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『願い宿した剣の先 』
久遠 仁刀ja2464)&桐原 雅ja1822)&久遠 冴弥jb0754





 鞘から抜けなくなったのは何時からだろう。
 いいや、久遠 仁刀(ja2464)はきっと柄に手を伸ばすことさえ嫌なのだ。
 決して叶わない祈りが刀身には映りこんでいる。
 護れなかったヒト達の貌が。どんな風に笑うのかさえ知らなくても、越える為にあった剣なのだから。
 だから決着は敗北だと仁刀は断じていた。
 果たされなかった宿願が刃筋に堕ちている。
 天刃を越えるという願いに偽りなど欠片もないのに。
 それこそ、身を焦がすような想いは行き場を失い、鞘の中で何処までも研ぎ澄まされていくのだろう。
 仁刀の心こそを蝕む斬刃。ここまでいけば妖刀の類だ。
 一番酷いのは、それは決して本物の刀剣ではないということ。剣士が胸に、己が魂に奉じた剣がそうなっている。手放そうと思ってもそんなことできるわけがない。無理なのだ。心を切り捨てればどうなるかなど、幾度も刃を交えた存在が物語っている。剣鬼になる為に仁刀は剣を握ったのではない。越える為にこそ走り抜けて来た。
 そんな過去が胸の奥深くに突き刺さっていた。
 心ここにあらず。そう語るのは簡単だろう。
 けれど、その瞳の奥に映る悲痛な想いに何を語れるだろうか。
「…………」
 仁刀の指がカップを掴めず、指先だけ掠めたことに、悲しさを感じた。
 桐原 雅(ja1822)はテーブルを間に向き合った赤い瞳に、痛みさえ憶えた。
 目の前の席に座る自分を見てくれていないということにじゃない。

――苦しむ仁刀先輩に、なんて言葉をかければいいんだろう。

 想いの起点は好きだから。
 大好きなヒトの痛みだからこそ、拭ってあげたい。
 決して饒舌ではないのは判っている。むしろ言葉は苦手で、今も悩んでいるのだから。
 なんて私は不器用なんだろうと、崩れるように微笑みが出てしまう。
 けれど、自嘲なんて絶対にしない。
 この想いがどれだけ大切かは、雅自身はわかっている。
 好きだという気持ちが、どれだけ大切かなんて、言うまでもないのだから。
「ほら、仁刀先輩。カップが零れそうだよ?」
「……ああ。すまん」
 揺れた仁刀のカップを押さえる雅。
 珈琲はもう冷たくなって、匂いも薄らいでいた。どれだけ長くこの喫茶店にいたのだろう。
 午後を過ぎ、秋の日差しは眠気を誘うほどに柔らかい。
 だというのに、相変わらず硬い表情をしている仁刀。どうすれば彼が笑ってくれるのだろうと、首を傾げる雅。
 声はなかった。ほんの少し、カップを手渡した指が触れただけ。
「…………」
「…………」
 言葉はなかった。温もりが伝わったかさえ判らない。
 ただ、少しだけ、仁刀も崩れるように微笑んだ。雅が寄り添ってくれることに、仁刀だって判っているのだから。
 気持ちは伝わっていると、どうすれば伝え返せるのだろう。
 けれどその時点でぐるぐると同じところを回っているのだと、気付いてしまう。この気持ちを、どうやったら伝えられるのだろう。
 会話が得意ではない一組の恋人は、冷たくなった珈琲を口に含んで、その苦さに頬を緩めた。
 陽だまりの中で、まるでゆったりと傷を癒すように。でも同時に、とても遅い。
 何か。
 そう何かキッカケがあればと仁刀も雅も思うのだ。
 これからを歩き出すための、第一歩。切り替えるための何か。
 そんなものが用意されているほど、世界は優しくないのだと知っている。
 だから仁刀は強くなろうとしたのだし、雅はこうして静かに寄り添うことを選んでいた。
 その第一歩は、誰だって自分から踏み出さないといけないから。
「仁刀先輩、待っているよ」
 雅の囁きは空気に溶ける淡雪のよう。
 届かず、けれど、仁刀も囁き返していた。
「――待たせてばかりでは、悪いよな」
 小さすぎてどちらも届かない。言葉は重なり合わない。
 なのに、まるで文を綴るように、二人の囁きは相手に届かないままに流れていく。
 そうでなければ、ただ悲しいだけの場だろう。
 優しい光は、ゆったりと二人に注がれていく。
 伸ばせば手を握れるその距離で、けれど互いに微笑むばかり。
 ただ悲しいだけの、やるせないだけの場所ではなかった。
 暖かな気持ちが向けられて、ゆったりと仁刀は瞼を落とす。雅は、小さく笑う。
 もう少しだけ、こうしていたい。
 ほんの、あと少しだけ。珈琲が完全に冷たくなったら、その手を握って外へといこう。
 握り締めた掌はきっと暖かい。
 剣を握るだけが、全てじゃない。





