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『最期の約束 』
嘉瑞(ic1167)&浪 鶴杜(ic1184)



 その日の朝は何故か何時もより早く目が覚めた。

 障子を通しぼんやりとした光が部屋を照らす。静かな朝だ、小鳥の声も聞こえない。
 引き寄せた脇息に身を預けるように身体を起こした嘉瑞は「おや」と首を傾げた。昨夜よく眠れたのだろうか、近頃嘉瑞を苛む微熱もだるさも感じない。
 部屋を満たすひやりとした空気も心地よく清々しい。身体も軽いような気がする。
 習い性で耳を隠すための布を頭に巻くとなんとなく外の空気が吸いたくなった。羽織を肩に、開ける障子。
 雪が降っていた。
 夜半にはもう降り出していたのだろうか、一面の銀世界。植え込みも高く伸びた松も既に雪に覆われている。
 誰も踏み荒らしていない真白の世界。物音一つ無い静寂。
 冷たく張り詰めた空気に耳の奥がきんと鳴った。
 足跡を付けてみようか……そんな幼い思いつきに嘉瑞は庭に降り立つ。
 一歩、二歩、ゆっくりと足を進める。雪に残る足跡……それを振り返った刹那、世界が揺れた。
(あ……)
 風も無いのに雪が斜めに降る。足の下、小さく鳴く雪。
 よろめいた身体を支えようと失敗して雪の上に膝をついた。そしてそのまま前のめりに倒れる。舞い上がる雪、視界が半分雪に埋もれた。
 起き上がろうと手に力を込めてみたが、積もったばかりの柔らかい雪の上に指を立てることすらできない。
(……参ったね)
 力の入らぬ身体に「はは……」と笑うも、弱々しく吐息が零れただけ。
 自分の身体を蝕む病。仲間にも主にもそれどころか唯一心を許した幼馴染にすら伝えずひた隠しにしてきたが。とうとうそれもできなくなったらしい。
(桜は見れない、予感はあったけど……)
 いずれ、と覚悟はしていたがとうとうその日が来てしまったらしい。
(ああ……なるほど。だから……)
 今日は妙に身体が軽かったのだ。魂がもう半分抜け出してしまっていたから。
 横たわる雪の上、凍えそうなほどに冷たいはずなのに何も感じない。
 せめて最期に……。思い浮かべた幼馴染の顔。腕に巻いた揃いの数珠を指が力なく握る。

 きっときみは泣くのだろうね……
 それとも病を隠していたことを怒るだろうか……

 鶴杜、唇がかすかに動いて嘉瑞はゆっくりと目を閉じた。


 離れで眠る嘉瑞を起こしに行くのが浪 鶴杜の最近の日課である。
「止みそうにないなあ……」
 傘を片手に鶴杜は空を見上げた。
 離れまで続いている飛び石はすっかり雪の下だ。殿が起きてくる前に雪掻きをしておいた方がいいだろうか、などと考えながら雪を踏みしめ離れへと向かう。
 雪の重みでしな垂れる庭木の向こうに離れの玄関が見えてきた……と白以外の色が視界の端に映ったような気がして足を止める。
 心臓が一度大きく跳ねた。背筋を伝わる嫌な予感。
 離れの小さな庭、雪に広がる小さな青。それを数珠だと判断するよりも先に鶴杜は傘を投げ出し駆け出す。
「嘉瑞……!」
 雪の上に倒れている嘉瑞を抱き起こした。真っ青な唇、頬は溶けた蝋のようにのっぺりと白い。どれほど此処で倒れていたのだろうか、身体は雪と同じほどに冷え切っていた。
 羽織を脱いで嘉瑞を包む。これ以上体温を下げないように抱き締めながら「嘉瑞」と繰り返し呼ぶ。
 届いているのかいないのか、わからない。嘉瑞の反応はない。必死に呼びかける。心臓は……自分の心音ばかり響いて聞こえない。手に触れればかすかに脈があった。
「誰か!! お医者様を、誰か! 嘉瑞が……、嘉瑞が!」
 喉が張り裂けんばかりに叫んだ。何度も、何度も。しかし誰も現れない。此処から母屋では距離がありすぎるのだ。
 自分が母屋に一っ走りして誰かを呼びに行った方が早いかもしれない。血の気の失せた嘉瑞の顔を見つめる。
 何故か幼い日々を共に過ごした寺から一人旅立った日の事が浮かぶ。あの時彼を置いていったことを今でも後悔していた。その時とは状況が違うというのに、嘉瑞を一人にすることは鶴杜にはできなかった。
 そう今嘉瑞を一人にするな、と鶴杜の勘が告げているのだ。
「誰か……!!」
 大音声が大気を震わせる。だがそれだけだ。
「だ、れ……っ!」
 不意に鶴杜の弱々しく耳が引っ張られる。
「うるさい」
 かすかな、吐息に紛れてしまいそうな声。
「か……ずぃ……」
 張り付いた喉、鶴杜は上手く声を発することができなかった。鶴杜が嘉瑞へと視線を向けると、彼は僅かに口角を上げる。
「大丈夫、すぐ誰かがお医者様を呼んでくれるから……っ」
 それは何時ものような少し意地悪な笑みではなくとても透明な笑顔だった。柔らかく優しくて、そして少しでも揺らしたら壊れてしまいそうな。その笑みに鶴杜は唐突に理解した。鶴杜の瞳にみるみる涙が溜まる。
 耳から離れた手が鶴杜の髪を指に引っ掛け雪の上に落ちた。
 嘉瑞の命が此処で尽きようとしている……。
 鶴杜の双眸から溢れだす大粒の涙。
「か……ぅい、かず……っひ、っく」
 名前しか出てこない。聡明なはずの頭は何も働かない。鶴杜の中に溢れ、零れた涙の元となった感情につける名すらも……。
 ただ鶴杜は涙を流した。涙は頬を伝い、嘉瑞の頬を濡らし雪に跡を残す。
「か  ずっ……  ぅいっ」
 しゃっくりを上げて肩を揺らす。鶴杜……掠れた声が名を呼んだ。
「…でかい図体で、なんて顔してるんだ……」
 困ったやつだな、とでも言うように歪む。
「……泣き虫は、治らないね…」
 嘉瑞が上げた手は鶴杜の手前で力を失う。再び雪に落ちようとする手を鶴杜は掴んだ。逝くな、言葉の代わりに手を握る。


