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『妻の掌、夫の膝、家族のカタチ 』
森田直也jb0002



 面白い温泉街があるというガイドブックを手に森田直也(jb0002)が森田 霙(ja9981)を誘ったのは、ほんの数日前の事。
 今、2人は旅館の一室に案内されたところだった。霙たっての希望で決定したこの宿は、様々な温泉が揃っているのが売りなのだ。
 仲居が去った後、霙が早速立ち上がる。
「すぐにでも入るの」
 まだ着いただけと言うのに、完全に浮足立っている。
「その前に荷物を解」
「直也さんのも出してあるの」
「へ?」
 言葉通り既に替えの下着が置かれているし、霙も自分の着替えを抱えている。
「一番上に入れておいたのー」
 笑顔を向けられれば頷くしかなかった。

(楽しんでくれるならいいけどよ)
 声を掛けた甲斐があると言うものだ。けれど何がそんなに霙の琴線に触れたのか、それがまだ判明していない。
(そんなに風呂好きだったか?)
 体を洗いながら首を傾げる。時々突拍子もない事をする妻だという事は付き合っていた頃から知っている。けれど裸の付き合いで何があるというのか。
「ま、これからわかるだろ」
 ばしゃりと湯を浴び石鹸を流していく。
 湯浴み着として用意されていた水着風パンツを履けば準備完了だ。

 ぱしゃり
(たーのしみなのー)
 ガイドブックにでとある単語を見つけた時から、霙はこの日を楽しみに待っていた。
 ただし、なるべく顔に出さないように注意もしてある。これから起きる事がどれだけ自分の欲求を満たしてくれるかどうか、それを思えば多少感情を抑えることなどわけもない。
(直也さんは気付いてないの♪)
 ガイドブックのキャッチコピーを見て持ちかけただけで、宿の予約を終えれば後は現地で、きっとそういう心づもりだったのだろう。
「髪も崩れないはずだし、これで合流できるの」
 アップに纏めて。こちらはワンピースタイプの湯浴み着である。
「直也さーん、お待たせなのー」
 混浴温泉巡りスペース、その入口へと向かった。



 パレットの上に広がる庭園、と言えば近いだろうか。大小さまざま色とりどりの泉が夫婦の目の前に広がっている。
「案内板とか、普通はあるんじゃないのか」
「迷子なの?」
「そーじゃねーけど、全体の地図とか」
 パンフレットに載っていたことは知っていても、事前に調べる行為は直也にとって“面倒”の範疇に入るのだ。
「行き当たりばったりもいいと思うの」
 近い順に回ればいいのでは? 霙の提案に目の前のドラム缶を見る。五右衛門風呂の設えの横にはたしかにこの温泉の説明文が添えられていた。
「どれ……イカスミ?」
 なんだこりゃ、と効能を読み始めたところで霙が直也の腕を引っ張った。
「みつけたのー♪」
 ぐいぐい、ずるずる
「痛っ、痛いから引きずるなちゃんとついていくから!」
 ずり落ちた湯浴み着を引き揚げながらついていく。
「しかし何を見つけたって……っ!?」
 つーーーん!
 近づくほどに刺激臭が鼻をつく。
 きらっきらぁ☆
 近づくほどに霙の瞳が輝きを増す。
 ぐいぐいぐいぐいぎゅー!
 直也の腕を掴む霙の手に更に力が入っていく。
「入らん、俺は断じて入らん!」
 不自然な、けれど淡い赤い色。
 案内を読まなくても分かる。

『死のソース風呂』
 唐辛子たっぷりの、人を死に至らしめるとも呼ばれるあのソースがたっぷり入った温泉。
 猟奇的なまでに辛いものが好きな霙が興奮を隠しきれていない。あっさり到着してしまった。
「押すなよ! 絶対に押すなよ!」
 なんでこんな危険物が直堀りの低い場所に!? 後ずさろうと構えながら叫ぶ直也である。
 霙は辛いものは好きだが、もちろん食べるの専門である。しかしあの笑顔と瞳の輝きはすぐにこちらに向けられるに決まっている! 常識的に! 経験的に考えて! そうに違いない!
 夫婦になる前から、悲しい事件は起きつづけているのだから!
「ためしてみるのー」
「いやいやいやいやだから入らないって」
 この叫びはフリじゃねーって! マジで!
 つるっ
「あ」「あ♪」
 どぼーん!
 タイミングを読み間違えあっさりと霙に突き落とされる直也。
「辛いもの好きになーれ♪ なのー」
 顔面から全身まっさかさまに入った直也の下半身もまるごと入れようとする霙。直也には見えないところで、その顔には笑顔が刻まれている。
 ぐいぐい
「ぶっはぁ!?」
 瀕死目前からの抵抗に成功した直也はすぐに飛び出してくる。
「痛ええええぇぇぇぇぇ!? 目が! 鼻が! 尻が!」
 ごろごろごろごろ
 比較的弱い粘膜だけではなく、先ほど少し引きずられて薄皮が剥けたあたりにカプサイシンがダイレクトアタックしたのだ。
「お前は夫を殺す気かあぁぁぁ!」
「大成功なのー!」
 快哉の笑い声をあげながら夫を指さす霙。このお風呂の名を見つけた時から、この瞬間を待っていたのだ。

『熱湯風呂』
「えーい♪ なの」
 どんっ ぼちゃ!
 じゅぅううう!
「あっついどころじゃねぇえええ!」
 霙特製料理、カプサイシンと相乗効果で直也の踊り茹でが進行中。
「下茹では大事なの」

