『踏みにじられしは平穏なる。 』

カルマ＝Ｇ＝ノア（ib9947）

　戦場の中で、吐いた言葉が胸の奥深くの柔らかな場所を鋭く、抉る。その痛みを、噛みしめるように受け止める。
　――それはもしかしたら、あの日言えたかも知れない言葉。


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　戦いは今までになく大規模で、想像以上に苦戦を強いられていた。大気に満ちるかのような怒号、剣戟、悲鳴――それは戦いの最中なら当たり前に起こるものであって、けれども幾たびも経験してきた戦いの比ではなく。
　あちらこちらで仲間が疲れ、傷つき、倒れていく。それは、カルマ＝Ｇ＝ノア（ib9947）が居るその場所でも、何1つとして変わらない。

「撤退開始、重体者から優先して回収。私が盾となりましょう‥‥お気をつけて」

　ギュンターがその言葉を紡いだのは、戦況を見極めた上での判断だった。同じ組織に属し、戦いとなれば同じ正体で戦う少女があまりの疲労に倒れかけた――それが、限界を示していると思えたから。
　彼女をすかさず受け止めて、ギュンターが告げた言葉に兄弟達は異を唱えなかった。唱えたとしてもきっと、ギュンターが取った行動は同じだっただろう。
　治癒符で傷を癒し、そのまま結界呪符で黒い壁を幾つも出現させ、そこにあった即席の障壁をさらに補強していく。それは、この状況にあってはもしかしたら、補強と呼ぶにも頼りないものだったかも知れないが、元より撤退の時間が稼げれば良い。
　瘴気の固まりである黒い壁が、幾重にも築かれていく。そこへ食い込んだ敵が動きを止め、ある意味で予想通り衝撃に耐えかねた黒壁とともに崩れ落ちた。
　戦場の臭いが濃い。降りしきる雨が雹へと代わり、冷たくギュンター達の上に叩きつる中にあってもなお、鉄錆びた血の臭いが鼻につく。
　その、何とも言えない空気を胸に吸い込んで、広がる戦場へと眼差しを向けた。――遙かな過去を、想った。
　今もこの胸に楔のごとく突き刺さる、痛みの過去。愛する者達を失った、あの日。


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　それは、振り返ってみれば何十年も前の話になる。
　その頃からギュンターは、懲悪と救済を掲げる組織に身を浸し、若き日々を過ごしていた。もちろん、あの頃の自分は今よりもずっと未熟で、周りには自分よりも年長の者がずっと多くて――それでも概ね、今と変わらない日々で。
　ただ、あの頃と今が違うのは、ギュンターには愛する家族がいた。そうして妻と、ちょうど10歳になった娘と、3人でジルベリアの片田舎で、平穏に、それなりに幸せに暮らしていたのだ。
　もっとも、それなり、なんて聞いたら彼女たちは怒るかも知れない。今のギュンターだって、そんな事を言ってはいけませんよ、とたしなめる事だろう。
　けれどもあの頃はまだ若くて、ギュンターは手にしていた幸いの本当の価値を、心底から判っては居なかった。過ごす日々の中には辛いこともあって、苦しいことも、悲しいこともそれなりにあって、その中にある幸いは当時の彼にとっては大切でありながらも、この上ない幸いだとは、愚かにも思っていなかったのだ。
　或いは、今だからこそそう思えるのか。もはや二度と帰れぬ遠き日々だからこそ、この上なく貴く感じられるのか。
　――あの日の前日もまた、困るくらいに変わり映えのない、いつも通りの朝だった。翌日は早くから町を出て仕事に行く予定だったギュンターは、帰宅が遅くなると夜には会えないかも知れない彼女たちに、自分が留守の間のことを話して聞かせたのだったと思う。
　それすらも、ありふれてはいなくとも珍しくはない光景で。妻と娘はいつも通り、笑顔で頷いて『気をつけてね』『早く帰ってきてね！』と言っていた。
　あぁ、あの日に並んでいたメニューは、いったい何だったのだろう。トーストとかサラダとかスクランブルエッグとかスープとか、とにかくそんな変わり映えのない、深く印象にも残らないようなメニューだったか。
　それをきちんと覚えていないことを、今のギュンターはひどく後悔しているのだけれども、あの頃の彼にはまだ、それが判らなかった。ただ、ギュンターの前で並んで座り、まるで姉妹のように仲良く話していたことは、不思議なことに今でも一言違わず覚えている。
　窓の外から聞こえてくる小鳥の声が、去り行く夏を告げていた。虫の声が確かに変わり、空の色が、風の匂いが、食卓に並ぶサラダの野菜が少しずつ、確かに変化していく季節。
　妻が娘に笑いかけ、娘が妻を見上げて笑う。

