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『人形少女は湖底を歩く 』
セレシュ・ウィーラー8538



 歯をガチガチ鳴らしながら、セレシュは湖の傍に立っていた。異世界のこの地域は、風が冷たくて東京よりも寒い。
(あかん。見た目に騙されたわ……)
 セレシュが着ているのは、もこもこのファーとくるみボタンのついた白いコート。あまりの可愛さに買ったものの、思った程温かくない。
(安かったしなあ……。安物買いの銭失いやな)
 これから素材探しのために湖に入らなければならない。考えるだけで肩まで震えてくる。あの石像を連れてくれば良かったと、ちらりと思う。
 だがすぐ打ち消す。
(あんなんに任せたら作業が進まんやろ)
 全く、あの石像ときたら好奇心が服を着て、もとい、石を着ているようなものだ。
 お陰で、一晩身体を貸した後も、石像はセレシュを訪ねて来るようになってしまった。

「わー! このベッド硬いですねっ」
「ちょ、跳ねんといてや! ベッドが折れたらどうすんねん!」
「私じゃなくて、ベッドの心配ですか?」
 深夜の鍼灸院で石像の少女がはしゃいでいる。ツルリとした無機質な顔なのに、好奇心に満ちた声を出す子だ。
「あのー、電気流す機械はないんですか?」
「ん? 接骨院の? あんなん、よう知っとるねえ」
「電気流してもらいたいんですよぉ!」
「石像やからなあ。電気流されても変わらんやろ」
「セレシュさまと融合して電気を流せば分かりますよぉ! あれって肌がピクンピクンするんですよね?!」
「何で融合前提やねん!」
「あ。鍼だあぁぁ! やりたい、やりたいです!」
「せやから、自分、石像やろ」
「ああ、そうですよね」
 少女は硬い肩を落として言った。
「じゃあ打つ方で我慢しますね……。セレシュさま後ろ向いて下さい……」

(あかん。あれはアカン)
 石像を連れて来なくて正解だったと確信したセレシュは、人形操りの術を自分に掛けた。
 以前対峙した人形師の呪詛をアレンジした術だ。セレシュは新しいアイテムや術が出来たら、すぐに試すのが好きだった。好奇心や探究心の強さは折り紙付きである。
 震えていた唇が、動きを止める。
 ――寒くないから。指令されていない動きだから。
 静かにコートを脱いだ。フワフワの純白のファーを地面に下ろしても、何とも思わなかった。見た目なんてどうでもいいと思った。水着姿になる頃には、見た目という概念すらなかった。
 そんなことは、指令にないのだから。
 長い髪で視界を遮らないように、髪を結んだ。高く結んだポニーテールは、セレシュを一層あどけない少女に見せたが、本人は気付きもしないし、興味も示さない。


 セレシュは湖に潜った。水は冷たくなかった。息も苦しくない。呼吸は必要ない。青色のガラスの瞳を大きく開く。周囲を探るため、より多くの景色を貪欲に映し出す。
 湖の底に足を着けると、パキリという音がした。
 貝を踏んでいた。割れて尖った貝殻が、足の裏に付いていた。
 硬くなった肌は、無傷だった。セレシュは一瞥すると歩きだした。問題ないと判断したからだった。湖底を散歩しながら、静かに、貝を集めた。
 やがて、大きな穴に出くわした。するとセレシュは穴に隠れ、置物のように動かなくなった。青い瞳だけが、瞬きもせずに、周囲を観察していた。
 働き者のセレシュである。昼も夜も、動いている。何もせずにじっとしているのは、苦手だった。
(今は……問題あらへん)
 ぼんやりとだが、冷静に判断した。
 二時間もの間、微動だにしなかった。
 三時間経った頃に、小さな淡水魚の群れがやってきた。彼らは弱く、群れて身を守る。穴に入って来た彼らは、セレシュの身体を盾にして息をひそめた。
 彼らを狙う中型魚たちが去るのを確認すると、小さな魚たちは食事にありついた。
 セレシュの肌に守られながら、そこにいるプランクトンをつつくのだ。
 脇の隙間をつつかれても、太ももの内側をヒレで擦られても、セレシュは動じなかった。自分に害がないことを確認すると、すぐに視線を前方上へ戻した。
(水槽にいるみたいや)
 ほろほろと崩れてしまうような、淡い自我の中で思う。
 今の自分は、まるで水槽に入れられた置物のようだと。
 縁日で拾われた金魚が、人工物の置物の下をくぐる。身を寄せる。つつく。
 置物は相手の好きなようにされるがまま、そこに在る。苔に身を隠されても構わない。
 置物は、苦痛を感じず。意味を求めず。ただ在るのである。


 セレシュが動いた。
 目的の蟹が現れたからだった。素早く魔法で氷漬けにして捕獲すると、一斉に逃げ惑う魚の群れを背にして、水面に浮かび上がった。
 魔法で手早く髪と水着を乾かすと、そっと服を着た。足の裏の砂を払い、靴下と靴を履いた。コートを羽織る。そして、自分に掛けていた術を解いた。

 パチン。

 霧が晴れたように、意識がクリアになった。
 だから、叫んだ。
「コート、真っ黒やん!」
 そして呟く。
 安物で良かった。



終。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年03月02日

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