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『Troublesome flower 』
クレイグ・ジョンソン8746)&フェイト・−(8636)


 カタカタカタ、とキーボードが叩かれる音が部屋に響いた。
 クレイグがノートパソコンの前に向かって、真剣な表情で何かを打ち込んでいるのだ。
「クレイ、後どれくらい?」
「ん、あと少し。すぐ終わる」
 フェイトが手に何かを持ちながらそう問いかけ、彼の隣りに座った。
 手にしていたのは小さめの皿で、その上には切ったばかりと思われるオレンジが乗っている。
 それを一つ掴んで、フェイトはクレイグの口元に持っていった。
「はい、あーん」
「……ユウタ、お前ね」
 そうは言いつつも、彼はぱかりと口を開けた。
 甘いオレンジの匂いが鼻孔をくすぐり、次の瞬間には果汁が舌に触れる。
「美味しい?」
「ああ、美味い。お前も食べていいんだぞ」
「うん」
 再び、キーボードを叩く音。
 フェイトはそれを聞きながら、自分の口の中にもオレンジを放り込んでもぐもぐと噛みこんだ。甘酸っぱい味に目を細めつつ、彼はクレイグの腕をくぐり抜けて膝の上に割り込んでくる。
「…………」
 クレイグの表情が微妙なものになってきた。
 嫌がっているわけでは無く、フェイトの行動に困惑しているのだ。なぜなら彼は現在デスクワークの真っ最中だからだ。
「クレイ、ここ間違ってるよ」
「……あー、そうだな」
 フェイトがパソコン画面を覗きこんで指をさした。
 入力ミスを見つけてくれたようだ。
 それは有難いのだが。
「ユウタ」
「なに?」
 名前を呼んでも、フェイトはその場を動こうとはしなかった。首を少し動かした程度だ。クレイグに甘えたいのだろうか。
 完全に無意識からくるこの行動に、クレイグは己の理性のコントロールに苦戦しているようだ。
 そんな彼の静かな苦悩を知ってか知らずか、フェイトはクレイグを見上げて顔をまじまじと見つめてくる。
「……どうした」
 努めて普通に、そう言う。
「ねぇクレイ、その眼鏡って前から掛けてるの?」
「デスクワークん時と、家の中だけな。結構前から使ってる」
 左手で頭を撫でてやりつつ、右手はキーボードへ。バックスペースキーをポンポンと叩いてフェイトが言った文字を修正しながら、言葉を繋げた。
 フェイトはまだ彼を見上げたままだ。
「なんか、おかしいのか?」
「ううん、そうじゃない。かっこいいから」
「……、……っ」
 タン、と一つの文字の上に指が乗った。だがそれは弾くこと無く、押しっぱなしになっている。
 当然、画面の向こうでは同じ文字の羅列が続いていた。
 このままでは作業は続けられそうもないと判断したクレイグは、羅列した文字を消した後に保存を掛けパタリとパソコンを閉じて、黙ったままフェイトの身体を起こす。
「クレイ?」
 ちょこん、と隣に座らされた状態のフェイトは少しだけ不安な表情を浮かべた。
 怒られるとでも思ったのだろうか。
「ユウタ、お前ほんとにさ……俺の理性を崩すの上手すぎるわ」
 クレイグはそう言いながら右手を彼の頬に滑らせる。指の外側でゆっくりと撫でた後、指をそのまま顎に掛けて身を寄せた。
 フェイトは拒絶の姿勢を見せない。
 むしろ『それ』を待っていたかのように、ゆっくりと瞳を閉じた。



 オン、オフのスイッチは解りやすい所にあるのが良い。
 そんな事をぼんやりと思いながら煙草を吹かすのはクレイグだ。
 仕事用のスーツを着用して、コートを上から着る。バレンタインが間近に迫っている2月初旬後半、何度目かの寒波到来真っ只中でもあるので、外はとても寒かった。
「なんだってこんな時期に、変な植物なんか量産したんだ?」
「……こんな時期だから、だろ。嫉妬ってのは女より男のほうが深いんだぜ」
 郊外にある一軒家。その庭先で、ありえない光景が広がっている。
 フェイトとクレイグはそれの処理のために、向かいにある空き家の壁から様子を窺っている所であった。要するには任務中である。
 その庭はかつては美しい薔薇が咲く事で有名であったらしい。
 資料の写真で見る限りは、人の良さそうな人相の家主だと感じた。但し、美形かと言えばそうではなく、地味な部類に入る外見であった。
「……で、女性にモテないからって自慢の薔薇を化け物に? そういえば、こっちじゃ男性から女性に花とか贈るんだっけ」
「綺麗なままの薔薇を素直に相手に届けてりゃ、気持ちも通じるってモンだけどな」