「もうすぐ秋ね。そろそろ上着を用意しておかなくちゃ」
「まだ大丈夫よ。そうだ、昨日はお友達と花輪を編んだの！　今日も一緒に遊ぶ約束なのよ」
「あら、良いわね。今日は木苺でジャムを作ろうと思ってるのよ、良かったら誘ってあげなさいな。お父さんも、もしかしたら一緒に食べられるかも知れないわ」
「うん！　楽しみ！　お父さんは明日はお出かけだものね。明日は雨かなぁ？」
「どうだろうね」

　無邪気に首を傾げる娘に、笑って肩をすくめるとくすぐったそうな笑顔が返る。そんな夫と娘を見て、微笑みながら妻がスープのお代わりをよそう。
　それはいつも通りの、何の変哲もない、特別でもなんでもない会話だった。だからこそこうして覚えていられたのだろうかと、思えばどこか皮肉を感じなくもない。
　娘の友達が誰だったのかも、実のところはよく知らなかった。けれども、仲良くしてもらっているのならいずれ、自分も挨拶でもしなければとは思っていたように思う。
　今日は恐らくまた、遅くなってしまうだろうけれども。いつかまた、機会があれば――
　そうしてギュンターは妻達に見送られて仕事に向かい、案の定帰りが遅くなってしまったから、すでに寝入っていた2人をわざわざ起こしたりはしなかった。翌朝はまだ彼女たちが眠っている間に家を出て、当たり前に仕事に向かった。
　だってそれは、飽きるほどに日々繰り返された、あまりにも当たり前の出来事に過ぎなかったから。今日も明日も明後日も、その先もいつも通りに繰り返される――そのはずだったのだから。

　けれども、そんな愚かな幻想を打ち砕くように、それは来た――娘の予想通りに降り出した、夏の終わりを告げるような冷たい雨に紛れて。ささやかに暮らす人々の懐を狙っていたのか、町を襲撃した賊と共に。
　その――異形のアヤカシは。


●


　降りしきる雨の中、必死の思いで駆けつけたギュンターを待っていたのは、廃墟となった町だった。そこにはギュンターのよく知るあの平穏で、日々が変わり映えなく繰り返される田舎の面影はどこにもなく、叩きつけるような冷たい雨の中にあってなお、焼け焦げた匂いが鼻につく。
　生存者など、探すまでもないことは一目で判った。――判らざるを、得なかった。

「‥‥ッ」

　呼びたい名を、ぐっと堪える。呼んでしまえば、そうして二度とその声に答えが返ることはないのだと思い知ってしまえば、大切な何かが砕け散ってしまいそうだったから。
　破壊され、崩れ落ち、焼き尽くされた故郷を、だから唇を噛みしめて見つめる。ここで起こっただろう悲惨な光景を、思い描こうとしてけれどもうまく思い描けない。
　平穏な、平穏だったはずの営みが、一夜でこの世から消え去ってしまったことを――まだ、現実だと受け止められない。

「――」

　ふらり、何かを探すように廃墟の中へと歩き出す。踏みしめる地面はまるで戦場のそれのようで、ここが昨日は誰もが笑って暮らしていた場所だなんて、何かの冗談のように感じられた。

（――冗談なら良かった）

　胸の中で、血を吐くように思う。これが何もかも悪い冗談で、妻や娘達が、町の人々がどこかからこの光景を笑って見ているのなら、どんなにか良かっただろう。
　けれども、これは揺るぎない現実だった。この町が文字通り、ジルベリアから『消えた』のは夢でも冗談でもない。
　あるいは、ある意味で傲慢に日々の平穏を享受していたギュンターに下された、それは罰だったのだろうか。そんな、馬鹿馬鹿しい思いがわずかに胸によぎったのに、浮かべた笑みは苦かった。

