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『白く冷たい外の世界 〜ある雪の日に〜 』
鬼嗚姫(ib9920)&名月院 蛍雪(ib9932)

 それは、北面一帯を真白な雪が覆った日の出来事――

●明かり
 庭の方で、どさりと重たげな音がした。
 おおかた庭木に積もった雪が落ちたのであろうと、文机に向かったまま名月院 蛍雪(ib9932)は思った。
 障子一枚隔てても、真冬の冷気は容赦なく部屋に忍び込んでくる。まして外は銀世界、この冬一番の寒さと言っても過言ではなかった。
「雪。反射‥‥か」
 室内が白く明るかった。
 日頃薄暗い仕事部屋だが、障子越しに雪明かりが届いているらしい。文字が見やすいのは悪くない。
 再び書類に目を通し始めた蛍雪の意識は、庭の雪鳴りとは違った音に遮られた。

 ――ぱたん、ぱた、ぱたん。

 障子の向こう、廊下に何かを打ち付ける音。
 顔を上げた蛍雪は、尻尾で廊下を叩いて己を呼んでいた猫又の乱菊の言葉に、思わず席を立った。

「兄御、姫が倒れておるよ?」

 姫――妹の一大事。
 慌てて蛍雪が障子を開けると、乱菊が後脚で首筋を掻きながら「珍しいな」と言った。
「仕事中だ、開けぬかと思うておった」
 飄々と。
 とても非常時とは思えぬ言い草だ。しかし蛍雪にとっては妹の一大事。
 強張る兄御の顔を見上げ、乱菊はちょちょいと前脚で髭を撫で付けてから言った。
「こっちじゃ」
 乱菊は、真白の庭へ飛び降りた。

 庭の石畳の上に付いてゆく乱菊の小さな足跡を、蛍雪は落ち着かぬ思いで追った。
(早く。稀生が)
 焦るあまり、彼は肉球跡がもうひとつある事にも気付いていなかった。乱菊が行きに付けた足跡は、妹の部屋あたりから合流し庭先で増え、築山へと続いている。
 遠目に彩り鮮やかな衣が映った。妹の着衣に違いない。
「稀生‥‥っ」
 何があった。もう名月院の家督争いは終わったはず、なのに――
「稀生華。何を、している」
 雪原で大の字になっている鬼嗚姫(ib9920)に、蛍雪は眉を寄せた。

●雲
 人は兄様の表情や声音に変化が乏しいと言うけれど、そんな事ない。
 言葉少なな中に慈しみが滲んでること、きおだけが知ってる。
 その声音、その存在こそ、きおの世界――

「‥‥兄様、お仕事は終わったの‥‥?」

 蛍雪の声に目を開けた鬼嗚姫は、仰向けのまま兄を見上げて言った。
 袷の上に羽織一枚、雪駄姿の蛍雪が僅かに眉を寄せている。心配させてしまったようだ。
 手招きして蛍雪を隣に誘う。雪の中に寝転んでと乱菊も咎めていたけれど、鬼嗚姫は見ていたかった。
「‥‥こうやって、すると‥‥空が、見えるの‥‥」
 雲ひとつない青い空が広がっていた。

 一晩降り積もった雪で、地上はまるで空が全ての雲を下ろしたかのようだった。
 地上の雲は柔らかいのかと、そっと身を横たえれば、雪はしっとりと我が身を包んだ。
 瞳に映るのは、青い空。
 果てしなく広がるそれは、存在を隠され幽閉されていた鬼嗚姫には怖すぎるくらい、広大な、外の世界であった。
 壁も格子もない、境などありはしない広い空を、小さな鳥が飛んでいる。
(‥‥自由)
 怖くはないのだろうか。自由とはそういうものなのだろうか。それは素晴らしい事なのだろうか。
 わからない。でも少し怖かった。

 ひとりは寂しい、だけど兄様が一緒なら――

 蛍雪は一瞬、その切れ長の瞳を見開いた。
 雪の上に寝転ぶなど、子供染みた行いではあった。しかし己を出す術を知らぬ鬼嗚姫には珍しい我侭であった。
 だから蛍雪は、差し伸べられた手を取って、不器用に表情を緩める。
 蛍雪は長身を雪上に横たえ空を見上げた。
「冷たい、な」
 ささやかな悪戯めいた優しい声音は、白い呼気に変わる。大地の上から天へ向けて、細く長く立ち上っていった。
 こんなにもゆったりと呼気は動いているのか。

