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『クソみてぇだと犬は語る 』
キール・スケルツォka1798

 小さな頃の事は良く覚えていない。
 辛うじて思い出せるのは、こんな自分にも父親と母親がいた事。父から母へ、母から己へ託された日本刀は『お守り代わり』だから、肌身離さず持っていようと思っていた事。
 それから――「お腹が空いた」。幼少の鮮明な記憶は、鉄格子と鎖付きの首輪と。自分を覗き込む幾つもの目玉。皆、見ているのは自分の耳と尻尾――知らない間に生えてきた、犬の様なそれだ。
「おうちにかえして」
 空腹と不安と。譫言の様に呟いた言葉。
 それに返事があった事を覚えている。「いいよ。おうちに連れてってあげようね」。そんな声を覚えている。自分の体を這い撫でる、成金趣味な指輪だらけの大きな手を。抱き抱えられて大きなお屋敷に連れて行かれた事を。薄暗い部屋の天井を。背中で感じた寝台の柔らかさを。痩せた己に覆い被さり「可愛いね」と自分の耳と尻尾を舐める湿った舌を。痛みを。微睡みを。

 後に知ったのは、自分は覚醒者で、この世界の名はクリムゾンウエストで、あそこは奴隷市場で、自分は豪商の男に買い取られて、裏社会の一員になった事。
 とはいえ、その時の自分にとってそんな事などどうでも良かった。
 この男の言う事を聞いたら、檻の中に閉じ込められない。不安も何もなく生きていける。美味しいご飯が食べられる。
 己はそう理解した。順応は早かった。しばらくもすれば、おうちに帰りたいだとか、お父さんとお母さんに会いたいだなんて、思う事すらなくなった。
 ここが己の居場所だ。
 年齢と共に心身共に強くなり、飼い主の躾を受けて頭角を表していった己は、その腕っ節で主人の側近にまで上り詰めた。成金の奴隷犬だとか文句を言う奴は片っ端から噛み殺してやった。20代の頃には敵なんていなかった。

 ――ここが己の居場所だ。

 ここは居心地が良い。誰もが己を恐れ怖がる。
 優越感。
 欲しいものは何だって手に入った。
 気に入らないものは何だってぶっ壊せた。
 飼い主から消せと言われた者を消しそびれた事もなかった。
 権力と、暴力と、財力と。
 何だって出来た。
 それを振り翳す事こそ至福の極みだった。自分より劣っている者を徹底的に見下す事が楽しかった。
 貧困街のボロ小屋に火を点けて、それを肴に酒を飲んだ。汚らしい乞食を「目障りだ」と踏み躙り、かつての己の様な、奴隷市場の子供は買うだけ買って川に突き落として溺れ死ぬ様を嗤い飛ばした。無力な女には手下を引き連れ遊び半分で暴力を振るった。ムカついたから、ただそれだけの理由で誰彼構わず死ぬまでリンチした。
 自分より下の者は、格上である自分に虐げられてこそ当然。傲慢性。加虐性。高圧的。短気で喧嘩っ早いからと、いつからか狂犬だとか野良犬だとか呼ばれる様になっていた。

 世界の中心は自分だった。
 何でも自分の思い通りだった。
 自分は何だって出来ると、信じていた。

 けれど――それは人生のピークだったと、後の己は後悔する。

 それは、ある日の出来事。
 いつもの様に、己は愛用していた増強剤を服用する。けれどそれは恐ろしい毒薬だった。体を心を破壊する、治療法なき病魔の塊だった。誰かに、すり替えられていたのだ。
 しかも症状が出たのは、飼い主にいつもの様に邪魔者を消して来いと命令され出発した後の事で――全身を襲った激しい苦痛、五感の崩壊、血混じりの嘔吐と鼻血が止まらず、喋る事すらままならなくなり、己は生まれて初めて任務を失敗。逆に、ターゲットだった存在から酷く酷く痛めつけられ、殺される一歩手前まで追い詰められ、それでも命辛々逃げ帰ってきた。
 折れた足を引きずって。点々と血を吐いて。まともに視覚できず、ぐにゃぐにゃに歪んだ世界を転びながら歩いて。助けてくれ。治療してくれ。そう喚いていた。
 なのに、それに応える者が一人もいない。気が付けば、飼い主の屋敷には誰もいない。明かりも点ってすらいない。
 流石に可笑しい。ぞっと、臓物まで冷えそうな違和感。
 真っ暗い屋敷の中を彷徨った。
 飼い主の部屋へ真っ直ぐ、真っ直ぐ。
 震える手で、傷だらけの手で、ドアを開け放つ。

