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『肉体商人 』
ガイ=ファング3818


 喩えるならば、巨大な鉢である。
 斜めに何層も積み上がった客席が、鉢形を成しているのだ。
 その鉢の底で、闘技者2名が力を、技を、競い合う。身体をぶつけ合う。闘う。
 地響きが、雄叫びが、迫って来た。闘技場全体が、揺れている。
 ガイ・ファングは、しっかりと正面を見据えた。
 地響きそのものの足音を発しながら、敵の巨体が突っ込んで来る。ゴブリンやオークなら数匹まとめて轢き殺してしまうであろう、突進だった。
 隆々たる筋肉の量は、ガイとほぼ同程度か。
 その筋肉を包む分厚い外皮は、まるで甲冑である。
 首から上は、顔面から角を伸ばした犀の頭部だ。
 そんな獣人の巨漢の突進を、ガイは真っ正面から迎え撃った。
「うおりゃああああああああッ!」
 雄叫びが、腹の底から迸る。
 強固な全身の筋肉が、鎧の如く固まりながら、獣の如く柔軟に躍動する。
 踏み込みと同時に、右の豪腕が弧を描いていた。
 巨体と巨体が、激突した。
 ガイの右腕……鋼の塊のような二の腕が、犀男の太い喉元に叩き込まれる。
 いくらか鍛えた程度の人間であれば、首から上の原形を失ってしまうであろう一撃。
 かつて『死神』と呼ばれた男と、しばらく行動を共にしていた事がある。その男が得意としていた技の、1つである。
 犀男の巨体が、ガイの右腕を軸として豪快に回転した。
 歓声が、闘技場の空気を震わせた。
 その震えが、ガイの全身にビリビリと伝わって来る。
 無数の観客が、熱狂してくれている。
「なるほど……な。戦いを見せるってのは、こういう事かい……」
 目を回している犀男を、闘技場の係員が数人がかりで運び出して行く。
 審判が、勝者ガイ・ファングの名を叫んでいる。
 ガイが拠点としている港町の、闘技場。
 どうやら定期的に行われているらしい格闘技大会で、現在は準決勝である。
 昨日、顔馴染みの係員3名を背中に乗せて腕立て伏せをしていたガイに、大会の運営者が出場を打診してきたのだ。
 ガイはその場で参加申し込みを済ませ、そしてここまで勝ち残った。
 このような大会に出るのは無論、初めてではない。
 だが、観客の存在を意識した事はなかった。自分は戦う、見たければ勝手に見ろ。ガイにあるのは、その程度の意識であった。
 観客のいる戦いってのは、とにかく疲れるぜえ。
 あの死神は、そんな事を言っていた。
 お客は、金を払ってまで俺たちの何を見たがってんのか。そいつを四六時中考えてねえといけねえ。身体と同じくれえに頭使わねえと、やってらんねえ仕事だよ。
 そんな話を、死神はしていたものだ。
 ある意味、あの男は商売人であった。自分の身体を見せ、力を見せ、技を見せ、戦いを見せて金を得る。戦いという、腹の足しにもならないものに、いかにして金を落とさせるか。それだけを考えて生きてきた、生粋の商人だ。
 戦いを、見せる。
 自分の戦いを、金を払って見ている人々がいる。
 それを意識して戦った事など1度もない、と思い返しながら、ガイは闘技場を見渡した。
 擂り鉢状の観客席は、ほぼ埋まっている。客層は様々だ。
 酒を飲みながら喚き立てている、ドワーフの酔客。
 選手名の記された巻物を広げ、耳に羽ペンを挟んで難しい顔をしている中年男。
 黄色い声を発している、セイレーンの少女たち。
 獣人の親子連れもいる。子供は小さな拳を握り、ガイに向かって目を輝かせている。
 この大会、どうやら港町の名物の1つであるらしい。町の外からも客が来るようだ。
 決勝戦である。
 審判に名を呼ばれ、ガイは片手を上げた。
 歓声が、あらゆる方向から降って来る。
 あらゆる方向から、見られている。
「下手な戦いは出来ねえ、と。そういう事だな」
 ガイは、左の掌に右拳を叩き込んだ。そして前方を見据える。
 決勝戦の相手が、何本もの触手を、威嚇の形に広げうねらせている。吸盤を備えた、太い触手。
 その姿は、直立した大蛸である。
 海商組合の、戦士の1人だ。
「おめえさんとは1度、本気でやり合ってみたかったぜ」
 クラーケンの獣人とも言える、その大男が、どこからか声を発した。
「新顔のおめえさんが頑張ってくれたおかげで、大いに盛り上がった。そいつは感謝してる……が、優勝までくれてやるつもりはねえ。覚悟しな」
「そうかい、盛り上がったか。そいつは何よりだ」
