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『ローレライの血統 』
八瀬・葵8757)&ニコラウス・ロートシルト(8773)&龍臣・ロートシルト(8774)&(登場しない)


 目映い銀色の髪が、柔らかな顔の輪郭をさらりと撫でている。頬の丸みが、若々しいと言うよりも幼い。
 大きな茶色の瞳は、邪気のない澄んだ光を湛えている。恐れを知らない、汚れを知らない、純真そのものの眼差し。その輝きの裏側に隠された老いと澱みを、見抜いてくれる者はいるだろうか。
 愛らしく整った顔立ちは、美少女のようでもある。起伏に乏しい細い体格は、しかし紛れもない少年のそれだ。
 鏡に映った、まるで人形のような少年に、ニコラウス・ロートシルトは微笑みかけた。嘲笑、に近い微笑み。
「こんな老人が、いるものか……」
 肉体は、14歳の時から全く変化していない。
 だが心は、老いさらばえてゆくばかりである。すでに息子、どころか孫のいる年齢なのだ。
 その孫が、傍らに立っている。豪奢な洋室の片隅で、所在なげに。
 日本人の、小さな男の子。6、7歳、であろうか。
 その愛らしい、だがどこか翳りのある顔立ちが、自分に似ているのかどうか。ニコラウスには判断がつかなかった。
 同じ銀髪と茶色の瞳に、ロートシルト家の血筋を、見出せない事もない。
 血筋など、残してはならなかったのだ。
 お前は悪魔だ。ロートシルトの悪魔の血が、お前の代で、またしても顕現してしまった。
 父はそう言って、ニコラウスを疎んじた。忌み嫌った。
 この孫も、父親すなわちニコラウスの息子に、同じ仕打ちをされてきたのだろう。
 そうなる事は、わかっていた。だから血筋など残してはならなかったのだ。
 ロートシルトの呪われた血は、自分の代で絶やすべきだったのである。
 わかっていながら、14歳のあの時。日本で、ある年上の少女と恋に落ちた。そして一夜の過ちを犯した。
 それからニコラウスの肉体は、歳を取らなくなってしまったのだ。
「神が罰を与えたもうたのだろう、と私は思っているよ」
 初めて会う孫に、ニコラウスはそう話しかけた。
 八瀬葵。日本で生まれ育ったのだから、日本人の名前を付けられたのは当然である。
 孫とは、こうして初対面を遂げる事が出来た。
 だが、この子の父親……自分の実の息子とは、言葉を交わした事も顔を合わせた事もない。
「私は、葵の父親に会った事がない。それで良かったと思っているよ。そうだろう? 自分よりも若い、自分の息子にしか見えない父親など、傍にいてはならないんだ……まあ、責任放棄の言い訳にしかならないのは承知の上さ」
 そんな話を、聞いているのか、いないのか。
 葵は相槌を打つ事もなく無言で、傍目には兄にしか見えない祖父を、じっと見つめている。
 否、見ているのではない。
 この子は、聴いているのだ。
 ニコラウスは細身を屈め、孫と目の高さを合わせた。
「聴こえるのかい? 私の……音が」
「…………」
 葵は、言葉では何も答えない。
 澄んだ茶色の瞳が、涙の中に沈みかけている。
 葵は泣いていた。それが、答えだった。
「……やさ……しい……」
 微かな声が、ようやく発せられた。
「やさしい……おと……」
「駄目だよ、葵」
 祖父と孫の、初めての会話であった。
「人を、音でしか判断出来ない……それでは駄目なんだ」


