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『継がれるもの、継いでいくもの 』
ヘスティア・V・D(ib0161)




 あの日、私は母さんとふたりで遠出をしていた。ひい祖母様の家へ行くために。
「行けるうちに行っとかないとさ、いつ行けなくなるかわからないだろ?」
 出かける前、母さんはそう言って私の頭を撫でた。私はひい祖母様の若い頃によく似ているという。すごく小さい頃に一度だけ会ったことがあるらしいけれど、そんな頃の記憶なんてよく思い出せないから、本当に似ているのか確かめようと決めていた。
 とにかく青い空が綺麗で、とても高く、清々しい日だった。ひい祖母様は親戚のなかで生ける伝説と呼ばれているくらいだから、とても怖い人なのかもしれない。そんな風に考えていたこともあったのに、実際はとても無駄のない綺麗な動きで、薪を割っていた。
(……あれ、ひい祖母様って何歳だったっけ)
 家の前で斧を振るっていたひい祖母様は、私たちの姿に気がつくと、嬉しそうに両手を広げて出迎えてくれた。斧はその辺に突き刺して。
「よく来たね。いや、おかえりと言ったほうがいいかな」
「どっちでもいいよ。それより、もういい年なんだから薪割りなんてやめといたら?」
「あんたたちが来るまでには終わると思ったんだけどね。斧も重く感じるようになってきたし、そろそろお迎えが来るのかな」
 ひい祖母様は明るく笑っていたし、母さんも気にしていない様子だったけど、なんて会話だと思った。
 思ったんだけど――母さんだけでなくひい祖母様も、戦いがとても身近な人だと聞いた。あまり悲嘆せずにただ受け入れようとしているだけなのかもしれない。命の終わりというものを。
「そこに積めばいいの?」
「ああ、よろしく。いくつかは持ってきてくれ、お茶をいれよう」
「じゃあヘル、これだけ持っていってやって」
 母さんは薪割りの後片付け。私は何本かの薪を持たされて、ひい祖母様の後に続いて家のなかに入った。
 簡素な造り。でもインテリアや数少ない小物に女性らしい気配りが感じられる気がした。
「こっちだよ」
「あっ、はい!」
 呼ばれて台所に向かう。かまどの上にはヤカンが乗せられていて、あとは火をつけるだけになっていた。
 薪を入れ、火打石をカチカチ鳴らす。炎の様子をしばらく眺めて、落ち着いたことを確認してから、折っていた膝を伸ばした。
「ありがとう、ヘルヴェル」
 ひい祖母様はそう言って、私の頭を撫でてくれた。母さんと同じ撫で方だった。
「ばーちゃん、片付け終わったよ」
 ほっぺたに熱を感じた途端に母さんが家の中へ入ってきた。慌ててのけぞった私を見て、母さんは首をかしげた。



 ひい祖母様がいれてくれたお茶は、私が今までに飲んだことのない味と香りがした。緑色だったから、口をつけるのもどきどきだった。
 ……でも、なんでだろう。どこか懐かしい気もしたのは。
「なんだ、ヘスティア、この子にジャパンの味を教えてないのか?」
「近くに扱ってる店がないんだよなぁ」
 私は不思議そうな顔をしていたんだろう。おまえにもジャパンの血が流れているんだよ、とひい祖母様は教えてくれた。
「けど、俺もヘルも全然そんな風に見えないし、ばーちゃんの血が濃すぎるんじゃねえの?」
「あたしに似ているのは嫌かい?」
「そういうわけじゃないけどさ」
 仲がいいんだなあ、と思った。久しぶりなだけに話題が尽きないのか、口を挟む隙もない。ひい祖母様がお茶と一緒に出してくれたお菓子を頬張りながら、私にできることは傍観しながら時折ツッコミを入れることだけだった。
「それにしても、ドラッケン……ドラッケンねえ。まさかあのエロフと縁続きになるとはね、長生きもしてみるものだね」
 ドラッケンは、お父様の家の名。そして母さんと私のファミリーネーム。
 カップから顔を上げるとひい祖母様が私のほうを見ていたから、お菓子をもうひとつ取るフリをして、視線をそらしてしまった。
「エロフ? エルフじゃなくて?」
 母さんが質問を投げかけて、ひい祖母様の視線も私から外れるのを感じた。
