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『人間の音色 』
八瀬・葵8757)&(登場しない)


 人は、音で出来ている。
 物心ついた頃、八瀬葵はまず、そう思った。
 物心つく前は無論そんな事は思わず、ただ人々の発する音だけを聴いていた。
 赤ん坊である自分の周囲を満たしている、様々な音。
 ほとんどが、耳障りこの上ない雑音・騒音だった。
 全ての人々が、にこにこと微笑みながら、おぞましい音を鳴らし、赤ん坊の感性を容赦なく苛んだ。
 癒してくれたのは、母である。
 混沌とした不快音しか出さない人々の中にあって、母だけが、音楽を奏でていた。
 母の音だけが唯一、音楽としての体を成していたのだ。
 優しい音楽。あるいは、凶暴な不協和音。怒号や悲鳴にも似た、おぞましい響き……人々が発する様々な音を、聴く事が出来るのは、しかし自分だけであるらしい。
 葵がそれに気付いたのは、そろそろ幼稚園に入るかどうかといった頃であろうか。
 そんな自分が、どうやら周りの大人たちに嫌われているらしいという事にも、葵は気付いてしまった。
 あの子、まるで人の心を読んでるみたい。何だか気味が悪いわ。
 伯母が、そんな事を母に言っているのを、聞いてしまったのだ。
 心など読んでいない。自分はただ、音を聴いているだけだ。葵は、そう叫びたかった。
 心が読める。音が聞こえる。どちらであろうと気味の悪い子供であるのは、まあ間違いない事ではあった。
 優しかった母の『音楽』に乱れが生じ始めたのは、いつ頃からであっただろう。
 その原因は父にある、と葵は最初は思っていた。
 父が、母にひどい言葉を浴びせているのを度々、耳にしたからだ。
 何故あんな子供を産んだのだ、などと。
 母はやがて、とても音楽とは呼べないような、不安定な悲鳴のような音しか出せなくなってしまった。
 原因は、父ではない。わけのわからぬ能力を持って生まれてしまった、息子なのだ。
 人間の『音』を聴く能力。
 こんなものを常に発動させていたら、いずれ人混みの中で発狂してしまう。
 だから葵は、この能力を自由意志で発動させたり休眠させたり出来る程度には訓練をした。
 これほど孤独な訓練はないであろう、と思いながらだ。
 だが、この能力が休眠状態にある時にも、聞こえてきてしまう『音』はある。
 久しぶりに、『音楽』を聴いた。
 葵がそう思えたのは、音大に合格し、2人の同級生と知り合った時である。
 1人は男、1人は女。
 2人とも、かつての母を思わせる、優しい『音楽』を奏でていた。
 葵にとって1人は親友、1人は恋人だった。葵が勝手に、そう思っていただけだ。
 その2人が、結ばれた。
 だから葵は、祝福の歌を贈った。そんなつもりで、あの歌をアップロードしたのだ。
 その歌を、今日も彼女は口ずさんでいる。病院の中庭で、車椅子に乗りながら。
 その車椅子を押している看護士が、葵に気付いた。
「あ、おはようございます……ほらほら、今日も八瀬さんが来てくれたわよ」
 そう言われても、彼女は歌を止めない。
 葵の方を向いている瞳はしかし、葵ではない、遠くの何かを見つめている。
「……元気そう、ですね。良かった……」
 花束を抱えたまま葵は、看護士に頭を下げた。
「……いつも本当に、ありがとうございます」
「やめて下さい。私たち本当に……何にも、出来てませんから」
 看護士が、俯いた。
「この子、入院した時からこうなんです。本当は歌どころか、言葉も話せる状態じゃないのに……この歌に何か、不思議な力があるとしか思えません」
 この看護士も、濁った、乱れた『音』を発している。
 痛々しい、自責の響き。
 患者を救ってやれない事に、耐え難い苦しみを感じているのだ。
 自分の歌が、大勢の人を苦しめている。それを葵は、実感せざるを得なかった。
