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『青の日記帳には―― 』
浅黄 小夜ka3062


 その日記帳の一ページ目には、この話をリアルブルーの両親にするという決意が書かれている。
 これは、そんな土産話を綴った日記帳の、とある一ページの思い出――。

 §

 いつもの部屋で起床した浅黄 小夜は、ふかふかのクッションに顔を埋めたまま身じろぎした。
 朝日が暖かい日だ。レースのカーテンから差し込む光に菫色の瞳を細めて彼女はゆっくりと起き上がる。寝ぐせのついた黒く細い髪がベッドに流れるのを見つめて三秒、瞬きして二秒――それで少し覚醒した頭を振り、彼女はベッドを出る。
 規則正しい生活の小夜にとって、ハンターとしての仕事が無い日の朝は忙しい。まずは自分のために朝食を作る。
 とはいえ、それほど凝ったものはできない。昨日のうちにセットした炊飯器が告げる炊飯終了の音を聞きながら野菜を刻み、できあいの味噌汁を作る。足元を黒猫の幻影が擦り寄るのは、きっとまだ寝ぼけているからか。
「いただきます……」
 一人だけの食卓で律儀に手を合わせて、小夜は向かいの空席を見つめる。
 本当なら――故郷のリアルブルーなら、ここで母が穏やかに「どうぞ」と言い、早くに食べ始めた父が新聞を読み始めるのに。いややわ、お父さん、お行儀悪いという母の軽い叱責が聞こえるはずなのに。
「……大丈夫」
 “こちら”に来た頃、一人の食卓はとても寂しかった。けれども、月日は少女を強くしてくれるようで、今では寂しさもだいぶ和らいでいる。
 一人こくりと頷き、小夜は静かな朝食を食べ始めた。

 §

 掃除洗濯をこなした後、今日はリゼリオに行こうと朝から決めていた。
 賑やかな街だ。ハンターも、そうでない人も、クリムゾンウェスト出身も、リアルブルー出身も、人間やそうでない者も、とにかく全てが交じり合って調和する大きな都市は、まだ幼げの残る小夜には非常に大きな場所に見えることだろう。
「え、と……今日は……肉じゃが、やから……」
 夕食の食材を買うため、馴染みの八百屋を目指す小夜の前には、ざわざわとした人の流れがある。その中に入るには、いまだに勇気が必要だ。
 こうして雑踏の中を往くと、やはり違和感が小夜にまとわりつく。
 例えば、彼女の出身である京は少し行けば静かな場所が点在し、人々も何となく往路と復路に分かれて道を共有している。
 だが、リゼリオはこうはいかない。細い道はあるものの、それでも京よりは広く、人々は歩く方向などお構いなしに歩くので、小夜は彼らを避けながら歩くので精一杯なこともある。
 こうした違いが、彼女の心の中でズレを生み、望郷の念を強くさせてしまうのだ。
 一方で、嬉しい違いもある。リゼリオは京よりも動物が多い。特に猫が多い、と小夜はちょっとした贔屓目で思う。
 いつもの道を行く途中、八百屋まで後十分というところで、彼女はいつも一匹の黒い子猫に出会う。そこのパン屋が飼っている猫らしく、時々こうして店番よろしく外で鎮座しているのだ。
「おはよう、さん……今日は、いつもより……元気そぉやね……」
 しゃがんで挨拶をする小夜に、子猫は気のない様子で首を振った。なかなか打ち解けられないものの、転移当時と違って一応話は聞いてくれる。
 もうちょっとで仲良くなれるかな、と小夜が思っていると、ちょうどパン屋から人が出てきた。子猫を撫でようと手を伸ばしていた彼女は、避けるのが一拍遅れた。
「あ……っ」
 ぶつかる――そう思って目を瞑った彼女の足元がひょいと浮いた。え、と思って目を開くと、見慣れた緑の瞳が飛び込んできた。
 そして聞こえる、馴染みのある声。
「Hey, little princess. 奇遇だな。何かと思って抱き上げちまったぜ」
「ジェラルド様。それ、幼児誘拐みたいなので早く降ろしてあげてください」

