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『ローリング・ダウン 』
ウィスラー・オーリエ8776)&エリィ・ルー(5588)&リタ・アンヘル(5617)


 ジャズなど聴く耳は持っていないし、酒が飲める年齢でもない。
 このジャズクラブは、だからエリィ・ルーにとって、あまり居心地の良い場所ではなかった。
 グランドピアノを中心に、ボックス席が散在している。
 今は営業時間ではない。客は1人もおらず、店内はしんと静まり返っている。
 その静けさの中に、音楽の余韻のようなものが残っている、のであろうか。
 ボックス席の1つに、エリィは腰を下ろしていた。
 このような居心地の良くない店を、しかも営業時間外に訪れた理由は、ただ1つ。
 店の経営者に、報告しなければならない事があるからだ。
「財閥の御曹司って人種……3人ばかり知ってるけどね。はっきり言って全員、ろくなもんじゃない」
 少し離れた席に、経営者は腰を下ろし、腕組みをしている。細腕で、豊かな胸を抱くように。
「1人は白人とインド人の混ざりもので、煮ても焼いても食えない若造さ」
「あたし知ってる。こないだテレビに出てたよねー」
 世界経済について、何人もの識者が討論する。そんな番組であった。
 討論の内容など、エリィの頭ではよくわからない。
 印象に残っているのは、各国経済界の大物たちを、穏やかに鮮やかに論破してゆく、1人の英国人若社長の弁舌と美貌である。それだけでエリィは結局、大して理解出来ないその番組を、最後まで見てしまった。
「頭良くて、イケメンで、しかもお金持ち! 王子様って、本当にいるのねえ」
「……憧れるだけにしときなよ。あれは本当、マフィアなんかよりタチ悪い男だから」
「現役のマフィアさんが、そういう事言っちゃうんだ」
 父親がマフィア組織の大物である、という事くらいしかエリィは、この女性に関しては知らない。いくら情報屋でも、安全に調べられる事とそうでないものがある。
 1つ明らかなのは、このリタ・アンヘルという女性が、父親の七光だけで現在の立場にある、わけではないという事だ。
 26歳。経営者としては、まだ小娘とも言える年齢である。
 長い黒髪が真っ二つに割れ、怜悧そのものの白い美貌が現れている。
 その美貌と、優美なる左右の繊手。肌の露出はその程度で、豊麗なる肢体のほぼ全てが、真紅のドレスで包み隠されていた。溢れんばかりの色香を無理矢理、閉じ込める感じにだ。
 彼女が経営しているのは、このジャズクラブだけではない。酒場やカジノや娯楽施設等、数軒の店を任されているようだ。
 ほとんどが、潰れかけていた店である。その全てをリタは立て直し、今では組織の資金源として機能させている。
 そして彼女は、エリィたち情報屋の、元締めと言うべき存在でもある。
「それでリタ姐。ろくでもない御曹司の、あとの2人は?」
「1人は、まあ見た目は可愛いお坊ちゃんだけどね。中身は海千山千の年寄りそのもの。人を油断させて足元すくうのが得意な、若作りの老いぼれさ。ただね、あの歌だけは……歌だけはねえ。本当、天使の歌声なんだけどねえ」
 この店を見ればわかる通り、ジャズに傾倒している女性である。
 そのリタに、ここまで言わせる。恐らく、稀有な音楽の才能を持った人物なのだろう。
「で……3人目が、これ」
 これ、と呼ばれた男が、ボックス席ではなく床に座らされている。
 若い、白人の男である。見事な金髪碧眼で顔立ちは整っており、背が高く体格もスリムだ。もう少し筋肉があっても良い、とエリィは思う。貧相な体つきが、一糸まとわぬ状態で丸見えなのだ。
 全裸ではない。股間に葉っぱが貼り付いている。エリィが貼り付けたものだ。
 そんなアダムのような姿のまま、彼は正座を強いられている。
 ウィスラー・オーリエ。
 この男に関する一連の事を、エリィはリタに報告した。
 報告を聞き終えたリタが、とりあえず言う。
