▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『ヒトの形をした者たち 』
伊武木・リョウ8411)&森・くるみ(8762)&(登場しない)


 培養液の中で、それはもはや人の形をとどめてはいなかった。
『……やあ……先生……』
 液体内での発声が拾い上げられ、ヘッドホン越しに、伊武木リョウの耳に流れ込んで来る。
『久しぶりに、来てくれたんだね……僕みたいな失敗作、もう見捨てられたかと思っていたよ……』
「その通り、お前は失敗作だ」
 ヘッドホンから口元に伸びたインカムに、伊武木は冷たく声を注ぎ込んだ。
「その失敗作を作ったのは、俺だ。後始末まで、責任持ってやらないとな」
『そう……僕は、始末されるんだね……』
 それが、どうやら笑ったようだ。
『誰からも見捨てられて、忘れられて……この中で1人、朽ちていく……それも悪くない、って思ってたところさ』
 培養液が、濁っている。
 浸されたものの全体から、壊死した組織が剥離し、漂い渦巻いているのだ。
 かつては美しい少年だった。今は、腐りかけた肉塊である。
「忘れはしないさ。お前を忘れた時なんて、1秒もない」
 伊武木は言った。
「お前がくれたデータを基に、俺はずっと研究を続けているんだからな……おかげで成長促進剤が、完成に近付きつつある」
 言いつつ、培養液槽の強化ガラスを片手で撫でる。
「お前よりもずっと優秀なホムンクルスを、これから大量生産出来る。お前の、おかげさ」
『……僕の役目は……もう終わり……?』
「そういう事。この培養液槽を、そろそろ空けてもらわなきゃならん」
 伊武木は、冷たい口調を保った。
「その前に……恨み言くらいは聞いてやろうと思ってね。俺に言いたい事、いくらでもあるんだろう?」
『ないよ。先生に、言いたい事……伝えたい事……もう全部、伝えきったから』
 16歳。まともに育っていれば、この少年は今頃その年齢に達しているはずである。
 16歳。まともに育った、あの少年と同じ年齢だ。
 あの少年は、成長促進剤を全く投与する事なく、無事に16歳まで育った。
 この少年は、成長促進剤を投与し続けた結果、辛うじて16歳まで生き長らえた。もっとも、まともな人間の形を保っていたのは13歳くらいまでである。
 成長促進剤が、未完成だったからだ。
 未完成品でも投与し続けなければ、この少年は5歳くらいで、このような状態になっていただろう。
 ホムンクルスは、培養液槽で36週間、成長させれば、その後はプラント外でも長期生存が可能である。長期と言っても数年から10年以上と、個体差はあるのだが。
 この少年も、あの少年も、そのようにして生み出し、育て上げてきた。
 同じように開発育成したはずのホムンクルス2体に、しかし16年の間で、このような差異が生じてしまう。
 何故なのか。2人の肉体をもっと徹底的に調べ上げ、比較検証しておきたいところではあった。
『……あの子は、元気?』
 かつては美しい少年であった肉塊が、言った。
『幸せに、してる? 先生……いじめたり、してないよね?』
「どうかな。あいつは俺のせいで、もしかしたら辛い思いをしているかも知れない」
 もう1人の少年。青い瞳のホムンクルス。
 彼は、この少年の存在を知らない。
『余計なお世話だろうけど、言っておくよ先生……もう僕みたいな、要らないホムンクルスは作らないで……あの子1人を、大切にしてあげて欲しいな』
「そのためにも、お前の遺してくれたデータ……役立たせてもらう」
 無事に16歳まで生きた、あの少年の身にも今後、悪しき変調が起こらないとは限らない。
 17歳より先の人生を送らせてやるためにも、完成した成長促進剤が必要になるかも知れないのだ。
「最後に、お前の好きな食べ物、何か持って来てやろうかとも思ったけど……思いつかなかった。お前、好き嫌いなく何でも食べたからな」
『……パフェ』
 声が、聞き取れなくなってきた。
『……駅前のお店で食べた、あの宝石箱みたいなパフェ……もう1回、食べたかったな……』
「お前、あれ嫌がってたじゃないか。頭の悪い女の食べ物だとか言って」
『……恥ずかしかったから……に……決まってるじゃん……』
 それきり、少年は黙った。
 伊武木は名を呼んでみた。返事は、ない。
 培養液槽の中にあるのは、今や単なる腐りかけの肉塊だ。
 濁りきった培養液もろとも廃棄して、槽内を洗浄しなければならない。
 その作業を始める事が出来ずにいる伊武木に、いくらか躊躇いがちに声をかける者がいる。
「……掃除、やっとこうか?」
 言葉と共に、カートを転がす音が近付いて来た。
 清掃用具を満載したカート。それを押し転がしながら歩み寄って来る、1人の若い女性。
 顔立ちは、まあ美人の部類であろうか。だが、お洒落な服装よりも、このような清掃作業服の方が似合っていると伊武木は思う。
 清掃局員・森くるみ。
 伊武木から見れば、奇跡のような存在である。
 22歳のホムンクルス。いつ細胞崩壊が始まってもおかしくない年齢である。
 身体のあちこちが、そろそろ壊死し始めているのではないかと伊武木は密かに思っているのだが、見ただけではわからない。森くるみは平然と動き回り、様々な清掃活動を行っている。
「……先日は、御活躍だったみたいじゃないか」
