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『解放 ―月夜ノ海ニテ― 』
サクラ3853)&(登場しない)
●解き放たれし瞬間
 目の前には、月明かりに照らされる穏やかな夜の海が広がっていた。太陽のそれとは違い月だからであろうか、その光は夜の海特有の冷たさを、さらに増しているかのようにも感じられる。
「…………」
 砂浜に一人きりでたたずんでいた美しき女性――サクラは無言でそんな海を見つめていたが、やがて自らの衣服に手をかけた。上に羽織っていた薄手の衣が、まずは足元へパサリと落とされる。
 言葉を発することもなく、動き続けるサクラの手。そこにためらいや恥ずかしがっている様子は見られない。見渡す限りには、他の誰の姿も見当たらないせいだろうか。いやいや、それにしてはどこか少しすっきりしたかのような表情にも見える。恥ずかしがる様子を見せないのは、ただ一人きりであるからだという訳でもないのかもしれない。
 そして全てを終えてようやく手の動きを止めたサクラは、ゆっくりと海の方へと足を進める。足裏に伝わる砂の感触が乾いたものから次第に湿り気を帯びたものへと変わり、それから間もなく海の水がサクラの足首から下を包み込んだ。と――そのまま一息に、腰から下が全て海の中へと浸かるまで突き進むサクラ。次の瞬間には全身を海中へと沈め、沖へと向かうつもりか、大きく足を蹴ってみせた。
 ――海面から、魚の尾びれのようなものがちらりと見えた。

●海は何も語らず、ただ受け止めてくれる
 月明かりが届く浅い海中は、日中のそれとは異なる顔を見せている。太陽の光を受けている時を『動』とするならば、今この時は『静』である。それも、どこか妖しさを持ち合わせたような……。
 海中で泳ぎ続けるサクラの姿は、美しき歌姫としての彼女しか知らぬ者たちからすると、非常に異なっていた。といっても、何も美しさが損なわれている訳ではない。むしろ、妖しさという衣をまとって、増しているようにも思える。もっと分かりやすいことだ――サクラの下半身は、黒色の鱗の魚のそれに変わっていたのだ。
 今、この場で誰かがサクラの姿を目撃したのであれば、恐らくはこう呼ぶであろう――『人魚』だと。しかしながら一口に『人魚』といっても、細かく見ていくとそれが総称であるに過ぎないと分かってくるだろう。そもそも女性と男性で、『マーメイド』と『マーマン』などと呼び方が変わってくるくらいなのだから。
 ではサクラは何であるのかと問われたら、『セイレーン』である。美しい外見と歌声を持つ、女性しか存在しない種族……それが『セイレーン』だ。普段の姿は、能力で人間の姿に変えているのである。
 サクラは人間のそれよりも速く、滑らかに泳いでいく。さすがは『セイレーン』といった所か。そうこうしているうちに海中の浅き所から、少しずつ少しずつ深き所へと潜っていくサクラ。月明かりは徐々に届かなくなっていき、夜の海の冷たさは暗さも相まってより増していく。だがそれらをものともせず、サクラは泳ぎ続ける。
 人間社会とは隔絶されたこの場において、邪魔する人間たちは存在しない。ただひたすらに、海中を自由にサクラは泳ぎ続ける。
 物珍しげに遠巻きにし、ひそひそと何やらよからぬ言葉を口にする上流階級の婦人たち。金や宝石などを積めば、相手のことなどどうにでも出来ると思い込んでいる下衆な男性貴族。口八丁で騙そうと、笑顔の仮面を被って近付いてくる人間たち。などなど、人間社会においては何かとストレスになるようなことも多々あるけれども、海の中を泳いでいれば、それらのことを頭の隅の隅へと追いやることが出来る。だから――このような時間は、サクラにとっては大切なことなのである。
 さて、どれくらい泳いでいただろうか。そこそこ深い所まで潜っていたサクラは、反転してゆっくりと海面を目指し浮上してきた。
「ふうっ……!」
 やがて海面から久々に顔を出したサクラは、大きく息を吐き出した。若干の水しぶきも飛び散る。
「……月が……綺麗です……」
 笑顔を浮かべそうつぶやくと、サクラは仰向けの状態のまま波にその身をゆだね、しばし海を漂った。

●古きよりの旋律とともに
 月がだいぶ傾いてきた頃、サクラの姿は海岸からかなり離れた沖合にぽつんとある小さな岩場にあった。濡れた髪もそのままに岩場にちょこんと腰掛け、黙って月を見つめていた。ぐるり360度、周囲には船の姿も見られない。あるのは海と岩場と月、居るのはサクラと海の生き物たちのみである。
 そのうちにサクラの口が動き出し、その場に旋律が漂い始めた。それは人間社会にあっては、まず間違いなく聞くことのない旋律。しかし一度耳にしてしまったのなら、聞かぬという選択肢が自分の中から一切排除されてしまう……美しくも妖しき旋律。
 サクラが紡ぐのは、古くより種族に伝わる歌。普段歌姫として歌うそれとは全くの別物である。恐らくはこの古きよりの歌を聞くことが出来るのは、本当に偶然にその場に出くわしてしまった者か、あるいは――心より愛されし者か。
 月夜の海にて、穏やかなる波音を聞きながらサクラは歌い続ける。残り少なき夜の時間を、楽しむように……。

【了】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
高原恵 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2014年10月20日

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