▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『月の光に酔うように 』
ディートハルト・バイラーjb0601)&花見月 レギja9841


●梅雨の物思い

 厚く垂れこめた灰色の雲は、夜目にも随分と低く見えた。
 ディートハルト・バイラーは物憂げな青い瞳で窓の外を見遣る。
 ぬるい湿気が身体にまとわりつくようだ。
 ついこの前まで初夏の光に輝いていた緑の木々すら、どこか鬱陶しく、やるせなさを漂わせているように思える。
 もう幾度目かの日本の梅雨だが、どうにもこの感覚には慣れない。
 塞ぐ気分を紛らわそうとグラスを傾けるが、あまり助けにはならなかった。
(ならば誰かと飲んでみようか)
 横顔に流れ落ちる茶色の髪を掻き上げ、ディートハルトがゆるゆると立ちあがる。
(誰か、誰でも……ああ、ならば彼だろう)
 むき出しになった耳に電話を押しあて、静かに目を伏せる。
 かけた電話が届かないことなど、まずあり得ない。だが不思議とこんな日は、呼び出し音も祈りを籠めねば何処かへ紛れてしまいそうだ。
 ややあって、相手が応じた。ディートハルトの口元に柔らかな笑みが浮かぶ。
「やあ、今夜暇かな。会いたいんだ、君に」
 穏やかな声で、ただそれだけを告げた。


●柔らかに響く声

 細く開けた窓から僅かな風が入りこんで来た。
 花見月 レギは洗い物の手を止めて、確かめるように僅かに目を細める。
「……雨がもう、上がる、かな」
 風はこの時期らしい湿気を含んではいたが、雨の匂いは消えている。窓を開けると、低い雲は割れて、明るい月が顔を覗かせていた。
 ひとりの夕食を片付け終えると、好きなお茶を淹れてレギは居間に座りこむ。
 少しだけ変わった部屋。何故なら住居を変わったからだ。
 けれど変わらない部屋。物に執着しない性質のレギの部屋には、相変わらず必要最低限の物しか置かれていない。
 読みかけの本を思い出して腰を上げた所で、着信音が鳴り響いた。
 秘めた情熱を思わせるエキゾチックな音楽は、ディートハルトからの呼び出しを知らせている。
「今晩は……ハル君、か。こんな時間に、珍しい……、ね」
 それにしても自分で言うのもなんだが、着信音にする曲ではなかったとも思う。
 だが物憂げな情熱とでも呼ぶべき彼の纏う雰囲気には、この曲がふさわしいと思えたのだ。
 ディートハルトの柔らかな声が耳に届く。
『やあ、今夜暇かな。会いたいんだ、君に』
「今夜? うん、いいよ。月が綺麗だからね」
 ――まるで恋人に甘えるような言い草じゃないか。
 レギはその言葉を飲みこんで、かすかな苦笑いを浮かべた。


●酔わず語り

 インターフォンの音に扉を開けると、ディートハルトが荷物を抱えて目を細めていた。
「悪いね。いきなりお邪魔して」
「構わない、よ。何も、予定はなかった、から」
 レギに促されて部屋に入ったディートハルトは、一瞬目を見開く。
「本当かい? パーティーの準備をしていた訳じゃないのか?」
 ダイニングキッチンのテーブルには、皿やスプーン、フォークが揃い、いい匂いが漂っている。
 レギは一見いつも通りの、だが近しい物が見ればいつもとは少し違う、悪戯が成功した時の子供のような顔で微笑んだ。
「何がいい、とか、分からなかった……から。あるものを、適当に、だ」
 あまり表情を変えないディートハルトが、ほんの少しでも驚いたのなら面白い。
 レギはその思いつきが、多少は成功したことが嬉しかったのだ。
「驚いたな。ああ、勿論好き嫌いなんて野暮は言わないさ。酒に合うものならなんだって」
 既に酔っているような口ぶりで、歌うようにディートハルトは言った。
 彼は滅多なことで酒に酔うことはない。だから、来る前にひっかけて来た酒がそうさせている訳ではないのだが。
「君はきっと、良い嫁さんになれるぞ。男が放っておかない」
 くすくす笑いながらそう言われて、レギは首を傾げてしまう。
「いや。そんなつもり、では、なかったのだけど……ね」
「気を悪くしたかい? それは失礼」
 いつも通りの軽い冗談である。ディートハルトはレギの表情に、また笑う。
 笑いながら、持ってきた酒瓶をテーブルに並べた。
「家にある物を持ってこようと思ったのだがね。二人で飲むには少し足りないかと思って、調達してきたよ」
「うむ……これなら、足りそうだ、ね」
 レギは大真面目に頷いた。実際のところ、ふたりとも余り酔わない体質なので、かなりの量を飲んでしまうのだ。
 ディートハルトがこんな時の為に置いているグラスを並べ、酒を注ぐ。
 瓶から流れ出す液体の音が、沁み入るようで心地よい。
「では乾杯を」
「……君の瞳に、か?」
 ディートハルトが俯いてくっくと笑う。
「それもいいけれど、どうせならあそこにおいでのレディに乾杯しようか」
 指差す先、窓の外には金色の月が浮かんでいた。