「肝心な報告が1つ抜け落ちてるよエリィ……こいつ、何で服を着ていない?」
「だって、すぐ変身して破いちゃうんだもの」
「服もそうだが……私はいつまで、床に座っていれば良いのだ」
 ウィスラーが、辛そうな声を発した。
「見たところ、席がいくつも空いているようだが……」
「お客様に座っていただくための席だ」
 リタが、冷然と言い放つ。
「お前みたいなゴミを乗っけるための椅子はない。店に入れてやってるだけでも、ありがたいと思いな」
「……私は、ゴミではないのだよう……」
「正座ってのは、いいね。欧米人にとっちゃ、お手軽な拷問だ」
 ウィスラーはさめざめと泣きじゃくり、リタは楽しそうに嘲笑う。
「あんたんとこの財団はね、他2つと比べて格段に……あたしらマフィアが付き合いやすい相手だったのは確かだ。けど最近、様子がおかしい。御曹司が変な宗教にハマって、そっちに金が流れてる。おかげで、あたしらとの商売が少々おろそかになっちまってるようなんだが、その辺どうなの。ねえ、お坊ちゃん」
「へ、変な宗教とは何事か。私は、偉大なる実存の」
「ここで神様がどうのとか言ったら、殺すよ」
 リタの両眼が、ギロリと燃え上がった。ウィスラーが震え上がり、小さく悲鳴を上げる。
「あたしが知りたいのは、オーリエ財団が今どういう事になってるのか、ただそれだけ。正座じゃ済まない拷問を始められたくなかったら、ほらとっとと答えなよ」
「リタ姐、怒らないで」
 エリィは声をかけた。
「この人、いい金蔓になるんだから。それに、その……」
「エリィ、あんたは少し優しすぎる。そんなんじゃ情報屋なんて務まらないよ?」
「情報屋だからよ。この人からは、まだいろんな情報引き出せるかもしれないし」
「……どうだかねえ、それは」
 価値のないものを見下ろす目でリタは、泣き怯えるウィスラーを睨めつけている。
 エリィも詳しい事を知るわけではないが、話してみて、わかった事はある。
 このウィスラー・オーリエという男、どうやら記憶が曖昧な状態にあるらしい。
 EU経済の重鎮とも言える財閥の御曹司が、いかなる経緯でドゥームズ・カルトに入る事となったのかは不明だ。
 入る際に洗脳処理の類を受けたのではないか、とエリィは思っている。
 その後、ドゥームズ・カルトと敵対する何者かに捕えられ、あのような怪物に作り変えられた。そこでも、頭の中をいくらか弄られたのだろう。
 結果、自分の実家であるオーリエ財団の事すら、断片的にしか思い出せなくなってしまった。
 金になるような情報など、引き出せるわけがない。
 それがわかっていて何故、自分は、この役立たずな男の面倒を見ているのか。
 エリィ自身にも、説明出来る事ではなかった。
 リタが、溜め息をついた。
「……もういい。実家に帰って、ドゥームズ・カルトへの投資をやめさせなよ」
「無理だ……」
 めそめそと泣きながら、ウィスラーは応えた。
「誰も私の言う事など、聞いてはくれん……今、財団の実権を握っているのは、ドゥームズ・カルトが送り込んだ私のクローンだ。あんな姿形だけのクローンを、誰も偽物と見抜いてくれない……うむ、だんだん思い出してきたぞ」
 思い出せない方が、この男のためではないのか、とエリィは思った。
「我が財団は他2つの財閥と比べ、勢力的にいささか遅れをとっているのが現状でな。だからドゥームズ・カルトと結びついた。私が何を言ったところで、その方針が変わる事はない。財団にとっては私など、本物であろうが偽物であろうが関係ないのだ。元々、飾り物の御曹司であったからな……多額の捨て扶持を与えられ、そこそこの贅沢を許されていただけだ。私の周りに集まって来るのは、その贅沢のおこぼれにあずかろうという輩のみ。おっと勘違いするなよ、孤独を訴えているわけではないぞ。私はな、ドゥームズ・カルトの大幹部として能力と実績を示し、あの者どもを真の意味において平伏・拝跪させる! このウィスラー・オーリエの力と叡智をな、私を蔑ろにしてきた者ども全員が思い知る事にぶぎゃっ」
