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『黄昏に薫る花 』
フレイヤja0715


 閉じた傘を振ると、飛び散った雫が顔にまで飛んで来た。
「……雨粒の分際でいい度胸なのだわ」
 顔を拭うフレイヤの言葉には怨念が籠っていたが、多勢に無勢。なんといっても梅雨時のこと、雨はしとしと大量に降り続けているのだ。
「世界の終焉を食いとめたその後で、ゆっくり梅雨なんて滅ぼしてやるのだわ!!!」
 自称、黄昏の魔女フレイヤ。本名、田中よ……おっと誰か来たようだ。
 ともかく偉大で凄い力があるんだけど、今日の所は見逃してあげる設定である。
 何故なら、これからバイトで忙しいから。

 世間は6月だった。
 6月と言えば、ジューンブライド。6月の花嫁は幸せになれるとやらで、この時期に結婚式を挙げるカップルはかなり多い。まだ結婚式を挙げるまでは行かないカップルも、将来を想像してそわそわしたりして、何処となく浮ついた雰囲気だ。
 だがフレイヤの心は雨天のように曇っていた。
(みんな雨で流れてしまえばいいのよ……!!!)

 明るく清潔なスーパーマーケットの裏側、ひっそりと取り付けられた従業員通用口を抜け、昨今の事情により蛍光灯が1本置きに取り外された廊下を通り、ロッカールームに入る。
「おはようございまーす」
 フレイヤは自分のロッカーを開け、優雅に広がる長い金髪をゴムでしっかり縛った。
 黄昏の魔女は、ここでは全身白の衣装に身を包むのだ。

 支度を終えたフレイヤが鏡の前に立つ。店長直筆の『清潔!!』と書かれた張り紙が嫌でも目に入る。
 鏡の中、白い帽子に白い上着、白いズボンに白い長靴を身に付けたフレイヤがそこにいた。
(しかたがないのだわ……!)
 鏡に手をつき、フレイヤはともすればくじけそうになる自分に言い聞かせる。
 楽しい夏はすぐそこ。沢山のうすい本が今年も巷にあふれるだろう。ページ数の割に値段が高く、しかも目にしたらすぐに入手しなければ、永遠に出会えない愛しい本達。
(しかたが、ないのだわッ……!!!)
 フレイヤはキッと鏡の自分を睨みつけ、大きなマスクで顔を覆った。
 OK、支度は完璧だ。



「ああ、田中さんおはよう!」
 いつもの配置場所に行くと、マスク越しのくぐもった声。フレイヤとほぼ同じ格好の中、優しい目がこちらを見ている。鮮魚コーナー主任のお兄さんだ。
「今日はこっちを宜しくね!」
「タンポポですね、がんばります」
 フレイヤの今日の担当は、お刺身パックだ。大量のパックに、ピンセットでひとつずつ黄色い花を乗せて行くのである。
 すごくどうでもいいことではあるが、フレイヤはタンポポだと信じているが、これは食用に栽培された菊花である。見た目の彩りと菊の殺菌作用の両方を兼ねている訳だがまあそれはどうでも良くて。
 今日はお刺身がいつもより大量に用意されていた。フレイヤは黙々と作業に取り掛かる。

 蒸し暑かった外とは違い、作業場は寒い程だった。魚の匂いも、菊の香りが多少打ち消してくれている。
 まるでマシーンのように正確に手際良く花を置きながら、フレイヤの心は空想の世界に羽ばたいていく。
(主任さんはやっぱり日配コーナーの主任さんとお似合いなのだわ……)
 ちなみに日配の主任さんも男性である。
(きっと売上会議の後は、ふたりきりで目標達成をお祝いしたり、店長の叱責を慰め合ったりするのね。そして互いにかけがえのない存在になっていくのだわわわ!!!)
 腐ったお嬢さん達の脳内では、男が2人いれば掛け算開始である。
 ましてや他に考えることもない単純作業。せめて楽しいことを妄想していなければ、やってられないではないか!