「まあ、エルフのことなんだが……そうだなあ、『そういうこと』に強いというか、『そういうこと』が好きというか、とにかく『そういう』エルフのことかな」
「ああ……そういう……」
 ぼかしてばかりで私には正直よくわからないけれど、母さんは理解できたらしい。ぱっと見ではそうは見えなかった、とか言っている。
「どういうことなの?」
「ヘルはもうちょっとだけ記憶しなくていいことだ」
 尋ねてもはぐらかされたので、家に帰ったらもう一度聞いてみようと思った。
 ギシッとひい祖母様の座る椅子が鳴いた。ひい祖母様が背もたれに深くもたれたからだった。
「懐かしいよ。あの頃はしょっちゅう酒場に行っていてね。約束なんてしていなくても誰かしらがいて、受けた依頼の話を肴にしては、気の抜けたエールを傾けていたんだ」
「気の抜けた、ってそれは酒場としてどうなんでしょう……」
 ツッコミを入れなくてはいけないポイントだった。確かにエールは時間をかけて醸造されるものだけど、熟成を通り越して気が抜けたと形容されているのはダメだと思う。飲んだことはまだないけれど多分おいしくないだろうし、商品価値はきっと、ない。
 ひい祖母様は笑った。遠い彼方を見つめる眼差しで。
「気が抜けていたのは前日の売れ残りだったからさ。もちろん酒場も、本来なら商品にならないもので金を取りはしなかったよ。最初は労いか、賑やかしを求めていたのか――まあ、金のかかるメニューを頼むこと自体が冒険者の間では珍しくなってしまったものだから、いつしかウェイトレスからの無言の圧力が厳しくなっていたな」
「ウェイトレスの圧力か。でも、そんなの魔物と戦う冒険者にとっては何の意味もなかったんじゃねえの?」
「とんでもない。冒険者はウェイトレスには絶対勝てなかった。イギリスだけじゃない、各国の冒険者酒場でだ」
 笑顔を絶やさず、冒険者をいたわる言葉をかけ、しかしその端々に高額メニューを頼めという強制力がこもっていた、と、ひい祖母様は熱く語った。巨大な樽を小脇に抱えていただの、非常に重い鈍器でもある銀のトレイで体を鍛えていただの、酔っ払いが騒ぎ出した際にはそれらを振るって物理的に黙らせただの。
 正直なところ、全部が実際にあったこととは考えられない。でもひい祖母様にとっては、昔も今も、真実なのだろう。
 その頃のひい祖母様がいかに充実していたか。語る様子を見ていればよくよく察せられた。
「じーちゃんと出会ったのもその頃だっけ?」
「いま思い出しても惚れ惚れするよ。たくましい身体から……男の色気というのかな、心惹かれるものがあったんだ。精神的な素晴らしさは言うまでもないかな」
 年頃の女の子のような、それでいて勝ち誇るようなひい祖母様に、母さんは片手で頬杖をついて一言、ふーん、と返した。
「なんだ、そのやる気のない合いの手は」 
「じーちゃんには悪いけど、男の色気も、精神的なもんも、俺の旦那に勝てる奴はいないって」
「ほう?」
 体の表面がちりっと反応した。これはやばいと、本能が察した。とっさに全員分のカップとお菓子のお皿を自分の手元に引き寄せ避難させた。
 次の瞬間、立ち上がったひい祖母様がドンッ! と、拳をテーブルに叩きつけた。まさしく間一髪だった。
「ヘスティアの結婚話を聞いた時は驚いたよ。あたしは一人だけだからねぇ、純愛だろ?」
 もちろん、母さんが黙っているはずはなかった。同じように立ち上がって、同じように拳を叩きつけた。
「けっ、俺は他の他人事愛してんだよ?! てか子供の数では勝った!!」
 そこは決して自慢するポイントではないと思ったし、どっちが上とかそういう問題ではない気がした。
 テーブルを挟んでにらみ合う、ひい祖母様と母さん。いい年をした大人が、まだ子供の私の前で、デリケートな話題について張り合うなんて。
「……取り敢えず落ち着きましょうか……二人共、恥ずかしいです……」
 そう、恥ずかしくて仕方がなかった。身内のそういう話は結構恥ずかしいものだ。
 見ていられなくて両手で顔を覆った私を見て、ひい祖母様と母さんはお互いの顔を見合わせてから強くうなずいた。
「「勝負だ!!」」
「えぇっ、なんでそうなるんですかっ!?」
