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『ゆるゆると佳き日々を、命の軌跡を描く 』
遼 武遠(ic1210)&二香(ib9792)&樂 道花(ic1182)&浪 鶴杜(ic1184)

●壱

 遼 武遠(ic1210)の朝は早い。自らの武を、技を鍛えるようになってからずっと、朝の早い時間から起き、得物を整え、己の動きを確認し、身を清め、そうして朝餉の卓につく。少しでもそれが変わると調子がくるってしまうような気さえする。だから毎日、どうしても避けられない任務の時でない限りは日課を黙々とこなしてきた。
 けれどここ最近、一人でこなすのが当たり前だったはずの日課も様子が変わってきていた。
 武遠と同様に自らの得物を手にする者達が道場にて己を高めようと集まっている。その彼らに武芸指導をするのが、今の武遠の朝の日課に組み込まれるようになった。彼らは総じて武遠の部下で、いわゆる後進の育成が武遠にとって目下の目標となっていた。
「貴殿はもう少し軸を前に意識するように」
「踏込みが遅いのではないか」
「もっと高い位置から降ろすことを意識してみなさい」
 ‥‥等々、一人ずつ、振りや構えの型を見ながら目についたところを指摘していく。
 手ほどきから始めた相手もいるが、それこそ自己の限界を越えた指導による向上を目指し武遠の下に来た者も居る。だから流派は必ずしも同じではない。実際、武遠が普段用いないような動きを常とする者も居る。
 そんな部下相手でも指摘に迷う事はなかった。一朝一夕の相手ではない、同胞でもある部下達だ。武遠にとって彼らの癖は全て理解していて当たり前であった。
「遼殿、我々一同、明日の教練はお休みをいただきたく思います」
 一通り全員の指導を終えた後、部下の一人が声をあげた。
「‥‥‥」
 どうしてかと問いかけて‥‥思い至る。今宵は主が同胞達を集めた宴の日だ。洛春邸で皆で暮らしていた頃の同胞も集まることになっている。
 酒を過ぎて二日酔いの失態を晒すような予定はないけれど。
(‥‥気を遣ってくれた、ということですか)
 今もなお人を集める機会を多く作る主ではあるのだが、今日は特に同胞達だけと決めていた。ハレの日の宴のような、形式を大事にしなければならないような、面倒な客は交えずに。
 確かにゆっくりと過ごせるだろう。きっと会話も弾むはずだ。
(善意は受け取っておこう)
 目の前で次の言葉を待っている部下達の顔を改めて見渡す。
「では、明日の指導は休みとしましょう。自分は日課でここに来るでしょうが‥‥諸君の参加は、自由とする」
 緊張感の漂っていた道場に、部下達が零した安堵の息。それに気づいて、武遠の尻尾が小さく揺れた。

 あの真白の日から四度の冬を数えた。待つと決めてから、身に着ける数珠が二つに増えてから。浪 鶴杜(ic1184)の性質はどこか落ち着きを増した。冬になれば、その日が近づけば、白銀の世界になれば悼む気持ちは増すけれど。常ではずっとそばにいた筈の存在が居ない事に慣れ、吹っ切れていた。
「今日は少し早めに出ましょうかねえ」
 朝餉を終えてからののんびりとしたひととき。向かいで針仕事をする女性に告げる。今は妻として傍に居てくれるこの女性は、ある時市井でめぐりあった相手。今はかけがえのない大切な家族だ。
 彼女との結婚を機に洛春邸を出てから隠居生活をしている鶴杜。こうして穏やかな日々を過ごせているのは、この妻の存在がとても大きい。
 自分の事は気にせず、ゆっくり楽しんできてくださいねと微笑む妻に笑顔を返す。
「すみません、帰るのは明日になってしまうと思います」
 だから待たずに早めに休んでいてください。
 なにせ宴が始まる時間は陽が沈む頃なのだ。終わる頃を思うと気が引ける。それでも早目に向かおうと思うのは、やはり久しぶりの集合だからに他ならない。
 お土産話を期待していますねと、妻がまた微笑む。先日共に出かけたばかりの、市で見つけた手土産も忘れないようにしてくださいね、と続く。
「そうですねえ、せっかく二人で選んだものですし」
 気に入ってもらえるといいですねえ。

