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『ナナシは墓前に花を捧げる 』
ナナシjb3008

 雨が止んだ。
 冷涼な風が頬を撫で、ナナシの紫色の髪を揺らして通り過ぎてゆく。
 軒先から覗く雨上がりの空は、あの日あの時の空のように、青かった。
 先日の大戦を思い出す。
 溜息が洩れた。
 俯く。
 胸が苦しい。
 もやもやとする。
 鏡のように光るアスファルトの水溜りに映った己の顔は、伏目がちで、少しだけ疲れて見えた。
「ナナちゃん」
 柔らかい声が聞こえた。
 顔をあげると、雨に濡れた艶やかな長い黒髪を持つ娘が、黒い双眸に気遣うような光を湛えてナナシを見つめていた。
「――雨、止みましたね」
 通り雨だったみたいですね、と共に街のバス停で雨宿りしていた神楽坂茜はナナシに言う。
「……そうね」
 十一歳程度の童女に見える悪魔の女は、一度その深い紅玉の色の瞳を閉じると、再び開いた。
 沈んでいる気持ちを奮い立たせるように言う。
「それじゃ、雨も止んだようだし茜、行きましょうか」
「はい」
 同行者が折り目正しく返事をする。
 かくてナナシは再び茜と共に雨上がりの街を歩き出した。
 墓地に向かって。


「後悔……してらっしゃるんですか?」
「ううん、後悔はしてないの」
 地方の田舎都市、己の心とは裏腹に、青く青く晴れた空のもと、眩い太陽の光を受けてきらきらと輝くアスファルトの道を歩きながら、ナナシは隣を歩く茜と言葉をかわしていた。
 土曜の昼間の寂れた街は、通りを歩く者は皆無に近く、ごくごく偶に一人二人とすれ違う程度だった。
「後悔はしてないわ……何処かで夏樹を止めなくてはいけなかった……」
 いけなかったのだ。
 だから、彼女を殺した事に後悔はしていない。
「……けど」
 胸がつまる。
 また、溜息が洩れた。
 だからといって何も感じない訳では無いのだ。
「……多分……これは、後ろめたさなのよ」
 ナナシは胸の中の塊を吐き出すように呟いた。
「彼女の事をヘタに知ってしまって、彼女が敵となった経緯も知っていて……」
 夏樹の笑顔が脳裏をよぎる。
 彼女の姉の笑顔が脳裏をよぎる。
――理性で感情をコントロールできる、そう思っていた。
 実際、できている部分もあるのだろう。
 だが、
「…………平和のために戦うだけの機械…………そういうものに、私はまだまだ、なれていないのね…………」
 苦しい。
 感情が残っている生き物なのだ。
 割り切れるものもあるが、割り切れないものも、やはり残っている。
 そう、痛感させられる。
「…………ナナちゃんは優しい」
 ナナシの耳に、女の柔らかい声が響いた。
 乾いた地に沁みこむ水のような、慈しみ労わるような声音だ。
「……己を律して人々の為に機械になる方や、なろうとする方は、優しいのだと……私は思います。だから、ナナちゃんは優しい」
 女は黒髪を揺らしてたんっとアスファルトを蹴って素早く歩を進めるとナナシの前に出て振り向いた。
「……茜?」
 突然進路を塞がれて、ナナシは足を止めて、その赤眼を瞬かせた。
 茜はナナシの両肩に手をおいて声を強くして言う。
「優しいから苦しくて、でも苦しくてもそれでも世の人々の為に戦う貴女は、立派だと私は思います」
 黒い瞳がナナシを見つめていた。
「ナナちゃん達が夏樹を止めたから、今日を無事にまっとうに生きられる方達が増えたのです。貴女は人々の幸せを守った。不幸を防いだ」
「…………そう」
 ナナシは目を細めた。
 優しいのだと、茜が己を評してものをいう。
 彼女の言うそれは正しいのだろうか? 考える。
 ただ、いずれにせよ茜はきっと、元気のないナナシの心を軽くしたいのだろう。
 だから、こうして言い募っている。
 だから、
「……有難う」
 ナナシは微笑してそう答えた。
 肩に置かれた手に触れる。
 少し、温かかった。



