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『2月の或る日。 』
伊武木・リョウ8411)&青霧・ノゾミ(8553)&ギルフォード(NPCA025)

 施設内の一室で、シンプルな形状の机の上で数種の書類に向かい、真面目な表情を作り上げている少年がいた。
 視界に入る距離に添えられているのは、正方形の小さな箱。青色の包装紙に黄色の細いリボンが巻かれている。
 それは今日のために用意された、ささやかなプレゼントであった。
「…………」
 ペンを片手に黙々と、慎重になおかつ丁寧に文字を書き込んでいく。
 指が微かに震えた。緊張しているのだろうか。
 文字を書く事、難しい書類を纏める事、それ自体に経験が浅い少年の名は、青霧ノゾミ。
 中性的な印象を与える線の細い外見に、青の瞳がよく映える。綺麗な色だ。
 その青い色が、僅かに濁ったように見えた。
 ちらりと机の端に置いてある時計に視線をやり、数秒。
 約束の時間が迫っている。
 だが、『彼』が帰ってくる様子は見られない。
 早く会いたい。
 だから、迎えに行くと決めた。自分の意志で。
「……先生、ビックリするかな」
 少しは驚いてくれるだろうか。
 そんな事を考えながら、ノゾミはペンを持ち直して文字を書き込む作業を再開させた。

 腕時計に目をやりつつ、道を進む。
 予定より随分と遅くなってしまった。
 伊武木リョウはとにかく帰路を急いでいた。
 出張のために外出して二日経つ。向こうでの仕事内容が膨大で消費に時間を掛け過ぎてしまった。
 本来であれば昼前頃にはこの道を通り抜けているはずで、今の時間は既に寛いでいるはずでもあった。
 現実とは時に思い通りに動かないことがある。むしろそちらのほうが多いの常だが、今は例を挙げる余裕すらない。
 とにかく、今日中に研究所に戻らなくてはならないのだ。大切な約束がある。
「見ぃーつけたぁーっ、とぉ」
 ざわ、と木々が揺れた音の後、暗闇からそんな声が飛んできた。
 リョウはその数秒前に足を止めていて、前を見据えている。
 チャリ、と金属のぶつかる音が数回聞こえて、その後に。
「アンタが伊武木? リョウだっけぇ?」
 一人の男が姿を表した。素行の良さなどどこにも感じられない空気を纏わせる、土気色の肌をした人物であった。
 右目に眼帯、右腕が義手という見た目からして強烈な印象を与える男だ。先ほどの金属音は、その男が腰から下げている二連のウォレットチェーンがぶつかり合う音であった。
 名をギルフォード。犯罪を快楽主義と捉える人物だ。
「……おいおい、質問には答えてくれよぉ」
 そんな彼が肩を竦めつつ言葉を続けた。
 対峙したリョウは、黒曜石にも似た瞳を向けて、男と同じように肩を竦めて唇を開く。
「人に名を尋ねる時、最初は自分から名乗るのが礼儀じゃないかい?」
「死んじまうヤツに名乗っても仕方ねぇだろ?」
 リョウの言葉に、ギルフォードは舌なめずりをしつつそう言った。
 同じ色を持つ黒い瞳は街灯の光に反射しギラつき、その煌きは狂気の色を孕んでいると感じる。
 まともな会話は望めないだろうと思い至り、ため息混じりに「そうだよ、俺が伊武木だ」と返した。
「個人的な恨みなんざねぇけど、アンタを殺せって言われててなぁ。まぁとにかく、死んでもらうぜ」
 首を横に傾けつつ、ギルフォードが言った。周囲の空気がじわじわと冷めたいものになる。
「雇われ者か……そう簡単に出来るかな」
 そんな状況にもリョウは動ぜずに、口の端のみの笑みを添えてそう言った。
 自分の立場上、狙われる対象になることは珍しいことではない。目の前の男が誰から雇われたのかまでは知らないが、相手を煽った以上は対峙が続きそうだと内心でこっそり呟く。