 §

 思わぬ偶然だった。いつもの日常へ、一気に非日常の空気が入ってくる。
 大男のジルに降ろしてもらった小夜は、おずおずと頭を下げた。
「お、おはよぉ……ございます……」
「Good morning,princess. 買い物か?」
「はい……夕飯の、食材を……そこの、八百屋さん……まで……」
「そりゃまた偶然が重なるな。俺たちも今からそこへ行くところだぜ」
 一緒に行くか? と尋ねられて、小夜は首を大きく縦に振る。お荷物持ちますよ、とお付きのエミリオが彼女のかばんをひょいと持ち上げた。そつのない男である。
 こうして、小夜は全くの手ぶら状態で八百屋まで向かうこととなったわけだが、小柄な彼女を挟んで両隣には大男と標準サイズの男子――どこかのお嬢様とボディガードか、と言わんばかりである。
 そんな街の人々の視線にはまだ気づかず、小夜は振り返り、こちらをじっと見つめる子猫に小さく手を振って、男二人の後ろを駆けて行った。


「あんれ、まぁ、まぁ! 小夜ちゃん、あんた男連れで……ああ、ジルさんはどっか行って良いよ」
「Wait,wait! 酷くねえか?」
「妥当な評価さね。さぁ、小夜ちゃん、今日は何がいるんだい?」
 この辺りでは一番大きな八百屋であるこの店は、小夜が地道に見つけて開拓した場所だ。生活をするに辺り、こういう拠点は一つは欲しい。
 豪快な八百屋の店主は四十代くらいのふくよかなおばちゃんで、どうやらジルとも知り合いらしく、小夜の頭の上で何やら言い合っている。
 口を挟んで良いのかな、と思いつつ、小夜は小さく口を開いた。
「あの……にんじんと、じゃがいも……たまねぎが、欲しいです……」
「食材から察するに、リアルブルーのカレーというやつですか?」
 話を聞いていない二人に代わってエミリオが言う。ふるふると首を振り、小夜は「肉じゃがです……」と呟いた。
「はい、そこ。小夜さんは肉じゃがの材料をご所望ですよ」
「肉じゃが?」
「あんた、肉じゃがも知らないのかい? まったくこれだから独身は……」
 またおばちゃんがぼやきながら、肉じゃがなるものはリアルブルーの料理で、こちらの食材でも十分に再現可能な料理であることを大きな声で話している。
 おばさんにとってもらった人参を受け取ろうと小夜が手を伸ばすも、「良いから良いから」とジルに手で制され、彼が代わりに受け取ってエミリオの持つ小夜の鞄に入れていく。
 こうなると、小夜はやることがなくてぽつんとするしかない。クリムゾンウェストに来て、こんな至れりつくせりの買い物があっただろうか。
「なんか……申し訳、ないような……うまく、言えへんけど……」
「頼れるなら頼っとけ。子供はそれで良いんだぜ」
 いつの間にかエミリオに買い物を任せ、ジルが小夜の隣に立っていた。
 この人はいつも大きい。色々なものが大きくて、自分がすっぽりと埋まってしまいそうな気持ちになる。
「慣れたか?」
 何を、とは言わない。言わなくても小夜にはそれが何か分かる。
 故郷をいきなり理由もなく離れて、見知らぬ土地に一人で放り出されて。十二歳の普通の少女が受け止めるにはあまりにも大きなものだった。
「まだ……寂しゅうなる時も……あります……けど、おにいはん達が、良く……してくれるから……」
「そうか」
 出しかけた葉巻をポケットにしまって、ジルは小夜の頭に手を置いた。
「頑張ってるな」
 そんな言葉をかけてもらうことも、この世界に来てからで。
 頷くことも首をふることもせず、ぐっと堪えた小夜の菫色の瞳が揺らいでいた。

