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『金色の蛾と褐色の蝶々 』
ダグラス・タッカー8677)&ウィスラー・オーリエ(8776)


 オーリエ家の使用人たちが日頃していた事を、そのまま実行する。
 そう思えば、さほど難しい事ではなかった。
「使用人どもに出来て、私に出来ないはずはないのだ……ふん。こんなもの、こんなもの」
 ウィスラー・オーリエはダスターを握り締め、ひたすらにテーブルを拭いた。
 開店前のジャズクラブ。店内にいるのは、従業員ウィスラー・オーリエ1人だけである。
「この私が手ずから、汚れきった貴様たちを拭い清めてやろうと言うのだ。光栄に思え、テーブルども」
 テーブルではなく、世の中の汚れを全て拭い去る。かつて自分は、そのために働いていたはずであった。戦っていたはずであった。
 戦い、敗れ、ゴミのように扱われた。今ならば、はっきりと思い出せる。
 この店で使用人の如く働いている限り、そのような目に遭う事はない。
 経営者は確かにいくらか過酷な人物ではあるが、少なくともウィスラーを、折り畳んでゴミ袋に入れたり、そこにモップを突き込んで来たりはしない。
 そんな目に遭う事のない、平和な日々が続いている。
 自分はドゥームズ、カルトから、解放されてしまったのだろうか。
 ふと、そんな事を思いながら、ウィスラーは顔を上げた。
 店の扉が、開いたのだ。
「お客様、申し訳ございません。まだ開店のお時間では……」
 そこまで言って、ウィスラーは固まった。
 ここにいるはずのない、こんな所へ来るはずのない男が、そこに立っていたからだ。
「お客様……などという言葉遣いが、出来るようになったのですねえ」
 褐色の秀麗な容貌が、楽しそうに微笑んでいる。
 面白いものを観察する眼差しが、眼鏡越しに、じっとウィスラーに向けられて来る。
「変われば、変わるものですね。誰からも嫌われる毛虫や芋虫が、いくらかましな蛾に成長したようなものでしょうか。蝶々と呼べるほど綺麗な変化ではありませんが……あ、私は蛾も大好きですよ。蝶と蛾の区別というのは、実は難しいものでしてね。言うならば、ここの経営者の方に『お金持ちの御曹司』と一括りに扱われてしまう、私と貴方のようなもの」
「ダグラス・タッカー……!」
 息を呑みながら、ウィスラーは呻いた。
 様々な罵詈雑言が、胸の内で渦巻きくすぶりながら、喉元まで込み上げて来る。
 それを吐き出さずにいられたのは自分が、この店の制服を着ているからだ。
 前掛けに、店の名前がきっちり刺繍されているからだ。


 開店前に押しかけて来た無礼な客を、しかし従業員ウィスラー・オーリエは親切に、カウンター席まで案内してくれた。
 ダグは、とりあえずハウスワインを注文した。店独自の一品である。
 ワインに関する口上を、感心にも一通り覚えたのであろうウィスラーが、それを口にしようとする。
 しかしダグは、それを片手で制した。そしてグラスを傾け、中身を一口だけ味わってみる。
「ふむ……これは珍しい。いわゆる本場の味ではなく、日本産ですね。ゼンベー・カワカミの技法を受け継ぐ、由緒正しい味」
「……お見事でございます、お客様」
 ウィスラーが、恭しく一礼する。
 意外に、と言っては失礼であろうが様になっている。
 この御曹司に、ここまでの接客技法を身につけさせる。経営者である、あの女性の手腕であろう。
「見違えましたよウィスラーさん。最初は、貴方だとわかりませんでした」
「落ちぶれた、と言いたいのだろう……おっしゃりたいのでしょう? お客様」
 ウィスラーの声が、震えている。ダグは微笑みかけた。
「今は営業時間外。従業員と客、ではなく……昔馴染みの話し方で、いきましょう」
「……私を嘲笑いに来たのか、ダグラス」
 ワインに毒でも入れかねない形相で、ウィスラーが睨みつけてくる。
「貴様の商会とて忙しいであろうに、若社長自ら御苦労な事だな。それとも貴様、暇人か? その歳で若隠居か。内輪揉めにでも敗れて、事業から外されたのか。だとしたら私と大して変わらんな」