 どうして、と思うとやはり私のせいなのだろうか。
 そう考える辺りは血筋なのかもしれない。久遠 冴弥(jb0754)は溜息をついた。
 内罰で自責の念が強いのが兄である仁刀と、そして恐らく妹である冴弥の欠点だ。時にそれは己を高める為の情動にはなる。けれど、それは見ていて危ういのだ。
 特に柱となるモノが崩れれば、ぼろぼろと壊れていく。
 小さな失敗を重ねる兄を見ていた。僅かな失敗で苛立つ兄を何度も見た。
 結局、それは自分への怒りなのだろう。何処にも行き場のない怒りが、仁刀自身へと向いている。
 実際に言えば今も内面は罅割れて壊れかけているのかもしれない。それを支える存在がいなければ。
 だからこそ、ここでどうしてになるのだ。
 どうして、冴弥はそこまで罪悪感を憶えてしまうのか。
「あ……兄さん」
 内罰的なのは血筋なのかもしれない。
 喫茶店の硝子窓の向こう、小さく笑った兄を見て安心すると同時に、酷い焦燥感が湧き上がる。
 冴弥は何も出来ない子供なままなのだと。
 幼い頃、病弱で両親の心配と優しさがなければ過ごせなかったままに。
 その分、兄にも注がれるはずだったものを奪っている。だからああやって『越える』ことに固執しているのかもしれない。並ではダメなのだ。兄である為に、仁刀は普通ではダメなのだと決めてしまった。
 後は必死だったのだろう。
 向上心はどんな道をも全力で走らせた。
 自分が傷付く分には構わない。例えば、妹の為に自分に視線が向けられなくても大丈夫だと示す為。
 そんな風に、必死だったからこそ、魂のカタチさえ決まってしまった。
 その一因が自分ではないだろうかと、冴弥は思ってしまう。
……自責と、内罰。その血筋なのだと。その兄と妹なのだと、深く理解して、深く悔やむ。
 罪悪感の一言で片付けられるなら、きっと今も引き摺ることはないのだ。
 喫茶店を出ようとする兄の仁刀と、その恋人の雅を引き止めることだって、ある筈がない。
「兄さんに、桐原さん」
 何が出来るのだろう。
 決着は付いた筈なのに、明るく笑うことが出来ない。
 剣の鬼を討ち取った。だから勝利で、後はハッピーエンドだなんて……そんなに単純じゃなかっただけ。
 このままでは終われない。
 次に繋ぐために、このままじゃいられない。
「海岸に夕焼けを、見に行きませんか?」
 太陽が沈んでも、決して終わりじゃない。
 こんな終わり方じゃ、次に繋ぐことなんて決して出来ないから。
 大切に想う気持ちを、一欠けらだって失いたくない。