 大会が盛り上がる。客が、金を落としてくれる。そういう戦いも、この世にはあるのだ。
「じゃ、まあ最後まで盛り上げてやろうじゃねえか……優勝は、もらうぜ」
「新顔がよォ、海商組合なめんじゃねええええ!」
 試合開始を告げる鐘が、高らかに鳴った。
 蛸男が怒声を張り上げ、蛸とも思えぬ突進力で猛然と突っ込んで来る。
 ガイはかわさず、同じく突進で迎え撃った。
 1つ、わかった事がある。
 相手の攻撃は極力、かわしてはならない。片っ端から受け、生身の肉体の頑強さのみで防御しなければならないのだ。
 この大会では無論、素早い動きを売りにしている選手もいた。華麗な回避と鮮やかな反撃。蝶のように舞い蜂のように刺す戦い方で、大いに観客を沸かせていたものだ。
 その観客たちはしかし、ガイ・ファングという選手には、そんなものを求めていない。
 客が自分に、何を期待してんのか。常にそいつを考えてねえと駄目だぜ。
 あの死神の声が、聞こえるかのようであった。
 激突した。
 準決勝の時と同じく、ガイの右の豪腕が、蛸男の身体に叩き込まれる。
 それと同時にしかし、吸盤ある何本もの触手が、ガイの全身あちこちに巻き付いていた。
「ぐっ……!」
 声が、呼吸が、詰まりかけた。
 触手たちが、まるで大蛇のような締め付けを加えてくる。
 ガイの分厚い胸板が、鋼のような二の腕が、鎧の如き背筋が、メキメキ圧迫され凹んでゆく。頑強な骨が、内臓もろとも締め上げられる。
 ガイの筋肉が今少し薄く、骨がもう少し細かったら、今頃は内臓破裂で血を吐いているところだ。
「ふん。さすがに、こんなもんじゃ潰れねえか……ならよォ!」
 ガイの巨体が次の瞬間、宙を舞っていた。
 怪力の触手が、ガイをまるで物のように、空中へ放り投げていた。
 ただ投げられただけなら、容易く受け身を取って着地出来る。ガイはそう思った。
 その甘い見通しが、打ち砕かれた。
 無数の、高速の衝撃。
 空中で、ガイの身体は、鮮血の飛沫を散らせながら木の葉の如く揺れた。
 蛸男の触手たちが、鞭のように空を裂き、ガイの全身を打ち据えていた。
 無数の直撃を食らったガイの巨体が、着地する事も出来ずに墜落する。
 よろよろと起き上がり、身構えようとするガイの全身に、またしても触手の鞭が叩き付けられて来る。
 皮膚を裂き、筋肉を打ち据え、骨にまで衝撃を響かせてくる攻撃を、ガイはひたすら受けた。
 悲鳴か、歓声か、判然としない叫びが、闘技場全体で渦巻いている。
 獣人の子供が、小さな拳を握りながら、泣きそうな顔をしていた。
(俺が、負けちまう……と。そう思ってんのかい?)
 触手の一撃を顔面に食らいながら、ガイは観客席に微笑みかけた。
 これだ。戦いを見せるとは、こういう事なのだ。
 鮮やかに相手を倒してのける姿、だけではない。
 相手の攻撃をひたすら受け、打ちのめされる姿をも晒す。
 そして、そこから勝つ。
 ガイは、一気に踏み込んだ。
 肉質の鞭の衝撃が、様々な方向から容赦なく全身を襲う。皮膚と筋肉のみならず、骨まで砕きに来る。
 それを肩や二の腕で、背中で、胸板で、太股で、顔面で受けながら、ガイは蛸男を捕えていた。
 クラーケンを思わせる巨体に、左右の豪腕ががっちりと巻き付いてゆく。
 ガイはそのまま、思いきり身を反らせた。
 筋骨たくましい半裸身が、鮮やかな弧を描く。蛸男の巨体が、見事な放物線を描きながら真っ逆さまに、石畳に激突する。
 歓声が、あらゆる方向から降り注いで来る。
 それを全身に浴びながら、ガイは両腕を上げた。
 勝者ガイ・ファングの名が、高らかに告げられる。
 獣人の子供が、小さな拳を振り立て、泣きそうな顔で喜んでいた。
「……ったく、何て野郎だよ……」
 立ち上がれぬまま、蛸男が呻いている。
「俺の攻撃……全部、受けやがって……そんな戦い方してたら、身体がいくつあっても足りねえぞ……」
「構わねえさ。見ろよ……みんな、喜んでるぜ」
 ガイは手を差し伸べ、蛸男を支え起こしてやった。
 勝者だけが全てを得る殺し合い、ではないのだ。敗者もまた、主人公となり得る。
 とは言え、安易に健闘を讃え合う言葉を発するべきではなかった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2015年04月06日

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