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『迷子の暗殺者、旅立つ 』
龍臣・ロートシルト8774)&ニコラウス・ロートシルト(8773)


 嫌な思い出、という事になってしまうのであろうか。
 少なくとも、自発的に行きたいと思えるような場所ではない。
「覚えているかな龍臣。お前はここで、迷子になっていたのだよ」
「……そういうお話を聞かされるから、ここには来たくなかったんです」
 主の言葉に応えつつ、龍臣ロートシルトは見上げた。美しい女人像を戴く、壮麗なる墓碑を。
 音楽の才能は優れていたが人格的には若干の問題を抱えていたという、とある楽聖の墓。
 この女人像に見下ろされながら、龍臣はあの時、この主と初めて出会ったのだ。
 ウィーン中央霊園。
 まばらに行き交う観光客たちに混ざって、一組の主従が歩いている。
 すらりとした長身を黒いスーツに包んだ、東洋人の青年。
 身なりよく気品を漂わせた、白色人種の少年。13、4歳であろうか。銀色の髪は、光の当たり方によっては白髪にも見えてしまう。
 人種は違うものの、いくらか年の離れた兄弟に見えなくもない。あるいは叔父と甥か。
 親子と呼べるほどには年が離れていない、ように見える。
 だが実際には、祖父と孫ほどの年齢差があるのだ。
 ニコラウス・ロートシルト。
 14歳で肉体の成長が止まってしまった、70歳の老人。
 その愛らしい顔が、銀色の髪をサラリと揺らしながら微笑んでいる。
「迷子のお前を、導いてあげる……あの時の私は、そんなつもりだった。まったく、思い上がりも甚だしいな。私自身も、迷子のようなものだと言うのに」
「俺は……ニコラウス様に、導いていただいたと思っていますよ。どこへ、と訊かれたら答えられませんけど」
 龍臣は言った。軽く、頭を掻きながらだ。
「親父が言ってました。人間ってのは、生まれてからずっと迷子なんだそうです」
「言っていたね。私にも、そんな事を」
「さんざん迷ったあげく……だけどニコラウス様のおかげで、どこかへ辿り着く事は出来そうだと。そんな話もしてましたよ」
 生きている限りは、迷い続ける。あの老人は、そう言いたかったのだろう。
 どこかへ辿り着くという事は、迷う必要がなくなる、つまり生きる必要がなくなるという事。
 自分はもう長くない。あの老人は、そんな事を言っているのだ。
「ったく……あと20年はピンピンしてそうな、くたばり損ないのくせに」
「どうかな。人間の未来なんて、誰にもわからない。彼も、それに私も、明日にはもうこの世にいないかも知れないよ?」
「……させませんよ、そんな事には」
 スーツの内側から、龍臣は拳銃を引き抜いた。そして引き金を引いた。
 サイレンサー付きの銃身が、プシュッ……と静かに火を噴いた。
 観光客の1人が、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの墓標の近くで倒れた。
「どうしました貴方、気分でも悪いんですかあ?」
 明るく声をかけながら、龍臣は歩み寄った。
 そして、倒れた男を優しく抱き起こす。
 抱き起こされた男の手から、拳銃がこぼれ落ちた。その銃口が、ニコラウスに向けられるところであったのだ。
「救急車、呼びましょうか? それとも係員の人にお願いして、どこかで休ませてもらいます?」
 龍臣は、声を潜めた。
「それとも……ベートーヴェン先生と一緒に、ここで永遠の眠りに就くか? 野良犬にしちゃあマシな死に方だと思うがな」
「ぐぅっ……ひ……ひいぃ……」
 男が、血まみれの右腕を抱えながら悲鳴を漏らす。
 二の腕のどこかに、銃弾がめり込んでいるだけだ。今のところ命に別条はないが、時間が経って出血が進めば、わからない。
「た……助けて……俺はただ、命令されて……」
「端金で飼われた野良犬だってのは、見りゃわかる」
 銃口を、龍臣は男の顎に押し当てた。
「一体、誰から餌をもらった?」
「そ、それ言ったら……俺、殺されちまう……」