 斜陽は風さえも橙に染めている。
 波は風よりも確かな音を立てて足元に打ち寄せ、そして消えていった。
 時が止まることはないのだと、次第に鮮烈さを増していく夕焼けと、止まることのない波音が告げていく。
「秋の夕焼けが一番綺麗、とはいいますね」
 ようやく口にしたのは冴弥だ。決して彼女も言葉巧みなわけではない。
 それでも一心に、仁刀の背負う重荷は取り除きたいのだ。或いは、もう私は大丈夫だと示してあげたいのかもしれない。
 決して、ずっとその背中に抱えられる荷物ではないのだと。
 想いは次第に赤い世界に溶け込んでいく。優しい色彩だった。終わり往くなら、せめてと温もり願う色なのだ。
「……傷に染みるな」
 それでも仁刀は剣鬼の剣閃の赤と重ねて、誰となく呟いた。
 口にした途端、頬を歪めた。恋人である雅の前で、妹の冴弥で言うべきことではなかった。
 もう傷は癒えている。でも、斬られた跡が今だに時折疼くのだ。
 それこそ敗北の烙印のように。
「死人には永遠に勝てなさい……もう」
 だからこそ一度、流れれば後は止まることはない。
 そんな自分に苛立つからこそ、寄り添う雅から離れようとする。強く、ざくっ、と砂浜へと靴先を突き刺す。
 砂のように言葉はぼろぼろと崩れていく。
「誇りや矜持さえ捨てたさ。だが、勝てなかった。勝てなかった。それだけなんだよ」
 死人には勝てない。
 もう切っ先を向けるべき相手はいないのだ。
 敗北を確信したまま、その首を跳ねたのは他ならぬ仁刀自身なのだから。
 どうしても討ちたかった。討たなければならなかった。その想いに偽りの影はなく、だから矜持という剣を捨てても勝利しようとした自分を仁刀は恥じている。
 高潔だとか凛々しい者ではないのだ。
 仁刀がそんな人間なら、今、毒づいて、苛立って、恋人から離れようとする訳なんかない。
 ああ、自分は弱い。それを仁刀は誰より確信してしまう。
 一度決めて歩を向けて、けれど、捕まれた掌の暖かさで止まってしまう位なのだと。
「仁刀先輩は……勝ちたかったの? 違うよね」
 少し混乱したような、けれどこれだけは伝えたいと響く雅の声。
 何処までも真っ直ぐだった。それこそ、仁刀の胸を貫くほどに。
「……あの剣を越えたかった。そうでしょう?」
 否定など出来る訳がない。
 言い直して、死人を越えることなど――と繋げても、何の意味もないこともわかってしまう。
「私の好きな、仁刀先輩はそういうひと。勝ち負けじゃなくて、何を目指して、何が出来るかっていうひとだよ」
 そして。
「今だってそうだと思う。ボクは、そう信じている」
 振り向かせようとする雅の腕は、強引というには力が足りなかった。
 脚だったそう。これで正しいのだろうか。もっと傷つけないだろうか。そう臆病な気持ちが顔を出そうとするのを必死で堪えるせいで、もつれて砂浜に倒れこむ。
 嫌なのは、はっとした顔で支えようとした仁刀も膝をついたせいだろう。二人して転ぶことはなくても、助けたい相手の腕の中にいる。膝をついて。どうしようもなく。
 雅の持つ拙い言葉は、想いのひとひとらだって伝えてくれない。
 だからと、諦める訳にはいかないのだ。
「……仁刀先輩は、決して諦めない人だよ?」
 そこを好きになったんだろうと想う。
「凄く不器用だよね、仁刀先輩」
 そんな所も好きになったんだと誇りたい。
 胸を満たすのは何だろう。目の前で困惑する顔を、もっと困らせてしまいたいと感じるこれは。
「――仁刀先輩は、剣鬼とは違う。好きな人の胸を刺す切っ先に、どうしてなるの?」
「……違うから、護ろうとしたんだ」
 俯く仁刀。震えて掠れる声。
「……越えるってそういうことだろう? 俺はアイツとは違う。違う道で、越えたかった」
 その震える喉に、雅の指先が伸びる。
 泣かないでと、撫でるように。もっと強くなれるよと、信じる温もりを伝えるように。
「諦めない俺が好きなら、俺は一瞬でも諦めたんだ、剣で勝つことを。それを……っ…」
 暴れる声だった。秘めた熱が漏れ出している。焼け爛れた仁刀の心が、悲鳴を上げていた。
「……諦めているなら、どうして兄さんはそんなに苦しんでいるんですか?」
 冴弥から見た仁刀は、決して諦めていない。
 諦めたなら簡単だ。嫌悪も忌避もなく、ただ剣を捨てればいいだけ。
 それが出来ないからの葛藤。苛立ちも、後悔も全ては諦められないものの為にある。
 何を。どうして。理屈や理論ではなくて、感情と心こそが罅割れていて。
「ボクは明日を教えてあげることは出来ないけれど」
 そして、明日を決めるの個人個人。
 全てを鮮烈な赤に染める中、涙はまるで心から零れた血のようだった。
 頬で受け止めて、雅は静かな声色で紡いだ。
 これが本音。これが心。ほかにどう表現していいのか、わからないから。