 鶴杜の涙が嘉瑞に落ちる。
(あたたかい……)
 雪の冷たさはわからなくなってしまったが、幼馴染の涙の温かさはまだわかる。
 鶴杜はやはり泣き虫だ。顔をぐしゃぐしゃにして涙をぼろぼろと零している。子供の頃から変わらない泣き顔。嬉しくても悲しくても何かあるとすぐに泣いていた子供の頃と。
 大人になって、ずっと身体も大きくなったというのに。一足先に成人し共に育った寺を出て行った鶴杜が再会後泣き虫のままだったことに安心したのを思い出す。
 見上げた幼馴染の顔、その後ろに見える雲の垂れ込めた雪空に真っ青な空が重なった。
 いつかこうして見上げた空。鶴杜と殿と仲間達と……。あれは何時のことだったか。
「……楽しかった…」
 目を細める。皆で過ごした日々。幼くして母に捨てられ、父に捨てられ漸く得た自分の居場所……。
 皆より先に逝く事を覚悟はしていた。だが……。
 大人数での賑やかな食卓、共に酌み交わした酒、殿の買い物のお供、何気ない日常がいくつも浮かんで消えていく。
 あそこにもう自分はいないのか……。そう思うと心が痛んだ。もう少しだけ、一緒にいたかったなんて未練だろうか。
 でもこれだけは言える。
「此処に来て…俺は、幸せだった…」
 独白のように零れる言葉。少し話すだけでも酷く億劫だ。嘉瑞は息を吐き出し、その身を鶴杜の腕に預けた。身体を休めるように目を閉じる。
 本当に自分は幸せだったと思う。こんなにも満ち足りた想いを胸に、友の腕の中で逝くのだから。

 腕の中、力なく横たわる身体。重たく感じる身体に鶴杜の背筋に冷たい汗が流れる。
 幸せだった……なんてまるで最期の言葉ではないか。
「冗談じゃないよ……!」
 嘉瑞の死は避けられないと理解している、しかし納得できない気持ちの方が強い。信じられなかった、信じたくなかった。
 まだ、まだ、君と一緒にやりたい事が、沢山あるんだ……。駄々をこねる子供のように頭を左右に振る。
 あの時の……寺を出るとき「迎えに来るよ」と言いながら、結局約束を果たせなかった自分への意趣返しだろうか。だとしたらこれは意地が悪すぎる……そんな事あるはずもないというのに、考えてしまうくらいに目の前の現実を認めたくなかった。
 迎えに行くつもりだった。でも機会は中々訪れず、結局自分は彼の事を「置いてきて」しまい、幼馴染が会いに来てくれたのだ。再会した時に蹴飛ばされた分で足りなければどんな恨み言でもまた蹴飛ばされたとしても良いから、こんな形……。
 涙がぼろぼろ零れて止まらない。本当は彼に伝えなくてはいけないことが沢山あるはずなのに。全部涙になって出てきてしまう。
 鶴杜は嘉瑞を抱き締めた。


