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『届かぬ想い 』
奈義・紘一郎8409)&青霧・カナエ(8406)&仁科・雪久(NPC5319)
 緑豊かな山奥。その細くくねる道をどこまでも行くと、唐突に分厚いコンクリートの壁が姿を見せる。まるで要塞のようにすら見えるその場所は、近隣住民にはとある製薬会社の研究施設と伝えられている。
 山そのものも研究施設の私有地ゆえ近寄るものも居ない。
 だが、実際は?
 真実はこの壁の向こうにしか存在しない。

 コンクリート壁に囲まれたその場所の、唯一の出入り口である仰々しい鉄扉が重々しい音と共に開き、中の建物が姿を現す。その近代的な建物に似合わぬボロい軽自動車が敷地内へと入り込んだ。
 駐車スペースへとそれが止まるとほぼ同時に建物の内部から細身の青年青霧・カナエ(あおぎり・かなえ)がタイミングを計ったように姿を現した。
 青年は車へと近づく。中に居る人物がアポイントのあった古書肆淡雪店主、仁科・雪久だと確かめ、彼はただじっと雪久が車から降りるのを待った。
「こんにちは、カナエさん。先日はお世話になりました」
「いえ……仕事でしたから」
 雪久の礼へとカナエは淡々と答える。
 だがカナエ自身、彼の上司である奈義・紘一郎(なぎ・こういちろう)から雪久が訪れる理由だけは聞いている。
 雪久は一冊の魔術書を紘一郎へと渡しに来たのだと言う。
 彼は雪久を軽く見やった。手元の少々分厚い紙袋が恐らく噂の魔術書だろうと判断。一言問いかける。
「……お預かりしましょうか?」
 しかし雪久は首を振った。
「すみません。奈義さんご本人に直接渡しつつお話したい事もあるので」
「そうですか」
 そっけなくカナエは答えたが、僅かながら心の中には漣が起きる。
 それがどんな感情であるのか彼自身よくは判らない。ただ、何となく心中穏やかでは居られない。
「こちらへ」
 そんな思いを振り切るようにカナエは一言雪久へと促すと、暗く口をあけた研究所内部へと歩み出した。

 構造物内部は外部からは想像できないほどに近代的で、無機質な光景がどこまでも続いていた。
 どこか迷宮じみたその場所は、きっと一人で放置されたなら無事に帰ることは叶わないだろう。
 ただ二人の足音だけが響く静かな廊下を長い事進んだ先、とある部屋の前で唐突にカナエは足を止めると戸を開いた。
 招かれ雪久は中に入る。
 ソファもあり、だいぶしっかりしたテーブルもあり、ちょっとした棚もあり、それどころか観葉植物なんかも飾られていた。
 ようやく現れた人間的な空間に雪久も安堵のため息をつく。
「こちらでしばしお待ちください」
 そんな彼の様子も意に介した様子もなく、言い残しカナエは部屋を出る。
 言われた通り数分経って現れた人物は――。
「どうやら私は賭けに勝てたみたいですね」
 雪久は部屋に入ってきた人物を見て微笑んだ。
 白衣を纏った長身の男性、奈義・紘一郎。
 メガネの下の鋭い瞳、無精髭の風貌、そしてよれた白衣とパッと見の印象は物語の中に登場するマッドサイエンティストのようで、決して親しみやすいタイプではない。だが慣れた部分もあるのだろう、雪久は無遠慮な問いを投げた。
「奈義さんの研究室というからもっと殺風景かと思っていましたよ」
 かくいう紘一郎もそんな扱いには慣れたものとばかりに苦笑で返す。
「ここは一応応接室だからな。とりあえずの調度は揃えてある。尤もほとんど使われる事は無いから普段はほこりも溜まりがちだが」
「そうなんですか? 今見る限りホコリ一つ無く綺麗ですけれど」
「ああ、来客ときいて昨日カナエが掃除してくれていた」
 語る間にもカナエは無駄なく洗練された動きでティーカップへと紅茶を注ぐ。
「ありがとうございます」
 雪久の笑顔での礼に、カナエは僅かだが逡巡したような間をあけつつも軽い礼で返した。
 紘一郎も自分の前に置かれたティーカップに手を伸ばし一口。
 特にこれと言った感慨はなさそうにただ喉を潤すためだけに流し込む。
「それにしても、ここは最強のバケモノを造りだすための研究室だ。こんな場所を訪れようとする仁科君も大概だと思うぞ」
「どちらかというと奈義さんにお会いしたかっただけだったりしますけどね」
「そうだったか。俺に会うの理由が必要だったというなら何の用だ?」
 問いかけに応じ雪久は立ち上がる。そして。
「改めまして先日は失礼いたしました」
