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『雨が降っていた 』
トライフ・A・アルヴァインka0657)&ブルノ・ロレンソka1124


 窓の外は灰色に塗りこめられていた。
 厚い雲はどこまでも灰色、降り続く雨に濡れる街も灰色。
 朝から続く、ずっと同じ光景だ。
 だがトライフ・A・アルヴァインは快適な部屋の中で座り心地のいい長椅子にゆったりと身体を預け、本に没頭していた。
 風もなく、弱い雨は音もなくひたすら降り続くだけ。
 トライフが燻らせる煙草の独特な甘い香りが、木の家具の醸し出す香りや古い本の香りと入り混じって、どこか現実離れした空間を満たしている。
 煙草の灰を灰皿に落としながら、僅かに身じろぎしたトライフの目に、半ば存在を忘れていた姿が目に入った。
 背の高い革張りの肘かけ椅子と同化したようにどっしりと座るのは、この部屋の主、ブルノ・ロレンソである。
 重厚なデスクの上で几帳面に揃えた書類をめくるたびに、灰皿に置かれた葉巻の煙が僅かに揺らぐ。
 意志の強そうな眉の下、鋭い目が飽きることなく並んだ文字や数字を追っていた。
 ブルノは歓楽街の中でもひと際賑やかな一角にある『魅惑の微笑み通り』のオーナーだ。この部屋は彼の事務所でもあり、普段なら様々な人物が訪れるのだが、今日はそんな人々の出入りもない。
 トライフは見るともなしにブルノの背後の窓を眺め、煙草をゆっくりとふかす。
 ブルノがちらりとトライフを見たが、特に何も言わない。トライフも何も言わなかった。
 ただブルノの肩越しに見える灰色の空に、煙草の甘い風味を台無しにするような鉄の味が口の中に広がるのを感じていた。



 天国から地獄。ありていに言えばそんな感じだった。
 ほんの少し前までトライフが横たわっていたのは、最近ねんごろになった金持ちの未亡人のふかふかのベッド。
 そこから乱暴に引き立てられて、甘いキスの代わりに屈強な男の拳を頬に喰らい、気がつけば湿ったセメントの床に転がされていた。
(おいおい、一体何処でドジ踏んだんだ?)
 唐突な襲撃にも関わらず、トライフは冷静だった。
 襲ってきた連中は単なる三下にしては身なりもいいし隙もない。下手を打てば、手足を折るぐらいのことは簡単にやってくれそうなほどの手練れとみえた。
 トライフは下調べ程度に抵抗してそういったことを判断し、すぐに殺される訳ではないと分かった後は、暫く大人しく従って様子を見ることにしたのである。

 靴音から、周囲に居るのは一人や二人ではないことが知れた。
 視界は暗いが、目が慣れるに従って辺りの物が見分けられるようになる。そこは倉庫のような場所だった。
 不意に分厚い扉が軋む音が響く。
 視線を泳がせそちらを見たトライフは、内心毒づいた。
(最悪だな、これは)
 扉を開けた男たちを従え、黒い影が立っていた。
 肩越しに見えるのは灰色の雨雲。その仄かな明るさで相手の顔が見分けられる。
 道端に落ちている吸殻を見るような目でトライフを見下ろしているのは、この辺りの顔役として裏の世界ではよく知られているブルノ・ロレンソだった。

 * * *

 実に不愉快な用件だった。
 ブルノは決まった上がりを持って来なかった手下の口から、つまらない言い訳を聞かされた。
 任せていた賭場で、雇っていたディーラーに売上金を誤魔化されていたのだ。
 元々流れ者を拾ったのだが、イカサマの腕はともかく、複雑な資金操作ができるような頭はない。芋蔓式に辿って行ったところ、とあるチンピラに行きついたという。

「俺も随分と舐められたものだな」
 それは手下と、その手下の上がりを横からかっさらっていったチンピラと、両方に対しての感慨である。
 その一言で手下は賭場を首になり、チンピラはケジメを取らされた。
 だがそのチンピラにしても、妄想はでかいが実現できるタイプではない。
 最後に締め上げて聞き出したという発案者の名前に、ブルノは僅かに眉をひそめる。
「確かにそいつで間違いないのか」
 ブルノが指を鳴らすと、デスクに一冊のファイルが置かれた。
 これまでにブルノのシマで目についた連中の名前や行状が纏められている。
「役立たずのトライフ、か」
 この界隈には掃いて捨てるほどいる、調子づいた若造のひとりだった。
 それなりに複雑な過去を持ち、帝国から転がりこんで来た当初は偶に面倒事も起こしていたが、『誰が』ここを仕切っているのかを理解してからは目溢しできる程度の悪さしかしていない。
(爪を隠していたか、単なる偶然か……)
 始末するのは簡単だ。だがもし二つ名に反してそれなりに役に立つなら、取り立ててやってもいい。
 ブルノは一度、そいつの顔を見てやることに決めたのだった。