 頬に当たる温かい粒で泣き虫の幼馴染がまだ泣いているのがわかる。

『あまり泣くと目玉が溶けるらしい、よ?』

 子供の頃そんな事を言ってからかったような覚えがある。もう一度言おうとして代わりに咳き込んだ。
 鶴杜が泣きながら背を摩ってくれる。途切れ途切れに聞こえてくる嗚咽、なんだか鶴杜のほうが苦しそうでおかしかった。
「……殿、の事」
 震える腕で外した数珠を鶴杜の胸に押し当てる。
「宜しく頼むよ……?」
 嘉瑞の手に重なる鶴杜の大きく温かい手。
「ど……して、    な、んで……嘉瑞……」
 何か言いたげに戦慄く鶴杜の唇。もう一度数珠を鶴杜の胸に押す。じゃら、と音を立てて鶴杜が嘉瑞の数珠を握った。
 音を立てて鼻を啜る鶴杜に笑って頷いてみせる。
「……っ け、ほ……」
 数度小さく咳き込んで、鶴杜の着物を握る。
「……今度は……」
 狭まる視界の真ん中に幼馴染の見慣れた泣き顔を収めた。
「俺が  迎えに来る」
 目を瞠る鶴杜。
 幼き日、果たせなかった約束。一度目は母との、二度目は父との。共に迎えが来ることはなかった。自分は要らない存在だと突きつけられ深く傷として残り、三度目の幼馴染と交わした約束をもうあの恐怖を味わうのは嫌だと自ら反古にした。
 信じていた、信じたかった……でも自分の心の弱さに負けて自ら鶴杜のもとへと向かったのだ。「信じられなくて……」その言葉を彼はどんな気持ちで聞いただろうか……。
「……だから  ……ちゃんと、待ってろよ……?」
 これが嘉瑞最期の約束。今度こそ、果たそう。どんな形になろうとも……。
「……生きろ」
 これが嘉瑞最期の望み。幼き日共に過ごし、そして今も自分の隣にいてくれる友への。
 鶴杜がぐっと口を引き絞る。着物の袖で涙を拭い、ゆっくりと大きく頷くのを見届けて嘉瑞は最期に微笑んだ。

『お前なら……大丈夫だよ』

 そして眠るように息を引き取った。

 一片、二片嘉瑞の頬に散る雪。もう溶けることのないそれを鶴杜はそっと払う。


 花びらのように静かに雪が舞う。
 誰も居ない墓地、真新しい墓の前に一人立つ鶴杜。大地も墓も鶴杜も雪は等しく白に染めていく。
「……どうして」
 鶴杜の唇から言葉が零れ落ちた。腕に巻いた二本の数珠、それを逆の手でそっと撫でる。此処にはいない嘉瑞の声を聞くかのように。だが答えは返ってこない。
 当然だ。嘉瑞は、鶴杜の幼馴染はこの広い空の下どこを探してもいないのだから。
 どうして……眉根を寄せる。
(病の事、黙ってたの?)
 自分にも何かできたかもしれない。例え何もできずとももっと一緒にいることはできたはずだ。
 鼻の奥がツンと痛んで目をぎゅっと閉じた。

『俺が迎えに来る』

 嘉瑞の最後の言葉。
 彼が待っていろというのなら、生きろというのなら、自分は信じて待とう。
「これはそれまで俺が預かっておくよ……」
 軽く数珠を上げた。
 だから……祈るような気持ちで、手にした花を墓に供える。彼が暮らしていた離れの庭に咲いた黄色い水仙。
 白い世界に一つだけ咲く黄色。それはあたかもたった一つの願いのように。

 私の元へ帰って、それがこの花の言葉。

「嘉瑞……」
 口にした名は白い呼気とともに大気に溶けた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC   / 性別 / 年齢 / 職業】
【ic1167  / 嘉瑞   / 男  / 21  / 武僧】
【ic1184  / 浪 鶴杜 / 男  / 26  / 巫女】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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発注いただきありがとうございます。桐崎です。

雪の中の別離、いかがだったでしょうか?
お二人にとって非常に大切な時に立ち合わさせて頂き本当にありがとうございました。
イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。

それでは失礼させて頂きます(礼)。
snowCパーティノベル -
桐崎ふみお クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2015年01月22日

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