 §

 ちょっと、あんた、いつまで遊んでるんですか。
 そんなことを言ったエミリオは小夜の代わりにすっかり買い物を終えていた。ついでに自分達の分も買っているのだから、ますます要領の良い男である。
「それじゃあ……」
 帰りましょうか、と言いかけた小夜の目に“それ”は飛び込んできた。
 八百屋の高くそびえる棚の上に並べられた、ネコ型の瓶に入った果物の砂糖漬けを。八百屋のおばちゃん特製であろう中身より、小夜はその瓶が気になった。
「どうしました?」
 小夜の視線を男二人が追いかける。追いかけて、もう一度小夜に戻ってくる。
「欲しいのか?」
 どれ、と取ろうとしたジルの裾を小夜が掴む。自分で取ると言わんばかりの彼女の表情から察したのか、踏み台を持ってきてくれ、と彼は八百屋の店主に声をかけた。
 貸してもらった踏み台に足をかけ、小夜はぐっと力を込めて背を伸ばした。ネコ型の瓶まで手は後数センチのところ――ジルの視線の少し上まで到達する。彼が取ってやれば良いのにという光景だが、小夜は大真面目だ。
「……、高い……」
 踏み台で五十センチ近い差を縮めた小夜の一言がこれである。まあ、そりゃあな、と横から呑気な声が飛んできたが、今はそれどころではない。
 ネコ型の瓶に指先が触れ、硬い音を立てて瓶が傾く。小夜の方へ倒れてくる――その寸前で、瓶はジルの大きな掌に収まった。
「Excellent,princess. ご褒美にこれは俺が買ってやるぜ」
「でも……ジェラルドのおにいはんに……お手伝い、してもうたし……」
「気にすんな。大人は頼ってなんぼだぜ」
 差し出されたネコ型の瓶をギュッと抱えて、小夜はほんの少し、嬉しそうに微笑んだ。

 §

 この辺は川沿いの道が有名だぜ。どうせ帰り道なら、ちょっと見て行きな。
 八百屋で別れたジルとエミリオに聞き、小夜は帰路を少し変更した。いつもは大通りを歩いて行くのだが、道を一本奥へ入り、川沿いの道を往く。
 季節は春。淡桃の小さな花々がそよ風に揺れ、青々とした木々の葉が木陰を作る。大通りの暑さを和らげるような小径を、小夜は歩いて行く。
 歩きながら小夜は、今日のことを思い出していた。
 京とは違う大通り、人だかり、パン屋の前にいる黒猫。偶然であったジルとエミリオに連れられて八百屋に行き、ネコ型の瓶に入った砂糖漬けを買ってもらった。
「晩御飯……一品……増えそう、かも……」
 呟いた小夜を少し強い風が撫ぜる。耳に響くざわめきの音の後で静寂が迫る。
 ハッとして振り返った小夜の周りに人はいない。ぽつぽつと川沿いを歩く人はいるが、それは彼女の知り合いではない。
 今まさに、自分は一人なのだ。
「ちょっと、だけ……寂しゅう、なってもうた……」
 騒がしい時間の後ほど、それが恋しくなる。
 寂しさから逃れるように、小夜は足早に帰路を急いだ。

 §

 悶々とした心の寂しさを思いながら、黙々と肉じゃがを作り、炊けた米を茶碗に盛って、砂糖漬け
の瓶が待つテーブルに運ぶ。
「いただきます……」
 手を合わせて、心に残る寂しさに気をやった時だ。
 テーブルの上のネコ型の瓶が目に入った。
 小さいんだから食って大きくなれ、と言われて買ってもらった瓶が、小夜と向かい合うように置かれている。
 途端に、寂しさが少しだけ和らいだ気がした。
「……」
 温かいな、楽しかったな。
 そんな気持ちに、小夜の口元が自然と綻ぶ。
 いつもと違う日常に出会うだけでこんなに幸せな気持ちになるものかと、彼女はそれを噛み締めていた。

 §

 寝る前に日記帳をつける。
 一人では、まだ少し寂しいけれど、優しく、楽しく接してくれる人と出会うことができた。そんな今日の出来事もまた、両親への良い土産話になるだろう。
 もう何枚も重ねたページの上に、小夜はペンを走らせる。
 その傍らには、首に青いリボンを巻いてあげたネコの瓶が、静かに置かれていた。
 
 END

━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka3062/浅黄 小夜/女/12歳/魔術師(マギステル)/黒猫の少女】
【NPC/ジェラルド・ロックハート(ジル)/男/28歳/聖堂教会司教】
【NPC/エミリオ・アルベール(エミリオ)/男/?歳/聖堂教会助祭】

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ファナティックブラッド
2015年05月11日

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