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『ブラック・ホワイトデー 』
伊武木・リョウ8411)&青霧・ノゾミ(8553)


 女性と付き合った事が、ないわけではない。
 なくても良かった、と伊武木リョウは思っている。
「何と言うか、女って……重たいんだよなぁ、いろいろと」
 泡立て器をしゃかしゃかと使いながら、伊武木は呟いた。
 ボウルの中で、バターと上白糖が、白っぽくクリーム状に混ざってゆく。
 あの女も、こんなふうにして手作りの菓子を振る舞ってくれた。手料理を食べさせてくれた。
 味など、感じられなかった。
 私はこんなにも貴方を愛している。貴方に、尽くしている。
 一口食べるごとに、そんな声が聞こえてきてしまうのだ。
 彼女とは、すでに別れた。少なくとも伊武木としては、後腐れなく円満に別れたつもりである。
 手編みのセーターやマフラーなどは、自宅の押し入れに封印してある。
 もちろん着用する気にはなれないが、処分などしたら何か祟りがありそうで、捨てるに捨てられない。
 ボウルの中に、伊武木は卵を割り入れた。
 こんなものを作っているようでは自分も、彼女の事をとやかくは言えない。
 誰かに手作りの菓子をプレゼントしたくなる気持ちが、今なら、わからぬでもなかった。
「思いの籠った手作りお菓子なんて……迷惑だよなあ、ノゾミ」
 この場にいない少年に、ふと語りかけてみる。
 研究施設内。食堂の、厨房である。
 いわゆる、ホワイトデーであった。
「まったく、誰がでっち上げたイベントなのかは知らないけど……上手い事、やるもんだ」
 バレンタインデーがそもそも日本では、本来の意味からかけ離れた、女性にお菓子を買わせるだけのイベントと化しているのだ。近年は、男にも買わせようとしているようだが。
 厨房に、誰かが入って来た。
「あれ……今日は、そっか食堂休みかぁ」
 今日は、日曜日である。
「……って先生! 何やってんの、こんな所で」
「ノゾミ……あ〜あ、見つかっちゃったな」
 1人の少年が、そこで立ち尽くしていた。
 学校の制服のような、黒の上下。その中身の体格は細くたおやかで、胸に詰め物をすれば、そのまま美少女になってしまいそうである。ここ最近、白兵戦の訓練もしているようだが、それだけで筋肉が付いたりはしない。
 髪は黒く、瞳は青い。その青い両眼が、唖然と見開かれている。
「先生が……手料理!?」
「いや、ちょっと小腹が空いてね」
 ボウルの中身を掻き回しながら、伊武木は言った。
 青霧ノゾミ。今年のホワイトデーも、この少年にお返しをしなければならない。
「見つかっちゃった以上、お前にも振る舞おうと思う。もう少し時間がかかるから、部屋で待っていなさい」
「先生……手料理、って言うか……お菓子? だよね。この匂い……」
 部屋で待っていろと言っているのに、ノゾミは出て行ってくれなかった。
「あの……もしかして、その……ホワイト、デー……?」
「……まあな」
「そんな、手作りなんて……」
 ノゾミは俯いた。
「ボクがあげたのは、安い市販のチョコレートだったのに……」
「ま、同じようなもの返しても芸がないと思ってな」
 市販のクッキー、あるいは飴。毎年ホワイトデーには、そんなものを返している。
「アクセサリーとかにしてみようかとも思ったけど。お前、男の子だしなあ」
 頭の中で、ノゾミに女装をさせてみる。ネックレスや指輪などを着けさせてみる。
 有りかも知れない、と伊武木は思わない事もなかった。
 そんな妄想が伝わったわけでもなかろうが、ノゾミが顔を赤らめ、俯いている。
「ボクも……何か、手作りすれば良かった……もちろん、お料理なんて全然出来ないけど……」
「わかりやすいなあ、ノゾミは」
 伊武木が微笑みかけると、ノゾミはますます赤くなった。
 彼は、この伊武木リョウという腹黒い男を、本当に慕ってくれている。
(そろそろ何か……幻滅させておいた方が、いいかもな……)
 ひたすらに泡立て器を動かしながら、伊武木が思い浮かべているもの。
 それは、培養液槽の中で腐り朽ち果てていった、1人の少年の姿である。
 女の手編みマフラーなどとは違う。封印する事など、出来ない記憶であった。
(ノゾミと一緒に、幸せになるなんて……俺に、許されるわけないじゃないか……)
 伊武木はチョコレートを叩き割り、ボウルの中に放り込んだ。
 この施設で、伊武木が完成させておかなければならない研究が、1つだけある。
 ホムンクルスの寿命だ。
「何も永遠の命を求めてるわけじゃあないんだよ、神様……」
 続いてホットケーキの素をボウルに注ぎ込み、かき混ぜながら、伊武木は呟いた。
 ノゾミが、きょとん、としている。
 異能の力……魔法や超能力の類が、この世には確かに存在する。
 ならば神も実在するだろう、と伊武木は想定してみた。
(せめて7、80年……人間と同じくらいの寿命でいいんだよ。ノゾミが俺より長く生きてくれる、だけでいい)
 ノゾミに17歳、18歳以降の誕生日を、迎えさせてやる。
 その誕生日を伊武木が、いずれ一緒に祝ってやれなくなるとしてもだ。
(ノゾミ……俺はいずれ、お前をここから追い出すぞ。お前は、こんな所にいちゃいけない)
 ボウルの中でドロドロになっている、バターと卵とチョコレートと小麦粉の混ざり物。
 それは、培養液の中で腐りとろけていった少年の死に様と、少しだけ似ていた。
(お前は、俺なんかの傍に……いちゃあ、いけないんだよ……)
 ひたすらに、伊武木は掻き回し続けた。


