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『休日出勤 』
八瀬・葵8757)&弥生・ハスロ(8556)&フェイト・−(8636)


 男子厨房に入らず、という言葉がある。男女差別的な意味合いで使われる事が多い。
 だがもしかして、これを言い出したのは女性の方ではないのか、とフェイトは思わなくもなかった。
 男に料理の手伝いなどされては、かえって邪魔だ、という事である。
 台所仕事に集中している女性というのは、そう思えてしまうほどに鬼気迫っている。
 八瀬葵が従業員として働いている喫茶店。
 業務用厨房を覗き込みながら、フェイトはそんな事を思っていた。
 本日は定休日である。
 喫茶店のマスターは、買い付けに行っている。
 葵は休日出勤。こんな時でなければ出来ない大規模な清掃を、あらかた終えたところだ。
 今は当然、客はいない。
 にもかかわらず厨房では、凄まじい勢いで料理が出来てゆく。
 フェイトは、小声を発した。
「……弥生さん、よく来るのかな?」
「忙しい時とか、手伝ってくれる時もある……それより、あんたもよく来るよね」
 葵が、茶色の瞳をちらりと向けてくる。幾分、冷ややかな眼差しではある。
 IO2は暇なのか、と無言で問いかけられている。
 フェイトは咳払いをした。
「あ、いや何か手伝える事ないかな……と思ったんだけど」
「それじゃ、ちょっと試食してみてくれる?」
 キッチンを占領している女性が、そう言って微笑んだ。
 明るく、優しい笑顔。それでもどこか鬼気迫っている、とフェイトは感じた。
 弥生・ハスロ。マスターの奥方である。
 子供たちを保育園に預けた後、新メニュー考案のためと言って店に現れるなり厨房に閉じこもり、料理を始めてしまったらしい。
 おかげで葵が、キッチンの清掃に取りかかれず、少し困っていたようだ。
「ああ大丈夫よ葵君、お掃除は私がやっておくから……ほらキミも食べて食べて」
「は、はい……あの……新メニューって、これ? ですか……」
 主婦らしい手際良さでテーブルに並べられてゆく料理を、葵もフェイトも呆然と見つめた。
「酢豚とか、あるんですけど……」
「こっちはカツ丼だ……弥生さん、これ喫茶店で出すの?」
「うっふふふふ。ハスロ家名物、タマネギの代わりにミョウガを使ったさっぱり系ロースカツ丼と、ターメリックの利いたピリ辛酢豚よ。お酒にも合うんだから」
「いや、だからここは喫茶店……ま、いいや。いただきます」
 フェイトは手を合わせてから、箸を使い始めた。
 カツ丼は今一つ。酢豚は、美味い事は美味いがやはり酒か白米のどちらかが欲しいところだ。
 コロッケ蕎麦は、コロッケの中身が食べてみてもよくわからず気になる点を除けば、なかなかのものではある。
 食べながらフェイトはしかし、おかしな既視感のようなものに襲われていた。
 このような料理、もちろん食べるのは初めてである。だが、味わいと同時に感じられる何かに、フェイトは覚えがあった。
 葵が、ぽつりと言う。
「弥生さん……マスターと、うまくいってないんですか?」
「おおい!」
 フェイトは思わず叫んだ。葵の口に、コロッケを突っ込んでやりたい気分だった。
 開店以来、フェイトが気にしていながら口には出せなかった事を、この八瀬葵という青年はあっさりと言ってのけたのだ。
 弥生が一瞬、固まった。
「……何で……葵君は、そう思うのかな……?」
「何となく……ですけど……」
 言いつつ葵が、焼き鳥をかじっている。
 いくら何でも喫茶店に焼き鳥はなかろう、とフェイトは思った。
「これ、食べてると……何となく、そういう音が聞こえてくるんです……変な言い方で、ごめんなさい」
 葵のその言葉で、フェイトは思い出した。既視感のような、この奇妙な感覚。
 思いを寄せていた女性が、親友と結ばれた。
 それを祝福しながらも、未練を捨てられない。祝福の言葉で未練を包み隠していながら、どこか隠しきれていない。
 八瀬葵の、あの歌を初めて聞いた時の感覚だ。
 あれと同じようなものを、この料理を食べていると、感じてしまうのだ。
 弥生が、苦笑している。
「……葵君の彼女になる女の子は、大変よね。『音』だけで、何でもかんでも見抜かれちゃう。元カレの事なんかもねえ」
「……もしかして弥生さん、本当に……うまく、いってないの……?」
 恐る恐る、フェイトが尋ねる。
 弥生は明るく笑った。一見、明るい笑顔だ。
「そういうわけじゃないわ。彼はいつも通り、私に優しくしてくれて……って何か、のろけ話みたいになっちゃうけど」
 こほん、と弥生は咳払いをした。
「とにかく。私がちょっと、落ち着いていないだけ。そうよ、おたおたする必要なんて全然ないんだから。女のお客さんにちやほやされたくらいで、舞い上がっちゃうような彼じゃなし」
 弥生は明るく笑っている、ように見える。
「私がちょっと一方的に、変な事気にしちゃってるだけ。そうよ、何にも気にする必要なんてないんだから。彼が女のお客さんに優しくするのは当たり前、接客なんだから。仕事なんだから」
「あの弥生さん、それタバスコ……」
 フェイトの言葉は、弥生の耳には届いていない。
 グラタンらしきものにタバスコをどぼどぼと注ぎ、がつがつと食らいながら、弥生は呟いている。
「私が、やきもきする事なんてないのよね。奥さんなんだから、どんと構えてればいいのよ。彼がいくらモテたって、いくらモテモテだって、モテモテだって、もてもて、モテモテ、もてもて」
「弥生さん、落ち着いて弥生さん」