 そこには――

 ――飼い主がロープで『ぶら下がって』いた。

 見開かれた白い目玉。だらりと垂れた舌。両手足。鬱血した顔。失禁の臭い。
 割れた窓から吹く風に、ゆーらゆらりと揺れていた。窓ガラスには乾いた血が付いていた。飼い主の右手には切り傷と乾いた血が付いていた。
 暗い部屋で、上から見下ろすその男を見て、悲鳴を上げた記憶がある。痛い筈の足で逃げ出した事を覚えている。それまで、他人の死を見るなんて平気だったのに。死体なんて幾つも見てきた筈なのに。何故か、何故か、その時ばかりは、異様な恐ろしさを感じたのだ。
 階段を駆け下りる。踏み外す。転がり落ちる。また傷が増えて、それでも、這ってでも。

 豪商の男は経済的制裁を受け自殺したという事は、後ほど知った。
 そう言えば、彼が首を吊る日の前から、しきりに苛立っているというか情緒不安定だったような気がする。
 屋敷は、男と敵対していた者達に火を点けられた。
 己はまた逃げ、遠くから、燃え落ちる全てを呆然と見つめていた。呆然と――燃えて無くなる。全てが。全てが。栄光が。権力が。財力が。日常が。居場所が。全て。消えて、無くなる。無くなってしまった。

 もう帰る場所はない。
 おうちにかえして。帰る場所はない。

 己はボンヤリと、何処とも知らぬ場所を彷徨っていた。
 その背中に迫る、幾つもの胡乱な人影。
 振り向いた時には遅かった。
 罵声。罵倒。暴力。
 それはかつて、己が「自分より劣っている」と見下していた者達。
 寝床には火を入れられた。目障りだと踏み躙られた。奴隷達からも薄汚いと笑われた。どぶ川に突き落とされた。集団で囲まれひたすら辱めを受けた。凄惨なリンチを受けた。ただただ、痛めつけられた。

 かつて、自分がしてきた様に。
 かつて、自分が見下していた人間達から、見下される。
 何処にいても、何をしても、息をしているだけで、疎まれる。

 やめろ――

 馬鹿にするな。ジロジロ見るな。見下すな。嗤うな。
 死ぬのはごめんだった。見下されるのは癪だった。
 だから噛み付いた。何もかもに噛み付いた。
 権力も財力も居場所もない。だがたった一つ残ったものがある――暴力だ。
 暴力を手段に、生きる為なら何だってやった。殺した。奪った。
 最早、人間としてのプライドなどそこには無い。汚らしい、犬畜生。
 全ては欲望の為、己の為、半ば現実逃避、我武者羅に。

 そうして――そうやって何とか生きて、もう何年経っただろうか。
 神様、という存在が居るのなら、いつか噛み殺してやりたい。


 ――等と。


 キール・スケルツォ(ka1798)は漫然と青い空を眺めながら、一から始まった脳の過去を今に至らせた。
 背中には雑多に積まれた路地裏のゴミ。そうだ、喧嘩した後、へとへとに疲弊して倒れ込んだんだったっけ。
 それから、腹が減った、と思い出す。キールはのっそりと起き上がった。
 腹が減った。あの隻眼の男の所にでも行くか、なんて、思って、野良犬は緩やかに歩き始めた。
 もう一度だけ空を仰ぐ。
 いつだって、嫌味ったらしいほどに、青かった。



『了』



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キール・スケルツォ(ka1798)
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2014年11月07日

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