 ギルフォードは上等じゃねぇかと漏らしつつ、駈け出した直後に大きく地面を蹴った。
 素早く身軽な跳躍であったが、リョウは彼の姿を視線のみで捕らえて口元で小さく何かを呟いた後、パチンと指を鳴らした。
 男の右腕に付いた義手を振り上げると、手首から上の形状が鉤爪のように変化し、五指が鋭く伸る。ギルフォードの意思で形を変えられるその腕は、武器にも道具にもなるらしい。
 それを勢い良く前方へと下ろし、彼はリョウが引き裂かれる姿をイメージした。
 だが。
「っ!?」
 ガキン、と弾かれる音がした。直後に義手に痺れのようなものが走り、ギルフォードは腕を引く。
 青白い光の輪がリョウの目の前にあった。
 魔術で構築されたシールドのようなものだ。輪の内側に不思議な文字が並び、ゆっくりと円を描くようにして回っている。
 ギルフォードはそれを間近で確認して、舌打ちをした。
「大人しくしときゃ、痛くもねぇのによぉ」
「こんなおじさんを切り刻んでも、楽しくないと思うよ」
 そんな会話を交わした後、視線で火花が散った。
 再びギルフォードが攻撃をしかげてくる。
「いっそのこそ、逃げまわってくれたっていいんだぜ? もっとこう、さぁ、刺激的な反応してくれよ!」
「……それは別の人に頼んでほしいね」
 ギルフォードの攻撃はどれも危険なものであったが、スピードも早く威力も強い。
 だが、リョウの防護の力のほうが若干上回り、彼は数秒の余裕を常に持ちつつ回避を続けた。
 相手は派手に動く分、体力も使う。消耗を狙っての行動だ。
 イメージどおりに対象が引き裂かれない現実に、ギルフォードは徐々に苛立ちの感情を見せ始めた。
「なんでテメェは避けやがるんだよっ!!」
 語気がさらに強いものになる。
 基本、楽しければ良いという彼は思い通りに行かない事にはやはり機嫌が傾くようだ。
 バシンッ、と、大きく義手が弾かれる音が辺りに響く。
 威力が強ければ反動も大きい。シールドで受けとめたリョウのほうにも影響は少なからずあり、表情にこそ出さずに居たが、このままの状態が長引けばやがて分が悪くなるのはこちらだろう、と冷静に心で呟いた。
 ギルフォードは未だに引く気配が無い。
 ゆらゆらとした動きでこちらを見据えた両目が、鈍く光ったままだ。
「……なぁ、俺もさぁ、手ぶらで帰るわけにいかねぇんだよ。だから腕の一本……足でもいいから、俺にくれよ!」
 ギルフォードはそう言いながらまた、リョウに斬りかかってきた。
 リョウも再び攻撃を避けるための姿勢を取る。
 その直後、肌に触れる湿った空気を感じて彼は視線を動かした。
「先生!」
 並木道に沿うように植えこまれた低木をぴょんと飛び越え、こちらに向かってくる存在がある。
「ノゾミ……」
 一瞬でその場に広がる霧。
 リョウは誰よりもそれを知っている。
「リョウ先生から離れてよ!」
 霧を創りだした本人である声の主――ノゾミが、リョウの前に立ち右腕をスラリと前方へと伸ばす。
 白く綺麗な指先から生まれるものは無数の氷の針だ。
 それをギルフォードに向けて、次の瞬間には撃ちこんでいく。
「うわっ、なんだこりゃぁ! イレギュラーは聞いてねぇし!」
 突然の霧の上に、飛んでくる氷の針。
 さすがのギルフォードも対応しきれずに、ジャンプして後退した。
 ノゾミの作り出す霧には対象の感覚を狂わせる効果もあるので、それを肌で感じたギルフォードは、その場で戦闘態勢を解き、ダラリと腕を下げた。
「あー……、やーめた。これダメなやつ。つまんねーわ」
 彼はそんな事を続けて、くるりと踵を返す。
「証拠は必要なくなったのかい?」