●参

「宴は庭でと仰っておいででしたね‥‥」
 日も沈めば空気も冷えるだろう。体を温める酒があるとはいえ、自分のように飲まない者だっている。冷めても食べられる、長くおけるもの、もしくは直前に蒸して温めてから供する物‥‥屋敷の料理人と、酒の手配を担う同胞と共に二香(ib9792)は料理について話し合っていた。
 夫という伴侶を得た二香は主邸住まいを止めたけれど、目と鼻の先、向かいに位置する家に住み、今もなおこうして主に仕えている。
 結婚してもなお二香にとっての一番は主なのだ。夫は異性として、共に歩む者として一番好ましい相手だからこそ一緒になったが、主と共に天秤にかけるならば二香は主を選ぶ。
(‥‥他の皆もそうではないでしょうか)
 女性の身で働き続けることは難しい。道花や、他の同性の者達の顔を思い浮かべる。皆、主を主君である以上に好ましく思っている者達ばかりだ。
 二香が結婚を決めたのだって、職業婦人であることを認めてくれる良い男性を得たからだ。勿論家を護る事と両立できるのならばという条件はやはりあったのだけれど。それも住まいを近くすることで解決できている。以前より主の世話をする機会は減ったけれど、家事の合間に暇があれば様子うかがいは続けているし、開拓者としての仕事も続けている。充実した日々だ。
(家内安全、夫婦円満‥‥我が君が健やかなのが何よりです)
 伴侶を持つ女性同士、仕事を持つ者同士。主家の内情の事よりも、そうした個人的な相談事を引き受ける事が増えた。互いにそうなった時期が近いこともあって話しやすいというのも重要だ。形は変わったけれど、こうして関わっていけることに喜びを感じている。
(今は料理の話でした)
 ややそれていた意識を目の前の話に戻す二香。肴としても、食べやすさとしても外せない点心の類はあらかた提案されている。
「やはり身体を温める料理も必要でしょうね‥‥」
 汁物、麺物、それとも粥か‥‥台車で鍋ごと運び、席のすぐ傍で配膳するにしても、一種が限度だろう。

『久し振りだ‥‥と、また、どこを通ってきたのかな』
 陽が高いうちに屋敷に着いた鶴杜を見つけ、その髪に纏いつく数枚の葉に微笑む幼馴染の霊。存在を気付かれないと知っているから、堂々と傍に近づいてくる。
 すぐ後ろを追うようにして、一枚ずつ取り除く。最後の一枚、頭頂部の一枚も同じように手に取ろうとして‥‥
『これは、このままがいいかな?』
 ほんの小さな悪戯だけれど、鶴杜なら大丈夫とわかっているから。

●陸

 簪を、時折シャラリと慣らす程度なら淑やかな女性と呼べるかもしれない。
「‥‥酒、そうだ、酒‥‥宴会なんだからさぁ」
 飲み方はマシになった方だと、自分では思っているけれど。樂 道花(ic1182)の酒癖そのものは、実際のところ昔のままだ。長じて力も増した分、人を撒きこむ度合も増している。
「もういいよな?」
 誰にともなく言い訳をして酒の席に混ざる。飾りがシャラリと鳴った。
(ぐぬぬ‥‥)
 実際の所、道花は主の伴侶に対して未だいい感情を持っていない。主が夫婦の話をする時は抑えるけれど、他の同胞達が口にするときは眉間にどうしても力が入ってしまう。
 殿のこと大好きなのに。みんなの殿なのに。独占されているのが、独占を許さなきゃいけないからイライラする。
(殿泣かしたらぶっ殺す!)
 どこかで失態でもしてくれたら堂々と手を出せるのに、と思っていたりする。しかし良縁であることは事実で、件の男が何かミスをしたという話は入手できていない。これだけ耳をそばだてているというのに、と自分勝手な怒りを向けている自覚もあるため、それこそその感情を言葉にしてしまうようなことだけはしていないけれど。

「樂ちゃんも良縁のいるお年頃ですねえ」
 にこにこと鶴杜が笑う。悪気のない透明感のある笑みでその台詞。勿論その手には世話人必須の絵姿と釣り書きのセットがいくつか抱えられている。
 隠居生活ともなるとこういう話には事欠かない。主家の家名が持つ力もあって、鶴杜の所には結構な数の話が持ち込まれているのだ。
「この人なんていいんじゃないですかねえ、打たれ強そうですし」
 道花の理想は丈夫なこと、と勝手に思い込んでいるあたり今までの関係が伺える。
「平和だからって見合いとかしてられっか!」
 唐突過ぎて、咄嗟に受け取ってしまったが。それが何かわかるや否や鶴杜に容赦のない蹴りをかます道花。
「わああ、駄目ですよそんなお行儀の悪い‥‥って、痛いです、痛いですって」
 言いながらも鶴杜の顔に浮かぶのは苦笑いだ。放り出された釣り書きを回収し、絵姿はどこかと視線を巡らせる。その間もまだ蹴られているのだが、特別堪えた様子は見せていない。
 成長と呼んでよいのか甚だ疑問ではあるが、こうして物理的に責められても昔の様に泣き出すことは無くなっていた。その分道花は言葉という代替手段を選ぶようになったので、道花の行儀については鶴杜も無関係ではないように思われるのだが。
「いっつもしっつこいんだよおまえ、自分が落ち着いたからって周りにも押しつけようとすんな! 特に俺に!」
 余計なお世話だって言ってんだろ!? そのまま勢いに任せ、ゲシゲシと続けて蹴ろうとした道花だが。
「樂殿」
 ぴしゃりと、武遠が短く声を張り上げる。びくりと動きを止めた道花の様子を確認してから、ゆっくりと続けた。
「‥‥正座しましょうか。今すぐ、そこに」
 倒置法を使うほどに静かな怒りをたぎらせる。