「本当に……不思議な感じの歌ですよね。歌詞で検索してみたんだけど、見つからなくて。この子が作った歌でしょうか?」
「……さあ、どうなんでしょうね」
 葵は、そう答えるしかなかった。
 あの歌は、とうの昔に削除した。普通に検索しただけでは見つからないだろう。
 不思議な力のある歌、というのは間違いではない。
 人の心を壊し、命を奪う歌なのだ。
 葵は、長らく気付かなかった。否、気付かぬふりをしていたのだ。知らぬままで、いたかったのだ。
 母や父や他の人々と同じように、自分もまた、『音』を発しているという事を。
 自分では聞こえない。人間が、自分の声を直に聞く事は出来ないように。
 その『音』を彼女は、この歌の中から、聞き取ってしまったのだ。
 おぞましい、嫉妬の音。未練の音。
 それが彼女の心を破壊し、そして親友の命を奪った。
「お花、また持って来てくれたんですね」
 看護士が言った。
「私が、病室に生けておきますよ」
「……お願いします」
 葵は、花束を手渡した。色とりどりの花。
 その彩りをぼんやりと見つめながら、彼女は呟くように歌っている。
 青臭い祝福の言葉で、おぞましい嫉妬と未練を包み隠した歌。
 聞こえるのは、それだけだ。
 彼女自身の『音楽』は、もう聞こえない。葵の好きだった、優しい音楽が。
 彼女は、『音』を失ってしまったのだ。
 そして彼女の恋人は、命を失ってしまった。
(……俺、何やってんだろ。こんなとこで……)
 見舞いに来た。形としては、そうだ。
 償う事も出来ぬまま、自分がしでかした事の結果を、ただ見に来ている。
 見るだけで、何もする事が出来ない。
 このまま彼女の目の前で自殺でもして見せれば、いくらかは謝罪になるのであろうか。
 そんな事を葵が思った、その時。
 優しい『音楽』が、聞こえてきた。葵にしか聞こえない、穏やかな音色と響き。
「こんにちは……あの」
 声をかけられた。
 1人の、年配の女性が、そこに立っている。
 この病院で、何度か見かけた事がある。彼女の、母親だった。
「いつも娘に、お花を持って来てくれる方よね?」
「……ええ、まあ」
 そんな答え方しか出来ない葵に、女性がにっこりと微笑みかける。
 何故、こんなふうに微笑む事が出来るのか。
 何故、こんな穏やかな『音楽』を奏でる事が出来るのか。
 自分の娘が、こんな事になってしまったと言うのに。その原因を作った男が、目の前にいると言うのに。
「……俺は……」
 全てを話し、謝罪する。葵に出来る事は、それしかなかった。
「……彼女が、こんな事になってしまったのは……俺の、せいなんです。俺が」
「そんな事を言うのはやめて。犯人探しをしても意味はないわ」
 葵の謝罪は、穏やかに遮られた。
「自殺をする人間の心なんて、きっと誰にもわからないのよ」
 自殺ではない、自分が殺したのだ。
 自分の歌が、彼女と親友の心を壊してしまった。そして2人を、自殺へと導いた。
 そんな事を声高に叫んだところで、信じてもらえるわけがなかった。
 葵は1度だけ頭を下げ、足早に歩み去った。
 逃げ出していた。
 自分の『音』は、自分では聞こえない。
 聞くに耐えない、おぞましい響きなのであろう。葵は、そう思う。
 自分が歌を歌えば、その『音』が溢れ出す。そして聴く者の心を壊す。
 歌い方次第では、例えば傷を癒したりといった、人の役に立つ現象を引き起こせない事もないようだ。
 何にせよ、そんなものを歌とは呼ばない。
 人の心を壊したり、傷を治したり。そんなものは、歌ではない。
「……俺は……歌を、歌いたい……だけなのに……」
 歌う事が、許されない。
 それが罰ならば、むしろ軽いものだ。葵は、そう思うしかなかった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2014年09月01日

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