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『再会・酔夢の中で 』
伊武木・リョウ8411


 子供が父親に対し、まず最初に抱く感情は、何であろうか。
 慕情ではない。尊敬の念でもない。
 まずは恐怖だ、と伊武木リョウは思っている。
 幼い頃に暴力を振るわれた、というわけではない。
 ただ、あの父親にとって自分は一体、何であったのか。
 そんな事を思いながら、伊武木は目を開けた。
 研究室の、ソファーの上だった。深酒の真っ最中である。
 目を開けても、意識ははっきりしない。起きながら半ば、夢の中にいる。
「俺は……物、だったよな? 父さん、あんたにとっては」
 物心ついた頃の伊武木が、父親から最初に感じ取ったもの。それは視線だった。
 実の息子を、1つの物体として観察する、理系技術者の眼差しだった。
 お前は一体、どのように使えるのだろう。何に利用出来るのだろう。
 父は絶えず息子に、無言でそう問いかけていた。
「ま……俺が勝手に、そう思っていただけかも知れないけどな」
 あの男は、本当は自分に、1人の父親としての愛情を普通に注いでくれていたのかも知れない。
 だが、こうして酒を飲んで物思いにふけってみても、普通の父子らしい触れ合いなど何一つ思い出せないのだった。
 小学生の頃になると、父がどのような事をしているのか、おぼろげながら理解出来るようになっていた。
 お父さんの研究、凄いね。立派だよ。完成したら見せてよね。
 そんなふうにはしゃいで見せる幼い自分の姿を、まざまざと思い出しながら、伊武木はグラスの中身を一気に呷った。
 あの頃の事を思い出すと本当に、飲まずにはいられなくなる。
 父の行っている「何か」に、自分が選ばれないために。使われないために。
 ただ、それだけのために父を褒め、父を持ち上げ、父に対してお世辞を連発し、父に媚びて見せる小学生。
 それが、幼い頃の伊武木リョウであった。
 そんな自分の代わりに、大勢の見知らぬ誰かが、父の研究の犠牲となってゆく。
 思春期に入ると、そう思い悩んだりもした。
 思い悩んでは駄目。あなたのお父様は、とても素晴らしい研究をなさっているのよ。
 ある1人の女性が、そんな事を言っていた。
 陸橋の手摺りにもたれ、ここから飛び降りてしまおうか、などと思い始めていた中学生・伊武木リョウの傍に、彼女はいつの間にか佇んでいた。
 染めたわけでもない、自然な色艶を有する緑色の髪。生命を孕んだルビーのような、真紅の瞳。眩しいほどに白い肌。
 それらの禍々しい色合いが印象的な、美しい女性であった。
 貴方もいずれ、わかるわ。彼女はそう言った。
 いえ、わからないかも知れない。だけど貴方はいずれ必ず、お父様と同じ道を歩み始める。その道のどこかで、またお会い出来るかしらね。
「……まさしく、あんたの思い通りと。そういうわけかな」
 伊武木は新しい酒を注ぎ、この場にいない女性に向かって乾杯の仕草をした。
「俺は、親父とは違う……そんなふうに意気がっていた時期が、俺にもあったさ。だけど端から見れば大して変わらない、どころか」
 父は、大勢の人間を、特に幼い子供たちを、様々な研究・実験に用いていた。当然ことごとく死なせてきた。
 非人道的である事に、異論の余地はない。
 だから息子は、研究材料・実験台に用いる人体を、外部から調達するのではなく人工的に作り出すところから始めた。
 何しろ、自分たちで作り出したものである。
 薬物を投与しようが、切り刻んで廃棄しようが、法に触れる事はない。遺族に恨まれる事もない。
「……父さん、誇っていいぜ。あんたの息子はな、あんたよりもずっと、たちが悪い」
 父には、やはり感謝しなければならないのだろう。伊武木はそう思う。
 非人道的な研究で大いに金を稼ぎ、自分を育ててくれた。大学にも行かせてくれた。研究を続けてゆくに当たって、父の名が役に立った事もある。
 伊武木リョウが研究者として芽吹き、それなりの花を咲かせた。その土壌を作ってくれたのは、紛れもなく父なのだ。
「俺に、あんたを憎む資格なんてない……わかってるんだよ、そんな事は」
「人が死んだわ。特に、幼い子供たちが大勢」
 声がした。玲瓏たる、女の声。
 優美な人影が1つ。いつの間にか、向かいのソファーに腰を下ろしている。
「お父様が、そのような研究をして稼いだお金で、貴方は育ってきた……だけどね、そんなものに縛られては駄目。資格など定めず、お父様が憎いのなら憎み続けなさい。それが人間として、あるべき感情なのだから」
「あんた……」
 この女性のために、グラスをもう1つ用意するべきか。伊武木はまず、それを考えた。
「……驚いたな。あの時と全然、変わってないじゃないか。一体どんな若作りをしてるんだい」
「いろいろ苦労している、とだけ言っておくわ」
 緑の髪、真紅の瞳、白い肌。
 色合いの禍々しい美貌が、にっこりと歪む。
「いずれ、お父様と同じ道を……とは言ったけれど」
「あんたの思い通り、ってわけだ?」
「とんでもないわ、私が思った以上よ。今の貴方は、お父様を遥かに超えた研究者。まるで神の如く、1人の人間を無から生み出す技術……もっと恵まれた環境で、活かしてみるつもりはない?」
「何だ……俺を、引き抜きに来たのか」
 伊武木は即答せず、グラスに口をつけた。
「俺の親父も結局あんたに、そうやって持ち上げられて、おだてられて、いい気になって自滅したと。そういう事じゃないかって気がするよ。ああ恨み言じゃあない。親父は、ああいう死に方をして当然の男だったからね。だけどまあ研究者としては、確かに優れていた。俺があの人を遥かに超えたなんて、それこそとんでもない話だよ」
「……お父様を、尊敬しているのね?」
「才能に関してだけはな。研究者なんてのは、それだけあればいい」
 伊武木は、酒臭い溜め息をついた。
「俺が、本当の意味で親父を超えるには……あの人の研究が残したものと、何かしら決着をつけなきゃならないんだよ」
「ふふ、まさかとは思うけれど……あの子たちを上回る何かを、貴方の研究で生み出そうとでも?」
 あの子たち。
 父が直接手がけて怪物へと進化させた、緑眼の青年。
 父の研究を受け継いだ男によって生み出された、隻眼の少女。
 あの2人を力で上回るものを、人工的に作り上げる。そんな事は伊武木にも無論、この研究施設が総力を結集したところで到底、不可能である。
「貴方の可愛がっている、青い瞳の男の子。彼なら、いくらかは有望かもね」
「……あいつは、そんなつもりで育てたんじゃあない」
「では、どういうつもりで? ……と訊くのは、やめておきましょうか」
 緑色の髪をフワリと揺らめかせながら、彼女は立ち上がった。
「貴方の言う決着が、どういうものになるのか……それを見届けてからに、させてもらうわ」
「何を?」
「伊武木リョウ……貴方を、虚無の境界へとお迎えする事」
「行かないよ……たぶん、ね」
 その言葉は、しかし独り言になってしまった。彼女は、すでに姿を消している。
 いや。最初から、いなかったのかも知れない、と伊武木は思った。
 自分は酔っ払って、幻覚と会話をしていただけではないのか。
 グラスを揺らし、微かに氷を鳴らしながら、伊武木は呟いた。
「……酒は、やめよう」
 父が遺した、あの2人から、自分は逃げている。
 本当は、とうの昔に気付いていた事である。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年06月19日

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