況は、ダグが正式に地位を受け継いだ後も続くであろう。
 いや。この先、何事もなく正式に社長の座を受け継ぐ事が出来る、などと思うべきではない。タッカー商会内部にさえ、敵対者は多いのだ。
 そういった者たちが、商会の貨物船で違法な荷を運び、私腹を肥やす。
 このところ、立て続けに発覚している事件である。
 1週間ほど前も、ここポーツマスの港に出入りしていたタッカー商会の船から、大量の麻薬が発見されたのだ。
「この船も、調べさせてもらいますよ。貴方がた現場の人たちを、差別なく等しく疑うのが、私たちの仕事ですからね」
「まあ御自由に。何もないとは思いますが……隠れてクスリ持ち込む奴が、いないとも限りませんからね。そういう奴を、むしろ見つけ出して欲しいくらいですよ」
「持ち込みが禁じられているのは、麻薬の類だけではありませんが……」
 ダグが言いかけた、その時。
 港湾施設の一角で、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「ぼくはネズミじゃない! ネズミじゃない! なんどいったらわかるのか!」
 ネズミにしか見えない白い生き物が、そんな言葉を発している。
 貨物船から下りて来た1人の若い船員が、喚き立てるネズミを片手でつまみ捕えたまま、困惑していた。
 そこへ、船長が声をかける。
「おい、何かあったのか……何だ、そりゃ?」
「いやあ、船の中にネズミがいたんで捕まえたんですがね」
 船員が言った。
 その手で首根っこをつまみ上げられたまま、白いネズミがじたばたと暴れている。人間の言葉で、叫びながらだ。
「だからネズミじゃないといっている! ぼくはダイフク! ダイフク! みてわからないのか!」
「ほう、大福ですか。あれは私も大好きです」
 ダグは言った。
「日本のお茶には、よく合いますよね。ですが紅茶との組み合わせは……果たして、どうでしょう。貴方で試してみましょうか」
「あわない! りょくちゃともこうちゃともてっかんのんちゃとも、ぜんっっぜんあわないから!」
「冗談ですよ。しかしまあ、貴方自身が冗談のような存在ですからね」
「……若社長、普通に会話をしないで下さいよ」
 船長が、わけのわからない夢でも見ているような顔をしている。白ネズミを捕えている、船員もだ。
「船長にも、聞こえますよね……このネズミ、喋ってますよね」
「俺もお前も、疲れてるのかな……そんな大した船旅じゃなかったはずだが」
 IO2エージェントなどという仕事をしていれば、言葉を話すネズミなど問題にならないほどの怪異を、日頃いくらでも目の当たりにする事となる。
 IO2とは縁もゆかりもない船長や船員にとっては、おかしな夢にも近い事態なのだろう。
「どうしましょう、船長……うちの猫の餌にでもしようかと思ったんですが」
「ネコ? ふふん、キミはネコなんかかってるのかね」
 つまみ上げられたまま、白ネズミが偉そうな言葉を発している。
「ずるがしこくてはらぐろくて、ほんとはすごくキョーボーで、だけどキミらニンゲンにこびをうるのはたいそううまいアイツらに、もののみごとにころがされちゃってるとみえるね。なげかわしいなげかわしい、あさはかだなあ」
「てめえ! 猫ちゃんの悪口を言いやがるか!」
「まあまあ」
 激昂する船員を宥めながら、ダグは長身を屈め、少しだけ眼鏡の位置を調整し、まじまじと白ネズミを観察した。
 ネズミと言うより、ハムスターの類か。
 以前、日本で見かけた、チンチラという種にも似ている。
 虫以外の生物に関しては詳しくないダグにも、人語を話す齧歯類など存在しない事くらいはわかる。
「……彼の身柄は、とりあえず私が預かりましょう。タッカー家の客人として」
 IO2の領分かも知れない、とダグは判断した。


