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『それは脆く、儚く、残酷に 』
強羅 龍仁ja8161


 この世界に『永遠』などというものは存在しなくて
 けれど、愚直に信じていた瞬間があった。
 この幸福は、きっと永遠に続く。そう、信じていた頃があった。




『良い日になるといいな』
 逃げろ。

『久しぶりなんだもの、こうしておめかしなんて』
 逃げろ。

『良い天気の中で食べる飯は誰が作っても美味い』
 逃げろ。

『だーだ、だー!』
 ……逃げろ!!!!


 幸せな記憶が、会話が、一瞬にして遠のいてゆく。
 頭の中で警鐘が鳴り続く。
 生存本能というやつだろうか。
 化け物が、何なのかはわからない。何処から来て、何を狙っているのかなど知るわけもない。
 そんなことを、考えている暇はなかった。
 押しのけるように龍仁の肩にぶつかりながら、若者たちが走り去った。
「たつひとさん!!」
「大丈夫だ、俺がいる。俺が守る!」
 見上げる妻の顔からは血の気が引いている。きっと自分も同じ表情をしているはずだった。
 反射的に叫び返し、左手に息子を抱き、右手で妻の手を握り、龍仁もまた人混みに紛れて共に走り始める。
 守るべき存在が、押し潰されないよう気を配りながら。自分のペースだけで引きずることのないよう。
(誓ったんだ)
 生前に、義父と。
 全てを懸けて守ると。
(悪い夢なら醒めてくれ)
 映画か何かの撮影なんだと、何処からか誰か、笑って出て来てくれ。
 そう祈るのは、『そう』ではないと理解しているからだ。




 しばらく走るうちに、人の流れはスムーズになって行った。
 無事に逃げおおせたということだろうか。
 走る速度を落とし始めると、妻が右腕に縋りつくようにして呼吸を整えていた。
「もーー……。こんな全力疾走、高校時代ぶり……」
 こんな状況でも、彼女は笑った。泣きそうな顔をして笑った。龍仁は、唇をかみしめて耐える。泣くことも、笑うことも。
「予約……間に合いそうにない、な」
「龍仁さんったら」
 ようやく吐き出した冗談。まだ泣き続ける息子を、二人で抱きしめる。
 揃って視線を落とし、――二人の足を浸す血だまりに言葉を失った。


 蛇の胴を持つ化け物は、何体だったか。
 そのうちの1体が、地を這い、そこに居た。
 人の流れが少なくなっていたのは、待ち構えていた『それ』に斬殺されていたからだ。
 ひゅう、龍仁の喉が鳴る。
 声が出ない。
 3対の脚でアスファルトを穿ちながら、『それ』は人々を牙で噛み砕き、或いは頭で打ち払い、進んでくる。
 進んでくる。こちらへと。

 カチリ

 金色の目が、龍仁を捉えた。
 純然たる殺気を感じ取り、全身が粟立つ。
 ……動け、ない。
 頭の中が、恐怖で真っ白になる。

 化け物が身を起こす、咆哮する、鋭い爪のある足を振りかざす。
 ドン、
 衝撃は龍仁の後方から襲った。




 そこには、先ほどまで自分がいたはずだった。では、あそこに居るのは――?
 彼女、は
 薄紅色の糸で刺繍が施されたワンピースが翻る。
 太い蜘蛛の脚が――それを貫いた。貫いた。貫いた。
 細い体に、幾つもの孔が開く。
 生暖かい命の証が、自失している龍仁の頬を濡らした。