 すでに勝負は始まっているとばかりに、二人して台所へ駆け込んだ。台所へ。てっきり「表に出ろ」なのだと思ったのに。
 様子を見に行こうとしたら、気配を察知したのか、来るなと二人から叱られた。その気迫があまりにも凄くて、無理に乗り込む気にもならなくて、仕方なくまたお菓子をつまみながら待つしかなかった。



 お菓子は美味しかった。でも三人分を一人で半分食べれば飽きるのも無理はなく、私はテーブルに突っ伏しながらその日聞いたばかりのひい祖母様の武勇伝を思い出していた。おかげで、台所から全然出てこないひい祖母様と母さんを待つ時間も苦にはならなかった。
「ヘル! 寝てんじゃねえ!」
「寝てませんっ!」
 子供が親に呼ばれて飛び起きるのは生き物としての仕組みだと思う。
 焦って居住まいを正していると、母さんもひい祖母様も、そんな私の前に料理の乗ったお皿を置いた。おいしそうな湯気が出ていた。
「まったく、腹が減ったのならなぜ言わない」
「菓子ばっかり食うなっていつも教えてんだろ?」
 私の手元にあったお菓子のお皿は取り上げられてしまった。フォークとスプーンを持たされ、早く食べろとせかされた。
「どうだ?」
「どっちの料理がうまい?」
 二人は私に判定を求めた。気迫とともに見守られては、お菓子をたくさん食べていなかったとしてもなかなか食が進まなかっただろう。
「……その……ありがとう、ございます……」
 お礼を言うと、順番に私の頭を撫でてきた。やっぱり同じ撫で方だった。
「子供はそんな気をつかわなくていい」
「よく噛んで食えよ」
 私が食べるにしたがって、二人とも安心したような顔を見せた。
 料理勝負というのは、少なく見積もっても半分くらいは建前だったに違いない。伝説のひい祖母様の前で緊張していたこともあってほぼずっとお菓子を食べていた私を、おなかが減っているようだと二人は勘違いしたのだろう。
 ひい祖母様は料理担当ではなかったと聞いているし、母さんは母さんで自分が料理下手だと思い込んでいる。そんな二人が私のために料理を作ってくれたのだ。味がどうとかは関係なく、お礼を言わないわけにはいかなかった。
「ヘルはどっちを選ぶのかねぇ」
 ちまちまと食べ進める私を眺めながら、ひい祖母様が言った。
「当然、俺と同じに決まってんだろ。俺の娘だぜ!」
 自信満々に胸をたたく母さん。
 オンリーワンとして愛されるか、それとも他の人ごとまるっと愛されるか。私が勝負をうやむやにしたせいか、二人は改めて別の観点から競い始めたのだが、そんなことは料理と同じように、その場で私が答えを出せるわけなかった。
 だというのに。ひい祖母様はやっぱり引き下がろうとしなかった。
「ふたりだけの時間がもつ素晴らしさがだな」
「そんな時間くらい俺たちだって持てるし」
 せっかく、料理を作ってくれてちょっと感動したのに。
 その時ようやく気が付いた。ひい祖母様と母さんは、競っていると見せかけてその実、自分の伴侶について惚気ているだけだったのだ。惚気ているうちに競い合いへと発展したのではなく、競い合うことでよりたくさん惚気ることが目的なのだと。
 つまりは私すらも惚気るためのきっかけにされた節があったということだ。 
「もうっ! やめてください、私は好きな人が一番になるだけです!!」
 止まらない惚気話を言い合う身内の姿を見るのはとても恥ずかしい。それなのに、嬉しそうで楽しそうで幸せそうな二人を見ているととても羨ましく、自分もいつか、という思いが脳裏をよぎった。
「そうか、じゃあヘルヴェルが選ぶ人に会えるのを、楽しみにしていよう」
「馬鹿な男に引っかかんなよ? ま、俺の娘だから大丈夫か」
 いつかがいつ来るのかは天にまかせるとして。惚気話を言い合う輪の中に加われたなら、その時の私はとにかく幸せなのだろう。ひい祖母様や母さんのように。
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2015年06月29日

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