 人間の『音』が聴こえてしまう。
 この能力は、ロートシルト家の者に、一代置きに発現する。
 だから祖父母と孫が同病相哀れむ絆で結ばれる一方、その間にいる者は疎外される。
 父が、実の子を疎んじ憎む。それがロートシルト家の、呪われた宿命なのだ。
 だからニコラウスの息子は、このウィーンに、荷物の如く葵を送りつけてきた。
 こんな薄気味悪い能力を持った子が生まれてしまったのは、貴方のせいだ。そちらで死ぬまで面倒を見ろ。
 そんなメッセージが添えられていたわけではないが、それが息子の意思である事は明らかであった。
「呪われた宿命を、私の代で断ち切る事が出来なかった……結果、実の息子を捨てる事になった。その贖罪の真似事でも出来るのならば、喜んでお前を引き取ろうとは思う」
 ニコラウスは言った。葵は、何も応えない。
 こんな幼い孫に、理解出来る話ではないのだ。
「だけど……私のような悪魔のもとに、お前を居させておくのか、とも思うのだよ」
「やさしい、おと……」
 葵は、涙を流し、しゃくりあげながら、微笑んでいる。ニコラウスの話を、全く聞いていない。
 ただ『音』だけを聞いている。
 他人を『音』でしか判断出来ない。このままでは、そういう人間に育ってしまう。すでに、そうなりかけている。
「……私が悪魔だという事を、まずは思い知らせておく必要がありそうだな」
 傍目には弟にしか見えない孫の、涙と鼻水を、ニコラウスはハンカチで拭ってやった。
「神童アムドゥキアス……音楽の悪魔さ。合唱団にいた頃から、私はそう呼ばれていた」
 ウィーンが世界に誇る少年合唱団。そこに在籍していた頃から、天才ボーイ・ソプラノとして名声をほしいままにしていた。
 合唱団を退団しなければならない、14歳という年齢になった後も、音楽家としての将来は約束されていた。
 この豪邸はしかし、ニコラウスの職業音楽家としての収入で築き上げたものではない。爵位を持つ銀行家の家系であるロートシルト家の、古くからの財である。
「私が自慢する事ではないが、ロートシルト家は金持ちだ。だから私は幼い頃から、歌の練習に専念する事が出来た……だけど、こんなものを歌とは言わない」
 ニコラウスは目を閉じ、歌った。
 自身では歌とは思っていない、だが周りの人間には「天使の歌声」として認識されてしまっているものが、可憐な唇から紡ぎ出され流れる。
 聖母を賞賛する内容の歌詞。
 だが聖母とも天使とも縁遠い、悪魔の歌。ニコラウス自身は、そう思っている。
「……やさしい……うた……」
 せっかく涙を拭ってあげたというのに、葵はまた泣き出していた。
 泣きながら微笑み、そして倒れた。
 否。倒れそうになった小さな身体を、傍らに立つ人影がそっと支えた。
 葵よりも、ずっと年上の少年。いつの間にか、そこにいた。
 彫りの浅い東洋人の顔立ちに、西洋人のような青色の瞳。
 この少年の国籍など、しかしニコラウスにとっては、どうでも良い事であった。
 自分の傍にいてくれる。それが全て。そんな少年だ。
「や……さしい……うた……」
 青い瞳の少年に抱き支えられたまま、葵は呟いている。夢の中で喋っているような口調だ。
「葵。眠いだろうが目を開いて、これを見てごらん」
 ニコラウスの眼前に、光があった。
 ふんわりとした黄金色の光が、小さく固まり、飴玉のような球形を成している。
「これは、お前の生命の光……私の歌を聴いたものは、こうして生命の一部を抜き取られてしまう。私自身の意思では、止められないんだ」
 浮揚する光の飴玉を、ニコラウスは、繊細な両手でそっと包み込んだ。
「これを、お前の身体に戻してやる事も出来ない。だからと言って、無駄に捨ててしまう事など許されないだろう? だから……こうするしか、ないのさ」
 両掌の間で、ふんわりと輝く小さな光球。そこに、ニコラウスはそっと唇を寄せた。
 光の飴玉が、唇から舌の上へと転がり込んで来る。
 そして、溶けた。
 生命の温かみが、細い全身いたる所に行き渡る。
「葵の生命は、とても甘くて温かい……これでまた、しばらくは歳を取る事が出来なくなってしまった」
 青い瞳の少年に抱かれ、眠そうにしながらも、葵はじっと祖父を見つめている。
 見つめ返し、ニコラウスは語った。
「しばらく眠るといい。大丈夫、ちゃんと目は覚めるから……幸い、人を死に至らしめた事はない。だけど私が、何かしら強い思いを込めて歌えば……どうなるかは、わからない」
「……ぼく……と、おんなじ……」
 葵の声は、辛うじて聞き取れた。
「ぼくが……うたうと、やなこと……おこる……」
 呟き、微笑みながら、葵は眠りに落ちていった。
「……御苦労だが龍臣。そこのソファーに、寝かせてあげて欲しい」
 青い瞳の少年が、ニコラウスに命じられるまま、葵の小さな身体をソファーの上にそっと横たえた。
「私の孫だ。仲良くして、くれるかな?」
「御命令とあらば」
 龍臣が、11歳とも思えぬ大人びた口調で即答する。
 龍臣・ロートシルト。
 その姓は、ニコラウスが与えたものだ。血の繋がりはない。
「ニコラウス様の御家族ならば、俺にとっては御主人様です。大切に、お仕えさせていただきます」
「……まだ私の事を、お父さんとは呼んでくれないのだね?」
 ニコラウスは微笑みかけた。
「私にとっては、お前も大切な家族なのだが」
「あ……いえ、その……」
 龍臣が、俯いてしまう。
「も……申し訳、ありません……」
「あっははは、気にする事はないよ龍臣。私は見ての通りだ……父親などと、思えるわけがない。当然の事だ。ならば兄ではどうかな?」
「ニコラウス様は……御主人様です。俺は、使用人です」
 俯いたまま、龍臣は言った。
「そんな俺が、申し上げていい事なのかどうかは、わかりません。だけど俺……ニコラウス様の歌が、大好きです」
 龍臣が、顔を上げた。
「悪魔の歌だなんて、俺は思いません!」
「そう言えば……お前は私の歌を少し聴いたくらいでは、生命の飴玉を出さなくなったな。慣れてきた、という事か」
 言いつつ、ニコラウスは自嘲した。
「龍臣、お前の言葉は本当に嬉しい……だけどやはり、こんなものを歌とは呼べないよ」
「ニコラウス様……」
「こんなものを、歌とは呼べない……その思いに、この子も苦しめられる事になるのだろうな」
 幸せそうな寝息を立てている葵に、龍臣がそっと毛布を被せてやっている。
 その手つきは優しいが、顔つきはいささか憮然としていた。