「空が、高い」

 代々朝廷に仕える北面の士族、名月院。
 名家であるがゆえに、周囲も己も重きを置くのは家の繁栄であった。家督を継ぐ者、家を守り立てる者、そのどちらかでしかない。
 一族の次男に生まれた蛍雪は、腹違いの兄の補佐となる運命――立場という名の檻に囚われていた蛍雪に外の世界を見せたのは、妹だった。
 誰もが一族の男としてしか見ない蛍雪を、唯一肉親として慕ってくれた妹。
 修羅の母を持つ腹違いの妹は、母方の特徴を色濃く受け継いでいた。修羅の容姿を一族に厭われ幽閉されていた妹を守る事こそ、今の蛍雪の生きる目的である。
(稀生華)
 人の子たる己は、おそらく妹よりも早くに天命を迎えるだろう。
 だが――妹を、二度と日陰の身にしてはならぬ。愛しい唯一の肉親が、この空をいつまでも見上げていられるように。

●兎
 雪の中から空を見上げているのは、まるで雲に乗って空を浮かんでいるような心地がした――が。
「姫、俺は寒い」
 寒さに耐えかね毛を総立てた乱菊がぼやいていた。言われてみれば確かに鬼嗚姫の身体も随分と冷えきっている。
「‥‥部屋に、戻りましょう‥‥」
 乱菊を抱えて起き上がる。そのまま立ち上がろうとした鬼嗚姫の名を、兄が呼んだ。

「稀生華」

 繋いでいた手、離れてゆく妹の手の感覚に、蛍雪は無意識に名を呼んでいた。自分でも何故声を掛けたのかわからない。
 だが妹は立ち上がるのを止めて、雪の上に座りなおした。
「‥‥兄様、なぁに?」
 蛍雪は固まった。呼び止めたは良いが、特に用があっての事ではないのだ。しかし鬼嗚姫は次の言葉を待っている。
 暫し悩んで――蛍雪は厳かに言った。
「雪兎‥‥を、作る。手伝う様に」
 ほんの少し視線を逸らして、微かに、ほんの微かにはにかみを浮かべながら。

 ――とは言え、名家の御曹司と幽閉の姫君である。
「‥‥ゆき、うさぎ‥‥?」
 こくりと素直に頷くも、鬼嗚姫は雪兎を知らない。蛍雪とて幼い頃戯れに作ったきりである。
「雪で、作った、兎だ」
 そのまんまな説明をしつつ、蛍雪は幼き日の記憶を辿る。
 あれは一族や立場などに思い煩う事がなかった頃、雪の日に乳母が作ってみせてくれたお手本は、確か――
「これが、雪兎だ」
 何とか形になった雪兎は、いびつな雪玉に、耳に見立てた大きさの異なる葉が二枚。
「‥‥兄様、これ、目‥‥」
 庭木に生った小さな実をふたつ。掌に載せた妹が微笑んでいた。
「‥‥かわいい」
 初めてみる雪兎に大喜びの鬼嗚姫。蛍雪はどことなく得意げだ。
「難しくは、ない」
「‥‥寂しくないように‥‥もっと、作るわ」
 そう言って、鬼嗚姫は雪を掬って掌で固めた。
 冷えた白い手が赤くなる。見ている方が寒いわと乱菊が屋敷へ逃げ帰るのを二人して見送って、一緒に雪兎を作り始めた。

 お手本通りの歪な兎が、一匹、二匹、三匹――
 一匹だけじゃ寂しいから、寂しいと生きてゆけないから。
「きおと、兄様と‥‥同じ」
 だから、もう大丈夫。もう寂しくない。ずっと一緒だから――

 *

 後日、乱菊は香箱座りして床に伏す鬼嗚姫を覗き込み、言ったものだ。
「一緒なのは結構だがな、姫。揃いも揃って風邪引いてちゃ世話ねぇぜ?」


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 ib9920 / 鬼嗚姫 / 女 / 18 / 扉開かれし籠の鳥 】
【 ib9932 / 名月院 蛍雪 / 男 / 27 / 柵解かれし一族の長 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ご発注ありがとうございました。周利 芽乃香でございます。
 いつかの初詣のお二人さまと、またお会いできました事、嬉しく思っておりますv

 外の世界――そとのせかい、ほかのせかい。どちらにも読める言葉。
 ご兄妹の絆を拝見して、そんな事を考えました。
 きっと鬼嗚姫さまは蛍雪さまに、蛍雪さまは鬼嗚姫さまに救い出していただいたのだと思います。
 お互いを想い合うお二人――いつまでも仲良しでありますようにと願いつつ。
snowCパーティノベル -
周利 芽乃香 クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2015年01月05日

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