「‥‥?」
 気付けば攻撃がやんでいる。言葉も続いて来ないので不思議だと思いながら振り向いた鶴杜が見たのは、正座している道花。なるほど武遠が彼女への説教を始めたらしい。
「久し振りなのですから少しは控えたらどうですか。落ち着きが現れたのはその髪だけですか」
 素直に従って正座してしまうのは、それだけ身に染みてしまったから。怒られ癖という点では主とそう大差ない道花である。
「いつまでも同じようにしていて許されるなんて、ただの甘えですよ。内々の者達だけとはいえ宴の席で騒がしくするのは行儀が悪いというものです‥‥」
「まあまあ遼先生もそう怒らずに‥‥樂ちゃんももう少しお洒落をなさったらどうです?」
 キリのよいところで再び茶々を入れる鶴杜。諦めず続けると表現すれば美点だ。
「‥‥おまっ、また蹴られたいのかっ」
 キッ
 利き足を少し引いて蹴りの体制に入ろうとした道花に武遠から厳しい視線が向けられる。仕方なく姿勢を戻した彼女を前に鶴杜は持参の包みを開いた。
「良さそうな物があったので、いくつか買ってきたのですよ」
 布の上に広げ並べるのは簪だ。道花の伸びた髪を纏めているそれよりも、可愛らしく、装飾が凝ったものばかり。造りは精緻な物が多く、それこそこれらを身に着けて激しい動きを、例えば人に手を出そうものなら‥‥鶴杜も妻もそこまで考えて選んではいないと思うけれど。
「これなんか特におすすめなんですけどねえ」
 どうですか、と差し出した。

「道花様。前にその色、嫌いではないと言っておりませんでした?」
 主の為に温かい椀を供しながら言う二香に他意は無い。
「わたくしも、その簪はお似合いになると思いますよ」
「!?」
 思わぬところからの指摘にびくりとする道花。
(確かに、嫌いじゃない‥‥いや、むしろ好きな色なんだけどぉ!)
 こいつがこの顔であんな台詞と一緒にすすめてくるものを認めるのが嫌なんだよ俺は!
(‥‥って、言えたらどんなにいいか)
 言ったらからかわれそうな気がして、必死に言葉を飲み込んだ。

●漆

 多分様々な感情がせめぎ合っているのだろうなとは推測できる。想像だけはできる。
(意地を張らなければよろしいのに)
 色々と認めてしまえば生き易くなるだろうにと思う事もあるが、言ってどうなるものでもない、自分で気付くべきことだとも思い、直接は口にしない二香である。
 あまりいじめてやるなよと窘められる、別にそういうつもりでもないのだが。
「我が君の夫君への見る目もかわるかもしれませんし」
 等と返しつつ主へと視線を戻す二香。その途中で、何か違和感を感じた。
(‥‥‥)
 視線を戻す。四阿の外、同胞達から少し距離を取った場所。鶴杜を見ている、多分見つめているのだろう、存在。
 朧げに見えるのは、かつての同胞。消えたその頃の姿のままで、穏やかに、口元に笑みを浮かべ鶴杜を見ているその姿。
(何をしているんですか)
 宴の間も、不可思議な気配があるとは思っていた。その理由に今合点がいった。彼らしい演出ばかりだ。
 更にじっと、視線をそらさずに追う。
 なぜ残っているのか、何をしているのか。同胞とはいえ、何か悪いものではないことを祈る。
 同じ武僧として信頼していたからこそ、今の状況が望まない形で起きて居る事なら‥‥何か手をうたなければいけないから。
『‥‥おや?』
 声まで聞こえてしまった。見えて居る事が不思議そうに。そして視線を擽ったそうにして。
(話せるならはっきり言ってください)
 視線に感情を込める、多分目つきは悪くなっているだろうけれど、何もない場所に話しかけるわけにもいかない。‥‥かの同胞は、身を隠していたいのだろうから。
 ひらりと小さく手を振ってくる。
(それではわかりませんよ)
 声に出して言ったら聞こえるのだろうか、言ってもいいものだろうか、問うても?
 次第にその手が下方を示し始める。
『‥‥なぁんてね。まあ、見えやしないだろうけれど』
 見えてますし聞こえています。そう言ってしまえれば楽なのだが。‥‥下?
「?」
 目配せにも見えるその仕草に意図を感じ二香は自らの身を見下ろした。咄嗟に、腹に手をあてる。
 心当たりはあった。
(まさか、報せに‥‥いえ、それはついでなのでしょう)
 今度は声にして問おうと顔をあげれば、既にその姿は無く。ただ、満足げに微笑み、気配のあった場所を見る主がそこに居た。

