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『雨の夜の話 』
フェイト・−8636)&藤堂・裕也(8580)
 ドアを開けると、上部に取り付けられたベルがカランカラン、と鳴った。
 店仕舞いをしていたBAR【回帰線】のマスター藤堂・裕也はドアを少しだけ開けて、外の様子を眺めていた。少し前から降りだした大粒の雨は、勢力を保ったままざあざあと降り続いている。通りのアスファルトが黒く濡れ、街灯を反射して光っていた。
 ふと、店の軒先に人が立っているのに気付いた。黒ずくめの服装をした、細身の青年だ。いつからいたのだろう。俯いていて表情は伺えないが、雨に濡れているようだった。
「こんばんは」
 藤堂はなるべく驚かせないよう、そっと声をかけた。青年は顔を上げて、藤堂を見た。
「すみません。勝手に、軒先をお借りして」
 青年は礼儀正しく頭を下げた。
「店先に立たれるのも気になるから、中へ入らないか。タオルくらい貸してやるよ」
 藤堂のぶっきらぼうながら優しい言葉に、青年は遠慮がちに笑った。
「ありがとうございます。でも大丈夫です。雨が止んだら立ち去りますから」
 そう言って笑っている青年の笑顔は優しげだが、影があるのが気になった。何かを諦めて受け入れているような、そんな笑い方だった。藤堂は何となく、その青年をそのままにしておく気になれなかった。
「もう店は閉めるんだが、実はうちの裏メニューのナポリタンの材料が一人分残っててな。あんた……使い切るのを手伝ってくれないか」
 青年は一瞬面食らったような顔をして藤堂を見た。それから、笑った。


 フェイトは【回帰線】の店内で、藤堂が貸してくれたタオルで濡れた頭を拭いた。体も軽く拭いたが、水気を含んだ服で椅子に座るのは抵抗がある。汚してしまうな……。
 カウンターの奥から藤堂が出て来て、テーブルの上にマグカップを置いた。
「これ飲んで座って待っててくれ」
 フェイトは、ゆらゆらと湯気が上がっているカップの中身を見つめていた。
「別に、子供扱いしているわけじゃないぞ。期限が切れそうだったんでな。これも、無くすのを手伝って欲しい。もしかして、ミルクは苦手かな」
「いいえ」
 フェイトは首を横に振る。
「いただきます」
「少しブランデーを足した方がいいかな」
「いいえ」
 フェイトはすぐに首を横に振った。藤堂はふっと笑って再びカウンターの奥へと姿を消した。
 フェイトはカウンター席の椅子に腰掛けた。そこでようやく、自分の体が疲労していた事に気付いた。短く息をつく。
 せっかく出してくれたのだから温かいうちに、とカップに口をつけた。ホットミルクなんて、前に飲んだのはいつの事だったろう。思い出せない。
 フェイトは店内を見回した。落ち着いた雰囲気の内装で、掃除が行き届いている。床もテーブルの足もつやつやに磨かれている。カウンターの棚には酒のボトルが並んでいるのが見える。普段は音楽を流しているのかもしれないが、今は店の奥から藤堂が作業する音が聞こえるくらいだ。
 フェイトは何だかおかしくなって、笑いそうになった。何をやっているんだろう。こんな風に温かいミルクを飲みながら、誰かが作る手料理を待っているなんて。
 しばらくして、トレイを持った藤堂が現れた。
「お待ちどうさま」
 藤堂はフェイトの前にナポリタンが乗った皿を置いた。
「いただきます」
 フェイトが言うと、冷めないうちに食いな、と藤堂のぶっきらぼうな声。まだ店仕舞いの途中だったようで、カウンターの内側で何か作業している。
 藤堂が作ってくれたのは、昔ながらのナポリタンという感じだった。具材はベーコンと玉ねぎとピーマン、炒めたケチャップとウスターソースの匂い。
 ひとくち食べたフェイトが無言でナポリタンを見つめているので、藤堂は声をかける。
「口に合わなかったか」
「いえ」
 フェイトは首を横に振る。
「美味しいです。すごく」
 フェイトは藤堂が出してくれた粉チーズを手に取る。少しかけてから、再び食べ始めた。ざらざらした粉チーズは、熱々のケチャップにとても良く合う。
 黙々と食べているフェイトを時折気にしながら、藤堂は片付けを続けている。
「こちらのお店は長いんですか?」
 フェイトはそう言ってから、
「すみません。この辺りはよく知らなくて」
「それほど長くはないよ。もともとは税理士事務所をやってたんだが、そこを辞めてからだからな」
「そうなんですか」
「平たく言えばどちらも客商売だな。まあ、人嫌いではないつもりだが」
「そうだと思います」
 フェイトが笑った。
「人嫌いだったら、俺みたいなのを店に入れたりしないと思います」
「なるほど。もっともだ」
 藤堂は頷いた。
「この辺りに猫がいたんだけどな」
「野良猫ですか」
「おそらくね。残り物をわけてやったりしていたんだが、他にもエサ場があるらしくて、たまに現れては、またしばらく姿を見せなくなるという繰り返しだよ。最近も姿を見なくなった。黒猫で、緑色の目をしていて」
 少しあんたに似ている、と言おうとして藤堂は言葉を切った。失礼だろうかと思ったのだ。
 フェイトは藤堂を見つめていたが、言葉が途切れたので、自分が口を開いた。
「それは寂しいですね」
「寂しくはないよ」
 藤堂は言う。
「基本的に、俺は去る者追わずなんだ。気が向いてまた来たくなったら、いつでも帰ってくればいい」
 あんたもそうすればいいと、言われたような気がした。藤堂は言葉にはしなかったが、フェイトは何となくそんな気がした。
 不思議だ。初めて来た場所なのに懐かしいような気がする。藤堂だって初めて会う人なのに、話していて落ち着く。
 名前を聞かれたら適当に偽名で答えつもりだったが、藤堂はフェイトに名を尋ねなかった。フェイトも尋ねなかった。藤堂は踏み込むことも、突き放すこともしない。
 ただ全てを受け入れ、包み込むような人柄を感じた。雨から逃れて逃げ込んだ軒先みたいに。
「ごちそうさまでした」
 フェイトは頭を下げた。
「すごく美味しかったです。俺の人生の中で後にも先にも、これ以上美味しいナポリタンはありません」
「若いのにそんなこと言うなよ。これからもっと美味い店にいくらでも出会えるさ」
 藤堂が笑ったので、フェイトもつられて笑う。
 雨は止んでいた。藤堂が外に見送りに出てくれた。雨上がりの冷たい夜風が心地よかった。
「じゃあ、また来ます」
 フェイトが言うと、
「たまたま材料が余ってたら、また片付けるのを手伝ってくれ」
「今度はちゃんと、営業中に来ます」
 フェイトは笑って、【回帰線】を後にした。


 雨雲が姿を消し、星が出ていた。先ほどまで雲に隠れていた月も姿を現し、水たまりに写っている。
 フェイトはふと、街灯の明かりの届かない暗闇に生き物の気配を感じた。近くを通る時に黒猫が見えたので足を止めた。猫はフェイトに警戒しているようだ。体勢を低くして、長いしっぽは身体にぴったりとつけ、じっとフェイトを見つめている。緑色の目で。
「回帰線に行くのか」
 フェイトが声をかける。黒猫はじっとフェイトを見ている。
「マスターによろしく」
 フェイトは笑いながらそう言うと、再び前を向いて歩き出した。
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東京怪談
2015年07月02日

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