 ところで鮮魚コーナーは、お客の注文で大きな魚を捌いたりもするために、バックヤードといえど多少は店内が見渡せる。
 フレイヤは空になった花のパックを補充する間に、ふと外を見た。
(何、今日は何なの……!?)
 最初は偶々かと思った。だが、通りかかるお客を見える限り見渡すと、やたらとカップルが多いのである。
 しかも仲睦まじく、お刺身パックなんかを選んでいる。
「いつものイカソーメンにする?」
「うーん、それもいいけどお。せっかくだから今日はマグロのトロを奮発しちゃうよ?」
「えーっいいのお?」
 そんな会話が漏れ聞こえ、フレイヤは暫し言葉を失う。

 世間は6月だった。
 6月と言えば、ジューンブライド。6月の花嫁は幸せになれるとやらで、この時期に結婚式を挙げるカップルはかなり多い。
 つ ま り。
 記念日を迎えるカップルも、物凄く多いことを意味するのだ――!

「しまったのだわ!!!」
 思わず声に出して呟いてしまった。
「どうしたのー? 田中さん、大丈夫?」
 バイト仲間のおばちゃんに心配されてしまうぐらい、フレイヤの目はマジだった。
(どうして私は、タンポポを無心に置いてしまったの!?)
 カップルどもがキャッキャうふふと購入して行くために用意された、大量のお刺身パック。せめてタンポポひとつひとつに魔女の呪詛を籠めて置いてやればよかったのだ!

 ぐっと拳を握り、フレイヤは顔を上げる。
(そう、今からでも遅くはないのよね!)
 新しいお花の容器を抱えて、持ち場に戻った。
 震える手でピンセットを操り、つまみ上げた黄色い花を慎重に刺身に乗せる。
(お刺身を食べてる途中で、この花の香りが幸せなカップルの意識に入りこみ、過去の嫌〜な出来事を掘り起こすのよ!!!)
 ……地味な呪いだ。
(後はそうね、お刺身が奇数で、最後にどっちが食べるかで揉めればいいのだわ!! お刺身一切れを半分こなんてできないものぉおおお!!!)
 ……地味すぎる呪いだ。

 だがその食卓を想像するうちに、フレイヤはあることに気付いてしまったのだ。
 どんな形であれ、お刺身を全て食べ終えた後、そこに残る光景。
 荒れた大根の細切りに赤い葉っぱ、そしてぽつんと残る黄色い花……。
(ひどいのだわ……!)
 フレイヤの胸が痛んだ。
 刺身を飾った後に取り残される花に、幸せな人々から隔離されてバイトに励む自分が重なった。
「主任さん!!」
 気がつけば声を上げていた。
「何、どうしたの田中さん!?」
 驚いて振り向いた主任に向かって、フレイヤはほとんど涙声で叫んだ。
「タンポポ、2つずつ置いていいですかッ!!」



 戦い済んで、黄昏時。
 タイムカードを押したフレイヤは、今月の勤務記録を確認する。
(ま、いっか)
 タンポポ2個置きは却下されてしまったけれど、頑張った分だけそれなりのバイト代は期待できそうな感じだ。

「お疲れ様でしたー!」
 鮮魚の主任と日配の主任が廊下で立ち話をしているのに微笑みながら会釈して、フレイヤは足取り軽く帰路につく。
 指にはまだ菊の香りが残っているような気がした。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ja0715 / フレイヤ / 女 / 22 / 今日は白衣の魔女】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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余談ですが、日配部門というのは、豆腐とか牛乳とか漬物とかの賞味期限が短くはないが長くもない系の加工食品を扱うみたいです。
頑張った分だけ、フレイヤさんが夏にはめいっぱい楽しめますように。
ご依頼、誠に有難うございました!
まさか本当にやるとは思わなかったよ!!
水の月ノベル -
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エリュシオン
2015年08月03日

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