「仁刀先輩は生きているよ」

 首に回した指で鼓動を知る。
 頬へと流して、仁刀の顔をしたから覗き込む。
 幾度か涙が頬に落ちた。額に。そして雅の瞳にも。それらが溢れて、いつのまにか二人して泣いているかのよう。

「仁刀先輩が痛いと、私も痛いの。先輩が泣いている時に、ボクも泣いてあげたい……好きなんだから」

 それも上手くいかないなんて、酷い世界。
 赤い色彩もふっと消え去って、静かに夜が落ちてくる。
「死んでいたら、もう泣けない」
「…………」
「死んでしまった人には、もう涙さえ届けられないよ」
 くしゃりと、仁刀の顔が歪んだのは錯覚だろうか。
 けれど、もう涙は止まっていた。受け止めた想いを確かに瞳に映し、静かに瞼を閉じる雅。
 決して忘れない瞬間を心にとどめるように。
「そうですね。兄さんが死んでしまえば、もう言葉も届かない。剣が届かないとか、そんなのではないのでしょう」
 或いは、もうかの剣鬼は死んでいたのだろう。
 剣の果てに鬼になる。人となっては死んでいた。
 どんな経緯だったのかはもはやわからないが、ただ一ついえるのは。
「兄さんが鬼にならないよう、人の言葉こそを届けましょう」
 穏やかに語る冴弥。心もとない砂の足場が、さらり、と崩れていく。
 波もまた、崩れていった。光は消えて、夜がくる。
「それでも、生きているから――明日はくるのでしょう」
 何時か、剣を握れる明日は来るのだろうか。
 大切な人を守るための剣を、もう一度手にすることは出来るのだろうか。
「先輩の剣は、月だよ」
 何処までも高みを目指すのだ。
「そんな……だいそれたものじゃ、ないさ」
 まだ掠れたままの声で返す仁刀。

「月が綺麗ですね」

 穏やかに返す雅。続けたのは、有名な引用だった。
「ボクに、もっと綺麗な月を見せてくれないかな?」
「…………」
 それまで返事は要らない。
 まだ明日は来るのだ。太陽は沈んでも、月は昇る。夜闇から人を守るために。
「斜陽は……赤い剣鬼は終わった」
 仁刀がぽつり、ぽつりと告げる。
「俺は……あの鮮烈さを越えられるのか」
 ふるふると、判らないと雅は首を振る。
 冴弥もそんなことを約束できない。誰も未来を見通す眼はもっていないのだから。
「俺は――」
 仁刀はどうなのだろう。
 誰かの為に奮う剣。月ノ剣。白く、何処までも白く、硝子のように危うくも綺麗なもの。
 きっとそんななものじゃなくて無様なものだ。傷だらけ、皹だらけ、何時壊れるかも判らないもの。
 ああ、でも……何時壊れるか判っていたら、きっと人は必死になれない。
 越えられるかどうか判らなくて苦しむから、越えようとするのだろう。
 仁刀の瞳に映る月は、静かだった。

 しんっ、

 と真円を湛えた、真っ白な月が夜に浮かぶ。
 動揺も迷いも、葛藤も罪悪感も、温もりも何もないものが。
 ぎゅっと、頭を抱えられた。
 人の温もりがを、砂浜で感じる。
 未来の不確かさこそを、力が抜けて崩れ、転がる砂浜で覚えた。


 しんっ、


 と、無音で人を見下ろす月だけが、曇りのない硝子のように浮かんでいる。
 
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エリュシオン
2014年11月10日

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