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『緑の瞳と甘いブラウニー 』
千影・ー3689)&ナギ(NPC5484)

 スマートフォンがコールを繰り返して、五回目。
 いつもであれば三回ほどで『彼女』は出てくれる。
「…………」
 ナギは嫌な予感がした。
 いや、それは勘に近いような物だったかもしれない。
「コレ系の勘は、ハズレてほしいんだけどなぁ……」
 彼は深い溜息を吐きつつ、スマートフォンの呼び出しを切り、コンクリートの地面を蹴った。
 一つのビルの屋上から飛び立って、一歩で次のビルへ。
 跳躍が高く滞空時間が長い彼にとっては、息をするよりも簡単な行動の一つだ。
 相手の気配は空気と一緒に読む。
 くん、と鼻を鳴らせば鼻が利く。彼は犬ではないが、獣人である事には変わりはなく、ヒトより嗅覚は発達しているのだ。
 北。貸し倉庫が多い区画。
 それを感じ取って、彼は移動のスピードを上げた。
 あの近辺は治安が良くない。どうして彼女がそちらに行ったかは解らないが、おそらくは自身の意志ではないのだろう。
 いっその事、夜の散歩自体を自粛させたい気持ちもある。
 だがそれは、自分が決めていいことでも押し付けたりするものでもない。
 彼女自身が決めること。それだけだ。
「まぁそれでも、黙って見てる気はねぇけどな」
 ぼそりと呟かれる独り言は、一瞬にして夜の空気に溶けて消えた。

