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『遠き場所より、残された願いを 』
暮居 凪ja0503



 もしも、という言葉は夢を指す。

 あの時、五分早く動いていればしていれば。
 或いは、靴紐の結びに戸惑わなければどうなっていたのだろう。

 すべては過去を指しているし、現在から振り返って口にしている。叶わなかった願いを、想いを、大なり小なりと悔やんで想いを馳せる。
 それは文字通り叶わなかった胸の中の夢であり、想い描く夜の夢なのだろう。
 だから、暮居 凪(ja0503)はここに一つの後悔の世界を紡ぐことになる。

 もし、素直でいられたのならこうなっていたかもしれない。
 もしも、この魂に灼き付いた想いを昇華出来ていたのならどうだろう。

 それはやはり夢であり、もはや叶わぬもの。
 閉じた可能性。楽園の残滓。
 これは辿り着くことのない物語と、その結末。







 十年が過ぎても、天魔の脅威は変わらない。
 ならばと同様に、久遠ヶ原の温もりと陽だまりも変わることなく存在していた。
 秋の日差しが午睡を誘う中、暮居は子供達に柔らかく語りかけている。
 強くはない。激しくもない。弱くもない。何処か安心してしまう、そんな空気の中で十名近くの子供に、諭すよう優しい暮居の声が響いていく。
 微笑みと共に小さな掌へと、暮居は自分の手を重ねる。
「意識してみて――ほんの小さな、冷たい雪を」
 暮居は不安に揺れる幼い少年の瞳を見つめて、安心させるように言葉を続けた。
「あなたは、世界に触れることが出来る。世界から取り出すことが出来るの」
 そう続ける様は教師のようでもあり、同時に修道女のような優しさもある。どちらも後を歩む者たちが正しき道へと導く為に身を捧げた一人の人間の姿。
 十年が立ち、アウル覚醒者の広まりは増加の一方を辿っている。教えるものが必要なのだ。導くには道を歩んだものでなければならない。
 この力は何の為に?
 その問いに、答えられるのは戦の刻を知るものだけ。
 傷つけること、傷つけられることを知るから、それを否と断ずることが出来るのだ。そんな人生は悲しいのだと。
 掌に冷たさを感じて、暮居の微笑みは強くなる。
「さあ、吹雪かせて。季節はずれの雪を見ましょう?」
 広げた掌から巻き上がるのは粉雪の群れだ。
 白く煌いて、わぁっと周囲の子供が、それをアウルで再現した少年さえ息を飲む。
 直後に淡く、そして儚くも溶けてしまっても興奮はそう易々と解けたりはしない。
 どうやったの。どうやればいいの。そんな声が巻き上がる中、暮居は静かな声色で紡いでいく。
「アウルというのは何も戦う為だけのものじゃないわ。こういう風に使って、こうやって笑い合うことも、人の怪我を癒すことだって出来るの」
 そう語る彼女自身が、どれだけの修羅場を潜り抜けて来たのか、知る者は此処にはいない。
 胸に秘めたものに気付くものも誰ひとりとて。
「適正があるから戦わないといけない。……そんなことはないわ。アウルを使えるだけで、身体も心も人間なんだから」
 傷付けば血が流れるのだ。
 身体だけではなく、心が張り裂けることだってあるのだ。
 そんな修羅場に幼い子供達を駆り立てるなんて悲しすぎる。きっと、暮居の姿はそう語る聖職者にも見えるのだろう。事実、それは一面の真実ではあった。
 弾雨の激しさを知っている。鉄火の無慈悲さを覚えている。それでも戦わなければいけないと感じていた。
 受けた傷の夥しさは数え切れない。傷はすぐにアウルに目覚めてしまった肉体が癒す。そして戦場へと再び立った。心の傷は人と同じく、じわりと血を滲ませ、少しずつ壊死していったように。

 目の前に集まった子供達がそうなるのは忍びないのだ。

 絶望したが故に、穏やかに語る暮居の心は朽ちかけようとしていた。
 そう気付いたが故に、後は転がり堕ちるように絶望へとまっしぐらだ。
 たったひとつの望みを抱いて、それが叶わないと知るからより深く堕ちていく。
「何をするのかはそれぞれが考えていい。ただ、傷つける相手を間違えないように」
 そうだ。自分の心へと刃を突き立ててはいけない。
 果たせないと判って走る道は茨の路。切り払えば先に進めるけれど、それは相手を傷つけ、払いきれないもので脚を絡め取られる。
 現実を見据えて、周囲を見つめて合わせる瞳だって必要なのだ。