 うぞうぞ、と庭で蠢く何か。かつては薔薇であったらしい植物が、今では化け物だ。茎も葉も通常の3倍以上の大きさに育ち、大輪の花からは何故かギザギザの歯が見える。腹いせで植物の改造を試みたまでは良かったが、自分でも手に負えないほどになってしまったそれに困り、IO2に依頼が舞い込んできたという流れであった。
「まぁ取り敢えず、厄介なことになる前に終わらせちゃおう」
「……そうだな」
 現場を仕切るようにしてそう言うフェイトの横顔は、なかなかに凛々しいものであった。
 任務中の時は大抵、『フェイト』はクールでいる事が多い。
 昨日、寝る直前まで自分の傍から離れたがらずにいた『ユウタ』の気配は今はどこにもない。
「ちょっとくらいあの時の可愛らしさがあってもいいとは思うけどな……」
 ぼそり、と思わずの本音が口から漏れる。
 小さな響きであったがフェイトの耳はその音を捉えて、チラリとクレイグを見た。
「あー、なんでもねぇよ。ほらほら、片付けに行こうぜ」
 ふぅ、と苦笑混じりのため息。
 携帯灰皿に煙草を押し付け吸い殻ごとそれを閉じたクレイグは、ポンとフェイトの肩を叩いて問題の庭へと歩みを寄せる。
 フェイトは若干不満そうな表情を見せていたが、それでも遅れを取らずに駈け出した。
 ちなみに、庭の主はすでにこの場には居なかった。
 数分前、事情を伺っている最中に熱くなってしまった彼は、クレイグを指さして大声を上げた。
 あんたも、他の皆も、あの薔薇を贈ってフラれちまえばいいんだぁ! と、叫び、直後に失神してしまったのだ。
 クレイグ本人は、それについては何のコメントも告げなかった。呆れていたのか、表情すら変えずに他の同僚に連絡を入れて彼を運ぶ手配を済ませ、今に至るというわけだ。
「左右グルっと回って向こうで合流な」
「うん、了解」
 二人は庭の前に立ち、そう言って左右に別れた。
 眼前には蠢く薔薇の化け物。
 人間の気配に反応して棘付きの蔓が伸びてくる。
 動きは妙だが草の音がするだけまだマシかと思いつつ、フェイトは手に収めていた銃を向けて数発撃った。向かい側でクレイグも同じように蔓と葉に銃を撃ちこんでいる。同じタイミングで進めていけばほぼ同じくらいに片付けられるだろう。さほど強い相手ではない。
 そんな事を思った直後。
「……えっ」
 がくん、と視界が揺れた。
 自分の足が何かに捕らわれてる。そう感じた時には遅かった。
「フェイト!」
 化け物薔薇の向こうから、クレイグの声を聴いた。
 まずい、とは自分でも思う。
「っ、ちょっ……、何だよ、これ……!」
 一本の蔓がフェイトの足に絡みついて、這ってくる。ゆっくりと足のラインを伝って上に昇って来ているのだ。
 その感触に、背筋辺りで嫌な音がした。
 ずる、と別の方向からも蔓が伸びてくる響きを耳にして、フェイトは慌てて銃を足元近くで撃った。
 最初に伸びていたそれが飛び散ったが、次のが既にふくらはぎを這い始めている。急にスピードを増したかのような動きに、冷や汗が出た。
「う、わ……、やめ……っ」
 喉を突いて出てくる自分の声に、フェイトは顔色を変えた。思わず左手で口元を押さえてしまう。
 どんどん伸びてくる蔓は、一本がスーツの裏側を這っていて、肌に伝わる感触が何とも言いがたい。
 フェイトの体の自由を半分奪った状態の薔薇は、庭の中心からさらに大輪の花を覗かせる。鮫の口を思わせる歯が光り、嫌な吐息が宙に舞い上がった。
「……っ」
 喰われるという恐怖より先に、体を這う蔦をどうにかしたくて、フェイトはもがいた。
 だが既に右手の銃も弾かれてしまった状態で、抵抗はほとんど出来ない。何故かシャツのボタンが一つ飛び、万事休すと目をきつく閉じた所で、引き金を引く音が耳に届いた。
「――良い度胸してるじゃねぇか、植物のくせに」
 そんな言葉とともに、ドン、と銃声が響く。フェイトはそれに反応して再び瞼を開いて、上を見た。
 真っ赤な花びらが綺麗に散っている。これが普通の花であれば、情熱的にでも見えたかもしれない。
「厄介な成長しやがって。……さっさと、くたばれっ!」
 その声には、かなりの怒気が含まれているような気がした。
 彼にしては珍しい、とさえ思う。
 続けて三発ほどの銃声が続くと、叫び声のような音が聴こえた。先ほどの大きな薔薇から発せられたように思えた。
 その数秒後、フェイトの体を覆っていた蔓はじわじわと枯れ色になり、静かに形を崩して地に還って行く。
 クレイグが大元の花を大人しくさせたことで、その場の雰囲気は一気に一変した。
「……大丈夫か、ユウタ」
 すぐ傍で彼の声がする。だがフェイトは顔をあげられずにその場に座り込んで、自分を抱き込んだ。
「だ、大丈夫……」
 それだけを言って、押し黙る。
