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『懐かしき桜の記憶 』
宮坂義乃(ib9942)

○黒と白の世界で
「はあ……。だんだんと寒くなってきたな」
 自分が吐いた息が白くなったのを見ると、軽く体が震えた。
 年末が近付くにつれ、開拓者としての仕事が増えてきた。今日も朝にギルドに行った途端に仕事が決まり、夕方には終えて今から家に帰るところだ。
 まだ夕方の時間だがすでに太陽は沈み、町の至る所からは火の明かりが見える。
 ふと向かいから幼い兄と妹の二人が体を寄り添いながら歩いてくるのを見て、そっと道を譲るように横に移動した。
 小さな兄妹は寒さで真っ赤な顔をしながらも、明るく楽しそうに明かりがついている家に入って行く。
「……兄妹、か」
 呟いた後、思い出すのは遠い記憶。何年経とうが忘れられず、思い出せば戻らぬ日々と、もう二度と会えない人達のことで胸が締め付けられる。
 無意識のうちに胸元を握り締めていた玄人はギュッと唇を噛み、歩く速度を早めた。
 しかし急に動いたせいか、玄人の頭を飾る枝垂桜の簪が派手に揺れ動く。
「あっ……!」
 赤き眼に映った桜は薄紅色だったが、記憶の中の白い桜と重なって見えた。


 ――白い桜の花びらは、散ると雪のように見える――


 そう言ったのは、一番上の兄だ。
 里にあった白い桜の木を見上げながら、ふと呟いたその言葉は今でも耳の奥に残っている。


●幸福と絶望の過去
 まだ『玄人』の名前が一番上の兄の名前だった頃、玄人は『義乃』という本当の名で、女の子らしく生きていた。
 幼い頃、冥越国の隠れ里に住んでいた義乃は家族と仲間と共に、平和に幸せに暮らしていた。
 しかしその幸せも、アヤカシに襲撃されるまでのこと。
 突然、隠れ里に現れたアヤカシに、義乃は立ち向かうことなどできなかった。幼く、戦う術を持たなかった義乃はただ無力な子供として、逃げることしかできなかったのだ。
 兄が義乃の手を引いて里の外れまで連れ出してくれたが、二人はそこで決別することになる。
 当時、戦う力を持っていた兄は里に残り、アヤカシと戦うことを選んだのだ。
 仲間に義乃を託し、里に戻ろうとした兄の体に義乃は泣きながらしがみついた。
「兄上、一緒に逃げよう! お願いだから、義乃を一人にしないでっ!」
 懇願しても、兄の意思は変わらず。けれど一本の桜の簪を懐から出して、義乃の小さな手に握らせた。

 ――例えこの場で生き別れようとも、自分の心はこの簪と共にある――

 そう言って優しく微笑み、兄は里へと戻って行った。
 義乃は仲間に手を強く引かれ、里から出た。
 そして走りながらも顔だけ振り返った義乃の眼に、兄がアヤカシに殺される姿が映ったのだった……。


 その後のことは、よく覚えていない。
 気付けば一緒にいたはずの仲間はおらず、義乃はただ一人、桜の簪を握り締めたまま、いつの間にか魔の森に迷い込んでしまった。
 何時間、何日間、歩いたのかも分からない。ただ足が傷だらけになるほど歩き、俯いた顔からは涙が止めどなく流れ続ける。
 泣き叫んだ喉は声を出すこともかなわず、水や果物も魔の森では見つけることができない。
 このままここで、朽ち果てたいという気持ちがあった。死んでいった兄や仲間達の元へ行きたい、と。
 だが反対に死んでいった者達の為にも、自分は生き続けなければならないという思いもあった。
 けれど幼い自分がこの後どうすれば生き続けられるのかも分からず、つまずいた拍子に倒れてしまう。
「兄、上……」
 桜の簪を握り締めた小さな手が、眼に映る。傷だらけの手を見ているうちに、再び涙が溢れ出てきた。
 義乃は悲しかった。
 兄達と一緒に戦うこともできず、また一人で生きる術も持たない自分の無力さが、腹ただしいと言うよりはただただ悲しい。
 そしてこのまま息絶えてしまう自分が、情けないと言うよりは虚しい存在に思えた。
 眼に映るもの全てが黒く染まっていく中、不意に男の人の声が聞こえてきた。
 ゆっくりと視線を動かすと、兄が驚きの顔で自分に駆け寄ってくる。
「兄上、よかっ……た。生きて……」
 薄れゆく意識の中で、義乃は微笑みを浮かべた。


