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『エメラルドの隻眼が見つめるもの 』
フェイト・−8636)&黒蝙蝠・スザク(7919)&I・07(8751)


「良かったのか? 本当に」
 車のハンドルを小刻みに転がしながら、その青年は訊いてきた。
 黒いスーツに身を包んだ若者。瞳がエメラルドの如く緑色である事を除けば、何の変哲もない20代の日本人青年だ。
 フェイト。それが彼の、この仕事をする上での呼び名である。
 イオナにとっては兄、と言うか父あるいは母とも言えなくはない若者だ。
 彼の細胞から、この肉体は作り出された。
 改めてそれを思いながらイオナは助手席で、己の胸に片手を当てた。いささか起伏に乏しい胸。
 細い身体には、一見すると男物と大して違わない黒いスーツをまとっている。
 フェイトと、お揃いである。IO2の制服なのだから当然ではあるのだが。
「ドゥームズ・カルトって連中、確かに放っとけば色々やらかして被害が出る。潰すべきだとは、俺も思う」
 フェイトは言った。
 イオナは彼のクローンとして、この世に生を受けた。ただし性別は変えられ、外見年齢も低めに設定された。
 そのおかげで安定したのだ、などと得意げに語っていたのは父である。
 フェイトの細胞から、イオナを含む7体のクローン少女を作り上げた男。
 その時点で用済みと判断され、消されてしまった男。
「だけど潰さず残しておいて、『虚無の境界』本家と抗争させる。共倒れを狙う。上層部のその考えも、わからないわけじゃあない……イオナとしては、どうなのかな。復讐に利用できそうな連中、潰しちゃって本当にいいのか?」
 復讐。
 イオナは今のところ、そのためにだけ生きている。復讐のためだけに、IO2の過酷な戦闘訓練にも耐えてきた。
 父を、用済みの道具として処分した、あの女への復讐。そのためだけに。
 イオナは、フロントガラスを睨んだ。
 路上にあの女が立っていたら、フェイトからハンドルを奪い、轢き殺しているところである。
 右目が、フェイトと同じく緑色の眼光を燃やす。
 左目には、黒いアイパッチが被さっている。
 培養液による急激な成長の、副作用のようなものだ。左目には、ほとんど視力がない。
 この場にはいない女を、緑の隻眼で睨み据えながら、イオナは言った。
「複数の敵組織を戦わせ、共倒れを狙う。上層部の人々が本当にそんな事を考えているのだとしたら……彼らは、三国志か何かの読み過ぎだな。都合良く共食いをしてくれるような輩であると、まさかお兄様まで思っているわけではあるまい?」
「……まあ、な」
 フェイトが、むず痒そうな返事をする。
 お兄様などと呼ぶと、彼はこんな反応を見せるのだ。
 イオナとしては、お兄様と呼ぶしかない。父は、1人しかいないのだから。
 仇を討つ。
 イオナが娘として、あの哀れな男にしてやれる事があるとすれば、それしかない。
 復讐。自分には、それしかないのだ。
 フェイトは以前、言っていた。俺だって、昔は何もなかった。でも今はある……と。
 自分には復讐がある、とイオナは思った。
 復讐が済めば、何も無くなってしまう。
 そんな事を一瞬でも思ってしまった自分を、イオナは嘲笑った。
(あの女を……そう容易く倒せるつもりでいるのか? 私という愚か者は……)
「ドゥームズ・カルトの本拠地に乗り込む、前に潰しておきたい場所がある。ちょっと寄り道するぞ」
 フェイトが、車を右折させた。
「生体兵器の工場だ。俺も詳しい事は聞いてないんだけどな……ここが健在だと、本拠地で戦ってる最中に際限なく防衛戦力を送って来られる。だから先に潰しておけと、探偵さんからの御命令さ」