 彼は深々と頭を下げた。それを紘一郎は渋面をもって答える。
「いや、それは俺の研究員だから気にすることは無いと言ったはずだろう」
「ですが、捕まえちゃったのは事実ですからね。業務中という事も考えればなおのことでしょう」
「君は態々そんな事のために……」
 無駄に筋金の入った頑固さにさしもの紘一郎もあきれ顔。
 そんな彼の前、テーブルの上に、紙袋が無造作に置かれる。
 中には厚みのある本が入っているのがはっきりと判った。
 途端に紘一郎の視線に凄みが混ざる。
「これが、約束の本です」
 雪久がずい、と紘一郎の方へ本を押しやる。傍に一緒におかれたとある有名店のマドレーヌを差し置き、彼は本を手に取るとパラパラとページを捲りはじめた。
 ラフな行動に反し日頃から鋭いその視線は更に険しく。極めて集中し内容を精査しているのは間違いなかった。
 一通りめくり終えて彼は本をぱたんと閉じテーブルの上に置く。
「……なるほど。魔術書を使えば実験の再現率を上げることが可能になりそうだ」
「気に入って頂けたようで何よりです」
 にこりと雪久は笑顔を向けた。
 一方紘一郎はといえば顔の前で手を組み暫しの間沈黙。ふー、と大きくため息をつくと後ろで微動だにせず控えていたカナエへと一言。
「カナエ、少し外してもらえるか?」
 だがそれはカナエにとってはある意味意外な言葉であった。茫々とした表情に僅かに――ほとんどの人には判らない程度にだが――動揺が走る。
「しかし、一人では……」
「大丈夫だ。仁科君は普通の人間だよ。ここに来るまでのチェックも引っかからなかったんだ。恐らく何も持っていない」
 紘一郎は無造作に答える。
 それに彼の言葉には決して間違った部分はない。カナエとしても雪久に何の危険も無いのは判る。それでも何かが引っかかる。
 だがこれ以上何を言おうと紘一郎が聞き入れないであろう事は察していた。
「部屋の外には控えています。何かあったら呼んでください」
「わかった」
 紘一郎が頷いたのを見てカナエは音もなく部屋の外へと出ると扉を静かに閉めた。
 彼の退出を見届け暫し。
「少し聞いてもらいたい話がある」
 唐突に切り出された言葉に雪久はぱちくりと瞬きすると居住まいを正した。
 余程の事がなければ紘一郎がそんな切り出し方をする事が無いのを雪久とて知っている。
 だがそんな様子を介する事もなく紘一郎は意外なほどあっさりとした口調で語り出した。
「奈義家の人間は先天的な異能の力を持って生まれる者が多い。それも、力を持って生まれた者には共通点がある。銀髪、紅の瞳、虚弱な体質で短命……」
「そういえば奈義さんの髪も……?」
 自身の銀色の前髪を軽くつまみ紘一郎は苦さを含んだ笑みを見せると雪久の問いに答えることなく淡々と語り続ける。
「妹はまさしくその性質と能力を濃く受け継いでいた。短命ではあったが、別に不幸な人生ではなかった。惚れた男と結婚して子も授かったからな」
 前髪から指先をはなし彼は雪久の目をじっと見つめる。雪久もまた彼の黒い瞳を見つめ返し――そしてようやくハッとしたような顔をした。
 そう、黒、なのだ。
 ようやく気づいたかとでもいった様子で紘一郎が笑う。そこには一抹の寂しさが含まれているように思われた。
「本当に何か少しの匙加減、かけ違えのようなものだ」
 紘一郎は所謂「異能」のたぐいは持たない。それでも彼は人として、ごく普通の人間の持つ能力を、異才、鬼才と呼ばれるレベルまで磨き上げた。
 だが他者はそう評価しても、あくまで人の能力の延長線上のもの。異能の代りにはなり得なかった。
 雪久は紘一郎の手元にある本を見やる。
 どんな人物であっても作り出す事ができる本。
 架空の人物であっても、実在の人物であっても。
 今生存している人物でも、そして…………故人であっても。
「ああ、別に俺は妹に再会したいわけじゃない」
 紘一郎は雪久が考えているであろう内容に先回りするように、あるいは、雪久がたどり着こうとするもう一つの結論を封じるように続ける。
「……死者を本当に甦らせたいのなら、彼の者が死んだという事実自体を、頭の中から消し去る必要があるだろう」
「確かにそうかもしれません。文字通り『黄泉還った』事になってしまいますし……」
 どのような最期を迎えていようと、それを無かった事にしなければ恐らく作られた人物自身が記憶の整合性に耐えられない。
 死んだ後、新たにつなぎ合わされる甦ったあとの記憶はどのようになっていくのだろう?
