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『百の毒より痛む傷 』
ジェールトヴァka3098

 はて、何年前の出来事であろう。
 昔々の物語。褪せる事なき幕が開く。

 馬上のジェールトヴァ(ka3098)の双眸に映る景色は雪の白、空の黒。
 雪が舞う夜の出来事であった。辺境のとある豊かな村を盗賊団達が見下ろしている。森に隠れ雪に紛れ、寝静まったそこを舐める目はまるで獲物を取り囲んだ狼だった。狼――正に文字通り、あちらにもこちらにも、大量の盗賊が雪煙に隠れている。
 その中の一人が先頭にいる頭領、ジェールトヴァに視線をやった。馬上の彼は静かに頷き片手を掲げ、ピッと振り下ろす。

 ざざ、ざざざざざ。

 精度の高い盗賊達が雪の中を這う様に駆け出した。先陣達が弓を引く。一直線に矢が飛ぶ音。それは見張り台の村人の首に無情にも突き刺さる。悲鳴も無く倒れ伏す。その間に塀を登ってゆく盗賊達。門が開くのはその間も無くであった。

 それからはもう、一方的な蹂躙である。

 ジェールトヴァは村の様子が良く見える高台からそれらを見ていた。その表情には何の感慨も無い。破壊への興奮だとか、作戦が上手くいった恍惚だとか、ましてや罪悪感や疑問など。暇潰しに興味も無い本を読んでいるような表情だった。
 当然だ。彼は生まれた時から盗賊だった。盗賊として盗賊に育てられた。だからこれは、呼吸をするのと同じ様なもの。生きていくのと同じ意味だった。盗み殺し奪わぬ盗賊など、盗賊ではないのだから。
 全てジェールトヴァが想定した通りに進んでいた。この盗賊団を作り上げた父が存命だった頃は参謀役を努めていたその頃からジェールトヴァの手腕は変わっていない。否、寧ろ淡々として極めて合理化されている。
 男と老人は皆殺し、女は手下共の『懐の痛まぬ褒美』にし、子供は人身売買用に捕獲する。宝物や食料を運び出した倉や家は悉く燃やし尽くし、破壊し尽し。
 仲間の楽しげな歓声が、村人の哀れな悲鳴の合間から聞こえてくる。仲間の多くは残虐行為に喜びを感じている者ばかりであったが、ジェールトヴァはそうではなかった。風に乗って切り裂く様な雪と同一、何処までも冷たい。生暖かい返り血に幾ら塗れようとも、だ。特に自ら女を弄ぶ事に限っては、彼はいつも不参加であった。

『――――!!』

 幼い脳裏に焼き付いているのは母の言葉。この村の、女としての尊厳を全て踏み躙られている女達と正に同じ様な女が彼の母親だった。美しいからと攫われて、心も身体も壊れつくすまで壊されたエルフの美女だった。
 確かに、今思い返せば、母は美しかった。精神が歪んで壊れて発狂し、ケダモノの様になり、甲高い声で喚き散らし暴れ回っていても、発狂の末に自分の咽を指が逆を向こうとも掻き破って死んでいても、その顔は……綺麗だった。
 多分、陵辱状況に対しいつも己が不能になるのはそんな記憶が幼少期にあるからだと、彼自身は自らに結論を下していた。
 そんな彼に母親はいつもいつも、まるで呪いの言葉の様に、父の跡を継げと言っていた。理由は分からない。憎いからか、それでも腹を痛めて産んだ子だからか、ただ単に狂人の戯言か、母は憎んでいるはずの父の様になれと言っていたのだ。幼いジェールトヴァの首を両の掌で絞めながら。
 今、こうしてジェールトヴァが頭領として馬上にいるのはその言葉があったからと、そして――
「ジェール」
 彼の隣に馬を寄せてきた一人のエルフ族の男。年の頃はジェールトヴァと良く似ている……というのも、彼はジェールトヴァとは血こそ繋がっていないけれど兄弟同然に育ったからだ。
「お前か」
 少し振り返ったジェールトヴァは表情こそないけれど堅さはない。このエルフの男こそ、誰にも心を開かないジェールトヴァが珍しく関心を示した存在であり、腹心であり友であった。彼が人身売買用に浚われてきたエルフの子供という、心境的境遇に少し共通点があるのもジェールトヴァが彼を友と認識している理由の一つかもしれない。
 この友に高い地位を与えたかった。それがもう一つの、ジェールトヴァが頭領になった理由である。
 指示通り後始末は手下達に任せてきたと友は言う。雪に紛れる白い外套には返り血がたっぷりと染み込んでいた。「そうか」と頭領は頷いた。
 視線の先、血臭と悲鳴で満ちた村はじきに『死』という静寂に包まれる事だろう。あっけないものだ。ジェールトヴァと同じ方向を見ていた友が言う。「暇そうだな」と。
「暇――ああ、そうだな」
「少し走るか? どうせ皆は朝が近くなるまで遊び呆けているさ」
「悪くない。じっとしていても寒いだけだしな」
 それに話したい事もある――とまでは言えないまま。