 * * *

 倉庫の扉が閉まり、カンテラの灯が辺りを照らす。
 トライフは臆することなく、ブルノの顔を見返した。だが心中は穏やかでない。
(こいつが直々に出て来る程の事をやった覚えはないぞ?)
 ブルノの脇に控えた部下の手には、鈍く光る鉈があった。灯を映してぎらつく長い刃が不気味に静まり返る。
 何に使うか、訊くまでもない。トライフの肩から指先まで、凍りつくような感覚が走り抜けた。
 内心ではかなりの危機感を持っていたトライフだが、ここで怯んでも生き目はない。なんとか形勢を逆転する切欠を見つけなければならないのだ。
 そこで先に仕掛けることにした。何、これ以上状況が悪くなるはずもない。
「顔役直々のお招きとはな。俺も随分と偉くなったものだ」
 ブルノは眉一筋動かさず、感情の籠らない瞳でトライフを見下ろしているだけだった。
 脇に控えた部下が代わりに口を開く。
「お前、”赤ネズミ”を知っているだろう」

 その名を聞いて、トライフは全てを理解した。
(あの野郎、俺を嵌めやがったな)
 ――ボロい儲け話があるので、おまえの頭を貸してほしい。
 そんな話によく調べもせずに乗った自分の迂闊さを今更嘆いても仕方がない。
 賭場のディーラーを抱きこんで、客としてそいつとグルになって上前を掻っ攫う計画を立ててやったのはトライフだ。その賭場の確認を怠ったのが致命的だった。
「おい聞いてるのか。どうなんだ」
「ああ、知ってる。それがどうかしたか?」
 飽くまでも平静に。トライフは口の中に広がる鉄の味に意識を向ける。
「あいつは調子に乗った報いを受けた。入れ知恵したのがてめえだってことはわかってるんだ、覚悟はできてるだろうな」
 どうやら白を切るのは難しそうだ。そう判断したトライフは、賭けに出た。
「へえ、それは驚いた。あの手に引っかかるほど無能な支配人だったという訳だ」
 相手は、自分をすぐにどうこうするつもりもないらしい。
 ならば万一の可能性に賭けるしかないのだ。
「この野郎、減らず口を……!」
「それとも」
 横腹を抉ってくる靴先を受け止めながら、トライフは手下ではなく、ブルノを見据えた。
「有能な支配人でも引っかかるだけの絵図だった、……てことかな」
 笑って見せる。切れた口元の痛みを押さえこんで。
 ――どうだ。役に立ちそうだろう……?

 ブルノは相変わらず、全く表情を変えなかった。
 だが続く言葉に、トライフは勝利を確信した。
「そこまで言うなら一度だけチャンスをくれてやる」



 トライフは記憶に残る血の味を打ち消すように、甘い煙草の煙を胸いっぱいに吸い込んだ。
 あれからもう4〜5年は経ったろうか。
 結局、商売敵の裏情報を掴んで戻ったトライフは、ブルノのテストに合格した。
 今、ブルノは河岸を変え相変わらず熱心に裏稼業に勤しんでいるし、トライフはやはり五体満足で『役立たず』を自称している。
 そんなトライフに、時折ブルノが小遣い稼ぎ程度の仕事を依頼するという、ビジネスライクな関係があの件を切欠に続いているのも不思議なものだ。

 煙を吐き出しながら、何故か少しトライフは可笑しくなった。
 その気配を察したのか、ブルノが書類から目を上げた。
「その本の何がそんなに可笑しいんだ」
「本じゃない。”あの”ブルノが随分丸くなったものだと思っただけだ」
 からかう様な含み笑い。だが勿論、トライフは知っている。ブルノは相変わらずブルノだという事を。
「お前みたいなのはとっくに死んでると思ってたんだがな。存外しぶとい奴だ」
 ブルノの言葉に、トライフは肩をすくめるだけでそれに応じた。
 特に逆らうつもりはないが、尻尾を振って媚びる気もない、という具合だ。
「伊達に≪役立たず≫と呼ばれてないからな」
 嘯くトライフは、素知らぬ顔で長椅子の上で足を組みかえる。
 とん、と、太い指がデスクを打った。
「だが俺は昔から、役立たずを飼っておく趣味はない」
 ブルノはにこりともせずにトライフを見据えていた。あのときと全く変わらない、感情の籠らない瞳だ。
「仕事があるなら勿論受けるが」
 トライフはそう言って、手元の本に視線を戻す。
「できればもう少し、この本を読んでからにしてもらえると有難いな」
 そのとき、トライフの耳に珍しい物音が届いた。
 ブルノが小さく笑ったのだ。
「では本の分まで人より余計に働くことだな」
 その笑いの意図はトライフにはわからない。
 だがナイフで渡り合う様な緊張と、静かな安らぎが同居するこの不思議な空間は、結構悪くないと思うのだった。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka1124 / ブルノ・ロレンソ / 男 / 55 / 裏街の顔役】
【ka0657 / トライフ・A・アルヴァイン / 男 / 23 / 自称・役立たず】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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発注フォームの「仲の良い友達内容」という言葉がじわる。そんなご依頼でした。
お気に召しましたら幸いです。この度は誠に有難うございました!
水の月ノベル -
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ファナティックブラッド
2015年08月03日

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