「人を癒してもいい。笑わせてもいい。守ってもいい。けれど、私は戦い方をひとつとて教えたりはしないわ――こういう道があると、使い方を教えるだけよ」
 
 それが久遠ヶ原に在住し続ける理由。
 聡明さは己を傷つける。論理性の鋭さはいっそ呪いだ。
 現実を見ればみるほど、叶わないという事実だけが彼女を蝕み、心をより壊死させていく。ダレも気付かない深くで。その心臓こそが少しずつ。
「でも――あたしの回りの人を、守りたいの」
 そう声をあげた、ひとりの少女。
 まだ十に満たなくとも、強い意志を瞳に浮かべて暮居を見つめている。
 同時にそこに映るのは、喪失という傷だ。
「手の届く範囲だけでいい。守りたいの。……それだけは、もう決めているから」
 それを埋める為、癒す為、少女は立ち向かうのだろう。
「もう、二度と……失いたくないの」
 何となく、自分に似ていると思うから暮居の微笑みは穏やかになる。こうやって世界は繰り返されて、歴史は廻って、自分のような絶望を知るものが増えていくのだろう。
 言葉と笑みを失っていく子供達。不安はある。恐怖もある。けれど、人類全員がアウル覚醒者でもないのだから、守るべくして立ち上がる子供も少なからずいるのだ。使命感は伝染し易く、戦いは津波のように子供を攫っていく。
「大丈夫。貴方達は心配しなくても良いわ。もしもの時は、私が行ってあげるわ」
 掌はまだ槍を奮う感触は憶えている。
 指先は引き金の重さと、反面の命の重さを未だに感じるのだ。
 一夜とて忘れて過ごした暗闇はないのだから。
「あなたが、戦えるの?」
「あなたたちが、戦えるように」
 戦火の粉塵は、肌を削って肉を焼け爛れさせる。
 それらが広まっていく気配は、きっとそう少しこの子供達になれば気付くだろう。その前に、戦うだけが道ではないと、標して導きたいのだ。
 その何処が悪いのだろう。
 叶わない夢は、先ほどの子供の織り成した淡雪のように溶けてしまうのだ。
 理想は現実にそぐわない。湖水に混じった塩をどう取り除こう。が、そんな手段はないのだと、戦いの中でより深く気付く。より深く絶望していく。
 きっかけが何だったのか――もう憶えていないけれど。
 もしかしたら、自分が喜び勇んで戦に出た瞬間だった気さえしている。
「けれど、胸に抱く願いだけは大切にね」
 では、暮居が胸に抱き続けているものは何だろう。
 諦観という優しく、静かな笑みをその貌に浮かべさせるのは。
「自分の望みだけは決して、捨ててはダメよ。戦いの中でも削り取られないように、魂の奥深くに。天威に焼かれず、冥嵐に奪われない為に」
 少しだけ難しげな言葉を使ったのは、さて、本当は自分が諦めきれていないからではないだろうか。
 気付けば握り締める自分の掌を爪先が深く抉っていた。
 零れる血の色のような鮮やかさで、願いは保たれているのでは――。
――そうでなかったのなら、絶望に苦しむイマなんてない筈で。
「自分の願いは……自分で決めて、叶えられるの」
 一瞬、言葉が途切れた。
 崩れるように、表情が消える。
 絶望は真実。叶わないと実感しているから子供達に戦い方ではなく、アウルの使い方を教えている。

 ああ、こういうのを迎合というのね――周囲に合わせた逃避だわ。

 まだ若かった頃の暮居の声が、凛と胸に突き刺さって響く。
 まるで氷で作られた穂先だ。貫ぬかれた心から血が流れ、その温もりで溶けて砕けて、更に音を立てる。

 現実を見て屈しないから、戦い続けられるのでしょう。

 それが真実。これが現実。
 現実を見て屈したから、もう暮居は戦えない。
 戦う術の一つ、教えることが出来ない。芯の篭もらない教えでは、戦で散ることしか教えられないだろう。半端な覚悟では生き残ることだって出来ないのだ。
 だから絶望と共に捨てたのだ。戦の刻を。そうなってしまうことを、子供たちが手折られる花とならない為に。
「さあ、今日はもうお仕舞いよ」
 自分の胸にだけ秘めようと、暮居は微笑みを取り戻す。
 現実を視れば何と判り易いのだろう。理性と知性は絶望を囁く蛇だった。こうなって欲しいという理想を蝕む毒を注ぎ続ける。