 部屋で待っていろ、と言われたが、そんな気にはなれなかった。
 丸椅子に座ったまま青霧ノゾミは今、調理作業中の伊武木リョウを、じっと見つめている。
(リョウ先生……お菓子を、作ってる……んだよね?)
 ボウルの中で、クッキー、と思われるものが撹拌され続けている。
 それを見つめる伊武木の眼差しは、昏い。
 光彩の乏しい暗黒色の瞳が、いつもにも増して昏い。
(先生……一体、何を掻き混ぜているの……?)
 暗黒色の眼光を、昏く燃えくすぶらせる、伊武木の横顔。
 じっと見つめながらノゾミは、ある事に気付いた。
(リョウ先生は、昏いものを見てる……見た事があるんだ……ボクなんかが知らない、昏いものを……)
 生まれてから16年間、伊武木リョウと一緒に過ごした。
 だが24時間365日、1秒も欠かさず、同じ時を過ごしていたわけではない。
 自分の知らない伊武木リョウがいる。それは考えるまでもなく、当たり前の事だ。
(先生を、独り占め出来るわけじゃない……そんなの、最初からわかってた事じゃないか……)
 ノゾミは唇を噛んだ。
 そうしていないと、叫び声が出てしまいそうだからだ。
(それでもボクは……ずっと、リョウ先生の傍にいるよ……)


 甘い香りが、オーブンの中からふんわりと漂い出して来る。
「出来たよノゾミ。チョコチャンククッキー……に上手い事なってるかどうかは、まだわからないけど」
 伊武木が微笑む。昏い眼光など、最初からなかったかのように消え失せている。
「試食批評会、兼ホワイトデーパーティーを始めようか」
「わあ……リョウ先生ありがとう!」
「おっとっと、がっつかないがっつかない。まずはノゾミに、コーヒーを淹れてもらわないと」
「うん! 先生、ブラックでいい?」
「どうかなあ……ちゃんと甘いお菓子になってるかどうか」
 お菓子がいくらか甘味不足であろうと、甘くて素敵なコーヒータイムになるのは間違いない。
(ずっと、この時間が続きますように……)
 伊武木リョウを、独り占めする事は出来ない。
 それでも今、この時間だけは、自分と先生だけのもの。
 ノゾミは、そう思う事にした。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年03月19日

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