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『ながれゆくもの 』
ヘルマン・S・ウォルターjb5517

 新緑がその色を深くし、紫陽花やクチナシが咲き出す六月。
 初夏特有の爽やかな陽差しに、ヘルマン・S・ウォルターは目を細めた。
「よい天気ですな……」
 ここ数日は梅雨の中休みとなり、連日快晴が続いている。
 ヘルマンは孫世代にせがまれ、田舎の民家を借りて連休を過ごしていた。
(人の世界は美しいものですな)
 目前を横切る清流。
 山間を下るながれは穏やかで、ゆったりとしたさまを眺めるだけでも心が癒される。
 孫達は遊びやすい下流の方へと向かったため、ヘルマンはのんびりと彼らの帰りを待っていた。
 ふと、冷やしておいた西瓜のことを思い出し。
「今のうちに取って来ますかな」
 立ち上がると、河原の上流へと歩き始める。この先にあるさらに冷たく澄んだところに、浸しておいたのだ。
「おや、あれは……?」
 目的地付近に人影があるのに気づき、ヘルマンは目を懲らす。遠目に見たシルエットは自身のよく知る――

「楓殿……!(カッ」

 思わず全力移動しそうになったが、なんとか我慢セーフ。
 ごくごく自然に足を早め、ごくごく自然に200m先へ声をかける。
 呼ばれたことに気づいた八塚 楓はしばらくこちらを見ていたが、やがて驚いた表情に変わった。
「偶然ですな、楓殿」
 若干息を切らせてやってきたヘルマンに、一度瞬きした後。
「お前……あの距離からよく気づいたな」
「私視力5.0なもので」※対楓仕様
「そ、そうか……」
 河原のほとりに立つ楓は、いつもの服装からジャケットを脱いだ出で立ちだった。七分袖から伸びる腕には水滴が伝っている。
「ここの水は冷たかったしょう」
 ヘルマンの言葉に、楓ははっとした様子で。
「ああ……まあ……」
「西瓜を冷やすにはちょうどいいと思いましてな。この先に浸してあるのです」
 微笑みながら差し出したタオルを、楓はややばつが悪そうに受け取る。
「楓殿はここで何を?」
「いや、特には……何となく、来てみただけだ」
 言いながら水縁に視線を馳せる。その横顔は何かを懐かしむようにも見えて。
 ヘルマンは頷いてみせてから、穏やかに問いかける。
「楓殿には夏の思い出はありますかな」
 その問いに楓は一旦沈黙してから、独り言のように返した。
「……昔のことだ」
 兄と、梓と。
 おぼろげな記憶が、水の匂いで呼び起こされる。
 眩しいほどの新緑と、音もなく流れる川面の煌めき。触れた水の冷たさに、思わず声をあげたのは誰が最初だったか。
「羨ましいですな」
「何?」
 聞き返す楓に、ヘルマンはほんの少し寂しそうに微笑む。
「私は悪魔ですので、そういった思い出がないのです」
 初夏の鮮やかな陽差しも、澄んだ水底を横切る魚の影も。
 こちらを向く瞳に映ったであろう景色を、自分は共有し得ない。そのことに、もどかしさを覚えてしまうのだけれど。
「……じゃあ、これから作ればいい」
 視線を逸らした楓は、ややぶっきらぼうに言い放つ。
「お前には、それができるだろう」
 端的だが楓なりに気を遣ったのだとわかり、ヘルマンはつい笑みを漏らす。
「では楓殿。よろしければごくありふれた夏の思い出を、私に味合わせてはいただけませんかな」
「……俺とじゃ大した思い出はできないと思うが」
「そんなことはありませんぞ」
 ヘルマンはそう言い切ってから、楓を待たせてその場を離れる。やがて冷やした西瓜を取って来ると、大きく掲げてみせ。
「一緒に西瓜をどうですかな?」
 楓は驚いたようにヘルマンを見つめていたが、やがて照れくさそうに応える。
「食ってやる」
 彼らしい反応に、ヘルマンはにこにこと西瓜を切り分け始める。
「ほおら、真ん中の美味しいところをあげますぞ」
 一番大きな一切れを差し出しながら、好々爺顔でアドバイス。
「がぶっといくのがいいらしいですぞっ」
「こ、子供扱いするな!」
 楓はそう言い放つと、西瓜をまじまじと見つめ。思いきった様子で一口頬張った。
「……美味い」
 久しぶりに食べた夏の味は、いつかの記憶と同じで。
「ええ。こういう場所で食べるとより美味しく感じますな」
 ゆったりと流れる川面を見ながら、二人でしばし味わう。
 ふとヘルマンを見やった楓は、彼の口元を見て一瞬目を見開く。
「お前……髭が赤いぞ」
 ヘルマンの髭は西瓜の汁で染まり、本来の白から薄赤のグラデーションになっている。
「おやおや、これは失礼しましたな」
 口元をぬぐうヘルマンを見て、楓は怪訝そうに。
「それ、食べにくくないのか?」
「食べにくいですぞ」
 真顔でそう答えてから、若干残念そうに。
「上手く隠していたつもりだったのですが……どうやらバレてしまいましたな」
 それを聞いた楓はきょとんとなった後。突然、吹き出すように笑い始めた。
「お前……それだけ髭真っ赤にさせて、本気で隠せると思ってたのか」
 なおもおかしそうに笑う楓は、言葉を発しないヘルマンに気づくと不思議そうに。
「……どうした?」
「いえ。貴方がその様に笑うのを初めて見ましたのでな」
「何?」
「感激しているのですぞ」
 笑い方を忘れていなかったことも。
 笑えばまるで子供のような無邪気さがのぞくことも。
「またひとつ、楓殿のことを知れました。ありがとうございます」
「いや別に礼を言われるようなことじゃ……」
 もごもごと口ごもる楓を見て、ヘルマンは微笑みながら立ち上がり。
「では、もう一つ思い出を作りましょうか」
 言うが早いか、着の身着のままざぶざぶと川へ入っていく。
「おい、どこへ行く」
「楓殿、こちらの方は水が澄んで綺麗ですぞ!」
 膝まで水に浸かりながら川上を指すヘルマンに、楓はかぶりを振る。
「いや俺は入らないぞ」
「おや、もしかして……泳げない」
「そうじゃない! この格好で入れるわけないだろう」
 ムキになる楓にヘルマンは「冗談ですぞ」と言ってから、おもむろに何かを取り出す。
「心配いりませんぞ、楓殿。着替えならここにあります」
 ばーんと出されたのは『童心』と書かれた変文字Tシャツ。目が点になっている楓に、自分が着ているTシャツを指して。
「なんと私とお揃いですぞっ」
 でかでかと書かれた『孫命』に、楓はぼそりと一言。
「お前のセンスも大概だな」
 誰と比べてとは言わないけれど。
 着替えまで準備され逃げ場が無いと思ったのか、楓はやれやれといった様子で立ち上がり。川縁まで移動するとヘルマンをちらりと見やる。
「……後悔するなよ?」
 言った瞬間水面をはじき、大きな水飛沫がヘルマンを飲み込む。びしょ濡れになった姿に、してやったりといった表情で。
「油断禁物だ」
「ほっほ。やりますな楓殿!」
 対するヘルマンも同じように水をはじいて楓に浴びせる。
「ちょっ、やりやがったな!」
 再びはじかれる水面。はね上がる水飛沫が、太陽を反射しきらきらと輝いて。
 子供のように水を掛け合った二人は、気づけばすっかりずぶ濡れとなっていた。
「まったく……これじゃ泳いだのと変わらない」
 Tシャツに着替えた楓はぶつぶつ文句を言っているが、その表情に不満の色は見えない。
 水の滴る髪を軽くかき上げ、頭を振る。まるで子犬みたいなその動作に、ヘルマンは心でそっとシャッターを切っておく。