――すべてのアウル保持者が消えればいいのに。

「さあ、そのアウルで、あなたたちの力で、やりたいことを見つけなさい」
 それがあるから戦いになるのだ。
 天魔の進行を防ぎきれば、アウルの保持者なんて必要ない。
 人と違うということはどうしようもない差を作る。人間はそもそも雪を産み出せない。拳銃で撃たれただけで死ぬのだ。爆炎の中を生きて耐えられもしない。
「可能性に満ちているのだから、ね。あなた達は、まだ雛鳥だわ。翼の形だって、決められる。空を泳いでもいいの。海の中を飛んでもいいの」
 そんな幻想に、普通の人はついていけない。
 きっと天魔の進行が絶えれば、今度は持たざるものから、持つものへの弾圧が始まるだろう。
 その兆しは出ている。天魔の進行はより一層激しくなっているが、同時に最後の争いになるだろうといわれているのだ。
 撤退はないかもしれない。が、同時に戦う必要もなくなる。戦いとはそもそも利権を争うものであり、天使も悪魔もこれ以上の消耗は望むところではなくなって穏健派などとの交渉が始まっている。
 同時に、この久遠ヶ原への警戒も。
 あの少女は守る為に戦うのだという。

 では、今からは迫害されないために、その穂先を人類に?
 友達を守る為に銃撃の雨を潜り抜け、普通の人へと刃を翳すのだろうか?

「大丈夫」
 そんなことを起こさせないために戦ってきたつもりだった。
 それが折れたのは何時だろう。個人の奮戦ではどうしようもない物量で現実は押し寄せるのだと知ったのは、何時だろう。
 最初から知っていて、それに屈しただけ――ならば、何時。

「その時は……私がいくわ」

 長い戦いは、ひとりの女性の心を蝕んだ。
 天の光は灼く。どんな理想論を語れど、意味はないのだと。
 悪魔の闇は静かだ。戦いがどれほど続くのかと、延々と心のみを暗闇の中、走らされた。
 結果として訪れたのは絶望の二文字。嘆きなどない。悲しみもない。憤る力だってもうないのだ。物静かに微笑む姿は、たった一つを残してすべてを諦めている。

――アウルなんて消え去ればいいのに。

 そんな望みを抱いている。
 それだけは絶対に譲れない。
 天焔に焼かれ、冥氷に串刺しにされて、現実に魂の輝きを奪われてもなお。
 消えればいいのに。失えばいいのに。そんな願望こそを、絶望より深く、強く、今だに抱いているからこそ暮居はこの久遠ヶ原で子供達に微笑んでいる。
「違うの」
 だから、その声に泣きそうになる。
 どうしてこうも人の心は似通って頑ななのだろう。
 いっそ魂に刻まれた、呪縛ではないのかと疑いたくなるほどに。

「もう、アナタも私の手の届くひとりなの――あなただけがいっても、あたしも守る為にいくわ」

 未だ感性していない誇りを込めて。
 けれど、何よりも強い決意を胸に。
 幼き少女は、かつての暮居のように眦を決して、告げるのだ。

「道はあたしが切り拓くの。みんなが安心して明日へと進む為に」

 どうしてこうも繰り返されるのだろう。
 終わりは始まり。
 始まって終わりへと廻る物語。誰かの終わりも、また彼女の始まり。
 決して遂げられないと知っている望みを抱いて、楽園の名を持つ場所で物語は紡がれていく。他では決して叶わないから。他では決して願い続けることさえ出来ないのだから。
 諦めずに戦っていれば、この子に道をつけてあげられたのだろうか。
 或いは、共に戦っているのだろうか。後ろを駆け抜ける、とても幼い戦友になっているのだろうか。
 絶望したことを悔いる、暮居の物語。
 もうページは撒き戻らない。もう残された枚数が少なくて、結末を変えることは不可能なのだ。
 それでも此処に、久遠ヶ原に残った意味が少しでもあって欲しいと思う。
 絶望を全身に叩きつけられ、それでも消えなかったのだと、最後の灯火を誇りたい。
 そんな結末を求めている。
 全身全霊、叶わないユメを求めている。
 冬を思わせる強い風が吹いた。周囲を見渡し、それに合わせ、けれど最後の一欠けらだけ残った想い。
 それがどうなるのかは、きっと子供達次第。
 

 現実は知った。それに寄り添った。
 けれど、すべてを捨てたわけじゃない。
 最後の最後まで、暮居・凪は久遠ヶ原で叶わぬ夢を見続けている。
 望みのユメは、何処へと流れていくのだろうか。
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エリュシオン
2014年11月07日

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