●暗い空洞

 レギが用意した料理をつつき、他愛のない会話を続け、互いのグラスに酒を注ぐ。
「しかし君は用意がいいね。それとも買い物に走らせてしまったかな」
 ディートハルトがスパイスをきかせた豆の煮込みを口に運んだ。
「なに、ほとんどは、缶詰があれば……できる物、だ」
 昔の経験が意外なところで生きている。飽き飽きするほど缶詰ばかりの毎日の中で、どうすれば食に対する興味を失わないで済むか。嫌でも身についたスキルだった。
「俺にはとても真似できそうもないな」
 目を細めてそう言うディートハルトを、レギはほんの少し首を傾げてじっと見つめる。
「酒を飲むときには、何か、食べながらの方が、いいと思う、よ」
 ディートハルトはそれには答えず、ただ曖昧に笑ってグラスに口をつけた。

 レギには分からなかった。
 独特の雰囲気を漂わせた美丈夫で、女性のあしらいも上手い。女性だけでなく、穏やかで魅力的な笑みは、いつでも誰にでも向けられている。
 漂わせる雰囲気は独特の色気を持っており、一方で全てを受け入れて滔々と流れる河のようでもある。
 だが河はときに激しい表情を見せることもある。
 ディートハルトのいつも穏やかな瞳にも、思いもよらない暗い影が浮かぶことがあった。
 誰かと賑やかに騒いでいるそのさなかにも、ゆるりとグラスに口をつける一瞬にも。
(生き急いでいるのか、死に急いでいるのか。……あるいはもう何も持っていないというのか)
 レギは黙って相手のグラスに酒を注ぐ。

 ディートハルトはレギの言葉を緩やかにかわすと、酒を喉に流し込んだ。
 いくら飲んでも、胸中にぽっかりと口を開けた暗い空洞へと酒は消えていくようだ。
 酒も、一夜の恋も、この空洞を埋めることはできない。替えのきかないピースは永遠に失われてしまった。
 空洞からは常に寂しく虚しい風が吹き出し、ディートハルトの心身を凍りつかせようとしている。
 だから風に逆らうように酒を流し込む。
 それでもどうしても寂しい夜もある。そんなとき、必要以上に慣れ合わなくて済む友人は貴重だ。
 ただ飲むために飲み、飲むために語り、飲むために食べ。
 酔えずとも近しい人肌は酔ったような気分にさせてくれる。
(甘えているのかもしれないな)
 自分自身に苦笑しながらも、ディートハルトはレギの注いでくれた酒を飲む。


●月が見ている

 レギが大窓を開け放った。
「すっかり、晴れた、ね」
 空高くに上った月は、冴えた光で遍く地上を照らしている。
 ディートハルトにはその明るさが物悲しく思えた。
 自分は月だ。
 自ら光ることができず、自分を照らしていた存在の残照を抱いて、ひとり寂しく光を放つ月。
「美しいが月は孤独に見える。何故だろうね。太陽をそんな風には思わないのに」

 レギは改めて月を見つめた。
 ディートハルトが突然会いたいと連絡して来るのは、レギと同じく「寂しさ」を感じているからではないだろうか。
 ただ何となく、ディートハルトと自分では、寂しさの理由が違うのかもしれないとも思う。
 ディートハルトの中からは、在るべき物が失われてしまった。あるいは「在ってしかるべき」と思っている物が。
 レギの部屋には何もないが、自分にとって「必要な物は在る」。
 だがレギが「ここに在って欲しい物が無い」と感じたそのときに、無は生じる。
 無を知った者は「寂しさ」を覚えることになる。

「……うん。だから……」
 レギが言葉を探すように間をあけた。
「……だから、月はこうして、俺達が見つめることができるのじゃないか、な」

 寂しい。
 寂しい。
 だから自分を見て。傍に居て。

 暗い夜を照らす光は、そんな優しくも物悲しい囁きのように降り注ぐ。

 ディートハルトは瞑目するように目を伏せた。
「君はなかなかの詩人だね」
 そして立ちあがり、レギに近付いてグラスを手渡す。
「では月にもこの酒宴においで頂くとしよう」
 ふたつのグラス、揺れる水面に、揺れる月。
「我らの仲間に乾杯」

 月の光は喉を滑り、胸の中へと落ちて行った。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【jb0601 / ディートハルト・バイラー / 男 / 45 / 喪失を抱く者】
【ja9841 / 花見月 レギ / 男 / 29 / 不在を知る者】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
お待たせいたしました、少ししっとりとした酒宴の一幕となります。
ちょっと意外な? 取り合わせのおふたりに、色々想像を膨らませてみました。
かなり好きなように描写した部分もあり、イメージを損なっていないようにと祈るばかりですが。
もしお気に召しましたら幸いです。
この度のご依頼、誠に有難うございました。
水の月ノベル -
樹シロカ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2015年07月14日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.