「どうして」

　どうして今日だったのか。
　どうして、よりによって自分の居ない今日、この日だったのか。

　連絡を受けたのが何もかもが終わった後だったことを、恨む気持ちはどこにもなかった。むしろ、よくぞ知らせてくれたものだと思う。
　そうでなければ自分はきっと、何も知らないまま間抜けにも、妻と娘に土産の1つでも買って、せっかくだからと娘の友達にも何か見つくろって、さてどんな挨拶をしようかと思い悩みながら帰路に着いていたに違いなかった。そうせずに済んだだけでも、まだ良かった、のだろう。
　それでも、後悔は尽きない。何も出来なかった無力は、ギュンターの心を引き裂く。

（‥‥私がここに残っていたなら、助けられたかもしれないのに）

　妻を、娘を、皆を。失われた、だからこそ思い知る、かけがえなく愛しい人たちを。
　賊だけならばともかく、アヤカシという理不尽の脅威に対抗できるのは基本的に、志体を持って生まれた人間だけだ。そして、この町に志体持ちはギュンター1人だけだったから。
　だから、この町は滅びた。アヤカシに対抗するすべもなく、恐らくは一方的に、無差別に、無慈悲なまでに平等に、愛する人達は殺し尽くされた。
　ギュンターが居なければそうなる可能性があることを、ちゃんと知っていたはずだったのに。明日も明後日もその先も、ずっと『いつも通り』の日々が続くのだと、まるで信仰のように信じていた。
　その愚かさに、反吐が出る。叶うならば何度だって、何も考えずに町を留守にした己を引き裂いてやりたい。
　――冷たい雨の中、廃墟の直中でそう、思う。けれども、どんなに後悔を噛みしめて、己の愚かさに怒っても町の人々は、愛する妻と娘は――あの、飽き飽きするほどに平穏無事な日々は、永遠に戻らない。


●


　思えばあの頃の娘と同じ年頃なのだと、戦場の最中だと言うことも束の間忘れ、ギュンターは目を細めた。知らず、眼前に翳した手を見つめる。
　彼の弟子も、それから倒れる寸前に抱き止めた仲間も。今も胸の中に鮮やかに、永遠に成長することのない輝く笑顔を浮かべる娘と、同じ頃合い。
　だから、なのだろうか。賊で働かされていた弟子を拾い上げ、倒れかけた彼女をすぐさま抱き止めたのは。無意識に自分は、彼女たちと胸の中の面影を重ねていたのだろうか。
　どちらとも、つかなかった。どちらでも、良いと思えた。
　あの日、あの娘を守れなかったこの手で、同じ年頃の娘を守ろうとしている。あの日伸ばせなかった手を伸ばし、誰かを救おうとしている。
　そこに理由を求めるのは、きっと無粋なことで。そうしてそれはただ、ギュンターの胸の中だけに在れば良い事なのだから。

「私が盾となりましょう‥‥欠けることなく戻りますよ。どうか皆、お気をつけて」

　だから伸ばした手をぐっ、と握って告げた。あの日言えなかった言葉を、噛みしめるように。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号　／　　　ＰＣ名　　　　／　性別　／　年齢　／　職業　】
　ib9947　　／　カルマ＝Ｇ＝ノア　／　男　　／　65　　／　陰陽師

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注、本当にありがとうございました。

息子さん（とお呼びするにはダンディなおじ様ですが！）の痛みの過去の物語、如何でしたでしょうか。
本当に自由にやらせて頂いてしまいましたが、後悔をなさっていないか心配です、書いててとっても楽しかったです（←
ちなみに奥様とお嬢様がすごく気になりました‥‥（どきどき
どこかイメージが違うところなどございましたら、ご遠慮なくリテイク頂けましたら幸いです。

息子さんのイメージ通りの、不意に蘇る痛みを想うノベルであれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します（深々と

■イベントシチュエーションノベル■

蓮華・水無月

舵天照 -DTS-

2014年12月05日