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『青と蒼 』
ファーフナーjb7826)&花見月 レギja9841

●突然の誘い

 それは余りにも突然だった。
 路肩に大型バイクが停まり、ライダーがヘルメットのバイザーを上げる。
「暇なら付き合え」
 ファーフナーは親指で自分の後ろを示した。
「暇は、ある……けど。ニア君、これはどうしたらいいのかな」
 投げ渡されたヘルメットを物珍しげにひっくり返しながら、花見月 レギは小首を傾げた。
 ファーフナーとレギはつい先日知り合ったばかりだ。

 山梨県での大きな戦いの後の慰労会で、ふたりは温泉につかり言葉をかわした。
 実はファーフナーにとってはそれが初温泉だったのだが、独特の解放感は忘れ難いものとなった。
 果たしてそれは、生まれたままの姿で外の空気に身体を晒すという非日常体験故のものだったのか、思わぬ同席者故のものだったのか。
 とにかくもう一度あの感覚を味わいたくて、ファーフナーは温泉を探した。
 近場に手頃な旅館を見つけ、そこでまた迷う。
 ひとりでも、あのように穏やかな気持ちになれるものだろうか?
 言葉を紡ぐように話す青年の横顔を思い浮かべ、ファーフナーは暫く思案する。
「……若気の至りとやらで、普段は公衆浴場は使えない、と言っていたしな」
 結局、自身をそんな風に説き伏せて、彼はあのときの同席者を誘ってみたのだ。

 ファーフナーはレギに用件を切り出す。
「近場に良さそうな温泉を見つけたんだ。そう遠くない」
「ああ……!」
 鋼玉の蒼が見開かれた。
「ふふ、バイクの後ろに乗せて貰うのは初めてだな」
 大柄の男ふたりのタンデムを想像し、レギが笑う。
「嫌なら無理にとは言わん」
 何処かばつが悪そうにあらぬ方を見る薄氷の青い瞳に、青い空。
「とんでもない。相席が俺で、申し訳ないと思う、よ」
 レギはバイクの背に跨った。
「しっかり掴まってろ。落ちるなよ」
「努力する、よ」
 腹の底に響くエンジン音。大型バイクは快調に走り出した。


●湯にとける

 浴場は清潔で、程良い広さだった。個室を使っている者は他に居ない。
「まあこんなもんだろう」
 ファーフナーの言い方はそっけないが、充分評価しているのだ。
 レギは身につけていた青いピアスと指輪を全て外し、貴重品のロッカーにしまい込む。
「そんなに大事な物なのか」
「……温泉のお湯だと、色が変わるから、ね」
 ファーフナーが聞きたかったこととは微妙にずれた答えだが、敢えて聞き直すようなことでもない。そう思い、浴室に入る。

 一応、日本式の風呂の礼儀に倣って湯を被り、湯の中に身体を浸す。
 ファーフナーの口から深い溜息が洩れ出した。
「ちょうどいい湯加減だ」
 髪をまとめ、頭の上に手拭を乗せたレギが、外の景色に目を向けた。
「良い眺め、だ」
「ああ」
 夕暮れの空が次第に藍に変わっていくのを、ただ眺める。
 遠くからはせせらぎ、近くからは鳥の囀りが聞こえていた。
 お湯はぬるめだが、頬を撫でて行く風が心地よい。
(平和だ)
 普段のファーフナーならすぐに自嘲の苦笑いを浮かべるような感慨が、素直に胸の内に広がっていった。
 どうやら温泉は、肉体だけではなく心の凝りもほぐすものらしい。

「それにしても」
 不意にレギが笑う。
「なんだ」
「あなたは変な人だね。温泉のお供に俺を呼ぶ辺り」
 言葉の調子に、嫌みは全くない。だがファーフナーはつい、いつもの癖で顔をしかめる。
「嫌なら断っても良かったんだぞ」
「うん、そうだね。でも、また温泉に入りたかった、から」
 ふわりと花がほころぶように微笑む青年を、ファーフナーは何か不思議な物を見るような思いで見た。
 最初にレギと言葉をかわしたとき、自分と似た空気を感じて安心したのを覚えている。
 だからファーフナーは珍しく、レギに本音をこぼした。レギも少しずつ、語った。
 過酷な戦いの経験、身の内に流れる異形の血、生き延びるために押し殺してきた自分、そんな似た者同士の連帯感がそこにあった。
 だが。
 今、ファーフナーは果たして自分とレギが、本当に『似ている』のかを疑問に思い始めていた。

 レギは景色を見つめながら、押し黙っていた。
 温泉に誘われてまず思ったのは、果たして自分は彼の人の目に留まるようなことを何かしただろうか、ということだった。
 だがレギには断るという選択肢はなかった。もちろん温泉に惹かれたのは本当だが、その相手はファーフナーでなくても良かったかもしれないのだ。
 レギは自分に起こる出来事を拒否しない。穏やかに全てを受け止める。
 ……少なくとも表面上はそうだった。