 それに、もう一つ問題はある。
 魔術書に記載された術式には凄まじい反動がある。
 執心の呪いとでも言おうか。
 そのまま使用すれば作り出した相手に執着せずにいられない。
 愛した相手ならば勿論、自分を憎んでいた相手であっても相手の動向を探らずに居られなくなる。
 結果、愛した相手ならば常に共に居られない事に狂乱し心中をはかったり、憎んでいた相手ならば執心ゆえに相手の憎悪を煽り殺害されたりもするという。
 雪久が知る限り術式を行使した人物も、作り出された人物も平穏では居られないのだ。
 それでも紘一郎ならば使いこなせるだろうと雪久はふんだ。
 彼の研究の特性上、この本は有用であるはず。紘一郎の応用力をもってすれば術式の反動を受けずに使用する事も可能だろう。
 そう考えてこの本を持ってきた訳だが――。
 それぞれに思う所があったのだろう。沈黙が満ちる。
「退屈な話を聞かせたな」
 紘一郎はそう述べて立ち上がる。
 気づけば時計の長針も一周しようという程の時間が経っていた。
「いえ。そんな事はありませんよ。色々と思う所もありましたし……」
「それなら良かった。カナエに言って研究所内を案内させよう。尤も、グロテスクな生物が苦手ならば、やめたほうが良いかもしれんが」
「いえ。ある程度は慣れてますよ」
 トンと彼はテーブルを指で叩く。その延長線上にあったものは――例の魔術書。即ち、古書。
「物語の中にはグロテスクな生物も死んだものも無機物も色々います。本は、読むの自体も大好きなので」
 述べて、雪久はいくつか有名どころのホラー作品や絵本などを挙げてみせた。
「本当に酔狂だな」
 苦笑ながらに紘一郎は扉をあける。やはりというべきかカナエは微動だにせずにそこに待機していた。
「カナエ、仁科君に研究所内を見学させてやってくれないか」
「判りました」
 カナエは疲れの色を欠片すらも見せずいつも通りに接する。
 来た時同様彼は雪久を先導し廊下を歩き出す。雪久もまた紘一郎へと挨拶をし続こうとしたが……。
「ところで」
 紘一郎の声にカナエ、雪久ともに足を止め振り返る。
「もし、俺が代償なしでの術式の再現を可能にしたならば……仁科君は誰を作り出してほしいと願う?」
「私ですか?」
 少しだけだが雪久の金色に輝く瞳が泳いだ。
「居ませんね」
 意外な程にあっさりとしたいらえに紘一郎も僅かにだが目をみはる。
「ほう」
「恐らく、ですが……私にとってそんな存在がいるのなら、代償があってでも使用していたでしょうから。全く思いつかなかったということは、きっと今は満たされているのでしょうね」
「そうか……意外とそんなものかもしれんな」
 答えながらに紘一郎は小さく笑み、改めてカナエと雪久を見送った。

 それから更に時計の針が大きく動く頃、カナエは研究所の出口へと向かっていた。後ろには少々腰の引けた様子の雪久がついてくる。
「いやー、奈義さんの前ではかっこつけてみたものの、やっぱりちょっとくるものが……」
 笑いながらも微妙に青い顔をした雪久にカナエは問いかける。
「なぜあんな本を奈義さんに勧めるのですか?」
 いつも通り感情の薄い瞳でじっと彼を見据えて。
「何故、と言われても……」
 未だ口元を抑えたままに雪久は困った様子で答える。カナエの様子からは彼が何を考えているのかは読み取れない。
「先日カナエさんを1日借り切ってしまったし。そのお詫びとでもいうか……」
「それだけですか?」
「ああ、それだけだよ」
 雪久の答えはカナエにはなんとなくだが納得しがたい。
「奈義さんは仕事の一環だから問題無いと言いませんでしたか?」
「でもそれはそれ、これはこれ、と思ってね」
 妙に食い下がるカナエを特に雪久は不審に思った様子はない。
 だが寧ろ、不審に思ったのはカナエ自身だった。何故こんな事を問い詰めようとしているのか?
 理屈では雪久は何もおかしな事を言っていない。一体何に拘っているのか?
 そんな自分に彼は困惑する。
 問いかけが無い事に会話が終わったものと判じたか、雪久は来るときに乗っていたボロい軽自動車に乗り込む。
「今日も手を煩わせてしまったね。ありがとう」
 それではとカナエに手を振る。それを彼は丁寧な礼で返した。
 車が走り去り、残された排気ガスを山風が洗い流していく。
 門が閉まり、車が見えなくなった頃、カナエは呟く。
「でも、僕は……」
 あの本の事、そこから作り出されるであろう何者かの事。今日一日ぐるぐると考え続け、心の中に棲み着いたなにかへの思い。
 紘一郎は実際にあの術式を試すのだろうか?
 だがその言葉もまた風は流してゆき、誰の耳にも届く事はなかった。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
小倉 澄知 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年03月23日

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