「なるほど、理にかなっている」
 イオナは、適当な返事をした。
 復讐ではない何かが、自分にも見つかるのであろうか。
 そんな愚かな事を、つい考えてしまうのだ。


 皮膚を剥ぎ取った人間、のように見える。
 剥き出しの筋肉はしかし、外皮同然の強靭さを有しているようであった。
 唇のない口元では、鋭い牙が刃物のような輝きを発している。
 そんな怪物たちが続々と、培養液のプールから這い上がって来る様を、黒蝙蝠スザクは壁際から見物していた。
「あのゴミ御曹司のクローンよりは、使い物になるかも……ね」
 少なくとも弾除けくらいには使えそうな怪物たちが、整然と並んでいる。
 天井から伸びた何本ものマニュピレーターが、彼らの頭にザクザクと突き刺さる。脳に、何かを埋め込んでいるようだ。
「かの製薬会社が量産している者どもとは違いますぞ。これらは錬金術を基とする本家本元、正真正銘のホムンクルス……見ての通り、いくらでも補充のきく戦力です」
 工場長が、誇らしげに説明をしている。
 傍らに立つ、いかにも企業重役といった風情の、初老の男に向かってだ。
「少し前にアメリカで起こった騒ぎに関しては、貴方がたIO2ジャパンも大方の情報は掴んでおられるでしょう。あの騒乱の、主役とも呼べる怪物たちですよ。我らドゥームズ・カルトの技術をもってすれば、この者どもを再現するなど容易い事……否、再現ではありませんな。かつてIO2アメリカ本部が粗製乱造したものよりも、遥かに優れた性能を持って、こやつらは蘇ったのです」
「今、頭に埋め込まれているのは」
 初老の男が、興味深げな声を発する。
「……ヴィクターチップ、でしたかな? 確か」
「いかにも。こやつらに戦闘経験を蓄積そして共有させるための回路です。今ここにいる者たちの中から1個部隊を編成し、中東やアフリカの戦場にでも送り込んでご覧なさい。その部隊が仮に全滅したとしても、他の者たちは日本国内に居ながらにして、死をも経験し乗り越えた精鋭と化すのです」
「歴戦の兵士を大量生産出来るシステム、というわけですな……」
「我らドゥームズ・カルトは残念ながら反社会的組織。ですが貴方がたIO2ならば、日本政府との太いパイプをお持ちでしょう。日本が、大手を振って国際貢献をする。与党の先生方も、お喜びになると思いますが」
「自衛隊を派遣するわけではないから、法にも触れない。9条を変える事なく、最強の軍団を作り上げる……ものづくり日本の、新たなるステージですな」
 初老の男が、キラキラと目を輝かせる。欲望の輝きだった。
 最強の軍団を、日本政府に売りつける。その利権を、IO2日本支部が握る事になる。
 スザクは欠伸をした。実につまらない話であった。
 いくらか面白い話もある。
 IO2日本支部で、上層部の人間が何人も行方不明になっているのだ。
 ドゥームズ・カルトや虚無の境界が刺客を放っている、気配はない。
 どうやら内部粛清のような事が、密かに行われている。
 欲望に目を輝かせている男を眺めながら、スザクは思う。恐らく、このような輩が消されているのだろう。
「コクサイコーケンなら、あたしがやってあげるよー」
 スザクは声を投げた。
「外国へ行って、悪いテロリストをいっぱい殺せばいいんでしょ? 簡単簡単」
「貴様は黙っておれ! 汚れ仕事しか務まらぬ低脳の小娘が、そもそも何故こんな所にいる!」
「そりゃあ汚れ仕事やるためなんだけど……ふぅん、そーゆう事言うんだ?」
 スザクは、ゆらりと壁際から離れた。真紅の瞳が、工場長に向かって燃え上がる。
 次の瞬間。侵入者を告げる警報が鳴り響き、工場長は命拾いをした。