「……だから彼に! 客商売なんて! させたくなかったのよおおおおおッッ!」
 弥生の絶叫が、店内に響き渡った。
 心からの叫びなのか、それとも辛さで悲鳴を上げているのか、フェイトには判断がつかなかった。
「だってモテるに決まってんじゃない! あんなにイケメンで優しくて! って、ごめんね結局のろけになっちゃったけど!」
「……のろけ話でも何でも、聞きますから」
 言いつつ葵が、お冷やを持って来た。
 ウェイターらしくなってきた、とフェイトは思った。
「でも良かった……お2人が、うまくいってないわけじゃないんですね」
「……ありがとね、葵君」
 弥生は水を飲み干し、息をついた。
「本当に……嫉妬って、嫌なものよね」
「……ええ。これほど嫌なもの、ありません」
 葵の顔が一瞬、悲痛な翳りを帯びるのを、フェイトは見逃さなかった。
 あの歌は、八瀬葵本人によって削除された。
 だが1度、ネット上に放たれてしまったものを、完全に消し去るのは難しい。
 現に『虚無の境界』は、あの歌を保存・確保している。構成員が、端末で再生出来る状態でだ。
 そして、それはIO2も同様である。
 新たに直属の上司となった男が、1度聴いておけ、と言ってメールに添付してきたのだ。
 お前なら耐えられると思うが万一、精神の変調を自覚したら、俺に報告しろ。これを聴いておかしくなった奴が、IO2エージェントにも、いないわけじゃあない。
 あの男は、そう言っていた。
 弥生・ハスロならば、もしかしたら、あの歌を分析する事が出来るのではないか。
 葵の歌に宿る、葵本人は忌み嫌っている力を、彼女ならば黒魔術方面から解析してくれるのではないか。
 そして葵の力を、善き方向ヘと導いてくれるのではないだろうか。
 フェイトはそう思ったが、出しゃばって言う事でもなかった。
「葵君は本当、頑張って働いてくれてるけど……辛くない? 彼、ああ見えて結構、容赦ないでしょ」
「マスターが一番、恐かったのは……」
 葵が天井を見上げ、何か思い出すような仕種を見せた。
「先週の日曜だったと思いますけど……弥生さん、お昼時に手伝いに来てくれましたよね」
「葵君、小学生の女の子たちにモテモテだった」
「あ、あの時間帯より後です……ちょっと変な男のお客様がいて、弥生さん絡まれてたじゃないですか」
「あの禿オヤジね。お家で、奥さんにもお子さんにも相手にされてなさそうな」
「弥生さんが上手い事かわしてたから、まあ良かったですけど……もうちょっと長引いてたらマスター、あのお客様に暴力振るってたと思います……そういう音が、出ていました」
「本気で怒ると、割とシャレにならないからね。あの人」
「もう、しょうがないわねえ彼ったら。私の事になると、冷静じゃなくなっちゃうんだから」
 弥生が一気に、上機嫌になった。
 フェイトは、葵と顔を見合わせた。要するに自分たちは、のろけ話を聞かされているという事なのだ。
 弥生がもう1度、咳払いをした。
「……まあ、私は充分に幸せと。要するに、そういう事なのよね。彼も危険なお仕事、辞めてくれたし。パパがいつも日本にいてくれるから、子供たちも喜んでるし。ごめんね2人とも? 変な話聞かされたり、変なもの食べさせられたり」
「いや、それは全然構わないけど……」
「あ〜あ、何やってんのかしらねえ私ってば」
 テーブルの上を眺めながら、弥生が呆れ返っている。
「酢豚に焼き鳥、エビチリ、よく見たらホッケの塩焼きとかあるじゃない。居酒屋じゃないんだから、まったく」
 彼女の綺麗な指がパチッ! と高らかにスナップを鳴らす。
 空中に魔法陣が生じ、そこから何だかよくわからない形をした生き物たちが出現した。
 フェイトは思わず、スーツの懐に片手を入れた。が、拳銃はない。日本であるから常日頃、持ち歩くわけにもいかない。
「や、弥生さん! こいつらは……」
「私の使い魔よ。ああ大丈夫、ちゃんと躾けてあるから……あなたたち、私の失敗作を片付けなさい」
『わぁああい、めしだ、めしだ』
『ぐへへへへ、姐さんの手料理ぐへへへへへ』
 使い魔たちが猛然と、テーブル上にあるものを平らげにかかる。
「もっとちゃんとした、喫茶店のメニューらしいものを作りましょうか」
 弥生が軽やかに椅子から立ち上がり、自分の身体にエプロンを巻き付けた。
「何がいいかな……2人とも、何か食べたいものある?」
「お、俺は……ええと、何でもいいです」
 葵が、ある意味最も相手を困らせる答えを口にしている。
 フェイトは、特に考える事もなく注文をしていた。
「エビフライとか、出来る? 喫茶店のメニューかどうかは微妙だけど」
「……私が主婦のお仕事修行中の頃、勇太君に試食してもらったやつね。懐かしくもあり、恥ずかしくもあり」
「あれ、本当に美味しかったよ」
 工藤勇太であった頃から自分は、この夫婦には厄介になりっぱなしである。
「もう1回、食べてみたいって思ってたんだ」
「ふふっ、じゃあ頑張って……あの頃の初々しい私に、戻ってみましょうか」
 足取り軽く厨房へと入って行く弥生を、じっと見送りながら、葵がぽつりと訊いてきた。
「勇太君……って、あんたの事? 本名なんだ」
「まあね」
「何で、フェイトなんて名乗ってるの?」
「……格好付けてるだけさ」
 それだけを、フェイトは答えた。
 先輩風を吹かせて偉そうに語る話など、何もないのだ。
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2015年02月09日

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