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『父親たち 』
龍臣・ロートシルト8774)&ニコラウス・ロートシルト(8773)


 これで何度目の脱走になるのか、龍臣はもう数えるのをやめていた。
 ロートシルト邸の連中も、そろそろ愛想を尽かしてくれるだろう。
 とにかく口うるさい連中だった。言葉遣いや服装のみならず、立っている時の姿勢や爪先の角度にまで、いろいろと注文を付けてくるのだ。
 お笑い種、としか言いようがなかった。
 殺し屋でしかない少年に、あの連中は、執事のような仕事を教え込もうとしているのだ。
 紅茶の淹れ方に関する講義を受けている最中、龍臣は、講師である老執事の目を盗んで逃げ出した。
 逃げられた事にも気付かぬまま、あの老人は滔々と、茶葉の種類がどうの湯温がどうのと蘊蓄を語り続けていたものだ。
「どいつもこいつも素人なんだよっ、偉そうな事ばっか言うくせに」
 嘲りながら龍臣は、ウィーンの裏通りを走り抜けていた。
 本当に、あの屋敷には警護の素人しかいない。だから、こんな子供に幾度も幾度も脱走を許してしまう。
「俺はプロの殺し屋なんだよ。金持ちのおままごとになんて、付き合ってられるか!」
 龍臣ロートシルト、などという名前を一方的に与えられたが、冗談ではない。
 あのニコラウス・ロートシルトは自分を、ロートシルト家に組み入れようとしている。
 身寄りのない子供を家族として扱う、慈悲深い人格者。そんな顔を、世の人々に見せていたいのだ。
「弟でも欲しいのかよ……手に入らないものなんて何もない、金持ちのくせに!」
 立ち止まりながら、龍臣は叫んでいた。夜空に向かって。この場にいない、ロートシルト家の少年当主に向かって。
「その辺のガキでも拾って、せいぜい金注ぎ込んで飼い犬みたく可愛がってろよバーカ!」
 罵声に応じるかの如く、銃声が轟いた。
 龍臣は跳躍し、小さな身体で路上に転がり込んだ。それを追うように、路面で銃弾が跳ねる。
 おかしな気配を、先程から感じてはいたのだ。
「相変わらず、野良猫みてえにカンのいい坊やだなあ」
「今はアレか、飼い主に捨てられて本当に野良猫になっちまったかあ?」
 いつの間にか、取り囲まれていた。
 男が4人、前後左右から龍臣に拳銃を向けている。
「お前ら……」
 龍臣は呻いた。
 全員、顔も名前も知っている。あの組織の、下っ端の構成員たちだ。
 何の用であるのかは訊くまでもない。自分は暗殺の任務に失敗し、それを報告もせず組織を脱けてしまったのだ。
「何事もなく脱けられる、なぁんて思ってるワケじゃねーよなあ? ええおい」
 などと言っている男に、龍臣は拳銃を向けた。
 懐から22口径を引き抜き、狙いを定め、引き金を引く。全てが、ほぼ同時であった。
 男の眉間に、穴が生じた。
 その時には、他3つの拳銃が火を噴いていた。
 龍臣は倒れた。
 右肩と左足で、激痛が疼いている。2発命中、1発は外れたようだ。
「このガキが!」
 外した1人が、腹いせのように蹴りを入れてくる。
 龍臣の小さな身体が、まるでサッカーボールのように転がった。
「殺せよ……殺せッ!」
 歯を食いしばりながら、龍臣は叫んだ。
 叫んだ口元にも、蹴りが入った。
「おめえよォ、こんだけの事やらかしといて普通に死ねるワケねーだろぉがああ!?」
「殺せじゃねえよクソガキ! てめえはなぁ、お願いだから殺して下さいって泣き叫ぶんだよ可愛い声でよぉおおおお!」
「ま、そう慌てんなや。どーゆう殺し方にするかは、ボスとも相談してよぉーく考えねえとなあ」
 男の1人が、龍臣の顔面を踏みにじる。そのせいで、口をうまく閉じる事が出来ない。舌を噛んで死ぬ事も出来ない。
 その時、声が聞こえた。
「そやつの身柄に関しては……お前たちの組織とニコラウス様との間で、すでに話がついているはずだが?」
 身なりの良い老人が1人、いつの間にか、そこに立っていた。
 紅茶の蘊蓄を垂れ流していた、あの老執事である。
 口元を踏み付けられているのでなければ、龍臣は叫んでいただろう。何をしに来た、と。
(素人の老いぼれ1人で……どうにかなるとでも、思ってんのかよ……ッ!)