「若隠居。いいですねえ。日がな一日、虫たちと過ごす暮らしをしてみたいものです」
 もう一口、ワインを飲んでから、ダグは本題に入った。
「虚無の境界から独立分派した方々がいらっしゃるようですね。確か……ドゥームズ・カルト、でしたか。貴方がたオーリエ財団が、随分とあの方々に投資しておられると聞きまして」
「……何か、文句があるのか」
「文句はともかく、関心はありますよ。商売敵が、どのような相手と手を結んでいるのか……ドゥームズ・カルトとオーリエ財団を繋ぐ御曹司、貴方の動きには注目せざるを得ません。いろいろと調べさせていただきましたよ」
「私ではない。財団とドゥームズ・カルトを繋げているのは、私のクローンだ。誰もクローンなどと見抜いてはくれんがな」
 ウィスラーの青い瞳の奥で一瞬、黄金色の炎が燃えた、ように見えた。
「それより貴様。いろいろ調べたというのは、一体どの程度だ。私が今、どのような存在であるのか……そこまで知っているのか」
「お気になさらず。人間ではない方々なら、IO2にも大勢いらっしゃいますからね」
 IO2エージェントには、ジーンキャリアもいる。
 今のウィスラー・オーリエは、ジーンキャリアとは、蝶と蛾くらいには異なるようだ。
「それよりもウィスラーさん。私どもタッカー商会は、貴方がたオーリエ財団ほど大規模ではないにせよ、いくらか死の商人めいた事業も手がけておりましてね」
「ふん。紅茶を売って儲けた金で、BC兵器の類でも開発しているのか」
「そんな古臭い分野に今更、踏み込もうとは思いませんよ。我が商会が開発しているのは、全く新しい兵器です」
 兵器、と呼んで差し支えはないであろう。
 鎧の如く装着して人力を数十倍、数百倍に強化し、拳と蹴りだけで爆撃並みの破壊をもたらす兵器。
 空爆の類と異なり、破壊・殺戮の対象を、装着者の意思で選定する事が出来る。米軍などがやっているように、一般市民を巻き添えで爆殺してしまう事もなくなる。
 実験は済ませた。ダグの個人的な知り合いでもある1人のIO2エージェントに、実験台を務めてもらったのだ。
 彼は、ダグの贈った装着兵器の試作品を身にまとい、戦い、アメリカでの一連の騒動に決着をつけた。
「ウィスラーさんはご存じでしょうか? 少し前に、アメリカでおかしな事が起こっていました」
「ニューヨークがテロリストに襲われたり、グレートプレーンズを巨大ハリケーンが縦断したり、日本嫌いで有名な上院議員が不審死を遂げたりと、いろいろ賑やかではあったな」
 ウィスラーが微かに、鼻で笑った。こういう仕草は、なかなか様になっている。
「詳細は知らん。が、虚無の境界が何らかの形で関わっていたのは間違いあるまい。アメリカを支配下に置くつもりで、いろいろと暗躍していたようだが……結局は失敗に終わった。愚かな奴らよ」
 確かに、失敗だったのだろう。
 だが、あの騒動で、虚無の境界は1つ恐るべき技術を完成させた。
「錬金生命体、というものをご存じですか?」
「錬金……? 知らんな」
 すでにドゥームズ・カルトから除籍されたに等しいウィスラーが、知っているはずはなかった。
「かの騒動の、中核を成していた怪物たちの名称ですよ。ちょっとした伝手で、我が商会は、彼らの標本屍体をいくつか手に入れる事が出来ました。もちろん目的は屍体そのものではありません。屍体の頭部に埋め込まれていた、メモリー装置です。これによって錬金生命体たちは、戦闘経験を蓄積・共有していたのですよ」
 例えば1体が、戦いで死んだとする。他の者たちは即その場で、死をも経験した歴戦の兵士となる。
 短期間での精鋭育成を可能にする、そのメモリー装置の名称はヴィクターチップ。
 その技術を、開発中の装着兵器に応用すべく、タッカー商会では現在も研究が続けられている。
「そのヴィクターチップが……つい最近、戦闘データの獲得・蓄積を再開したのですよ」
「……錬金生命体とやらが、どこかで戦闘あるいは破壊殺戮を行い、経験値を貯めている最中と。そういう事ではないのか」