 祖父と孫である。自分が入り込める余地など、あるわけがない。
 そんな事は龍臣とて、最初から理解はしていたつもりである。
(俺は、単なる捨て犬……拾われた犬。それで充分だろうが)
 そんな事を、何度も自分に言い聞かせている。八瀬葵がここロートシルト邸に引き取られて来てから、ずっとだ。
 物心ついた頃には、もう拳銃を握らされていた。そして人を撃ち殺していた。
 とある組織に、暗殺者として育てられたのだ。
 幼い子供であれば標的も油断するから、随分と重宝されたものである。
 射撃の腕は、組織の大人たちにも負けなかったと自負している。
 が、ニコラウス・ロートシルトの暗殺には失敗した。
 子供だからと言って、失敗を許してもらえる組織ではなかった。
 処分されそうになった龍臣を助けてくれたのは、標的であったニコラウス・ロートシルト本人であった。
「たつ兄……」
 馴れ馴れしく、声をかけられた。
 ロートシルト家の庭園である。
 本来ならば敬語を使わなければならない相手に、龍臣はいささか乱暴な言葉を投げていた。
「何だよ、たつ兄って」
「たつ兄は、ぼくのお兄ちゃんでしょ? だから、たつ兄」
 八瀬葵が、にこにこと微笑んでいる。
 孫の遊び相手という任務を、ニコラウスから直々に与えられてしまったのだ。
「……俺はな、狂犬だぞ。人を噛み殺して、生きてきたんだ」
 龍臣は、出来る限り恐い顔をした。
「あんまり馴れ馴れしくすると、お前にも噛み付いちまうぞ」
「ぼく、美味しくないよ……たつ兄、もしかして、お腹すいてるの?」
 葵が、本当に気の毒そうに、龍臣を見上げている。
「もうすぐ、おやつの時間だね。ぼくの、はんぶんあげる」
「……ありがとうよ」
 一気に力が抜けた。恐い顔など、続かなくなった。
 龍臣は、話題を変えるしかなかった。
「お前さ、ニコラウス様の孫なら……やっぱ歌、めちゃくちゃ上手いのか?」
「……よく、わかんない……」
「ちょっと聴いてみたい、とは思うけどな」
「だめだよ……」
 葵の声が震えている事に、龍臣はようやく気付いた。
「ぼくが、うたうと……やなこと、おこるんだよぉ……だれか、ひどいめにあうんだよう……」
「あ……ご、ごめん! 悪かった!」
 葵が、泣きじゃくっている。
 自分をぶん殴ってやりたい気分に、龍臣は襲われていた。
 この子は、ニコラウスと同じ苦しみを抱えている。
 ニコラウスに仕える身でありながら、それに気付きもせず、自分は一体何を言っているのか。
「ごめん……本当に、ごめんな」
 主人よりも若干、跳ね癖の銀色の髪を、龍臣はひたすらに撫でた。
「だけど、いつか……お前の歌、聴いてみたいってのは本当だぜ」


 涙が、ぽろぽろと溢れて来る。
 寝起きの涙ではない。葵は、本当に泣いていた。泣きながら、目を覚ましていた。
「何……何か、変な夢……」
 夢とは基本的に、おかしなものではある。
 おかしな夢の中で、優しい『音』を聴いた。
 懐かしい、優しい歌。どこかで聴いた事がある、ように思えてしまう。
 いつか、お前の歌、聴いてみたいな。そんな言葉も、聞こえたような気がする。
 葵は涙を拭い、頭を横に振った。
 そして時計を見る。
 夢など見ている場合ではない。喫茶店のアルバイトに行かなければならない時間である。
 店は、繁盛していた。
 美男子のマスター目当ての、女性客が大半である。
 葵君目当てのお客様もいますよ、などとマスターは言っていた。
 それを楽しみにしているわけではないが、葵は急いで身支度を済ませ、店へと急いだ。
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東京怪談
2014年11月18日

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