 フェイトの着ていた衣服は、随分とボロボロだ。蔓に巻きつかれた時に、刺に繊維を持って行かれて破れてしまったようだ。
 恥ずかしさと、クレイグが怒っていることを悟っていたので、何よりそれが気になって身が竦んでしまうらしい。
「――ユウタ、そんなに怯えんなって。俺はお前に怒ってるんじゃねぇよ」
 その言葉とともに、クレイグが膝を折る気配を感じた。直後、肩に温かい重みを感じて顔を上げる。
 彼は自分の着ていたコートを脱ぎ、それをフェイトの肩に掛けてくれた。
「クレイ……」
「怪我はしてねぇな? ……怖かっただろ、フォローに入るの遅くてごめんな」
 そんなクレイグの言葉がやけに心に沁みた。
「ねぇ、クレイ……触って……気持ち悪い」
 視界が揺れたのを隠すための咄嗟の言葉が、本音と交じり合う。
 クレイグの腕に縋りつくようにして体を預けて、胸元に顔を埋めた。
「感触が未だに残ってる気がして……」
「……なぁ、ユウタ、そういう台詞は投げやりで言うもんじゃねぇよ」
「え……?」
 フェイトの体を抱き込んで、クレイグは言った。
 所々、破けて肌まで見える姿に、彼は何も感じてないわけではない。むしろ今も、必死に己の感情を押し殺している最中でもあった。
「普通に触るだけなら、いつでもそうしてやる。お前が望まなくたって、上書きだってしてやる。……さっきまで俺が怒ってた理由は、子供っぽい欲から来るもんじゃねぇ。あいつがユウタの嫌な記憶に触れようとしたことだ」
「クレイ……知って……?」
「何となく、な。だから言わなくていい」
 クレイグはフェイトの額に唇寄せつつ言葉を続けた。
 優しく触れるだけ。
 それを受けとめて、フェイトは瞳を閉じる。
 クレイグがこうして自分を抱きしめて、キスをくれること。髪を梳いてくれる指先の温かさ。それ以外、受け入れられない。彼以外に触られたくない、とさえ思えてしまう。
 薔薇の化け物に絡みつかれた時は、ひたすらの気持ち悪さが全身に広がった。遠くに押しやっていた記憶が呼び起こされる気がして、吐き気すらした。
 それを綺麗に拭い去ってくれるのは、目の前の彼しかいないのかもしれない。
 そんな思考が巡って、フェイトはクレイグの背中に手を回して、ぎゅ、と服を強く握りしめた。スーツに染み込んだ煙草の匂いも、嗜みとして使っている香水の匂いも、知るのは彼だけのでいい。
「……ユウタ、立てるか? このままじゃ冷えるぞ。報告済ませて帰ろうぜ」
「うん……」
 クレイグがそう言って、フェイトをゆっくりと立たせてくれた。
 改めて感じる大きな手の体温が腕を通じて全身を満たしていく気がして、小さく微笑む。
「どうした?」
「ううん、何でも……ただ俺は、クレイに愛されてるなーって」
 足元の土埃を自分で払いつつ、フェイトはクレイグの質問に答えた。
 その姿勢でチラリとクレイグの表情を覗えば、彼は予想もしない答えを貰い少し照れているかのような顔をしている。
 フェイトはそれが嬉しかったのか、また小さく笑って、クレイグの手を取った。いつもは外で手を繋ぐことなど自分からはしないが、今はどうしてもクレイグと手を繋いでいたかった。
 そして二人は現場を後にして、帰路へと歩みを開始させる。間に本部に任務完了の旨を連絡し、直帰することを伝えた彼等は、通りに面した花屋を通り過ぎた後に顔を見合わせた。
「……お前には花以外の物を贈るよ」
「うん、しばらく植物はいいかな」
 そんな言葉を交わして、苦笑する。
「俺ね、クレイと一緒に暮らすことが、嬉しいんだよ」
「うん?」
「……今までずっと、一人暮らしだったから……毎日が凄く楽しい」
「そうか。じゃあこれからも、楽しい時間過ごしていこうな、二人で」
 繋いでいた手が、いつの間にか『恋人繋ぎ』になる。そして互いに体を寄せあって、頬が微かに触れた。当然、クレイグが少し身を屈めてくれての事である。
 白い息がぶつかり、舞い上がった先で交じり合う。
 それを二人で見上げながら、クレイグとフェイトはゆっくりとアパートまでの道のりを歩いていた。

 後日。
 バレンタインデーの朝。
 テーブルの上には緑色のリボンを首に巻いたテディベアがちょこんと座り、隣には銀のチェーンに通された指輪が入った小箱が静かに置かれているのだった。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
涼月青 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年02月13日

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