 千切れて飛んできた何かが、鼻先を花の香りが掠める。
『昨日もらった、ハンドクリーム……』
 
「……う、あ」
「あぁああああああああああああ!!!!」
 一際激しく、龍仁の腕の中で息子が泣き叫び暴れ出した。
 それが、彼を『こちら』へと引き戻す引き金になる。
 我に返り、真っ先に目に入ったのは――化け物の足元、血の海の中に浮かぶ桜の簪。
(彼女は)
 息子を抱きしめる腕の力が無意識に強くなる。
(この子、だけ でも)
 頬を伝うのは、血か。涙か。入り混じったものか。
 化け物の爪が眼前を襲う、寸でのところで龍仁は後方へ跳びすさり躱す。顔を横一文字に深く裂かれ、熱い。
 流れる血をそのままに、今度こそ龍仁は走った。止まることなく、がむしゃらに。
(この子を 家族を 守らなければ たった ひとり)
 もう、龍仁にとって『家族』は、たった一人であると――途中で意識は途切れていたが、理解していた。




 その時のショックで、龍仁の髪から色が抜けた。

 遮二無二に走り続けるうちに保護され、化け物が発生した事件について簡単な説明を受けた。
 被害者は相当数に及び、身元確認も難航しているらしい。
 ぼんやりとした頭で、そんなことを聞いた。
 龍仁自身が受けた傷、それに子供の受けた影響、行方不明の妻の事もあり、会社からはしばらく静養するよう通達があった。


 あれから毎晩、同じ夢にうなされる。
 逃げろ。逃げるな。相反する二つの声。花の香り。妻の声。
 手を伸ばしても、届かない――
 ……本当に?

 事件から数日後、龍仁へ警察から連絡が入った。
 妻らしき遺体を発見したと。




 果たして、『彼女』はそこに眠っていた。
 
「あ、……あ、…………ぁあああああああああ……!!!!!!!」

 慟哭し、龍仁はその場に崩れ落ちる。
 叫んでも叫んでも叫んでも足りない。ぼろぼろと落ちる涙が、リノリウムの床を汚す。
 彼女の姿は、自分の罪そのものだった。
 
 何故。逃げられなかった。
 何故。助け出せなかった。
 何故。あのまま逃げた。

 幸福とは家族であると信じた。
 守ると誓った。
 花咲く道を。星空の下を。ずっとずっと、共に歩いてゆこうと誓った。
 
 彼女こそ、龍仁にとって唯一無二の太陽だった。
 なのに。
 なのに。
 なのに。
 なのに……!!

 自分は、何を考えた。
 ――この子を 家族を 守らなければ たった ひとり
 それは、その意味は、知っているはずだ。
 眼前で妻を惨殺され、それを是として逃げたのだ。
 されるがままに、自分は。そこから動けず――動こうともせず。
 恐怖を理由に。だったら、彼女はなんだったというのだ。
 自分よりずっと大きな体の龍仁を突き飛ばし、そして――龍仁と、息子を助けるために『全てを懸けた』。


 着物地のカシュクールワンピースは乾いた血に染まり、ところどころ痛々しく破れているが、施された刺繍で『それ』とわかる。
 その、傍らには――……
 変色し、歪に変形してしまった桜の簪が置かれていた。

「よろしければ…… お持ちになりますか? 遺品となりましょう」

 ――遺品。

 警官の声が、龍仁の耳を滑るように抜けてゆく。
 枯れ果てたはずの声が、涙が、今一度。

 龍仁が失ったもの。
 龍仁が手放したもの。
 その結晶が、この、桜の簪だ。
 龍仁の、心臓がギリギリと痛む。
 罪の意識、後悔、そういったものが波のように押し寄せる。
 痛みとは何だ。生きている証だ。
 痛いと感じる、それすらも罪のように思う。
 何故、此処にいるのが自分なのか。
「……俺は…… もう二度と変わらない。この誓いは、忘れない」
 嗚咽を漏らし、龍仁はそれを受け取った。




 幸福だったことを、忘れない。
 唯一無二を、穢すことはしない。
 自らそれを手折った罪を、忘れない。――『幸福』は、二度と抱きこまない。


 愛すべき日常たちは崩壊した。
 桜の花びら舞うように、それは脆く、儚く、残酷に。




【それは脆く、儚く、残酷に 了】


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja8161/ (強羅) 龍仁 / 男 / 父 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2014年12月08日

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