『Special occasion 』

陽向　木綿子（jb7926）＆ギィ・ダインスレイフ（jb2636）

●いつも通りのふたり

　世界が揺れた。
　いや、そうではない。ギィ・ダインスレイフは机に置いた手をぐっと握り締め、どうにか体勢を保った。あともう少し遅ければ、派手な音を立てて額を机にぶつけていたことだろう。
（そろそろ限界か……）
　赤い髪を無造作にかきまわし、小さく溜息をつく。
　彼の努力の成果は、目の前に広げられたレポート用紙にのたうつ文字の列。
（人間って奴は……なんでこんな、面倒なことを考えるんだか……）
　積み上げた本の山と、課題を出した教師に対し呪いの言葉をひとしきり頭の中に並べると、ギィはそこで諦めたように力一杯伸びをした。
　普段から『……ダルい』が口癖の彼にしては、かなり頑張った。
　なけなしの気力を総動員してレポートに立ち向かったが、ついにエネルギーが枯渇したようだ。
　これではまた倒れてしまう。そう思ったギィは目前に積み上げた本を片付けようとして、向かい側から遠慮がちにこちらを見ている陽向　木綿子に気が付いた。
「ヒナ……？」
　いつからそこに。尋ねようとしたが、木綿子が細い人差し指を自分の口元にあてたのを見て、思いとどまる。
「今日は、もう終わりだ。……ここを出るぞ」
　その言葉に木綿子が微笑みながら頷いた。

　図書館を出ると、冷たい風が吹きつけてくる。
「さぶ……」
　背中を丸め、ギィが身震いした。
「ギィ先輩、レポートって大変なんですか？」
　木綿子が並んで歩きながら、ギィの顔から何かを読み取ろうとするように覗き込んだ。
「あー……大体、終わった。というより、もう、続かん」
　何かの授業で言っていたが、脳がブドートーとやらをやたらに使うので、集中して頭を使いすぎると、ケットーチが下がるらしい。
　勿論これは人間の話だが、ギィにも何となくは理解できた。
「じゃあちょっと寄り道しませんか？」
　木綿子がそう言って、手近の休憩所へと誘った。


●いつも通りのひとり

　暖かい部屋で席に落ち着くのもそこそこに、木綿子が鞄を開いた。
　中から出てきたのは、薄いグリーンの包み紙とピンクのリボンで可愛く飾られた小箱だ。
「あの、ギィ先輩、レポートでお腹空いてるんですよね」
　いつになく言葉を途切れさせながら、木綿子がおずおずと包みを差し出す。
「これ……頑張ったご褒美です。チョコレートは、好きですか？」
　ギィの気だるげな表情に、ほんの少し生気が差した。
　実は木綿子が鞄を抱えている仕草から、ちょっと期待はしていたのだ。
「勿論好きだ。疲れた時に甘いものは助かる」
　ギィは包みを受け取ると、直ぐにリボンをほどきはじめる。
　ところが今日に限ってなんだかやたらとリボンの本数も包み紙の枚数も多いし、包み方は複雑だしで、ギィは焦らされている様な気分だった。
　ようやく辿りついた箱の中身は、きれいに並んだチョコレート。どれも実に美味しそうである。
　ギィはチョコレートをつまんで次々と口に放り込んだ。
　優しい甘みが口いっぱいに広がり、ギィの全身に行き渡って行くようだ。
　チョコレートはナッツが入っていたり、甘さが強かったり、逆に控え目だったり。幾つ食べても飽きないように、変化をつけてくれている。
「美味い。ヒナは本当に菓子作りが上手いな」
　そんなことを言いながら、次々と箱の中身に手を伸ばすギィ。
　木綿子との最初の出会いも、やはり空腹の救世主としてであった。

　学園に来てまだ余り知り合いもいない頃、空腹の余りへたり込んでいたギィに、木綿子はやっぱり鞄から取り出した包みを渡してくれた。
　あの時の甘いお菓子の味は、片時も忘れたことは無い。
　大袈裟な表現ではなく言葉通りの意味で、木綿子はギィにとって命の恩人だった。
　それから今日まで、慣れない人間の世界で戸惑うギィを何かと助けてくれた。
　ギィにとって木綿子は、他の人間達とは少し違う、尊重すべき存在なのだ。

　だからギィは少なからず驚いた。
「……ギィ先輩、知ってますか？　今日はバレンタインデーですよ」
　そう言った木綿子の声の何とも言えない物悲しさ、伏せた視線が漂わせる寂しさ。
　チョコレートをつまむギィの手が、いつしか止まっていた。