 二人の盗賊を乗せた二頭の馬が、白い雪の中を緩やかに駆けている。真正面から細やかな雪が二人の身体に触れ、後方へと通り過ぎていく。ゴーグルと、目元以外をすっかり布で巻き隠した二人の姿は一見して見分けが付かない。こうしてキチンと防寒していなければ忽ち顔中凍傷になってしまう事だろう。
 周囲は雪に満ちている。二人と二頭以外は誰もいない。降り注ぐ雪は遠くを見る事すら許してくれず、一面を白く閉ざしている。
 静かなものだ。幾つか言葉を交わした様な気もするが、今は言葉もなく駆けている。 雪が音を吸い込んでいる様だ――その中でジェールトヴァは緩やかに考え事をしていた。

 たった一人の友。
 兄弟の様な存在。
 ジェールトヴァにはかつて本当の兄弟(尤も腹違いだが)がいたが、彼等とは反りが合わなかった。頭領の後釜の座を巡る敵対関係で蹴落とした彼等はもうこの世にはいない。
 横目に友の顔を見た。
 ジェールトヴァは知っている。彼は辺境の町の酒場の娘と懇意になり、娶っている事を。知っているのだ。友は殺しや盗みに喜びを覚えず、寧ろ心の底では嫌っている事を。本当は、盗賊なんてやっいるような人間ではない筈である事を。本当は、妻と二人で平穏な日々を望んでいるのかもしれない事を……。

「――、」
 言いかけて、また止める言葉。
 友は、たった一人の信じられる存在。
 友達だと、思っている。
 ならば、友の事を想うならば、自由にしてやるのが良いのではないか?
 けれど、怖い。友は本当は盗賊団を憎んでいるかもしれない。だって家族や故郷や幸せな未来を全て奪ったのだから。本当は嫌いなのだろうか。憎んでいるのだろうか。それが辛い、とても怖い。
(とんだエゴだな……)
 自己嫌悪が湧いてくる。結局は自分可愛さの為に、大切な友を束縛し振り回している。ああ、嫌だ嫌だ。図体ばかりデカくても、頭の中は幼稚なまま。
 何度目かの飲み込んだ言葉。
 そうしてまた友の顔を見遣ると、不意に視線が合ってしまった。
「どうした?」
「……、なぁ」
 ようやっと、ジェールトヴァは口を開いた。徐に馬を止めれば、一歩遅れて友も馬を止めて見つめている。次の言葉を待つかの様に。
 そんな友をじっと見据え、一つの長い呼吸を置いた後、ジェールトヴァは言った。

「俺はもう1人でやっていけるから、お前は此処を出てもいいぞ」

 辛い。怖い。けれど、どんな答えでも受け止めようと覚悟した。声が震えなかったのが幸いだった。目の前の友は驚いた顔を浮かべている。永遠の様に時間を感じた。
 そして――

 銃声が彼の言葉を掻き消した。

「!!」
 振り返る先、近郊警備衛兵の集団。ジェールトヴァは脇腹に熱さを覚える。撃たれた。しまった。くぐもった悲鳴と、「いたぞ」「あそこだ」「捕えろ」と走り出した声。
「くそ――」
 油断していた。奥歯を噛み締めながら状況を把握せんと視線を走らせる。逃げなくては、早く……

「俺が引き付ける、逃げろ」

 友の声が耳に飛び込んできた。「馬鹿な事を言うな」とは言えなかった。何故なら、友が既にジェールトヴァの馬の尻を蹴飛ばしていたから。
「――!」
 友の名を叫んだ声は一陣の雪風に掻き消される。嘶きを上げて走り出した馬はぐんぐんと彼と友とを離してゆく。
 もう一度名を呼んだ。振り返った友は微笑んでいた。そこでジェールトヴァは、ようやっと、気付いたのだ。

 彼は自分を憎んでなどいなかった。
 ただ寄り添い支えてくれていた。
 友達だから。
 兄弟だから。

「ッ……」
 視界が雪に閉ざされる寸前の光景は、衛兵に囲まれ両手を挙げた友の姿。ずき、と痛んだのは肉の痛みか、心の痛みか。
 直後に急斜面で馬が転び、彼は森の底まで転がり落ちてしまった。雪と泥に塗れ、痛みに噎せ、蹌踉めきながら立ち上がる。

「こんな別れは、望んでいなかった」

 無力さに膝を突く。後悔に切れるほど唇を噛み締める。絶望にただ瞼を閉じた。
 項垂れる男のその様は、神に懺悔する聖者の姿に良く似ていた。



『了』



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ジェールトヴァ(ka3098)
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ファナティックブラッド
2015年01月21日

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