「アンタにゃ関係ねぇ。とりあえず、命拾いしたって喜んでおけよ」
 ふらりとその場を離れようとする背中にリョウがそう声を掛けたが、ギルフォードは振り向きもせずに言い捨て姿を消した。
 気配は一瞬で消え、周囲の空気も落ち着いたものになった所で、ノゾミは張り巡らさせていた霧をかき消して安堵の溜息をこぼす。
「……助かったよ、ノゾミ」
 リョウは自分の前に立つノゾミの肩にポンと手を置いて、静かにそう言った。
 するとノゾミは勢い良く振り返り、彼を睨むように見上げて口を開く。
「ボクが黙って待っていると思った?」
 どうやらノゾミは怒っているようだ。
 なかなか帰ってこないリョウを心配していたのだろう。
「危険な目に合うって解っていたなら、真っ先にボクを呼んでよ。リョウ先生のばかっ!」
「心配かけたね、ごめん」
 どん、と小さな拳がリョウの胸に打ち付けられた。
 それを苦笑とともに受けとめたリョウはノゾミの拳に自分の手をそっと重ねてから、言葉を返す。
 すると、ノゾミは頬を膨らませてさらに不満を露わにする。
「……ほら、そんな顔をしちゃいけないよ。癖になったらどうするんだ」
 かわいい顔が台無しだよ、と付け加えつつ次は頭を軽く撫でてやった。
 努めて優しく、数回。
 数秒後にはノゾミの表情は元に戻り、嬉しそうな笑顔を見せる。
「良く一人で研究所を出てこられたね」
「うん、ボク頑張った。先生に教えられたとおりに書類書いたよ」
 リョウの言葉に、ノゾミは自慢気に自分の衣服のポケットに手を突っ込み、四つ折りにした一枚の紙を取り出した。それは外出許可を貰うための書類のコピーであった。
 その場で広げて中身を確認したリョウは、口元にうっすらと笑みを浮かべて「うん、よく書けてる。随分と上手くなったね」とノゾミを褒めてやった。
 ノゾミは満面の笑みを見せて、こくりと頷いて見せた。
 少々子供っぽい仕草とこの笑顔が、リョウの心を穏やかにさせた。彼自身、とても気に入っている部分でもあった。
「あ、そうだ」
 はっ、と何かに気づいたような表情をした後、ノゾミが再び衣服のポケットを探った。先ほどとは反対側である。ごそりと指を巡らせ、指先に当たった感触をそのまま取り出し、リョウの目の前に差し出す。
「はい、先生。約束のチョコレートだよ」
「そうだったね。ありがとう、ノゾミ」
 白い手のひらに乗るのは、机の上にあったあの正方形の箱だった。どうやら中身はチョコレートのようだ。
 リョウはこの箱を受け取るために帰路を急いでいたのだ。
「ハッピー・バレンタイン、かな?」
「うん!」
 リョウが身を屈めてそう言うと、ノゾミは僅かに頬を染めて頷いた。
 額と額がこつんと当たって、二人は同じようにして笑みを作る。
「お返しは何がいいかな。飴? それともクッキー?」
「先生がくれるものなら、何でも」
 至近距離でそんな言葉を交わした後、リョウがノゾミの手を取り横に立つ。
「じゃあ、来月までのお楽しみだね」
「はい、先生!」
 握られた手を、きゅ、と握り返す。
 大きな温かい手。
 ノゾミはこの手が大好きだ。
「帰ろうか」
「うん」
 リョウがそう促し、ノゾミが頷く。
 そして二人は仲良く手を繋いだまま、ゆっくりとした足取りで再びの帰路を進み始めるのだった。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
涼月青 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年02月03日

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