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『紫陽花の雫 』
メリーjb3287)&マキナja7016

 その日、マキナは逡巡を繰り返していた。
 自宅の廊下を行ったり来たりしては、途中にある扉の前で立ち止まる。
 椋の木で作られたそれは温かみのある色合いをしている。しかし今のマキナには妹と自分を隔てる障壁のようにさえ思え。
 扉の向こう側に耳を澄ましてみると、微かなすすり泣きが聞こえてくる。十分前も、二十分前も、三十分前もそうだった。
(あーここでうだうだやってても、しょうがねえな)
 しびれを切らしたマキナは、思いきってドアをノックしてから声をかける。
「メリー……いるか?」
 返事はない。
 代わりに聞こえてくるすすり泣きが、ほんの少しだけ弱まった気がした。
 一瞬ためらったものの、マキナはもう一度だけ呼びかけてみる。しかしやはり、返ってくる言葉はない。
「……やっぱり、今は無理か」
 軽くため息を漏らす。
 あんなことがあった直後なのだ。落ち込むなと言う方が無理というもので。
 今はそっとしておいてやろうと自分に言い聞かせ、部屋の前を後にする。その時、背後で扉が開く音がし、奥から妹のメリーが顔をのぞかせた。
「お兄ちゃん……」
 こちらを見つめる彼女は、ここから見ても分かるほどに泣きはらした目をしていた。それでも心配をかけまいとしているのか、マキナが近寄るとほんの少しだけ微笑んでみせる。
「大丈夫か? 無理しなくていいぞ」
 その言葉にメリーは無言のままこくりと頷く。しかしいつもとは明らかに違う様子に、内心で焦りつつ。
「これから紅茶とアップルパイ準備するんだけど食べるか? メリー好きだろ」
「ごめんね、メリー今食欲ないの……」
「そ、そうか。なら仕方ないな」
 申し訳なさそうな妹を見て、マキナは何でも無いと言った風情を装う。
「気にするな。また腹が減ったら言えよ」
「うん……ありがとう」
 彼女の頭をぽんとやり、マキナは部屋の前を後にする。背後でぱたりと扉が閉まる音がした。

 自室に戻ったマキナは大きく息を吐く。
「……どうすればいいんだよ」
 四国でのゲート戦以降、妹はずっと部屋に閉じこもっていた。ろくに食事も摂らず泣いてばかりいるようで、たまに見せる顔はいつも目が腫れている。
 そんな彼女を元気づけようとあの手この手を試してみたものの、さっぱりうまくいかない。そもそも妹がここまで自分の呼びかけに応じないのも初めてで、どう対処すればいいのかわからないのだ。
 マキナはあれこれ悩みながら、部屋の中をぐるぐる歩き回る。ふと目に付いたアルバムを手に取って、開いてみる。メリーが好きな風景写真でもないかと思ってみたのだが。
「……全部俺しか映ってないな」
 撮ったのが妹なので当然と言えば当然なのだが。
 マキナは風景写真を諦めると、デスクチェアに腰掛けた。しばし物思いにふけりながら、メリーがふさぎ込む原因となった、大天使の死について考えてみる。
(結局、一言も言葉を交わさず、一度も剣を交えずに逝ってしまったな……)
 蒼閃霆公バルシーク。
 同じ男として、あの生き様は悔しいが見事だった。それだけに刃を交えられなかった心残りと、自分ははたして彼の志を継ぐに値する人間なのかとも思う。
 けれど。
「妹を泣かせやがって……」
 思わず漏れた本音に気づき、マキナの口元には苦笑が浮かぶ。
 バルシークの元へ行こうとしたシスを、殴ってでも止めたのは自分なのに。いざ憔悴する妹を見ていると、あの時止めなければよかったとさえ思えてくる。
 自分も大概シスコンだな、と自覚しつつ。

 実のところ、マキナは動揺していた。
 かの大天使の死が、これほどまでに妹の心を閉ざすとは。バルシークが与えた影響の大きさが、自分の想像を遥かに超えていたことに改めて気づかされるというもので。
「きっと、喜ぶべきことなんだろうけどな」
 兄にしか関心を向けようとしなかった妹を、マキナは少なからず心配していた。それだけに彼女が自分以外の他者へ感情を発露したことは、純粋に嬉しくも思う。
 けれどその反面、心のどこかで寂しさを覚えてしまうのも事実だった。それは恐らく、兄離れ(彼女に自覚があろうと無かろうと)を見送る寂寞と、妹を変えた相手に対するほんの少しの嫉妬もあるのかもしれない。