 皮膚を剥ぎ取った人間、のような怪物たちが、あらゆる方向から襲い掛かって来る。
 フェイトはひたすらに、左右2丁の拳銃をぶっ放した。
 銃撃の嵐がフルオートで吹きすさび、怪物たちを粉砕してゆく。
 大して強力な敵ではない。数だけの雑魚、と言っていいだろう。
 そんな怪物たちに対してフェイトはしかし、禍々しい違和感のようなものを感じていた。
 違和感と言うより……既視感、であろうか。
「何だ……俺、こいつらを……知ってる? のか……?」
 そんな事を呟いている場合ではなくなった。
 黒い疾風が、吹いたのだ。
 横合いからの襲撃だった。
 フェイトは飛び退り、かわした。疾風の先端部分が、脇腹の辺りをかすめる。
 黒いスーツが、裂けていた。
「ようこそ! IO2の人でしょ? まさか真っ正面からカチ込んで来るなんてねえ」
 楽しげな少女の声に合わせ、黒いものが、ウサギの垂れ耳の如く揺らめく。
 ツインテールの形に束ねられた、黒髪。
 髪だけではなく、衣服も黒い。しなやかな細身を包む、ゴシック・ロリータ調のワンピース。
 瞳は赤い。可憐な白い美貌の中で、眼光だけが赤く燃えている。
 あの情報屋の少女が、言っていた通りの容貌である。
「正々堂々、男らしくって超ステキ! そのイケメン生首、うちの神様に捧げてあげる」
 黒いゴスロリ衣装が、言葉に合わせてフワリとはためき翻る。
 鋭利なものが、閃光の雨となって立て続けにフェイトを襲った。
 閉じた状態の、傘である。少女はそれを剣のように持ち、振るい、繰り出して来る。
 傘の先端が、フェイトの全身を幾度もかすめた。黒いスーツが、ズタズタに裂けてゆく。
「くっ……!」
 フェイトは後方に跳び、間合いを開きながら、引き金を引いた。射殺を躊躇うべき相手ではない。
 左右2つの銃口が、火を噴いた。
 その時には、少女は傘を開いていた。
 巨大な蝙蝠が翼を広げ、少女を覆い隠した。そんなふうに見えた。
 蝙蝠のような傘が猛回転し、フェイトの銃弾を全て跳ね返す。
 回転する傘の向こう側から、黒いものが伸びて来た。
 ツインテールの黒髪。そこから黒色そのものが溢れ出し、燃え上がりながら傘を迂回し、フェイトを襲う。
 黒い炎。
 迫り来るそれらを睨み据えるフェイトの瞳が、緑色に輝いた。エメラルドグリーンの眼光が、燃え上がった。
 念動力の波動が迸り、不可視の防壁と化す。
 そこに黒い炎が激突し、砕け散り、暗黒の飛沫となって消滅する。
「へえ……やるじゃない。そんな力まで、持ってるなんて」
 開いた傘を、優雅に担ぎ掲げながら、少女は微笑んだ。
「その力……何だろ、なぁんか懐かしい感じがするのよねー。あなた名前は? あたしは黒蝙蝠スザク」
「……フェイト。格好つけたエージェントネームだってのは、自覚してるよ」
 誰かに似ている。名乗りながらフェイトは、そんな事を思った。
 この少女の瞳は、ルビーを思わせる真紅。
 今フェイトがふと思い出した、あの少女の瞳は、冷たく澄んだアイスブルー。
 間違いなく、彼女に劣らぬ怪物である。この黒蝙蝠スザクという少女は。
「じゃあフェイトさん。あなたの心臓、うちの神様に捧げてあげる。生首の方は、あたしがもらうね? プラスティネーションして棚にでも飾ってあげる。時々、寝ながら抱っこしてあげるからっ」
 スザクが、傘を閉じながら、軽やかに踏み込んで来る。
 その時、工場全体が揺れた。
 地震ではない。爆発による震動。それは、スザクも感じ取ったようである。
「な……何? 一体……」
「お兄様の生首は渡せない。これで我慢してもらおう」
 応えたのはイオナだった。いつの間にか、そこに立っている。そして、携えて来たものを放り捨てる。