 その時、一陣の風が上流から吹き抜けた。

 雲が流れ、遠くの方でびゅうと風鳴りが響いてくる。
 楓はTシャツをはためかせながら、浅瀬でしばらくの間立ち尽くしていた。
「……どうしましたかな? 楓殿」
 ヘルマンの問いに楓は下流を見つめたまま、独り言のように呟く。

「水が流れていく……」

 まるでそのことに、今初めて気づいたと言った風情で。
 ヘルマンはゆっくりうなずくと、川面の輝きに瞳を細める。
「そうですな。流れてゆきますな」
 大気が流れ、いのちが流れ、そこに秘められた想いも流れていく。
「……行き着く先には何がある?」
「海ですぞ」
 微笑しながら、下流の先にあるであろう大海原を思う。
「人の世界では生命の源と言われておりますな」
 生まれ、育み、そして無に還す場所。
 綺麗なものも、汚れたものも。
 優しいものも、儚いものも。
 濁りも淀みも迷いもためらいも、あらゆるものを受け入れ、たゆたい謳う。
「あなたの魂も、いつかそこへ行き着くのでしょう」
 蒼き星に還り、ひとときの安らぎに浸り――そしてまた、この場所に戻ってくるのだろう。
 ヘルマンの話を黙って聞いていた楓は、視線を彼へと移す。
「……俺が」
 向けられる深紅の瞳は、水面を反射し揺らめいて見えただろうか。

「ここへ戻ってくるのを――お前は待っていてくれるのか」

 ヘルマンはゆっくりと、しかし確信のこもった響きで告げる。
「ええ、もちろんですぞ」
 百年先でも、千年先でも。

「貴方がどこにいようと、必ず見つけてみせましょう」

「……そうか」
 聞き遂げた楓に、驚いた様子は見られない。
 ただ一言だけそう返すとほんの少し目を瞑り、再び視線を下流へと戻す。
 その表情はひどく穏やかで、見つめるヘルマンは人知れずこみ上げるものを感じる。

 ――私のような悪魔でも、少しは貴方に与えられましたかな。

 自身は死神。
 今まで命を奪うことと、誘惑することしかしてこなかった。
 誰かを幸せに出来るとは思えず、どう愛せばいいかもわからずに。
 
 そんな自分が、初めて愛することを知った。
 存在するだけで満たされる歓びを教えてもらった。
 だからもう自分はなにも要らぬと、今はただ与えたいと思うばかりで。

「楓殿、思い出をありがとうございました」

 告げた言葉に、微笑が返ってくる。
 この一瞬を永遠に手に入れられればと、何度思ったかわからない。けれど。

 情念は茨、執着は枷。

 自身の想いすら相手を傷つけると知るがゆえ、彼はすべてを内に隠し続ける。
 激情は胸に、差しのべる手は賢明に。
 己にできるのは心から愛したひとを慈しみ、その幸せのために命を燃やすことだと戒めて。

(貴方の罪と罰は、残される私が全て請け負ってみせましょう)

 だから神がいるなら、どうか今だけでも叶えて欲しい。

 共に在れるひとときを。
 わずかな安らぎを。

 それだけで、この魂は満ちるのだから。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号/PC名/性別/外見年齢/夏の思い出】

【jb5517/ヘルマン・S・ウォルター/男/78才/最初の】

 参加NPC

【jz0229/八塚 楓/男/22才/最後の】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、この度は発注ありがとうございました…!
子供の頃、川の水の冷たさに驚いていたのを思い出しました。
一夏の記憶、刻んで頂ければ幸いです。
水の月ノベル -
久生夕貴 クリエイターズルームへ
エリュシオン
2015年06月11日

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