「殺される覚悟もないのに、ニコラウス様のお命を狙ったと。そういうわけか」
 龍臣は、微笑みかけた。
「まったく、人間の形した犬ってのは本当……可愛くねえなあ」
「ひい……ひぃいいいいぃぃ……」
「そこまでだ龍臣。その彼が、誰の命令で私の命を狙ったのか……大方の想像はつく」
 ニコラウスが、近づいて来て言った。
「自力で歩けるのなら、早く病院へ行きたまえ。そしてもう馬鹿な仕事は辞めるんだ」
 男が、右腕を押さえながら起き上がり、走り去った。礼の一言も言わずにだ。
 遠ざかって行く背中を、思わず狙撃してしまいそうになった龍臣に、ニコラウスが言う。
「お前の、その腕……日本で活かして欲しい」
「日本へ行かれるのですか?」
「行くのは、お前だけだ」
 ニコラウスが何を言っているのか、龍臣はわからなかった。
「……あの子を、守って欲しい」
「何故、俺が……?」
「あの子の力は、お前も知っているだろう。その力のせいで苦しんでいる……だけならば確かに、お前に守ってもらう必要はない。これは我が一族の宿命、誰の力も借りず己自身で克服しなければならない事だから」
 ニコラウスは空を見上げ、遠くを見つめた。
 この場にいない少年を見つめている、と龍臣は感じた。
「だけど、あの子は身柄を狙われている。その力を利用しようとする者たちにね……今はIO2のとあるエージェントが、あの子の護衛をしてくれている。が、いつまでもというわけにはいかない。あの子をずっと守ってくれるのは龍臣、お前だけだ」
「承服しかねます」
 龍臣は即答した。
「あれももう成人と呼べる年齢のはず。自分の事は自分で、どうにかするべきです」
「お前のその容赦のないところ、一体誰に似たのだろうな」
 穏やかに苦笑しながらニコラウスは、じっと龍臣を見つめた。
「……命令だ。日本へ行って、あの子を守れ。私にとってもお前にとっても大切な家族なんだ。頼むよ」 
「俺の任務は……貴方を守る事だけです、ニコラウス様」
 龍臣は見つめ返した、と言うより睨み返した。
「正直にお答え下さい。例の、生命の飴玉……摂らなくなって、どのくらい経ちますか」
 正直に答えて欲しい事なのに、ニコラウスは答えてくれない。
「時々、本当に時々ですが……ニコラウス様は、お命を捨てようとしておられる。そんなふうにしか思えない時が、あるんですよ」
「私に……吸血鬼のような事をして、命を保てと言うのか?」
「吸血鬼でも悪魔でも、何でも構いません。馬鹿な考えを起こすのは、やめて下さい……それが条件です」
 主の命令とは、条件など無しに受け入れなければならないものである。そんな事は、龍臣も理解している。頭ではだ。
「不当に解雇された挙句、日本へ飛ばされる……そんな無茶を、俺は受け入れるんです。この程度の条件は飲んでもらいますよ」
「……わかったよ」
 ニコラウスは微笑んだ。
 これほど自分を不安にさせる笑顔を、龍臣は見た事がなかった。
「親父を呼んでおきます。ロートルですけど、俺の代わりくらいは務まるでしょう」
「懐かしいなあ。彼に、また執事をしてもらえるのか」
「あくまで代理です。貴方の執事は、俺……俺の主は、貴方だけですから」
 龍臣は、ニコラウスに背中を向けた。
 まるで天使のような、この世のものではないような、今にもこの世から消えてしまいそうな笑顔を、もう見ていたくはなかった。
(俺を導いてくれたのは、貴方です)
 主に背を向けたまま龍臣は、その言葉を口に出す事が出来なかった。
(俺は貴方に導かれて、だけどまだ、どこかに辿り着けたわけじゃありません……だからニコラウス様。貴方も勝手に、どこかへ辿り着いたりしないで下さいよ) 
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小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2015年07月21日

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