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『【海の底で耳を澄ましています】 』
海原・みなも1252)&草間・武彦(NPCA001)


 それは寿永4年のこと。
 冷たい海に身を投げた。
 海の底にこの身は沈んでも聴こえるのは、合戦の最中に響き渡る断末魔の声と、私の腕の中で泣いていた子たちの声。
 沈んでも。
 沈んでも。
 沈んでも。
 私は冷たい海の底で、いつまでも沈んでも、それは聴こえた。
 深く。
 深く。
 深く。
 昏くて冷たい、海の底でも……。
 けれども、永遠とも思える長き時の間、その時にほんのひと時、沈んでいく最中にそこで聴いた、あなたの声。
 あなたの歌声が紡ぐ我ら一族が滅亡した合戦を語る歌。
 それに私の心は打ち震え、
 それに私の心はむせび泣き、
 それに私の心は癒された。
 勝者が語る偽りは私の心を抉るけれど、
 確かにあなたが歌う我らが一族の無念は、私たちの悲しみを後世の人に語ってくれるから。
 あなたは、確かに私を理解してくれていたから……。



 そうして、時は、流れる。



 現代。
 草間武彦はくしゃりと前髪をかき上げ、重いため息を吐きだした。
 草間興信所の一室はまるで海の底に沈んでしまってでもいるかのように潮の香りに包まれている。
 空気はそれで飽和状態で、今にも海水の滴を垂らしそうだった。
 そこは紛れもなく東京の街にある建物の中の一室だ。にも関わらず部屋の惨状がそうであるのには理由がある。
 草間武彦の目の前には大きな琵琶を背中に背負った老人がソファーに座っていた。その老人から香る潮の香が原因だった。
 咽るような潮の香りの中で草間武彦は持ち込まれた案件を再度、確認するように口にする。
「ご老人、あなたがストーキングされているというのか? それも若い人間の娘に」
 背中に琵琶を背負うその外見は確かに老人の物ではあるが同時に異常な雰囲気を発していた。大の大人の男でもその老人と関わり合いになるのは避けたいと思うのが本当のところだ。もちろん、草間武彦ほどの男ならば外見で人を、そして、彼がこれまで関わりあって来た異界の事件の経験上、人外の者をその外見で判断する事は無いが。
 それでも、今回のそのケースは非常にレアだった。
 レア故に、草間武彦はもう一度、口にする。
「若い娘があなたをストーキングしているのだな?」
 老人は頷いた。
 ふむ、と草間武彦は組み合わせた手に顎を乗せて、上目遣いにならないように目の前の老人を見据えた。
 老人を若い娘が、
 人外の者を人間が、
 ストーキングしている、
 そのことを疑っているのではない。
 人外の者だからこそ、それは本当なのだと彼は思っている。 
 そして、だからこそ、この案件は危険なのだと思っている。
 人外の者に縁を結ばれた人間はそれだけで危険なのだとこれまでの経験上わかっていた。異界のモノと人間が触れ合えば、その人間は汚染され、やがてその汚染された人間を媒介に異界がさらに伝染していき、日常は非日常となり、それが日常となって、悲劇は日常の、当たり前のこととして起きるようになる。そうなれば人がたくさん死ぬのだ。
 ただでさえそうなのに、今回の案件はさらにその危険度を増すようなストーカーの案件、つまり恋愛沙汰だという。
 例えばこれが力で解決できるような話なら、天下の怪奇探偵と名高い草間武彦は悩まなかった。
 しかし、その草間武彦にも苦手な分野があった。それが、
「恋愛事は、な……。」



 ――という訳で、草間さんからあたしへとオファーが来ました。
 今回の依頼者はあたしと同じ海の妖であるということと、恋愛ならば年頃の娘であるこのあたしの得意分野であると考えられたからです。
 とはいえ、案件が案件であるために危険になったら自分の身の安全を第一に考える事、というのも今回のこの案件をあたしがお手伝いする上での草間さんから出された条件の一つなのですが。
 自分からオファーしてきたのだけれど、それでもそういう草間さんのことをあたしは好ましく想うし、それに同じ海の妖としてもこの案件は放ってはおけませんので、あたしは受けたのですが、しかし、その依頼者を見て驚きました。
 海の妖のご老人とは聞いてはいたのですが、そのご老人は海の妖でありながら海を捨て、人間に紛れ込んでこっそりと暮らしていたお方で、あたしも何度かその噂を聞いたことのある方でした。
「知っているのか、みなも?」
 おそらくは海の妖関係で知っているのだろう? というニュアンスの声にあたしは頷きつつも声を潜め、事はそう単純なストーカー事件ではないのかもしれないことを草間さんに告げました。