 ウィスラーが吹っ飛んだ。
 リタは何もしていない。ただ、その黒い瞳が一瞬だけ青白く燃え上がった、ようにエリィには見えた。
 青白い炎、のようなものが生じて渦を巻き、巨大なネズミ花火の如く猛回転して、ウィスラーを殴り飛ばしていた。
 情報屋であるエリィが完全には掴みきっていない、リタ・アンヘルの能力の1つである。凍れる炎。彼女自身は、以前そんな事を言っていた。
「あががががが熱い冷たい痛い! なっななななな何をするか」
「ここはな、夢を語る場所じゃあないんだよ。お客様には夢を見ていただく場所。お前みたいな奴には、現実を思い知らせる場所さ」
 悲鳴を上げてのたうち回るウィスラーに、リタが冷ややかな言葉を投げる。
「多めの小遣いで飼われていた、飾り物の御曹司……自分自身の現実ってものを、まあ思いのほか理解しているようじゃないか。それだけは褒めてやるよ」
「なっ何という無礼な! ドゥームズ・カルトの大幹部たる、この私に対し……あっ、いやその大幹部なのだからもう少し、丁重に扱ってはくれまいか……本当に、もう少しでいいからぁ……」
 ウィスラーが再び、しくしくと泣きじゃくる。
 溜め息混じりに、エリィは呟いた。
「……ここまで情けない男の人ってのも、そうはいないよねえ」
 組織の大幹部として実績を示したかった、というのは本音であろう。
 これまで飾り物の御曹司でしかなかった青年が、一念発起した。が、それだけで大幹部の仕事など務まるはずもなく、今はこのような様を晒している。
 それでもなお、大幹部の夢を捨てられずにいる男。
 哀れむ、以外にしてやれる事が、何かあるだろうか。
 何の事はない、とエリィは思った。自分がこの男の面倒を見てやっているのは、単純に哀れであるからだ。
 かわいそう、以外に、このウィスラー・オーリエという青年を表現する言葉は、どこにも存在しない。
「いい気になってたお坊っちゃんが、ものすごい勢いで坂道を転がり落ちてる。まあ面白い見せ物さ」
 リタが言った。
「これ以上、もう這い上がれない所まで転げ落ちる前に……踏みとどまってみようって気はあるのかい?」
「転がり落ちている……のかなぁ、やはり私は……」
「そりゃあもう、楽しいくらいにね」
 リタが微笑んだ。
 これほど美しく、そして邪悪な笑顔を、エリィは見た事がなかった。
「際限なく転げ落ちるのって楽しいだろ? 壊れたジェットコースターにでも乗っているみたいでさ……踏みとどまるのは楽しくない、はっきり言って辛いよ。辛い思いをして1からやり直そうって気が少しでもあるんなら、性根を叩き直すくらいの事はしてやる。ウェイターに空きがあるんでね」
「ウェイター……ここで働け、という事か?」
「このまま地獄まで転げ落ちた方が楽だってくらいに、こき使う。使い物になるようなら、食客として面倒見てやるよ。使い物にならなければ殺す。従業員は死ぬまで面倒見てやるってのが、この店のやり方でね」
「わかった……ここで、働かせてもらおう」
 リタの双眸が再び、青白く燃え上がった。
 ウィスラーが、床に身を投げ出すように平伏した。
「は、働かせて下さりませ! どうか、お願い申し上げる!」
「頭を下げられちゃあ仕方ないねえ」
 リタが、満足げに頷いている。
 命乞いの土下座に等しい、とは言えウィスラー・オーリエは今日、他人に頭を下げる事を覚えたのだ。
 大いなる進歩だ、とエリィは思った。
(ま、見てくれは悪くないし……ウェイターさんの制服びしっと着せれば、かっこ良くはなるかもね)  
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
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東京怪談
2015年04月24日

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