 サッカーボールのようなものが2つ、スザクの足元にごろりと転がった。ボールにしては重い。
 フェイトは息を呑んだ。
「そ、それは……?」
「片方は工場長だ。もう1人は知らないが、少なくとも善良なる一般市民ではなかろう。ついでに討ち取っておいた」
「俺……その人の顔、見た事あるぞ」
 IO2日本支部の、重役会議室の近辺で、何度か見かけたような気がする。
 他人の空似だ、とフェイトは思う事にした。IO2ジャパン上層部の人間が、こんな所にいるわけがない。
「……何やったのよ、あなた」
 足元に転がるものを蹴飛ばしながら、スザクが呻く。真紅の瞳が、怒りで燃え上がる。
 その眼光を、緑色の隻眼で受け止めながら、イオナは答えた。
「貴女のような厄介な敵をお兄様に押し付けて、別行動を取っていた。大した事はしていない……この工場の中枢部を、爆破しただけだ」
「やってくれるじゃないのよ……いいわ、2人まとめて生贄にしてやる! 心臓も生首も、偉大なる実存の神に捧げてやる!」
 スザクの髪から、ゴスロリ衣装から、黒色が凄まじい勢いで溢れ出した。
 そして燃え盛り、渦を巻き、フェイトとイオナを襲う。
「魂は、あたしがもらう! フェイトさん、あなたの魂……うっふふふ、そうねえ! この闇の炎でじっくり香ばしく炙って、美味しく美味しく食べてあげるわよ!」
 暗黒の炎が轟音を発し、黒い津波となって迫り来る。
 それを、フェイトは睨み据えた。イオナを背後に庇う格好となった。
「お兄様……」
 息を飲みながら、イオナがそんな声を発する。
 フェイトは応えなかった。ただ、むず痒さを感じただけだ。
 むず痒さを吹き飛ばすように、念を振り絞る。
 両眼が、エメラルドグリーンの光を燃やす。
 念動力が迸り、暗黒の炎とぶつかり合った。
 両方が砕け散り、爆発にも等しい衝撃が起こった。
「ぐっ……!」
 フェイトは、後方に吹っ飛んでいた。
 スザクも吹っ飛んでいる。ゴシック・ロリータ調の装いをした可憐な細身が、痛々しく床に激突しつつも、よろよろと立ち上がる。
「これは……この、力……やっぱり、そういう事なのね……」
 意味不明な呟きと共に、またしても闇の炎が生じた。ただし、今度は攻撃ではない。
「……あたしたちの本拠地にいらっしゃいな、フェイトさん……偉大なる実存の神が、あなたを待っておられる……」
 黒い炎がスザクを包み込み、渦を巻き、消えて失せる。
 スザクの姿も、消え失せていた。
 フェイトとイオナが残された。震動し、壊滅しつつある、工場の中にだ。
「任務完了だ……撤退しろ、イオナ」
 倒れ、立ち上がれぬまま、フェイトは命令した。
 気力の消耗が、肉体の力まで奪っている。
 そんなフェイトを、今度はイオナが庇っていた。
 命令を無視して佇みながら、左手で武器を掴んでいる。鞘を被ったままの、日本刀。
 右手はゆらりと脱力し、いつでも抜刀出来る構えを取っている。
 怪物たちが、群がりつつあった。フェイトが、禍々しい既視感のようなものを感じた生き物たち。
「おい、逃げろったら……! 俺なんか放っとけ、イオナ1人なら切り抜けられる」
「なるほど理にかなっている。が、今の私には無意味な言葉だ」
 露出した筋肉を震わせ、牙を剥き、あらゆる方向から迫り来る怪物たち。
 隻眼で見回し、見据えながら、イオナは言った。
「私自身……自分が今、何をしているのか、まるで理解していないのだから」  
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2015年04月21日

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