『氷風呂』
「氷風呂はあっちなの」
 ざばぁ だだだだだぢゃぽん!
「生き返る……って痛い痛い痛い!?」
 氷〆で身も引き締まる。
「追い氷なの♪」
 横にあったクーラーボックスをひっくり返してまで仕上げにかかる霙。
「もう出るから! すぐ出るから!?」

『海藻風呂』
 にゅるっ
「どういった需要だこれ」
 湯浴み着の隙間と言う隙間から若芽や昆布が入り込んでくる。風呂としては適温なのだが。
 ぬるん
「どちらかといえば霙が入った方が。俺も見」
「次あっちなのー」
 すたすた
「っちょ、霙? 霙さん?」
「助兵衛は置いて行くの」
 すたすたすた
「俺を落としたの誰……棚上げか!?」
 ぐいっずるん!
「待てって霙!」
 うっかり気を抜くと昆布を踏んで転ぶアリジゴク状態だ。直也が手こずっている間に霙は先へと進んでいく。

『蜂蜜風呂』
「ぽかぽか気分がいいの♪」
 肌にも良さそうだと、甘い香りのするお湯を頬に当てる霙。
「……お前、何のうのうと……」
「遅かったの」
 脱出するのに十分以上かけた直也が入ろうとしたところで。
 ざばぁ
「それじゃ次なの♪」
 ぐいぐい
「俺に普通の温泉を楽しむ暇は」
 ふわっ
「……!」
 妻からいい香りがする。
「わかった」

『???風呂』
「風呂……か?」
 もくもくと上がっている煙のせいで看板がほとんど見えない。
「確かめてきやがれ旦那様?」
 どんっ
 じゅわぁぁぁぁぁぁ!
 直也は自分の濡れた身体に個体がぺたぺたと貼りついていく感覚のみある気がするのだが、視界が真っ白でよくわからない。
(なんか……くらくらしてきた)
 なぜならここはドライアイス風呂だから。
「ここは観賞・演出用って書いてあったのー」
 くれぐれも良い子は真似しないように。

『納豆風呂』『牛乳風呂』
 死活を駆使して脱出した直也は今完全にまな板の上の鯉である。
 なのでぬるぬる納豆の中に叩き落されても完全に受身だ。
「ここもいい感じなの♪」
 霙はやはり一緒に入らず隣の真っ白牛乳風呂を堪能中。
(我慢ならん)
 テンポよく弄ばれてばかりである。夫の威厳はどこに行った?



「いい加減にしろ、夫を何度も瀕死に追いやる妻がどこにいる!」
 ぽかり
 怒声と共に霙の頭を叩く直也。
「ここにいるの! か弱い乙女に何をするのー!」
 結婚前から色々あった気もするが、主に辛いもの関連で。
「やかましい! 実験台にされる身にもなれ!」
 少しくらいなら日常茶飯事程度で慣れている直也でも、ここまで連続だと怒りゲージを振り切った。
「夫婦水入らずの旅行って言っただろーが! 一緒に楽しむのが筋ってもんだろ!?」
「わかってるの! だから美味しそうなにおいいっぱいつける計画だったの!」
「美味しそうな……って、えっ?」
「好きなものの匂いとかつければ食」
 気付いたのか言葉を止める妻に、夫がその顔色をうかがう。
「……霙?」
「なんでもないの。洗い流してきやがれなの」
 ふいとそっぽを向いて、温水シャワーを指し示す霙。
「あ、ああ」

「混浴の強みはこれだろ……」
 取り揃えられた温泉は天然温泉をベースに何かしら混ぜている(主に食品)か食品そのものを詰め込んだものばかりだったが、今夫婦で浸かっているように一般的な混ぜものなしの湯も勿論存在している。
 ぐに
「ぐえっ 霙、流石に生身で足を踏むのは」
「……来たの」
 ゆっくりと流れる時間を邪魔するかのように、2人の視界を影が覆う。見上げれば大きな翼を広げた天魔が此方を狙っていた。
「っ、霙下がっ」
 踏まれたままなので立てない。
「邪魔する奴はお仕置なの」
 氷の錐が既に霙の頭上に出現している。その大きさが通常よりも大きい気がするのは……直也の目の錯覚だろうか?
 ぐにぐに
「痛っ、だから霙足、足」
「歯ぁくいしばれなの!」
 シュバッ! 渾身の一撃は得物を構えて向ってきた天魔に真正面からぶち当たる。
 しかし天魔の勢いは殺せなかったようで、そのまま夫婦の元へと落下して……
「危ないの」
 ひょい
「え、何」
 ちゅど〜〜〜ん!
 これまでの蓄積ダメージのせいで直也は逃げ遅れたのだった。



「邪魔が入らないっていいものだな」
 敵とか物とか悪戯とか。部屋に戻った二人は改めて宿泊部屋にある露天を堪能していた。ここなら人目も気にならない。
「時々なら悪くないの」
「時々って……」
 先のうっかり発言の反動だろうから、深くツッコミは入れない。その代わり直也は膝の上に霙を誘う。まだ残っている蜂蜜と牛乳の香りを吸い込んで、後ろから抱き締める。
「で、この後の予定は決まってるのか?」
「勿論ご当地辛いもの探索なの」
「夕食が入る余地は残しておかないとな」
「わかってるの、それと」
 振り向いた霙が直也に耳打ち。内容に笑みを浮かべたあと、夫は妻の頤に手を添えた。今はまだ短めのキス。
「……ま、たまにはこういうのもいいか」
 旅行はまだ一日目だ。
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エリュシオン
2015年06月23日

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