「いつも通り、生ゴミを回収してきただけさ」
 濁りきった培養液槽を見上げながら、くるみは言った。
「で……今回は、こいつを回収してけばいいのかな?」
「……いや。せっかくお掃除お姉さんに来てもらったのに悪いけど、後始末は俺がやるよ」
 伊武木は微笑して見せた。
「最後まで……廃棄処分の段階まで、俺が面倒見てやるって決めてたからね」
「ふん、殊勝なこった」
 くるみも微笑んだ。が、伊武木を見据える茶色の瞳は笑っていない。
「こんな生ゴミになるまで生かしといて……いいデータは、採れたんかい?」
「採れたとも。今までの成長促進剤がどういう問題を孕んでいたのかは、これで大体わかった」
 寿命が迫っているホムンクルスに、成長促進剤を投与する。
 そうすると、この少年のように一気に細胞崩壊が進んでしまうか、あるいは逆に細胞の異常活性化を起こして怪物に変じてしまう。今まで、そんな事の繰り返しであった。
 怪物と化し、あのIO2エージェントの少女に斬殺されたホムンクルスたちも、まあ有益なデータを遺してはくれた。
 あの少年に何か異変が起こっても、完璧な成長促進剤を投与してやれる。無事に17歳、18歳の誕生日を迎えさせてやれる。
「あんたにも成長促進剤の完成品を投与してあげられるよ、森さん。無事に23歳の誕生日を……そろそろ、あれかな。誕生日が嬉しいお年頃でもないかな?」
「余計なお世話だっての。それよりさ……その話、なかった事にして欲しいんだけど」
「それは……どういう事かな」
 ちらりと、伊武木は培養液槽の中身に視線を投げた。
「もしかして、これを見て不安になったのかな? 心配する事はない、こうならないための成長促進剤だ。適切に投与すれば、普通に人間の女性として生きていけるよ。お掃除おばさん、お掃除おばあさんになるまで生きてやるって、あんた乗り気だったじゃないか」
 伊武木は言葉を切り、いくらか躊躇った。そして言った。
「……俺の見立てが正しければ森さん、あんたそろそろ限界が近いはずだ。身体のあっちこっちにガタが来てるんじゃないのかい」
 くるみは、何も応えない。
「ホムンクルスが20歳過ぎまで普通に生きてるなんて、俺に言わせれば本来あり得ない話でね。あんたの生みの親が相当、無理矢理な調整をしてるんじゃないかと思うんだけど」
「あたしはもう、いつ死んでもおかしくないババア……そう言いてえわけかい」
 くるみは苦笑し、培養液槽を見やった。
 槽内に濁りをばらまいている肉塊を、じっと見据えた。
「それでもいいさ。こんな死に様でもいい……あたしは寿命でおっ死ぬ事にしたんだ。人間じゃない、ホムンクルスの寿命でね」
「……一体、何があったのかな?」
「何もねえよ……拾って来た生ゴミが、実はあたし自身だったってだけの話さ」
 虚無の境界から独立分派した、新組織。
 その戦力である怪物を1体、彼女は捕えて来たらしい。
 伊武木は参加していないが、かなり手厳しい尋問が行われたようである。
 くるみとしては、何か思う所があったのだろう。それが何であるのかは、彼女自身にしかわからない。
 彼女自身にも、明確な言葉で語れるほどには理解していないのかも知れない。伊武木は、そう思った。
「あの出来損ないの生ゴミ野郎は、あたしさ……あたしと同じなんだ」
 濁りきった培養液槽を見つめながら、くるみは言った。
「こいつもさ。それに伊武木の旦那、あんたが可愛がってる青い目のお人形ちゃんも……人間じゃねえのに人間のふりさせられてる連中は、みんな同じだ。あんたら人間同士の、裏切り偽りに加担させられてゴミみたく処分される。ま、そんなもんだってのは、わかってたけど」
 くるみは背を向け、カートを押しながら歩き出した。
「もう沢山……あたしは、あんたら人間って連中が大っ嫌いなんだ。もちろん作り出してもらった恩はある。あんた方に作ってもらった命なんか、とっとと使い切っちまいたいのさ」
 歩み去って行くくるみを、伊武木は言葉もなく見送った。
 成長促進剤を完成品として報告する前に、もう1つ実験をしておきたいというのが正直なところである。
 その実験台に最もふさわしいホムンクルスが、しかしそれを拒んで立ち去って行く。
「お願い、ではなく命令で投与する事も、出来ないわけじゃあないんだけどな……」
 伊武木は呟いた。もちろん、くるみにはもう聞こえない。
「……もう少し、様子を見るか。実験前に出来る事が、ないわけでもなし」
 まずやらなければならないのは、培養液槽の洗浄である。
 伊武木は、スイッチを入れた。
 排水が始まった。
 濁った培養液が排出され、もはや有機廃棄物でしかないものの姿が露わになる。
「あ〜あ……可愛かったのに、こんなんになっちまって」
 かつては美しい少年だったものを、伊武木はじっと観察した。
 どこをどう見ても、もはや面影すら見出せない。
 ホムンクルスも人間も、死ねばこうなる。見分けもつかないほど腐敗する。
 森くるみも自分も、あの少年もだ。
 当たり前の事だ、と伊武木は思った。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2014年10月10日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.