 ――だが次に眼を覚ました義乃は、自分を助けてくれたのが兄ではなく、志士である男性であることを知る。
 開拓者である彼は魔の森が騒がしいことに気付き、あの場にいたらしい。義乃を発見した彼に背負われて、冥越の国境付近の安全な宿まで運ばれた。
 義乃は数日間、眠っていたらしく、その間に彼は義乃の里まで様子を見に行った。
 そして義乃は自分が生まれ育った故郷が無くなってしまったことを、男性から伝えられる。


○『宮坂玄人』という今の自分
 その後、体調が良くなった義乃はアヤカシと戦うことができる開拓者になるべく、男性に弟子入りした。
 修業を積み、開拓者として登録する時、義乃は名を変えることにした。
 師匠である男性の苗字をもらって『宮坂』、名は亡くなった兄の『玄人』と名乗るようになったのだ。
 そして二番目の兄と偶然にも再会することができて、今では一緒に暮らすようになった。
「二番目の兄も開拓者になっていたことは嬉しかったが、お互い、容姿は昔とかなり違ってしまったな」
 再会してすぐにお互いが誰だか分かったものの、義乃は名を変え、容姿も男性っぽくなっていた。
 しかし二番目の兄も名を変えており、そして容姿も何故か女性っぽくなっていた。
「まあある意味、兄妹らしいのかもな」
 お互いに桜に並々ならぬ愛着を持っているのも、兄妹らしいと言える。
 今はなき故郷に、美しい桜の木が数・種類とも多くあったのだ。儚くも美しい思い出の象徴として、桜が二人の心に残っているのだろう。
 二番目の兄はある日突然行方不明になり、亡くなったものだと一番上の兄から聞かされていたが、どうやら二番目の兄も開拓者に救われていたらしい。
 アヤカシによって命を奪われそうになったところを助けられたらしいが、里への帰り道が分からなくなってしまった為に帰れなかったようだ。
 妹の変貌ぶりを見て、故郷に大きな不幸があったことを悟った兄は、それでも問い詰めてくることなどしなかった。落ち着いて話せるまで、時を待っていてくれた。
 そして全てを聞いた時、それでも義乃が生きていてくれて良かったと、涙を流しながら喜んでくれたのだ。
「……今は昔ほど、死にたがりではなくなったな」
 まだ開拓者になりたての頃は、心の中で死を望むこともあった。
 だが数多くの人と出会い、仲間ができて、二番目の兄とも再会できた今、生きることが楽しいと思えるようになってきた。
 師匠も出会った頃は不安そうに自分を見ていたが、今では落ち着いてきたと安心した眼差しを向けてくれる。
「この命、まだまだ散らせるわけにはいかない。悲しんでくれる人が身近にいるうちは、無駄死になどもってのほかだな」
 昔はアヤカシを倒す為に、力を欲した。でも今は生きて誰かや何かを守る為に、力を欲しいと思う。
 復讐の為に技を磨くのではなく、未来を切り開く為に心を磨きたい。
 ふと顔を上げると、兄が待つ家が見えた。家からは美味しそうな料理の香りと、兄の楽しそうな鼻歌が聞こえてくる。
 家から溢れ出ている光を見ると、心の中がふわりとあたたかくなった。
「さて、と。よく食べよく寝て、明日も仕事を頑張らなければ。……ああ、そろそろ師匠の所に顔を見せに行くのもいいな。年末年始で多忙になる前に、元気な姿を見せに行くとしよう」
 吸い込む空気は冷たいものの、『玄人』は微笑みながら家の扉を開ける。


【終わり】


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ib9942/宮坂 玄人/女/23/陰陽師】

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舵天照 -DTS-
2014年11月25日

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