「何だぁ? てめえは」
 男の1人が、老人に拳銃を向けた。
「ジジイはとっとと帰って、おむつでも替えてもらいなぁー」
「私は嫌われ者でな。誰も介護などしてはくれんよ」
 老執事は、笑ったようだ。
 恐れている様子もない。拳銃を手にした若い男3人に対し、完全な丸腰であるにも関わらず……いや。よく見ると、左手に何か棒のようなものを携えているようだ。
 それが何であれ、銃口はすでに向けられているのだ。男が引き金を引けば、終わりである。
「1つ、忠告しておこう」
 老執事は言った。
「せっかく銃を持っているのなら、早急に引き金を引いた方が良い」
「おいおいおい! だいぶ進んじゃってんなぁーこのお爺ちゃんはよォ!」
 拳銃を構えたまま、男は笑った。笑っている暇があるなら引き金を引け、と龍臣は思わなくもなかった。そこだけは、気に入らぬ老執事と同意見である。
 その老執事が、いなくなった。姿が消えた。
 微かに、風が吹いたようである。
 それと同時に、光が一閃した。
 龍臣の顔面から、踏み付けの圧力が消え失せた。
 男が、3人とも倒れている。
 彼らの身体から、頭部がコロコロと分離した。
 立ち上がれぬ龍臣の傍らで老執事が、ギラリと冷たく輝くものを片手に佇んでいる。
「お前の母国で、大昔のサムライたちが使っていたという刀剣だ。これがまた実に難儀な得物でな」
 語りつつ老執事が、美しく湾曲したその片刃の刀身を、鞘にしまい込んだ。
「少しでも手入れを怠ると斬れなくなる。うかつな斬り方をすると刃が傷み、使い物にならなくなる。扱いが難しい割に、強力な武器というわけでもない。まあ見ての通り、素人の拳銃になら勝てない事もないが……そのあたりが限界であろうな」
「何で……」
 龍臣は呻いた。
「何で……来たんだよ……」
「こんなものの使い方を修練する暇があれば、お前のように拳銃の訓練をするべきであったと思うよ……ふむ、やはりな」
 質問に答えようともせず老執事は、龍臣の身体を勝手に抱き起こし、傷を調べている。
「皮膚と肉が、いくらか抉れているだけだ。拳銃の撃ち方だけではない。弾のかわし方も相当、訓練したものと見える。致命傷を避ける……撃たれ方、とでも言うべきものを、お前は身体で覚えてしまっているようだな」
「質問に答えろ! 何で来たんだよ!」
 龍臣は叫んだ。負傷しているのでなければ、暴れているところである。
「何で……俺なんか、助けに来たんだよ……ッ!」
「お前には今日明日じゅうに、紅茶の淹れ方を覚えてもらわねばならん」
 言いつつ老執事が、龍臣の小さな身体を抱き上げた。老人とも思えぬ力である。
「それを妨げる者は、斬り捨てる。言っておくが、お前の意思を考慮するつもりはない」
「俺……あんたらの所にいるのが嫌で、脱走したんだぞ……」
 声が震えるのを、龍臣は止められなかった。
「なのに……何で……」
「こうして私に、たやすく連れ戻されてしまう。そんなものを脱走とは言わんよ」
 荷物の如く龍臣を運びながら、老執事は笑った。
「いくら逃げても無駄だ。お前は、もはやロートシルト邸からは逃げられん。私がいる限りはな」
「あんた……みたいな奴、なんだろうな……」
 しゃくり上げながら、龍臣は声を発した。聞き取れる声になっているのかどうかは、わからない。
「……親父……っていうのは……あんたみたいに、ムカつく奴の事……言うんだろうなぁ……」
「その通り。父親とは、憎むべきものだ」
 老執事の口調は、聞いていて腹立たしくなるほどに揺るぎなく力強い。
「私を憎み、忌み嫌いながら生きてゆくが良い。私がいなくなり、お前がニコラウス様をお守りする、その時までな」
「くそ親父……」
 言葉を噛み締めながら、龍臣はきつく目を閉じた。目蓋で思いきり、眼球を圧迫した。
 そんな事をしても、涙は止まってくれなかった。