――正直を言うと、最後の戦いの時、あれで夏樹が逃げたのなら、それならそれでも良いと思っていた。
――だから、自分で聖槍を投げる事をしなかったのだ。

 そう告げたら、茜はなんと己に言葉を返すだろう?
 街の花屋。
 自分も一緒に供えるから、と花を選んでいる茜の背で揺れる黒髪を見つめながら、そんな事をナナシは思う。
 逃がせば多くの人が夏樹に殺されるのだと、解っていたのに。

――夏樹の動きは封じたが、彼女の運命がどうなるかは、彼女の自力と他の人達の選択に任せた。

 それは、逃げだったのだろうか?
 己自身に問いかける。
 ヒーローだったらどうするだろうか。
 ヒーローも十人十色。
 では、己が想い描くヒーローなら。

「ん〜、これにしましょう。ナナちゃんはもう決まりましたっ?」
 黒髪の娘が振り向いてナナシに問いかけてくる。
「……ええ茜、もう決めたわ」
 ナナシは頷いた。
 淡い黄色の蘂と純白に美しい花弁を持つ、百合とマーガレットとカーネーションの三種の花。
 ナナシは茜と共に、選んだ花を花屋の店員に花束にして貰うと、また輝くアスファルトの道を歩き出した。


 茂木家の墓は、街外れの寺にあった。
 緑の竹林の中を抜ける小道を、桶と供え物を抱えて歩く。
 やがて墓石の並ぶ区画に出た。
 その中から、住職から聞いた位置を思い出しつつ夏樹達の眠る墓をみつけだす。
 墓や花入れ、墓周りを二人で清掃し、桶から杓で水をすくって黒い墓石にかける。
 二つの花入れを漱ぎ、水を入れて己と茜の持ってきた花束をそれぞれ入れた。
 新聞紙に火をつけて燃やし、線香に火を移し墓に供える。持ってきた苺のケーキも供えた。
 墓前に蹲み、手をあわせて拝む。
 線香の独特の香りと、墓場の土の匂いと、先程まで降っていた雨の匂いが混ざり合って、鼻腔をくすぐった。
「……殺した相手の墓参りも変な話よね」
 ナナシは呟いた。風がゆっくりと抜けて煙を揺らす。
「変でもないと、思いますよ」
 刃も弾丸も祈りを籠めて放たれる、そういう事は多いと思う、と隣で拝みながら茜が言った。
「私ね」
 ナナシは合わせていた手を下げた。
 黒い墓石とその前に揺らぐ線香の煙をじっと見つめながら唇を動かす。
「正直を言うと、最後の戦いの時、あれで夏樹が逃げたのなら、それならそれでも良いと思っていたの。だから、自分で聖槍を投げる事をしなかったのよ」
 街外れの墓地は静かだった。
 寺の周囲をかこむ林が風にゆれて、波音のように梢の葉擦れの音を立ててゆく。
 しばらくして、不意に後頭部が温かいものに包まれた。
「――辛い、ですよね」
 多くの事が。
「……そうね」
 ナナシはぎゅっと抱き締めてきた茜の胸に頭部を預けながら空を見上げた。
 青い空と太陽の光を焼き付けながら瞳を閉じる。
 時は六月、梅雨の季節だった。







 すべてのものは、通り過ぎてゆく。
「ずっと気落ちしてはいられないわ」
 帰り道。
 何かを吹っ切ったように――吹っ切ろうとするように、ナナシは言った。
 死者の時はそこで止まる。だが生者は、生きている者達の世界は、常にとめどなく動き流れてゆく。
 巨大な河だ。
「前を向いていた方が、きっと楽しいですからね」
 茜が微笑して言う。
「ええ、世界もまだ平和になっていないし。行きましょう茜。私達の戦いはこれからよ」
「はい、清く正しく逞しく、頑張りましょうっ」
 おー、とそんな言葉を交わしつつ二人は道を歩いてゆく。
 風が涼やかに吹いて髪を揺らし、空は青く青く晴れていた。



 了





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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登録番号 / PC名 / 性別 / 外見年齢 / ジョブ】
jb3008 / ナナシ / 女 / 11才 / 鬼道忍軍
jz0005 / 神楽坂茜 / 女 / 16才 / 阿修羅

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ご発注と慰労のお言葉、誠に有難うございます。毎度お世話になっております。
 イメージの解釈、心理、こういう感じなのかな……? と描かせていただきました。
 ご満足いただける内容に仕上がっていましたら幸いです。
水の月ノベル -
望月誠司 クリエイターズルームへ
エリュシオン
2015年06月08日

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