 ――探してる人なら、こっちで見かけたよ。
 それが最初の誘い文句だったように思える。
 千影には『それ』は嘘だと解りきっていた。自分はヒトではない。相手の嘘など容易に見ぬくことが出来る。
 一人で大丈夫、と勿論断りを入れたが、声をかけてきた男はしつこかった。
「さぁ、嬢ちゃん。こっちの路地を抜ければすぐだよ」
「……そこに、チカが探してる人はいないよ」
「見れば解るよ、きっとね」
 男はにこやかにそう言い、千影の手を取ろうとした。
 後数ミリ、という所で彼女は腕を引く。
「あなた、悪い子でしょ?」
「そんな、人聞きの悪い。俺は優しいよ? こうして道案内だってしてあげてるのに」
 千影が問いかけをした所で、奥の暗闇から数人の笑い声が聞こえた。
 見えない気配が二人ほど。そこに善意など一欠片も感じない。
 自分は今、良くない場所に居合わせている。それでも千影はそれを怖いと感じることは全くなかった。
 右手に持つ小さめの紙袋を後ろ手に、いつこの場を抜け出すかということを考えながら、あたりの空気を読み続ける。
「――君はちょっと特別だ」
 暗闇からそんな声が聞こえてきた。先ほどまでの男とは違う声である。
「特別っていうのは……そう、君は『人間』じゃない」
「!」
 千影は僅かに動揺した。
 その声の主は、先ほど読んだ気配のうちに入っていなかったからだ。
「あなたは誰?」
「良い人のつもりだよ。さっきの彼もそう言ってただろう?」
「…………」
 ざわ、と背筋に走る嫌な気配。要するに、そこにいる存在もヒトではないという事だ。
 どうしたものかと思う。
 いつもとパターンが違うからだ。
「僕のところへ来ないか」
 相手がそう切り出した。
 下心からくる誘いのそれではなく、他に目的があるような音だ。
「どうしてそう言うの?」
「君という存在が、とても魅力的だからだよ」
「…………」
 存在。その響きに千影は眉を寄せる。
 自分をどこまで知っているのか。『魂の獣』としての価値を欲しがっているのか、それとも外見的なものなのか。
「――なぁ、そろそろ解放してもらっていいか?」
 頭上からそんな声が降りてきた。
 千影がいち早く反応して、上を見る。
 傍にある倉庫の上に居たのは、ナギであった。彼はダルそうに膝を折り、ダラリと腕を垂らしながら地上を見つめている。
「ナギちゃん」
「お前も、もうそこから離れろ。余計なこと考えなくていいからさ」
 こいこい、と右手でそう合図しつつナギは言う。
 いつもより若干、声音が鋭いような気がした。
「な、なんだお前。どっから湧きやがった!?」
 一人の男が焦りつつそう言ってくる。
 だが、ナギはそれに答えることはしなかった。
 彼はただ、千影が地面を蹴り自分のところへとひらりと辿り着く光景だけを見つめて、ゆっくり立ち上がる。
「誰かれ構わず着いて行くなって、『あいつ』にも言われてるだろ?」
「うん。でも、ナギちゃん探してたの。だから……」
 千影はそう言いながらナギの手を取った。
 すると直後、二人の背後に気配が生まれる。
「逃がさない。彼女は僕のものだ」
 先ほど、千影と言葉を交わしていた男の声だった。
「チカは物じゃないから、あなたの物になんかならないのよ」
 千影はハッキリとそう言った。
 返事はない。
 気配は未だにそこに存在するものの、姿が見えなかった。
 否、元より生身ではなかったのかもしれない。
 精神のみを此処に移動させ、対象に話しかける。その話に乗ったものが、彼のものになってしまう。
 そう言った仕組みのようであった。
 だが、ナギからしてみれば何の驚異も感じることもない程度のモノでもある。
「……お前、経験浅いなぁ」
 ナギは肩越しに振り向いて、静かにそう言った。赤い目がゆらりと揺れた後、鈍く光る。
「その能力持って何年だ? まだ数ヶ月ってトコだろ。……俺を誰だと思ってる。千影を誰だと思ってた?」
 彼はそう言って、左手をすっと上げた。
 同時にその場に風が巻き上がり、声の主である気配に向ける。
 ゴォッと音を立て、彼の風は相手を貫いた。
 ナギの能力がこうした攻撃に使われることは珍しいことでもあった。
「……ナギちゃん、怒ってるの?」
 隣に立つ千影がナギの手を握り直して、そう言う。
 その問いかけに、彼は浅く笑みを作り上げた後に「そうだなぁ」と軽い口調で答えて、千影を横抱きにする。
「一応聞いとくけど、あいつらとは面識ねぇんだよな?」
「うん、チカの知らない人」
「んじゃ、これ以上知る必要も無いってな」
 ナギはその場でジャンプをした。千影を抱き上げたままだ。
 そして彼は軽々と宙を飛び、その場から移動する。
「ナンパレベルとしては高めだったけどなぁ……。雑魚は一般人だけだったしなぁ、詰めが甘い」
「ねぇ、あの人どうなったのかな?」
「俺の風で吹き飛んでったけど、まぁ生身にはそれほど影響ねぇだろ」
 気絶くらいはしてもらわねぇとアレだけどな。
 そんな事を言いつつ、ナギは一つの建物の屋上に目星をつけて着地した。
 人目を避けるとどうしてもこう言う位置になっちまうなぁと独り言を漏らしてから、千影をその場に降ろす。
「ナギちゃんの移動はあっという間だね」
「お前もあんま変わらねぇだろ?」
 小さく笑いながらの会話が、交わされる。
「そういや、俺を探してたんだろ。俺もお前を探してたし、結果的にはちょうど良かったのかもな」
 彼はそう言いつつ、スマートフォンを取り出して指をさした。
 千影に自分のそれを見ろと合図をしているのだ。
 ナギに促されたとおりに、彼女はコートのポケットに入れてあるスマートフォンを取り出して画面を見た。
「あ、ナギちゃんお電話してくれてたのね」
「ちょうど、あいつらに集られてた頃な」
「そっか。ありがと、ナギちゃん」
 千影はその言葉を小さく伝えた後、ふう、とため息を零した。
 お散歩してると、ああいう変な人多いの。
 そう言いながら、遠くを見る。
「チカは、欲しがるばかりの大人はキライ」
「……ヒトってのは、そういうもんだ。欲には素直だからな」
 白い息が宙に舞う。
 二人分のそれが同じ方向に流れていくのを見上げながら、ナギはそう答えた。
 ヒトでは無い自分たち。
 千影もナギも、この渦巻く感情の中に生きていながら、違う目線で人々を観る。
 悲しかったり、辛かったり、苦しくなったり、最近はそういう事が多い気がした。
「自分たちで生み出す努力しなくちゃ、いつか消えてなくなっちゃうのにね」
「そうだな」
 千影のそんな言葉に、ナギは苦笑しつつ答える。
 そして二人は互いに視線を絡めた後、自然に額を寄せ合って小さく笑った。
「あ、そうだ。チカね、これをナギちゃんに渡したかったの」
「俺に? なんだ?」
 千影が目の前に差し出してきたのは、手に収めたままであった紙袋だ。
 ナギにはそれに思い当たる節が無いのか、首を傾げながら受け取った。
「えっとね、ブラウニーなの。主様に教わって、チカが作ったのよ」
 彼女の言葉を受け止めつつ、ナギは紙袋の中身を覗きこんだ。可愛らしくラッピングされた正方形の箱に、赤の細リボン。それを見て、ナギは「ん?」と何かに気づいたようにして顔を上げる。
 記憶が間違っていなければ、今日は14日。バレンタインデーだ。
「……なぁ千影、これって」
「今日は、好きな人にいつも有難うって、チョコレートを渡す日なんだよね?」
「あー……」
 彼女の言ってることは間違ってはいない。
 間違ってはいないが、おそらく千影はバレンタインの意味合いを十分に理解してはいないのだろう。或いは、彼女の主の教えた言葉をそのまま鵜呑みにしているかだ。
「もしかしてナギちゃん、甘いものキライだった?」
 千影はそう言いながら、不安そうにナギの顔を覗きこんでくる。
 ペリドットのような綺麗な瞳はいつ見ても変わりない。仕草が何時も以上に可愛いと思ってしまったナギは、はぁ、と一つのため息を吐いた後、彼女を自分へと抱き寄せた。
 千影は驚き、目を丸くする。
「ナギちゃん?」
「……有難く貰っとく。お前がくれるものだったら、何でも嬉しいよ」
「良かった」
 腕の中で嬉しそうに微笑む彼女が、とても愛おしかった。
 ナギはいつもであればその感情を飲み込むが、今だけはと息を吸い込んで再び口を開く。
「お前が、好きだよ」
 静かに耳元に落とす音。
 千影がそれをどのように受け取るか、今は知らなくてもいいと思った。ナギは彼女に多くを望んでいるわけではなく、自分の気持を伝えておきたかっただけだ。
「……たまに思い出すだけでいいからさ」
 今のところは。
 そう言って、ナギは千影の身体をゆっくりと離してまた額を摺り寄せた。
 鼻先がちょこんと触れ合う。
 くすぐったい、と最初に言ったのは千影。
 ナギはそれを目の前で受けとめ、そうだなと言いながら笑った。
 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
涼月青 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年02月09日

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