●玖

「殿、お願いしたいことがあるのですが」
 酒を酌み交わしに向かった先で、主に対し居住まいを正す武遠。
「故郷に残してきた妻子をこちらへ呼びたいと考えておりますが、よろしいでしょうか」
「「「え!?」」」
 周囲の声が重なる。いつも主に説教をしてばかりの武遠が改まった態度で“お願い”するという事態だけでも驚きではあったのだが、その内容に。

 同胞達が驚く中、道花は声をあげなかった。いの一番に大声をあげそうな彼女がそうしなかった事は違和感を感じるべきところだったはずだけれど。そこに気付く余裕もないほどの新事実だったから、幸いにも誰も道花の表情には気付かなかった。
(‥‥そんなこったろーと思ったよ)
 確信はなかった。けれど、そうかもしれないと、その可能性は考えたことがあったのだ。
 浮いた話なんて少しもなかった。誰に対しても同じだった。
 けれど、ここ最近は何かが違う気がしていた。誰かに対して特別な変化があったわけではなくて。一人の時や、会話の隙間。それまでとは違う様子を見せていたような気がしていた。
(別に、俺には関係ねーし)
 明確になった現実を前に、酔いが醒めた。そんなことは自分が言わなければわからない。
 それでいいじゃないか。
 酔ってやらかしたこと。酔ったからやらかすことだ、全部。
 それでいいじゃないか。
「身内が増える祝い酒ぇー!」
 適当に引っ掴んだと見せかけて、度が最も強い酒の瓶を傾ける。そう、酔っているから、更にやらかしているだけだ。
(それにさー)
 俺の中でも気持ちみたいなの、固まってたわけじゃないし。あいつはほら、綿菓子だからさ?

「にしたって、今まで隠してるとかにくいじゃねぇーか」
 家族同居の祝い酒だ、飲め! そうして酒を注ごうと近寄る、ついでに気に入りの尻尾、つまり綿菓子も乱してやろうと言う魂胆の道花。
「聞かれませんでしたので」
 戦闘など、同胞達との任務の際に身内の存在と言うものは情報として邪魔になる可能性がある。だから隠していたつもりもないが進んで伝える事でもないだろうと口を開かなかっただけなのだ、と。杯だけは受けて、いつも通りの顔で杯を傾ける武遠は、もうだいぶ飲んでいるはずなのにぐらついた様子が無い。道花に続き皆から酒を注がれるが、どれも丁寧に礼を述べ飲み干していた。
(気分よくなって隙が出来ればいいのによ)
 そのうち諦めて、改めて酔おうと新たに強い酒を開ける。
「樂様もどーぞ♪」
「ん、ありがとなー、よぉし、もっと飲むぜ!」
「つきあいまーっす!」
「こういう時は特に美味い酒だ! この辺の酒全部飲み比べるとすっか!」
「樂ちゃん、さっきまでも随分飲んでませんでしたっけ?」
「うっさい、2周目だよ2周目! おまえも今日泊まりだろ、つきあえー!」
「‥‥明日どうなっても」
「遼も稽古休みになったって、俺昼にあった奴に聞いたけど」
「勿論皆さんの寝所は全て整えてありますよ」
「ほらほらぁ!」
「‥‥二香殿、あとで僕も片付け手伝いますから」
「そうなってしまうでしょうね‥‥悪酔いしないよう、料理を少し作り足しましょうか」
「貝がありますから汁が作れると思いますよ‥‥私からも、お願いします」
「よぉし決定だー! もう一度乾杯しよーっ! もー様も!」
「ん? また掲げればいいのか?」
 宴に賑やかさがまた、戻ってきた。
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2015年07月21日

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