 その時、扉をノックする耳に届いた。
「お兄ちゃん……入ってもいい?」
 返事をするとそろそろと扉が開く。姿を見せたメリーに、敢えて気易く問う。
「どうした?」
「さっきは、ごめんね。せっかく誘ってくれたのに……」
「なんだそんなことか。気にするなって言っただろ?」
 しかし彼女は、困ったように目を伏せてしまう。
「お兄ちゃんが気にかけてくれて、メリー嬉しかったの。でも、どうしても駄目で……」
「わかってるって。俺は全然気にしてないから」
 あっけらかんとマキナが笑ってみせると、メリーはようやくほっとした表情を浮かべる。彼女はどことなく所在なさげにしてから、切り出した。
「少しお話ししてもいい……?」
「いいよ」
 ソファに二人並んで腰掛けると、しばらく他愛のない話をする。時間が進むにつれ、彼女の様子もいくらか明るさを取り戻したように見え。
 ふと、メリーは窓へと視線を向けた。透明な硝子にはいくつもの雫が、筋を描きながらゆっくりと流れていく。
「外は雨だね……」
「梅雨だからな。今日はまだマシな方だけど……」
 しとしとと降り続く雨を見つめ、メリーはぽつりと呟いた。
「バルシークさんと初めて会ったときも、こんな雨が降ってたな……」
 四国での邂逅を思い出し、彼女は懐かしげな色を浮かべる。
 止まない雨と蒼い閃光。
 自分たちを真っ直ぐに見据えた瑠璃色を、今でもはっきり覚えている。
 メリーはしばし窓の外に視線をとどめていたが、やがて兄の方を振り向くと切り出した。
「お兄ちゃん」
「何だ?」
「メリー外に出てみたいんだけど……一緒に行ってくれる?」
 聞いたマキナは一瞬驚きつつも、大きく頷いてみせる。
「ああ。一緒に行こうか」

 外に出た兄妹は、特にあてもなく近所をぶらぶら散歩していた。
 人影の少ない街並みは、甘やかな雨の匂いが立ちこめている。微かにけむる景色をぼんやりと眺めながら、二人の会話はどことなく途切れがちで。
 雨は相変わらず止む気配を見せなかったが、雨音が沈黙をかき消してくれるようでマキナはむしろ心地よく感じた。
 紫陽花の咲く通りにさしかかったとき、メリーはふいに足を止める。
「綺麗だね」
「うん。ちょうど満開だ」
 淡い青や紫の花弁が、緑の合間を埋め尽くしている。雨に濡れるさまは、どこか誇らしげでさえあって。
 しばらく眺めていたメリーは、花弁についた水滴をそっと指でなぞった。
「……ねえ、お兄ちゃん」
「うん?」
「どうしてメリー……こんなに悲しいのかな」
 その言葉に、マキナはつい言葉に詰まる。こちらを振り向いた紅い瞳には、戸惑いの色が浮かんでいて。
「バルシークさんはきっと後悔してないし、メリーだってそれはわかってるのに……」
 上着のポケットから、群青色のリボンを取り出す。大天使から贈られたそれを、彼女は肌身離さず持っているのだろう。
「このリボンを見てるとね……涙が止まらないの」
 そう口にするメリーの瞳には、新たな雫がにじんでいる。向き合う二人の間を水の粒が次々に通過し、気づけば先ほどより雨脚が強まっていた。
 マキナはほんの少し、考えた後。
「……それはきっと、あの大天使についてメリーがちゃんと考えていたからじゃないか」
 顔を上げた彼女へ向け、自分なりに思う事を告げる。
「どうでもいい相手なら、そこまで悲しくないだろ? 敵とか味方とか関係無く、想った相手が死ねば悲しいのは当たり前だよ」
「……うん。そうだね」
 頷きながらリボンへ視線を落とすと、白い頬を雫が伝う。マキナは泣き出したメリーに歩み寄り、そっと胸を貸す。
 彼女の頭越しに見える紫陽花に、しばし見入りつつ。
(やっと、わかった気がする)
 妹はバルシークの死を、心の底から悲しんでいる。
 悲しくて、悲しくて、その感情を持てあましてさえいるのだろう。それは妹が兄以外の存在に意識を向け始めていた証であるものの。
(きっとそのことに、メリーは気づけていないんだな)
 恐らくは自分の中で生まれつつある変化に、彼女自身追いついていないのだと。
「……なあ、メリー」
 彼女の紅い髪を、マキナは軽く一撫でする。
「俺はメリーに何もしてやれないけど……泣きたい時は泣けばいいぞ」
 いつでも受け止めてやるからな、と伝える口調はきごちなくも優しい。メリーは腕の中でしばらく泣き続けていたが、段々と肩の震えもおさまっていき。
 やがて顔を上げ涙をぬぐうと、改めてマキナと向き合った。
「……ありがとね、お兄ちゃん」
「まあ、妹が頼るなら黙って胸を貸すのが兄というものだからな」
 照れ隠しにそう言ってみせると、メリーは突然腕に抱きついてくる。
「お、おい」
「あのね、メリーやっぱり……お兄ちゃんが大好き!」
 そう告げる顔には、いつもの笑顔が浮かんでいて。久しぶりに聞いた『大好き』に、マキナはどこか安堵した気持ちになる。
「ようやくいつものメリーらしくなったな」
「えへへ……なんだかちょっとお腹もすいてきちゃった」
 その言葉に笑いながら。
「よし、じゃあ帰ってお茶にでもするか」
「うん!」
 雨の中、二人は足取り軽く帰路に着く。強まっていた雨脚も、家が見えてきた頃にはだいぶやわらいでいた。
 濡れたアスファルトを踏みしめつつ、マキナは思う。
(……ま、これからだろうな)
 妹も、自分も。
 互いに色んな感情と向き合いながら、少しずつ大人になっていくのだろう。
 その視線先で、メリーは雨傘をくるくると回していた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号/PC名/性別/年齢/雨】

【jb3287/メリー/女/13/思い出】
【ja7016/マキナ/男/21/妹の涙】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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紫陽花の移ろう色は、女心にも似て。
いつもお世話になっております、この度はご発注ありがとうございました。
兄と妹の微妙な心情、うまくかけていればよいのですが……!
楽しんでいただければ幸いです。
水の月ノベル -
久生夕貴 クリエイターズルームへ
エリュシオン
2015年07月22日

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