「お前は凄いなあ、本当に」
 一口、紅茶を啜ってから、ニコラウス・ロートシルトは老執事を賞賛した。
 彼の淹れてくれる紅茶は、いつもながら賞賛に値するものだが、今回はその事ではない。
「龍臣が、お前をお父さんと呼んでいるそうじゃないか。お前は昔から、私に出来ない事を何でもさらりとやってのけるんだな」
「お父さん、などと呼ばれた事はございませんな」
 老執事は笑い、少しだけ口調を変えた。
「……くそ親父、だよ」
「ずいぶん厳しくしてるみたいだね」
「あやつには、いずれ私の代わりを務めてもらわねばならんからな」
 老執事が、口調を戻した。
「私に代わってニコラウス様をお守りするのは、龍臣です」
「……お前も、いつかは私を置いて行ってしまうのか?」
 幼い頃からの親友、であるはずの老執事に、ニコラウスは問いかけた。
 同い年の親友同士。だが今や、片方は老人。片方は、こうして老いる事も出来ず、少年の姿を保っている。
 大勢の友が、ニコラウスを残し、旅立ってしまった。
「もう誰かを見送るのは嫌なんだが……覚えているかな? この間、私が自ら命を絶とうとした時。お前に、こっぴどく止められたっけ」
「やがて私に代わり龍臣が、ニコラウス様をお止めする事となるでしょうな」
 庭園を見回しながら、老執事は言った。
 ロートシルト邸の、広大な庭園。
 ここで楽しく遊び回っていた2人の子供が今、老いた執事と老いぬ主として、主従の会話を交わしている。
「あやつは、私よりも容赦がありませんぞ」
「それはそれは、こっぴどく止められるわけだな」
 ニコラウスは笑った。
 心の奥底では、重い、暗黒の塊のような不安が、渦巻きくすぶっている。
「楽しみにしていよう……それまでは死ねないな。私もだが、お前もだぞ」
 龍臣もいずれ、自分を残して行ってしまう。
 暗黒のようなその思いを、ニコラウスは微笑みでごまかした。


 茶葉の量も、湯温も、完璧である。
「……腕を上げたね、龍臣」
「いいお茶っ葉を使ってるってだけです。誰が淹れても、これくらいの物は出来ますよ」
 龍臣が応えた。
 彼も今や26歳。ニコラウスは相変わらず、外見は14歳のままである。
「あの商会は本当、いい物を取り扱ってます……社長は、ちょいとばかり胡散臭い奴ですけどね」
「油断ならない人物なのは確かだけど……商売に関しては、信頼が置ける。それは間違いないよ」
 イギリスに本社を有する、世界規模の商会である。ロートシルト系列の銀行とも、関わりが深い。
「まあ、それはともかく品物のせいばかりではないよ。龍臣は本当に、立派な執事になってくれた」
「……ガキの頃は、面倒ばっかり起こしてました。今も似たようなもんですけど」
「そんな龍臣を立派に育て上げてくれた、彼には感謝しなければいけないよ?」
「まあ、感謝はしてますけどね」
 龍臣は、頭を掻いた。
「……隠居はしても、相変わらずのクソ親父ですよ。あと20年は生きるな、ありゃ」
「で……龍臣は、私の事は父と呼んではくれないのかな?」
「ニコラウス様は、俺の御主人様です」
 龍臣は即答した。
「親父なんていう、クソったれな存在じゃありません」
「やれやれ……頑固なところも受け継いでしまったようだね」
 ニコラウスは微笑んだ。
 微笑みでごまかせないものが、相変わらず心の奥底で渦巻いている。
 それでも龍臣の前では、微笑んでいるしかないのだ。
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小湊拓也 クリエイターズルームへ
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2015年02月24日

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