 ポーツマスは、タッカー商会にとっても重要な港湾都市である。
 支部が設立されており、そこは今やほとんどダグの仕事用別荘と化していた。
 御曹司ダグラス・タッカーが時折、寝泊まりするだけではない。要人を宿泊させる事もある。
 いつ誰が来ても泊められる状態を保っておくのは、メイドたちの仕事である。
 そのメイドたちの中に、チンチラの飼育経験者がいたのは幸いだった。
「うーん、いいきもち。ひさしぶりに、すなあびをしたよ」
 本当にチンチラなのかどうかはわからない、大福と名乗った小さな生き物が、そんな事を言いながら、もりもりとスコーンをかじっている。
 アフタヌーンティーの時間であった。
 テーブル上に直立し、小さな前足で大きなスコーンを抱えながら、大福は偉そうな言葉を発している。
「まったく。チンチラにみずあびをさせようなんて、ものをしらないやからのすることさ。つぎからは、きをつけてくれたまえよ」
「大変、失礼をいたしました。お客様」
 乾杯の形にティーカップを掲げながら、ダグは微笑んだ。
 チンチラは、水に濡れると体調を悪くしてしまう生き物らしい。
 だから身体を清潔に保つために、水浴びではなく砂浴びをする。それも公園などの砂では駄目で、チンチラを飼うならば、専用の砂を購入する必要があるという。
 いきなり大福を水洗いしようとしたダグに、メイドの1人がそれを教えてくれた。
 幼い頃からチンチラを飼っていたという英国人少女で、今はテーブルの傍らに控えている。
 彼女に給仕をさせ、幸せそうにスコーンをかじりながら、大福は言った。
「それにしてもニンゲンはいいなあ。こんな、おいしいものをたべられるなんて」
 本当に幸せそうにスコーンを齧りながら、大福がにっこりと笑う。
「ぼくも、はやくニンゲンになりたい」
「……いけませんよ、成り急いでは」
 ダグも、微笑んで見せた。
「人間にも、出来損ないは大勢います。私のようにね」
「そんなことはない、キミはりっぱなニンゲンさ。ぼくにこんな、おいしいものをたべさせてくれるんだから。ほめてあげよう、えらいえらい」
「……どうも」
 ダグは咳払いをした。
 はぐらかしの上手い、手強い交渉相手と相席しているような気分だった。
「……1つ、お訊きしたいのですが。貴方のような水に弱い方が何故、船旅などを?」
「おてんきが、ぽかぽかだったからさ」
 蜂蜜がたっぷりかかったスコーンをがつがつと堪能しながら、大福は答えた。
「おふねにゆられて、おひるねをしていたのさ」
「なるほど。お昼寝の間に船が出港して、見知らぬ場所に着いてしまったと」
 会話をしながらダグは、自分は一体何をしているのか、と思った。
 テーブル上の齧歯類を相手に、ティータイムである。商会内部の敵対者たちが見たら、御曹司は気が狂ったなどと言って攻撃材料にするであろう。
 まるで人間のように、言葉で会話が出来てしまう相手なのだから仕方がない。ダグは、そう思う。
(虫たちが相手なら……会話をするのに、言葉は必要ないのですが)
「そうゆうわけでキミ、さっそくボクが日本へかえれるよう、てはいしてくれたまえ。このスコーンとハチミツとジャムをおみやげに、あっなにをする」
 傍らに控えていたメイドが、大福を片手でつまみ上げた。
「あんたね……ダグラス様にあんまり無礼な口きいてると、うちの猫の餌にしちゃうわよ? 飼い始めたばっかりの仔猫だけど、狩りを覚えさせるのも悪くないかしらね」
「こらこら、お客様を振り回してはいけませんよ」
 このチンチラが、いずれタッカー商会で買い物をしてくれるようになるかどうかはともかく、招いたのはダグの方である。賓客として扱うべきであった。
 じたばた暴れる大福の首根っこをつまんだまま、メイドが言った。
「ダグラス様、僭越ながら申し上げておきますけどチンチラは甘やかしちゃいけませんよ。こいつらマジで調子に乗りますから。犬なんかと違って忠誠心のかけらもないし」
「イヌとネコ、どいつもこいつもイヌとネコ」
 ぷらーんと揺すられながら、大福が喚く。
「みんな、もっとチンチラをかうべきなのだ! イヌとちがってほえないし、ネコとちがって、ことりをくいころしたりもしないし」
「うちで飼ってたチンチラは確かに、あんたよりは全然可愛かったわよ。15年くらい生きて、こないだ死んじゃったけど」
「そ、それですぐにネコをかいはじめるなんて、ひどいじゃないか」
「しょうがないでしょ! うちの兄貴が、拾って来ちゃったんだから」
 その兄というのは、もしかしたら、あの若い船員かも知れない。
 が、そんな事はどうでも良くなった。
「失礼……」
 一言、断ってから、ダグはスマートフォンを手に取った。
 IO2からの、着信である。
 任務のメールに、画像が添付されていた。
 ダグが今から捕縛しなければならない相手の、顔写真である。
「ほう……この男が、イギリス国内に」
 数日前、欧州某国で大規模な爆破事件が起こった。
 爆弾ではなく、黒魔術の類を用いて爆発を引き起こす能力者であるらしい。IO2の管轄である。
 その爆破能力者が、逃走の挙げ句、イギリスに密入国したという。
「ほうほう。これが『すまーとほん』というものか」
 大福が、メイドの手からぴょこんと逃げ、ダグの肩に飛び乗って来た。
 そして、まじまじと画像を覗き込む。
「あれ……このひと」
「……ご存じ、なのですか」
 ダグは指先で、大福の頬の辺りを撫でた。
「貴方を日本へお帰ししましょう。タッカー商会が世界に誇る最高品質の茶菓子をお土産に、ね……その前に、済ませておかなければならない事があります。御協力、いただけますか?」


 大福が乗っていた貨物船に、その男は潜んでいた。
 夜になるのを、待っていたようである。
「ま、まさか……こんな密航者に、気付かないなんて」
 船長が、衝撃を受けている。
「若社長、私は船乗りとして失格です……辞表を、書くべきでしょうか」
「おやめなさい。偉そうに抜き打ちで調べに来ておきながら気付かなかったのは、私も同様です」
 言いつつダグは、軽く片手を掲げた。
 形良い五指から伸びた特殊繊維が、1人の男の全身を絡め取り、縛り上げ、拘束している。
 爆発の魔力を、この男はすでに使い果たしていた。だからこうして、容易く捕える事が出来たのだ。
「これで私は……つつがなく死刑に処してもらえると、そういうわけかな」
 蜘蛛に捕えられた虫のような様を晒しながら、男が弱々しく笑う。
 ダグは、冷たく答えた。
「私の任務は捕縛まで。刑罰に関しては……どうでしょうね。まあ普通に裁判を受けさせてもらえるなどとは、お考えになりませんように」
「どうして……」
 大福が、ダグの肩の上で呆然と呟く。
 この男と一緒に大福は、密航の一時を過ごしていたようだ。
「ボクにいろいろやさしくしてくれた、このひとが……ばくはつで、たくさんのひとをころすなんて……」
「動物は殺せなくとも、人は殺せる。そういう方々もいらっしゃるという事ですよ」
 ダグとしては、そう応えるしかない。
 捕えられた男が、じっと大福を見つめ、言った。
「人は、人を殺せる……動物も殺せる……だから、やめておきなさい。人間になる、なんて……」
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小湊拓也 クリエイターズルームへ
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2014年08月11日

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