「あり得ません。アメリカでの一連の騒動の末、錬金生命体は全滅したのですから」
 装着兵器の実験台となってくれた青年が、錬金生命体たちの命と魂を、全て使い果たしたのだ。
「私はそう思っていたのですが……この日本でね、どうやら錬金生命体を1から作り直してしまった人たちがいるようなのです」
「まさか……ドゥームズ・カルトが? 私の知らない、怪物などを……」
「ウィスラーさん、どうかお忘れなきように。貴方はもう、かの組織とは無関係なのですよ」
 それは祝福すべき事である。ダグは乾杯の形に、ワイングラスを掲げて見せた。
「彼らは、とてつもなく愚かな事をしました。錬金生命体を復活させる……それはね、この世で最も怒らせてはならない人の逆鱗に触れる愚行」
 掲げたグラスの中身を、ダグは一気に飲み干した。
「ドゥームズ・カルトは終わりです。彼を、怒らせてしまったのですから」
「何だと……おい貴様、何を言っている」
 ウィスラーの青い両眼で、黄金色の炎が燃えた。
「彼、とは何者だ。どこの何者が、我がドゥームズ・カルトに害をなさんとしているのだ」
「IO2の精鋭、とだけ言っておきましょう」
 ダグは、カウンター席から立ち上がった。
「繰り返しますがウィスラーさん、貴方はもうドゥームズ・カルトとは無関係です。このお店の従業員として……まずは、お勘定をお願いしましょうか」


 ダグラス・タッカーが自ら来日した。
 それはつまり、タッカー商会そのものが動いた、という事である。ドゥームズ・カルトを潰すために。
 偉大なる『実存の神』を、この世から消し去るために。
 ダグラスの言う通りならば、IO2も動いている。
 IO2とタッカー商会が手を結んで、ドゥームズ・カルトを潰しにかかっているという事だ。
 命が惜しければ手を出すな、とダグラス自ら、わざわざ伝えに来たのだ。
「貴様が……私に、警告だと……」
 ダグラスの去った店内で、ウィスラーは1人、呻いていた。
 屈辱が、身体の中で燃え上がる。金色の炎が、全身から溢れ出してしまいそうだった。
 ドゥームズ・カルトの勢力が著しく衰えているのは、ウィスラーに対する刺客が、あれから全く放たれて来ない事からも明らかである。
 脱走した元幹部の始末どころではない状態に、ドゥームズ・カルトは陥っているのだ。
 そこへIO2とタッカー商会が、結託して襲いかかる。
 ドゥームズ・カルトは終わり、というダグラスの言葉は決して誇張ではない。相手を必ず叩き潰せるという公算がなければ、絶対に動かぬ男である。
「私は……脱走した、わけではないのだぞ……」
 オーリエ財団において自分は、飾り物の御曹司として、捨て扶持を与えられるだけの存在だった。
 大幹部として、働きを示す。
 そのためにウィスラーは、人間をやめてまでドゥームズ・カルトに入信した。
 だが今に至るまで、自分は大幹部として何も為してはいない。
 何も出来ていないまま、こうして組織の壊滅をやり過ごそうとしている。つまり、逃げているという事だ。
「私は……逃げている、わけではないのだぞ……!」
 使い捨ての兵隊として量産された、自分のクローンたちを、ウィスラーは思い出していた。
 彼らを大量に殺戮しながら、自分は逃げ出して来たのだ。
 あんなふうに雑魚として虐殺されながら、彼らは『実存の神』の下僕としての生き様を全うするのだろう。殺されるまで、戦い続けるのだろう。
 オリジナルである自分はどうか。
 ドゥームズ・カルトから解放された、などと一息つきながら、こんな所で安穏と使用人の真似事をしている。
「私は……まだ、戦ってすらいないのだぞ!」
 店の名前が刺繍された前掛けを、ウィスラーは脱ぎ捨てた。
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小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年06月09日

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