 それは有名な怪談。
 怨霊に耳を奪われる青年の。


 けれどもそれは事実とは少しだけ違って伝わっているのです。
 奪われたのは住む場所。海。それは海に居るものだという理。
 それを奪われたのは今、あたしの目の前に居る老人。
 奪ったのは、それは怪談と一緒。同じ。壇ノ浦で滅んだ一族の娘。
 一族の滅亡を、悲劇を嘆き悲しんだ娘。
 その娘の気持ちを妖の身でありながら理解するからこそ老人はその理を捨てることによって娘を救ったのです。
 娘は天国へ行けたのです。


 その老人が今また、ストーカーされているという。
 それは偶然でしょうか?
 否。



 だからこそ、この老人は草間武彦を頼ったのです。


 前は自分をストーキングするその娘は怨霊であったから、同じ人外の者としての理によってその娘の魂を救うことができました。

 でも、今回は、その娘は人間であるから、人間を救うことができるのは人間だけであるから、
 その娘と人外の者とを結ぶと実しやかに人の世界でも、妖の世界でも囁き交わされる怪奇探偵の草間武彦をこの老人は頼ったのです。
 つまり、この老人は自分をストーキングしている娘の正体を知っているのです。
 あたしはそれを老人に訊ね、老人はそれを認めて頷いた。
「で、だとするとだ、その娘の魂が前世の記憶に引っ張られているということか?」
「はい。おそらくはそうでしょう。前に彼女は理を引き換えに救われたのですが、しかし、今回、こういう事態になってしまった以上、そのリバウンドで彼女の魂は前世と今とに引き裂かれてしまうかもしれません。そうならないうちに彼女を助けなければ。そして、ストーカー、忍び寄る者と言われるその存在を影から引っ張り出すには、少し危険ですがその前世の記憶を利用することにします」
 あたしはそう告げて、海の中に老人と入り、老人に壇ノ浦の合戦の歌を歌っていただきました。
 それを半分も歌わぬうちに、ストーキングしていた彼女は泣きながら老人に突進してきました。その手に包丁を握りしめて。
 彼女の魂が老人を求めているのです。その歌声を自分の物にするために。
 老人を殺せばその魂を得られ、いつでも自分の好きな時に歌を聴けるから。
 

 初めはただ慕っていた。
 自分たちの無念を歌い継いでいってくれる彼への感謝の気持ちだった。
 

 それがやがて、こんなにも自分たちの気持ちを理解してくれる老人への、その優しさへの思慕になり、

 それをただただ独占したくなった。

 そんなにも自分の気持ちを理解してくれる存在への想いに変わった。


 それほど海の底は、昏く冷たくて、耳に残る一族の悲鳴や子どもたちの声は悲しかった。


 ただただ、


「救われたかったのよね?」 
 あたしは彼女の動きを海水で止める。
 彼女は、そう口にしたあたしを見開いた目で見つめ、その目から涙を流す。
 共感を口にしたあたしへの想いに彼女は形相を変え、襲い掛かってくる。


 ただただ自分に同情してくれる者を彼女は求める。
 それだけ彼女は悲しい。
 でも、……。
「ごめんなさい。それでも、あたしはあなたのモノにはならない。そして、今のあなたも、前のあなたのモノにならないで。前に縛られて、今を犠牲にしないで。前のあなたがどんなに悲しくても、それで人の気持ちは得られないよ。そんなことをすればするほど寂しくなるから。だから、自分を自分でぎゅっと抱きしめて、自分の腕の中で泣いているその自分のために昨日の自分よりも強くなって、その泣いている自分のためにできることをしてあげよう」
 あたしは彼女を抱きしめて、
 彼女はただただあたしの腕の中で子どものように泣きじゃくった。


 そして、また時は流れる。


 学校の宿題で街の図書館にあたしは居る。
 そこでひとりの女の子とすれ違う。
 彼女は平家物語の研究資料を何冊も抱えて図書館の貸し出しカウンターに向かって行く。
 あたしの鼻腔をくすぐった潮の香りに、あたしはあの老人の歌声を思い出す。
 自然とあたしの唇は動いて、言葉を紡ぐ。
「がんばれ、女の子」



 −END−


【ライターより】
 こんにちは、海原みなも様。
 この度はご依頼ありがとうございます。
 少しでもお気に召していただけましたら幸いです。^^
PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年07月14日

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