●特別な想い

　言ってしまってから、木綿子は後悔した。
　自分の口調がギィを責めているように思えたからだ。
　木綿子はただ、ほんのちょっと寂しかっただけなのに……。

　最初に会った時、赤毛の長身の青年はどう見ても行き倒れていた。
　秀麗な顔の色は蒼白で、紫の瞳には生気の欠片もない。
　……まあ後に知ったことは、その点は彼にとって普通の状態だったわけだが。
　だが身動きが取れないでいるのは事実だった。
「大丈夫ですか……？」
　恐る恐る声を掛けると、ギィはぐったりしたまま答えたものだ。
「腹が……減って、動けない」
　木綿子は急いで自分の鞄に入っていたお菓子の包みを取り出した。
　お菓子作りが得意で、誰かの笑顔が見たくて、木綿子はよく手作りのお菓子を持ち歩いているのだ。
「これ、良かったら食べてください」
　満面の笑みを向けられたわけではない。大げさに感謝されたわけでもない。
　ただ、自分の手作りのお菓子を、本当に美味しそうに、無心に頬張る。そのときのギィの表情は、木綿子の心に深く刻みつけられていたのだ。

「……うん？　これは何か特殊な菓子なのか？　いつもと同じに美味しいぞ」
　ギィの『いつもと同じ』は褒め言葉だ。それは分かっている。
　戸惑っているような表情も、本心から。それも知っている。

　木綿子は出会ってから今日まで、人間の世界の色々なことをギィに教えて来た。
　ギィも味覚を楽しむという行為に始まり、面倒だのダルいだのと言いながらも色々なことを吸収して行った。
　けれど木綿子は、ギィにバレンタインデーの意味を説明する勇気はまだ持てなかった。
　このチョコレートは、貴方の為に。
　他の誰でもない、貴方だけの為に。
　ひとつひとつ祈りを籠めるように作ったチョコレートは、ギィにとって重荷になるのではないか。
　彼がチョコレートに閉じ込めた特別な想いを知った時、木綿子に対して同じような気持ちを抱いてくれるだろうか。
　もしかしたら木綿子は母親のような、教師のような存在なのではないか……。
　知りたい。知りたくない。
　木綿子の心はこんがらがったリボンのように、自分でもどうしていいのか分からないものになっていたのだ。


●特別な日

　ギィは木綿子の顔を覗き込む。
「俺は、何か間違えたか？」
　その目の真剣さが、木綿子には辛かった。
（ギィ先輩に心配させるなんて……。しっかりしなきゃ！）
　木綿子は顔を上げ、いつも通りの柔らかな笑みを浮かべる。
「いいえ、違うんです。ただ今日はバレンタインデーといって、ちょっとだけ特別な日なんです」
　そこで木綿子は少し考える。
　どう説明すればギィに理解してもらえるだろうか？
「……大切で、幸せになってもらいたい人に、チョコレートを渡してその気持ちを伝える日なんです」
　嘘ではない。だから木綿子は優しく笑える。

　ギィは木綿子の言葉の意味を考える。
（どうしてヒナは……いや人間は、そんな風に考えるのか）
　かつて自分は、ただ主の為に戦い続けていた。それ以外の生き方等知らなかった。
　つまり自分にとって主は特別であっただろうが、主が幸せかなど考えたこともなかった。
　この世界にやってきて、やはり人間たちにも利を求めての行動も、力による支配もあることは知った。
　だが彼らは『情愛』という物を持っている。
　それは誰かを特別な存在だと認識し、その誰かの為に自分が危ない目に遭ったり苦しい思いをすることも厭わず、ただ相手が嬉しそうにしていることで満足する心の動きだという。
　ギィはその言葉だけは覚えたが、意味は理解できずにいた。
　何故得にもならないことをするのか。何故相手から見返りを求めないのか。
　命令された訳でもないのに――。

　それでも今、少しだけ分かった。
　ギィが貰ったものが特別な物だと気付かなくて、木綿子が悲しそうな顔をして、そのことにギィは戸惑った。
　つまり、木綿子には悲しい思いをして欲しくないと願う心が、ギィの中にはあるらしい。
「ヒナが、俺にくれるものは、大切」
　ギィの唇から、不意に言葉がこぼれ出た。
「大切を貰ったら、返すもの、ではないのか」
「え？」
　木綿子が僅かに首を傾げた。
「チョコを貰って、俺は嬉しかった。嬉しいを返す日はないのか？」
　質問が余りにも自然だったので、木綿子は思わずそのまま答えてしまった。つまり。
「あの、１ヶ月後に、ホワイトデーっていう日があるんです」
「それも特別な日なのか」
「はい、そうなんです」
　そう答えて、木綿子は僅かに目を見張る。
　ギィの口元に、僅かな、けれど優しい微笑が浮かんでいたのだ。
「だったら、その日までに何か、チョコのお返しを考える……それでいいか？」
「はい……！」
　木綿子の白い頬が薄紅色に染まっていた。
　この笑顔を見た時の気持ちは、美味なチョコレートを口に入れた時にも勝る程で。
（成程な……悪くは、無い）
　ギィは今度はゆっくりと、箱の中のチョコレートをつまみ上げるのだった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb7926　／　陽向　木綿子　／　女　／　16　／　特別を包む】
【jb2636　／　ギィ・ダインスレイフ　／　男　／　18　／　特別を知る】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせいたしました。ちょっと特別な日のエピソードをお届けします。
おふたりのそれぞれがお互いを想う気持ちが優しくて、とても素敵でした。
上手くその辺りを描写できていましたら幸いです。
この度はご依頼いただきまして、誠に有難うございました！

ＭＶパーティノベル

樹シロカ

エリュシオン

2015年03月13日