 ひょっとしたら、温泉の湯気にあてられたのかもしれない。
 あるいは何処か火薬に似た香りが、レギの心に眠るものを呼び起こしたのかもしれない。
「俺は世界が嫌いだけれど、あなたはどうだろう」
 唐突だった。
「何?」
 頭に手拭を乗せたレギの言葉が余りに意外で、ファーフナーは一瞬聴覚と意識との連携を疑った。
 やがて相手の言葉の意味を遅まきながら理解し、しばし考え込む。
「……世界か。壊れてしまえと思った回数は、もう覚えていないな」
 敢えて嫌いだ、とは答えなかったファーフナーに気付いたかどうか。レギは首を傾げた。
「ああ、うん。でも本当はね、俺は世界は好きだよ。人類が好きじゃない」
 そう言ったレギの目は、まるで人形の目だった。
 美しくない物を映しすぎた瞳は、硬くなることでしか輝きを守れない。
「あなたは大切なモノを失ったことがある? ……俺はない。大切なモノがないから」
「俺、は……」
 ――違う。――何が?
 思考は頭をぐるぐる廻り、追い切れなくなった意識は転げ落ちた。
「え、ニア君?」
 遠くでレギの声が聞こえた。


●心にとける

 慣れない長風呂にのぼせたファーフナーは、ぐったりと脱衣場の長椅子にのびていた。
「大丈夫? 飲める、かな?」
 レギは冷たい水を入れたコップを手渡しながら、笑いを堪える。
「ああ……すまんな」
 ここは、いつもの強面を作っても格好悪いだけだ。ファーフナーは観念して大人しくコップを受け取る。
「君、見た感じより愉快だし、何だか意外に可愛いね」
 レギは遠慮なく言い放ち、手を伸ばすとファーフナーの頭を撫でた。
(何だか放っておけない人種だなあ……)
 流石にその言葉は口に出さない。

 一方でファーフナーは、額に触れる他人の指の感触に、ただ黙りこむ。
 いつもなら即座に払い除けていただろう。
 だが湯あたりで身体が鈍っているのか、レギのあやすような手をそのまま受け入れている自分に気付く。
 優しい手の感触。ずっと昔に塞がった筈の傷が、胸の奥で疼く。
 世界が壊れてしまえと思ったのは、その手を失ったとき。
 レギは人類が嫌いだと言った。自分も人間なんか嫌いだと思っていた。
 だが、レギと自分との間の違いが少しずつ見えて来た。
 要するに、ファーフナーは今も人間の中に居場所を求めているのだ。
 ここに居ていいのだと誰かに受け入れて欲しいという切ない程の願い。それは失う恐怖と表裏一体で、だからこそ欲しながらも払い除けて来たのだ。
 少し前の自分なら、この考え自体に唾を吐きかけただろう。
 だがずっと被り続けてきた仮面の下、心は死んではいなかった。
 今、少しずつ、ファーフナーは自分の心に向き合おうとしている。

 だから。
「さっき、人類が嫌いだと言ったな」
 ファーフナーは真っ直ぐにレギを見据えながら、貴重品ロッカーを指さした。
「何故、色が変わることを恐れた。そのアクセサリーは、誰かに貰った物ではないのか。大切だから仕舞ったのではないのか?」
「それは……」
 レギの瞳に困惑がよぎる。
「本当に嫌いなら、何故人を拒まない? それにお前もまた人だ。何故お前は生きている?」
 レギがゆっくりと、数回瞬いた。
「ああ。それは確かに」
 ファーフナーが不意に表情を緩めた。
「平和な世界に一度慣れると、あるのが当然だと思っているモノに気づけないのさ……何が可笑しい?」
 ファーフナーの問いに、深い蒼の瞳が微笑んでいる。
「うん。君は俺より、いい人そうだ」

 いつの間にか呼び方はあなたから君に変わっていた。
(俺達は似ているようで、違っている)
 ファーフナーは自分が思っている程悪びれてもいないし、人を拒んでもいない。
 思いの外素直で、難儀な性格の人だ。
(たぶん、俺よりは大分救いようがあるだろうね)
 受け止める手があれば。彼はきっと、手を伸ばすことができるだろう。
 意表を突かれてこちらを睨むファーフナーに、レギはにっこりと笑いかけた。
「あと、やっぱり君の目は綺麗だね。薄氷の色だ。温泉で解けなくて良かった」
「そういう台詞は女を口説く時に言えよ」
 やれやれ、とファーフナーは頭を掻いた。

 レギが人類が嫌いだと思ったのは本当だろう。
 けれど今は、人類の中にも美しい存在があると気づきつつある筈だ。
 ファーフナーは確信した。
 レギの無関心、意思の欠落は、世界と自分を切り離した結果なのだと。
 全てを受け入れるレギは、開いているように見える。だが心の奥底には、諦め、閉じこもったレギがいる。
(自分自身のことが一番分からないものだが、ここまでとはな)
 鋭いようで、子供のようで。いや、子供というのは鋭く感受性が豊かなものだ。
 子供のレギが、きっと今も膝を抱えて眠っている。

「まあ、それまでは偶には俺に付き合え」
「そうだね。少なくとも当分は縁がなさそうだし、ね」
「何……?」
 顔を上げたファーフナーは、微笑むレギの後ろに、遠巻きにこちらを見ている入浴客の姿を目にしたのだった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【jb7826 / ファーフナー / 男 / 52 / 薄氷の青】
【ja9841 / 花見月 レギ / 男 / 29 / 鋼玉の蒼】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせいたしました、意外なおふたりのデート(?)のエピソードをお届けします。
雪解け間近の青と、まだ硬い蒼。そんなイメージで執筆致しました。
流石におふたりは「んあ〜っ」や「いきかえるぅ〜」とは言われないだろうと思いつつ。
温泉をゆったりとお楽しみいただけましたら幸いです。
ご依頼、誠に有難うございました。
水の月ノベル -
樹シロカ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2015年07月23日

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